32
その日の終わりを向かえようと昼間よりも音の減った暗い町並みに、馬の蹄と車輪の音が流れていく。
人通りのあるハルネアの中心部。時刻は二十二時になり人の通りはかなり少なくなっていた。
そんな中でレアは捕まえた荷馬車の前で金銭を受け渡した。
「じゃあ、あとは任せるよ」
「かしこまりました。必ずお送りいたします」
目の前の荷馬車の主人が帽子をつばをくいっと上げて挨拶をした。その合図を皮切りにやや豪勢な造りをした荷馬車は動き出す。馬車を捕まえた本人も、その隣にいた俺も乗っていない馬車だ。
音と共に馬車は遠ざかる。しまいには完全に馬車が通りに姿を消した。
無人で馬車を走らせる……なんて酔狂な真似はしていない。ちゃんとした目的があってある人物を乗せてもらっている。
「これで無事フローゼが家に帰れたらいいんだけど」
「まあ、信頼できる業者に頼んだことだし大丈夫さ。それにだよ。運ばれているのはあのフローゼ・オーレンシュケン夫人だよ」
「んー。だから心配なんだけど」
気を失わさせられ眠ったまま無防備で乗せられているのが他でもないエリゼの母、フローゼ・オーレンシュケンだった。
何でこんなことになっているのか気になる人もいるだろう。これにはちゃんとした理由があるのだ。
今回の結末。フローゼの意識を奪ってからの話をしよう。フローゼとの戦いに勝利したあと、意識を失ったフローゼの記憶をレアが魂性術で消した。
――フローゼが持っていたレアがネクロマンサーという情報。
――フローゼが自分の娘を殺そうとした過去。
――その事件のきっかけとなった願望の書。
レアいわく、それらを含めた過去二週間の記憶を消したそうだ。
ただ問題は記憶を消すとは言っても完全ではないこと。何がきっかけで元に戻るのかわからない。だから、ファブロスに置いておくこともできず、フローゼ本人を起こして俺たちの顔を見せることもできなかった。結果、酒に酔って寝かぶったという設定で馬車を捕まえて、オーレンシュケン邸に運んでもらうことになったのだ。
そんなわけで既にいなくなった馬車の姿を思い返しながら、少しだけフローゼを心配していた。
「貴族で金持ちだし、言いたくはないけど美人だし色気あるし。そんな人を男一人に任せるのはちょっと心配になる」
「そうかい? ボクは逆だと思うけどね。意識はなくても、あの夫人だ。そんな気を起こせるのかな?」
「そりゃあ、もう」
と言いながらを一応想像してみる。荷台には傷一つない美人なフローゼが青いドレスから谷間を覗かせている。意識はない。夜で人通りもほとんどない。しかも、荷台は密室。
それに男として顔が熱くなって……。
「ん? おかしいな」
想像の中でフローゼの目が開く。その冷たすぎる眼差しを受けた次の瞬間、体は炎に包まれた。
DEAD END。
「物理的に死ぬか社会的に死ぬかの二択を選ばせてきそうなのはわかったよ」
「具体的な想像だね。なんかリアルすぎてこっちのほうが恐ろしくなるよ」
「でもまあ、レアの言いたいことはわかったよ。フローゼに手を出そうとは思わない」
「ほらね」
フローゼの恐ろしさを再確認。そして、それとなく視線をレアの目から外した。
「やっぱり、金や情欲も命には変えられないからね。だから俺は無料のレアの胸で満足することにする」
「そうかい。そうかい。ん? 前半は理解してくれた反応だけど後半は、うん?」
おや、視線に気が付きましたか?
俺の下げていた視線の向かう場所を察して、レアが胸を隠した。
「魔道具店店主のレアお姉さんならきっとタダにしてくれるはず」
「ボクの胸はタダじゃない。ましてや安くもないし、割り引くつもりもないよ」
しかし、現に今俺はタダでレアの胸を見ていた。黒いドレスは胸まで覆い隠しているがそれでも確かに満足した。
でも、そうか。これ本人がタダじゃないと言うなら仕方がないか。
俺はそっと右ポケットに手を入れる。そこには昼間にペペの飼い主に報酬として貰った金貨が一枚。
この始めてこの世界で稼いだたった一枚の金貨。どこで使うのか。その伏線は今回収される。
「――この世界に来て始めて自分で稼いだなけなしのお金だよ。これを俺は全額レアにつぎ込む。俺はこれでレアの胸を買う」
「……。レアお姉さん絶句中だよ」
強い意志で金貨を渡そうとレアに押し付けるが、それを無言で押し返される。その熾烈な戦いの末、俺の金貨は行き場をなくして元の場所に帰っていった。
駄目だったか。まあ、これでいいんだけどね。
「はぁ。本当に君はすごいね。自己紹介が終わってからはまるで別人だよ。それが君の性格なのかな? いいものとは呼べないけど」
「はは。まあ、そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるかな」
もちろん、軽蔑されたいわけでも何でもないし、自分らしい発言でもない。けれど、ふざけたのには理由はある。
「人の関係性は良いところを見せ続けるだけじゃ深くならないから」
「ん?」
「人間関係を作るのが下手な人間なりの小さい努力だよ」
今度こそレアの胸から意識を反らして顔を見た。ちょっとした前置きは終わりだ。
「ところでさ。レア。今回の件の元凶のあの本ってどうしたの?」
「んん? あー、夫人の持っていた本だね。勿論、手元にあるよ。ほら」
確認のために尋ねるとレアは懐から黒い本を取り出す。夜であり、ついでに真っ黒な衣装のレアが持っているにも関わらず、異様な存在感を放つその本は、エリゼの殺害の直接的原因となった願望の書だ。
「流石に持たせておくと同じことの繰り返しだからね。回収しておいたよ」
「ナイス判断だよ。レア。記憶をなくしてても、それがあるとフローゼは何をしでかすかわからないから」
願望の書。持ち主の求める願いを反映する本。今回はフローゼのオーレンシュケン家を守りたいという願望のために、エリゼを殺すという指示を出していた。
「願望の書か……。俺にはどう見ても白紙なんだよね。レア。魔法使いとして、魔道具店店主として、その本をどう思う?」
「うーん。そうだねぇ」
歩きながらレアは本を開く。それを横から見ていたが相変わらずどのページも白いだけ。
しかし、レアのほうは違う受け止め方をしたのか、まるで読んでいるかのようにページを進めた。
「――普通の本ではない。そこだけは間違いないよ」
「まさか! レアも読める!? だとしたら、本当に願いを叶える本なの!?」
「そうだね。読めはしたよ」
フローゼだけではなくレアにも読めた。となると、本自体は間違いなく特別製。フローゼ一人が幻覚を見ていた説はなくなった。
「内容は? エリゼの殺害の件? それとも本当に願いを叶えるための道筋が書いてあるの?」
「どっちも少し違うようだ。ボクの願望に沿っているとは言えないし、エリゼちゃんの話もない。けれど、だからといって、的外れな内容でもない。ボク相手に読ませようとして、描かれた文章なのは間違いないみたいだ」
しかし、それとは別にレアの表情は少し険しかった。レアの願望と言えばノルデバルデン侯爵への復讐だ。どう転んでも明るい内容になるほうが難しい。
フローゼの件といいレアの今の反応といい、読めた側のほうがこんな顔をする。
――願望の書。名前とは裏腹に不幸な顔しかさせない厄介者だ。
「そう思うと読めないほうが良かったのかもね」
「願望は自分で叶えるからこそ意味がある。勝手に本に心を読まれて、とやかく指示を出されて今の自分の行動をねじ曲げられるのは、今と過去、未来と否定されることでもある。不愉快なことこの上ないよ」
ため息をつきながらレアは本を閉じて懐にしまう。その動作はうんざりしたようで、どこか乱雑だった。
「ともかく、この本に関してはボクが個人的に調べておくよ。誰に読めてどんな内容か。そして、この本にどんな魔法がかけられているのかをね」
「そこは専門家に任せるよ。魔法に関してはちっともだし、そもそも読めない俺にはどうしようもないから」
願いを叶える願望の書。それが果たして本物なのか偽物なのか。わからないままではあるが、今はそれでいい。
それよりも今は……。
そっとエリゼの細い腕を抱き上げる。その内側にはあのフローゼとの戦いでの記憶が残っていて、俺の思考を曇らせる。
「ねぇ。あのさ」
「なんだい?」
「フローゼってさ。本当にエリゼを嫌っていたのかな」
「んん? もしかして、本に操られていたって言いたいのかい?」
「そう……とも言うのかな」
漠然としていてすぐに的を射た言葉は出てこない。けれど、思ったことを淡々と箇条書きのように話していく。
「エリゼを虐げるような発言は確かにあった。実際に親か疑うような内容だったりしたよ。でもさ。あの戦いの最後でさ、フローゼを拘束するために抱きついたんだ」
特にフローゼの情に畳み掛けるような理由はなかった。
エリゼを守るためで、もっと言えばフローゼの攻撃がレアへと向かないようにするための作戦だった。
それなのにフローゼの反応は、俺の想像していたものとは違っていた。
「普通さ。敵に抱きつかれたら、ふりほどくか、驚いて硬直するよね。それなのにフローゼはどちらでもなかった」
目を瞑り必死になってフローゼを捕まえていたあのとき。確かに声を聞いた。
「フローゼは言ったんだ。『成長した』って。それも俺を……エリゼを抱き寄せながら」
そっと手の乗せられた背中の感覚はまだ残っていた。包みこむような抱擁感。冷徹なだけの敵と割りきっていたフローゼの体温。それがここまでずっと俺を迷わせていた。
「本当はエリゼを殺したくなかったんじゃないかって」
記憶を消した今ではその本心はわからない。何が原因でどういう思考回路だったのか。本当にオーレンシュケン家のためにエリゼを狙ったのかもわからない。
何も真相を知らぬままに終わらせてしまったことに罪悪感があった。こういうところが俺の悪いところだ。終わり良ければすべて良しとは思えない。何事も疑ってしまって前に進まない。
だから、フローゼにはもっと深い理由があったのじゃないかと思ってしまって、この結果が正しかったのかわからない。
「ごめんね。ボクにはその答えはないよ。けれどね。エリゼちゃん」
いつの間にか足を止めていた俺の前にレアが膝をつく。見上げるような姿勢のレアと俯いていた俺の視線が交わった。
「夫人は殺そうと思った相手にも逃げ道となるような依頼内容を設定していた。それって、オーレンシュケン家のためにエリゼちゃんを殺すように指示した願望の書への、夫人なりの抵抗だったんじゃないのかな」
「抵抗……」
「そう。『わたくしの娘は本程度に殺されるような価値のない人間じゃないわ。それを証明してあげましょう』ってね」
レアが似てもいないフローゼの真似をした。それがほんの少しおかしくて顔が緩む。
でも、そうか。言いそうだな。フローゼはプライドが高い人間だ。熱意があるから冷たいんだ。そんなフローゼが簡単に自分の娘を見捨てるとは思えない。意外と冷静さに欠けるフローゼなら低く見積もられた娘の評価を力ずくで証明しそうだ。
「だとしたら、その証明は成功だな」
「キヒヒ。そうだね」
レアが立ち上がって手を引いてくれる。止まっていた足が前へ進む。
ギードと共に三人組から逃げ回った裏路地。
助言をくれた病弱な店主ラックの鍛冶屋。
明かりが消え店仕舞いされてこじんまりとした市場。
それらがここまでの過去のものとして過ぎていく。
いつの間にか自宅はすぐ目の前にあった。明かりは付いておらず、おそらくテレーゼも帰ってきていない。
フローゼにも、テレーゼにも、エリゼにも。話したいことがいっぱいある。それでも、ここから先は俺のストーリーじゃない。
二階建ての家の前に立っていた。緑の芝の中に何輪かポツリと花が咲いている。その庭の中央に石材を敷き詰めた通路があり、その奥にはここ数日何度も出入りを繰り返した茶色い扉が主人の帰りを待ちわびている。
顔を上げて見上げると、ちょうどエリゼの部屋にある窓が見えた。転生初日、カーテンを開き、最初に日差しを浴びたあの場所。スタート地点だ。
「――願望の書はなくなった。――エリゼを狙う人もいなくなった」
慣れ親しんだ家への、ただいまの一歩は踏み出さずに振り返る。
「だったら、あとはエリゼのほうが上手くやっていける」
俺は柔らかく頬を緩めた。それはこの転生でここまで見せてこなかった安堵の表情。肩から荷が下りた証拠だった。
四角い窓を見る。いや、ウィンドウを見る。ここまで見ないふりをしていたビブライアのシステム通知。
今朝見た転生ポイント獲得のときと同じデザインで、同じ色のフォント。しかし、今朝よりも文字数が多い。
《転生ポイント獲得 100 現在101ポイント》
《累計獲得ポイントが100を越えました。『帰還』が可能になりました》
《 『帰還』 現在の転生先に強化値を保存したまま、転生部屋へと帰還できます》
ずっとエリゼを消してしまったんじゃないかと不安だった。けれど今、取り戻す手段が目の前にあって、俺の意志一つで元に戻る。
失ったと思って壊れかけて、本当に一度は失って。それでもみんなの優しさを再確認して立ち上がって。そこから、こんなラストに行き着いた。
「やれやれだ。ようやく、さよならか。長いチュートリアルだったよ」
「んん? どうしたのかな? こんなところで立ち止まって。さよならのチューでもしたほうがいいのかい?」
「さよならもチューも、どっちも多分レアと違う意味だから!」
このエリゼ生活へのさよならと、チュートリアルだ。片方は完全に聞き間違え。よくもこの二つをくっ付けてそうなったな。
「ふふっ。思ったよりも良い反応だよ。そういえば、君は男の子だったねぇ。だとしたら、聞き間違えを利用して、こんな美人からの嬉しいご褒美を……」
「絶対にやらない! 複雑な気持ちになるから!」
レアの申し出に顔は赤くなる。それでもレアとキスなんて絶対にやらない。
何が嫌かだって? レアの顔以外の全ての状況だよ。なにより、好きな子の前でキスなんてできるものか。いや、前でっていうか、好きな子の体でだけど。
動揺する俺をレアは隠すつもりなく大胆に笑う。文句を言おうかと思ったが、ネクロマンサーのレアがこうして夜空の下で遠慮なく笑えているのだ。止めるのは野暮。
それに別れは涙よりも笑顔がいい。それはゾンビ転生で学んだ。
「さて。ひとしきり笑えたからそろそろだね。口ぶりからして、その体から出るんだよね。次の転生先は?」
「決めてないし、どうなるのかもわからない」
「確か、死んだら勝手に転生させられるって言っていたかな? だとしたら仕方がないね」
「ん? 俺そんな風に言った? 転生先は選べはするけど?」
「言ってなかったかい? あのボクを口説いたときに」
……そうだったかな?
あのときは必死で、とにかく感情的だったので詳しくは覚えていない。けれど、あまり間違えそうにないところを間違って伝えていたのは少し不思議だった。
「まあ、いいや。ともかく、転生する生き物は選べる。でも、その転生先がどこの誰かまではわからないんだよ」
「ふむふむ。そうかい。だからの『さよなら』だったのかな?」
さっき言った『さよなら』とはやっぱり少しニュアンスとは違う。それでも、あくまでそれはエリゼに伝えるための『さよなら』だったから。レアに向ける『さよなら』ならそれで合っている。
「次はこの街にはいないかもだし、この国でもないかもしれない。レアにまた会えるかもわからない」
「つまりはこの場所で、このときが君との最後かもしれないわけだ。ソウマ君」
「……そうだね」
次の転生がどうなるのかもわからない。それでも、次からは人間以外をメインにして転生するつもりなので、レアと出会う機会も大きく減るだろう。
だから、レアの言う通り本当に最後になる可能性もある。
あるけど……。
「――でも約束した。会いに来るよ。レアがハッピーエンドの復讐を迎えられるように」
「復讐のためね。嬉しい言葉だよ」
「それだけでもないけどね。よっと」
大きめに跳ねるように家の敷地に入った。通路に軽快な音が響き、軽く膝を曲げながら着地。そこからスケート選手のような姿勢で半回転して振り返る。
「レア! 俺は友達が少ないんだ! 理屈っぽいって! 道中を気にせずに結果ばかり求めるから!」
「んん?」
「でも、だからだよ。異世界での初めての友達は特別製だ!」
出会う度に違う印象を与えてくれたレア。店主で敵でネクロマンサーで味方で。たった数日の関係とは思えないほど複雑に噛み合った友になった。
肉食動物だろうと草食動物だろうと。虫や魚や鳥だろうと。これから先どんな生き物でどんな境遇に陥れられようと。
「絶対だ! 絶対にここに戻ってくる! だから、そのときはまた魔道具でも紹介してくれ!」
「――勿論だとも」
レアがその特徴とも呼べる大きな帽子を取った。そして、流れるように長い黒髪を垂らしながら頭を下げる。紳士のように、魔道具店店主レアらしい姿で。
「そのときは是非とも我が魔道具店ファブロスをよろしくね」
それらしい別れになったのかは知らない。いつ会えるのかも、短い別れか長い別れかも知らない。それでも今このときハッキリ言える。
泣いて、踠いて、傷付いたエリゼ転生。最初から後悔しかしてこなかった。でも。
「エリゼに転生してよかった」
恥ずかしくて口の中だけで呟いた。そして、今度こそレアに背を向けて、過去を惜しむことなく未来へと。迷うことなく家の扉を開いて、この転生、唯一の友人との時間を最後にした。
ご愛読ありがとうございます!!
ちょうど五十話、これにて一章は終わり……ではありませんが、ひとまず書けている部分はここまでになります。
具体的に言えば、一章の奏真視点は終わり。そこからもう一つ短めのものが何話かあって二章となります。
そして、次回の投稿についてですが、二章まで書いてから、一章の短い話と合わせて投稿できればなと思っています。ストーリー的に、一章終盤と二章は繋がっていくため、そのような決断となりました。
具体的にいつから投稿! などは決めてませんが、コツコツ裏で書いていきます。えー、ネタバレになりそうなので次の章の名前は言えませんが、次章、是非、お楽しみに。




