28 間違いだらけの答え合わせ
夏祭りを連想させるようなぼんやりとしたオレンジ色の明かりがテーブルを照らしていた。楕円形のテーブルランプ。木製の置時計。さらにはアメジストのような結晶の生えたインク瓶に、青と黒のグラデーションのかかった羽ペン。そして、左端にある本立てとなぜか一冊分空いたその余白。
何日経ったって覚えている。忘れるわけがない。過ごした時間の長さよりも濃密で脳と体と五感に焼きついたこの部屋。開かない扉と、この部屋の存在意味でもある、二冊の本を開く向きを逆にして重ねた合わせたような外観の本、ビブライア。
「転生部屋」
そして……。
《転生ポイント1》 《生を諦めますか?》
死後にしか現れないその表記。それが今の俺とエリゼの結果だった。
エリゼが死んだ。
ぼんやりとただ景色を眺めている。怒りもない悲しみもない。感じられないんだ。本当に辛くて耐えられないときはこんな感覚になる。感情を吐き出せるほどのエネルギーさえなくなる。弱りすぎていて何も考えられず前にも進めない。
だから俺は座ったまま、何もかもの現実から逃げるように部屋を見ているだけ。
「……あ」
部屋を見ていると不意に手に当たる感触があったのに気がついた。見下ろしてみると本があった。机の中央に置かれた黒い本。
デス本……。思い返したら、エリゼに転生する直前に図書館から持ってきてここに置いていたか。タイトルは確かゾンビ。それを見てネクロマンサーの襲撃を決定づけて、飛ぶような勢いで無計画な転生をしたんだ。
思い出しながらその表紙を撫でる。指先でたどるのはそのタイトル。短く刻まれた『エリゼ』の文字。
エリゼ!?
「ひっ……?」
書き換えられていたそのタイトルに、体が拒絶反応を起こす。椅子を弾き飛ばして立ち上がって本から離れる。けれど、その文字は俺の視線からは外れてくれず、俺を現実に叩きつける。
デス本は転生した生物の死までの記録。つまりここに記された個体は必ず死んでいる。
逃げていた胸の痛みが襲ってきた。我慢できずに胸を押さえて、必死に呼吸して顔を伏せるが、それでも黒い表紙に描かれた白い『エリゼ』の文字は消えてくれない。
わざわざ悪趣味に用意されたデス本が、俺の逃げ道を塞いでその過酷な現実を突きつけてくる。まるでこう言っているみたいだ。「責任を負え。そして、選べ。生を諦めるかを」と。
「エリゼ……。エリゼ」
逃げて距離の開いた机まで追い縋るように手を伸ばして足を前に。一歩踏み出す度に足音の振動が俺の涙を揺さぶる。
――俺が無駄に死なせてしまった。――俺が転生なんてしなければ。
「きっとそうだったんだ」
俺は必要なかった。エリゼの側にはテレーゼがいた。エリゼだったらレアのいるファブロスに行ったりはしなかった。
倒れた椅子を放置したままテーブルの前へ。これまでのデス本よりもほんの少しだけ厚いそれは俺の短い無駄の証。
本の表紙を指先で持ち上げる。そこから始まるのは俺の愚行の物語だった。
《一日目。午前九時、エリゼ・オーレンシュケンに転生する。予期せぬ転生先で自我が崩れかけるも、姉であるテレーゼ・オーレンシュケンの魔法により眠らせられ救われる》
「……テレーゼ」
知らなかった内容にまた胸が痛くなる。ただ意識を失っただけだと思っていた。けれど、俺を気遣ってテレーゼはわざわざ魔法を使ってくれていたんだろう。
自分が信じきれなかったテレーゼの優しさを知った。これがエリゼのためだったのか。俺のためだったのか。その答えを知る術はもう俺にはない。
後悔しながら今度は左側のページに目を移す。
《午後二十時。テレーゼに偽者と気付かれながらも入浴の手伝いをされる》
……あのときの。
目隠しされて向かえたあの浴室。温いシャワーと冷たいテレーゼの言葉は今も覚えている。最後に言われた言葉もだ。
『……無能な出来損ない』
『無能でいろ。お前にはそれがふさわしい。私の下で働き続けていればそれでいい』
心ない言葉を向けられたとそう思っていた。けれど、その実は本物のエリゼを守り、その弱さと努力を肯定するために向けられた言葉だった。弱くてもいい。エリゼであればいい。テレーゼだけが本当の意味でエリゼに力を求めていなかった人間だったんだ。
「そして、気付かれてたか」
エリゼの中身が変わっていると気付いていながら面倒を見てくれた。しかも、帰りが遅いときはわざわざ探しにも来てくれた。
指が進む。失意じゃない別の感情が胸の蝋燭に灯されて揺れる。
《二日目。テレーゼと雑談を交わし、買い物に出かける。八百屋で金銭の価値を確認し、最終的には魔道具店にたどり着く。そこでネクロマンサーでもある店主のレアと遭遇。その後、魔道具を購入し帰宅する》
「レア……」
ここが俺の間違いだった。レアに会うべきじゃなかったんだ。レアにさえ会わなければ、こんなことにはならなかった。テレーゼの元で守られ続けていた。
《三日目。迷子犬ぺぺ捜しを目標とし一日を開始する。魂性術の情報をテレーゼから得る。その後スキルを活用し裏路地へ迷いこむ》
《裏路地で犯罪者三人と出会い逃亡するもあえなく拘束される。しかし、偶然居合わせたギードにより窮地を救われる》
本の両面を読むと、そのページに過去の経験したシーンが映り込むようだった。あの逃避行、そしてギードとのやり取りと転生ポイントの獲得。それが俺に人生が上手くいっていると錯覚させた。しかし、結局はギードが望んでいた結果とは真逆になってしまった。
また一つページを捲る。
《ネクロマンサーについて、ノルデバルデン侯爵という最大の手がかりを得る。その後、テレーゼと合流し一日を終える》
次……。今日。
《四日目。テレーゼが調査のために外出する。その後奏真もペペを引き渡すため外に出る》
《ペペを引き渡した後にノルデバルデン侯爵の情報を得る。さらに情報を得るためオーレンシュケン家を目指す》
後悔が次に向かう手を止めさせる。しかし、怒りと後悔で震える手首を右手で鎮めながら、俺は次のページを開く。
《オーレンシュケン家に仕事の報告に向かっていたレアと偶然出会う。レアの警戒心を他所に魔道四輪に乗り、自身の殺害を企てた依頼主の元へと向かう》
「企てた……依頼主」
レアが受けていた依頼は、エリゼの才能を確かめ、その結果によって生死を決めるというものだった。聞いたときから、その内容がある人物の思想と近いとは思ってはいた。ただそうじゃないと思いたかった。俺が信用していたからじゃない。エリゼが信用していた相手で、エリゼと最も近しい間柄と呼べる相手だったから。
「――フローゼ・オーレンシュケンだったのか」
フローゼ・オーレンシュケン。エリゼの母親だ。
「力がないなら死んでくれたほうがマシ……。それを自らも実践して依頼までしていたのか」
次。次。次。
ページを捲る。屋敷での細かい動き、レアとのノルデバルデン侯爵の話。マジックコイン。そこからフローゼとの敵対。偽レアとの偽の逃避行。
指を動かす。歯を軋ませる。指を動かす。手のひらの肉を握り潰す。
そして、残りはあと数ページにさしかかる。死ぬまでのカウントダウン。これを捲る覚悟なんてない。それでも覚悟がなかろうと俺は自分の罪と向き合うしかなかった。
右から左へページが落ちる。ここまで等間隔だったはずの瞬きがそのページを目に移してから一時停止する。
《さて。最後の質問だ。慎重に、そしてできればボクの求める答えを選んで欲しい。エリゼちゃん。君は無能か有能か。どっちかな?》
「……何だ。これ」
基本的なここまでのデス本は客観的に見た内容を日記のように書き綴っているものだった。しかし、今目の前にあるのは、これまで存在していなかった直接的な会話文。さらに異質なのはその会話文しか書かれていないページの反対側。
《YES NO》
見覚えがある文体で、見覚えのある間と、見覚えのあるフォント。そう。まるでビブライアから問いかけの選択肢のような。
「エリゼ転生での経験が書いてある本なはずだ。それなのにYES、NOって」
絶対にエリゼの身で経験した内容じゃない。確かに俺はレアの質問にNOと答えはしたが、こんな風には言っていない。
「何をさせたいんだ。ビブライア」
混乱の中で情報を集めようと、次のページを確かめようとする。しかし、こっちは捲れない。ビブライアの閲覧制限と同じようにページに指がかからず滑っていく。これもデス本ではこれまでなかった異常だ。
この書き方。使い方。俺への質問か? だとしたら、自分の選んだほうを選んで正しい死に様を記録しろってことなのか? その結果を受け止めて罪と向き合えってことか?
わからないことばかりだった。けれど、俺は自罰的で、許されることのない結果に対して、最も苦しい答えを選ぶ。罪滅ぼしにすらならない無駄でも、苦しむだけ苦しんで死なないといけないと思ったからだ。
「――NOだ」
あのときとは全く別の心構えで、それでも聞き間違えられないほどハッキリと本に向かって吐き出した。
明かりが揺れる。少しだけ色味が変わった気配があった。
「――NOだ」
「何て?」
「NOだよ」
聞き慣れた声と、聞き慣れたものとは少し変化している声。その二つが目の前で飛び交った。
は? これ……。
疑問の答えが一瞬で目の前に広がっていた。
本の続きが描かれた? NOだ。ある意味ではそうでも文字はない。
本から声が聞こえた? NOだ。そもそも本じゃない。本はない。
録画か何かが映像として投影された? それもNOだ。そんなレベルじゃない。
「繰り返されてる」
俺やレアが感情をぶつけて床に散らばった商品。それらを歯牙にもかけずに気ままに天井を泳ぐ白い魚。店の中央の棚の間で横たわる死体。そして、俺の右斜め前に立つレアの後ろ姿と、その向こうに立つさっきまでの自分。
間違いない。あのシーンだ。あのシーンに今俺はいる。
「エリゼの良さはそんな力や魔法やスキルじゃない。そんなものでエリゼを評価するな」
カッコつけたように顎を引いてそう宣言していた過去の俺。その答えに対する結果はわかりきっている。
「そうかい。残念だよ。ホントに」
依頼との乖離。当然の決別だ。
「駄目だ!!」
このあとの展開は知っている。だとしたら、この俺を外に出してはいけない。
叫んでカウンターをすり抜けて駆け出す。けれど、間に合わない。目の前で過去の俺が棚から閃光の魔道具を引き抜いて、その白い棒を床に叩きつける。
その瞬間の放たれた白光に目が眩む。眩しくて、目の奥が収縮するような感覚がある。けれど、何故か景色は鮮明に見えている。一切動くつもりもないレアと、もうすでにこちらに背を向けて駆け出しているエリゼの肩まで伸びた後ろ髪。
扉が開かれる。死への扉の向こうに大柄なゾンビの姿があった。
「やめ……」
最後まで言い切る暇もなくエリゼの首が曲がる。可動域を勢いだけで通り越して、頭と首が別々のものにでもなったかのようにズレる。
そして、倒れゆくエリゼの肉体を見て、喉が焼かれて言葉を失った。
倒れているエリゼの体。髪がかかってその顔までは見れない。ただ喪失感だけが強くて、エリゼの姿から目を離せない。
「クソッ。クソッ。クソッ。何でエリゼが殺されないといけないんだよ!! レアァァ!!」
怒りのままに振り返る。視界が赤くなっていると感じるのは、激しくのたうち回る血のせいだ。体温が上がり、呼吸が早くなり、一転の曇りもない怒りでレアに向かう。
胸ぐらを掴んで殴り飛ばして、呪って、殺して……そして。
「何で誰も本当のエリゼを見ようとしないんだよ……だったかな」
「……」
「当然の話さ。殺す相手の気持ちなんて考えるわけがないだろう」
見えても聞こえてもいないはずの俺を、怒らせるようにレアはそう言った。純粋な怒りがまた濃く赤く染まって……。
「――そうでも思っていないと殺せなくなるだろう」
「は?」
一滴のたった一滴の怒り以外の感情が俺の心の中に落ちていった。
「うぅあ」
「ご苦労だったね。その子の処理は任せるよ」
エリゼの死ぬまでのストーリーは終わったはず。しかし、その本来知り得ることのないストーリーの先を死者である俺は見てしまっていた。
「レア……待って!!」
手を伸ばす。その指先の向こうのレアの紫の瞳は確かに潤んでいた。
その俺が見てこなかった感情の一粒へ手を伸ばして、届きそうになったところで世界が変わる。明かりの雰囲気はそれほど変わらない。しかし、目の前には触れられる机があって、俺の動き出した体を急停止させて前のめりにさせる。
「今の……今のって……」
怒りが濁っていた。その濁りは微かでも、俺に本質を伝えてくれる。
確かめないと。
考える間も息を整える間もなく、手元のエリゼのデス本に触れる。ページはさっきまでと変わっていない。もう一つの選択肢も変わらずある。
見せてくれ。確かめたいんだ。
「YESだ!」
わざわざ指先で指し示しながら宣言すると、瞬きの最中に世界を入れ替えられる。すると、そこでは俺と同じようにYESと宣言したエリゼの姿が確かにあった。
「YESか。清々しいまでの物言い。つまりは力の証明にそれなりの自信があると思ってもいいのかな?」
「ああ、あるんだよ。エリゼには特殊な力がある」
身振り手振りでカウンターの向こうにいる俺が生き残るためのアピールをする。
自分のことだからどんなことを言うかは簡単に想像できる。切る札はスキルしかないだろう。
「『シュピネルの瞳』。様々な生き物と意志疎通を可能にするスキルがある。レアだって見ただろ。さっき俺がゾンビと話していた姿を」
「確かに興味深い力ではあったね。珍しく、それでいて異質な力だ」
……ただ。
「ただ……」
レアのこの切り返しを俺は一歩先に予測する。エリゼのデス本を読んでいない向こうの俺にはできない予測だ。
「依頼人はそのスキルには興味がないようでね。それだけなら処分するように頼まれたところなんだよ」
「興味……がない? そんなこと……。フローゼ? フローゼか! あいつが依頼人なんだな! あいつがエリゼを殺すように!」
「そこは話せないことになっているからね。それよりも他にはないのかな?」
レアが目を細めながら、その内の眼光を尖らせる。品定め。そして、俺から本質を引き出すためにかけた最後の圧だ。
傍観している俺とは違って、向こうの俺に冷静さなんてものはなかった。だから、意味もなく叫び散らかす。
「他? これ以上に何が必要って言うんだよ! 何を言えば満足なんだよ! 何を求められてるんだよ! 誰しもが求められている力を持っていないといけないのか? 自分の子供だから? テレーゼの妹だから? ふざけるなよ! エリゼを……、エリゼをそんな品物みたいにな目で見るなぁぁ!!」
「そうかい。残念だよ。……本当に」
またさっきと同じように俺が反転して閃光の魔道具を取り床に向かって投げる。カランと心地よく音が鳴ると、また光が瞬いて同じような死路をたどる。走って、扉を開いて、ゾンビと向き合って、首を折られる。
目を背けたくなる光景で、手足を引きちぎられてでも助け出したくなるほどの痛ましさ。けれど、今度は動くつもりはない。今は確かめなくてはいけないことがある。
カウンターの縁にそって視点が動く。レアがいた。立ったまま微動だにしないレア。些細な身動き一つで海に浮かぶクラゲのように揺れる黒いドレスは、裾もレースも動いていない。その静止状態が本人の強い意志によるものなのは、握り締められたドレスの端だけを見ればわかる。
その顔は見なかった。見る必要がないほどその手からは感情が伝わってきていた。
「やっぱりか」
世界が戻った。軽く俯いていた俺の視線の先には本があるはずなのに、それ以上にレアの手の残像がそこには残っていた。
変わらないページ。変わらない部屋。YESでもNOでも変わらなかった死の結末。それでも俺の心は変わった。
――レアは裏切り者でエリゼを殺そうとしていた敵。
「としか思えてなかったんだ」
ネクロマンサーとして、仲間や家族を殺された者として、ノルデバルデン侯爵に復讐を誓ったその思いの強さ。レアから直接感情をぶつけられても、その本当の重さは理解できていなかった。
「何としても復讐をやり遂げたい。だから、エリゼを殺さないといけなかった。でも! 違ったんだ! レアは殺さなくていいほうの道を探し続けていた!」
報酬のためなら最初から殺してエリゼは噂通りの無能だったと言えばいい。でもレアはそうしていない。わざわざ洞窟まで連れていって隠している力がないかと引き出そうとしていた。
「最初からだったんだ! 最初からレアはエリゼを殺すつもりで依頼を受けていなかったんだ! 生かすつもりで、生かすほうの依頼達成を目指していたんだ! フローゼにエリゼを認めさせようとしてくれていたんだ!」
だから、しつこいまでにエリゼを追い詰めた。それを俺はただの趣味の悪い嫌がらせだと勘違いし、レアの気持ちも知らずに散々喚いていたんだ。
視界が一気に広がった。俺らしくない思い込みから解放されると、俺らしい思考が枝分かれしながら紡がれていく。止まらないんだ。レアを肯定する根拠が止まらない。
――レアの最大の目的はノルデバルデン侯爵への復讐。フローゼからその機会を報酬として与えられようとしていた。
「だったら」
――洞窟へ連れていきエリゼを迷わせた。能力を判別するために危機に陥れた。
「だったら!」
――レアは依頼主であるフローゼの元に訪問した。しかし、その結果は芳しくなく屋敷で出会ったときには顔を曇らせていた。
「だったら『そう』なんだよ」
テーブルを強く叩く。振動が胸に響いて、また俺を俺として動かしていく。
味方ですか?
「NOだ」
敵ですか?
「それもNOだったんだよ」
だとしたら?
深く息を取り込み目を瞑る。目蓋の裏側に描くレアの姿は鮮明で、鼓膜の内側ではあの気楽な調子の声が響く。魔女っぽくて、隠し事は実は下手で、感情に流されやすい魔道具店店主。
「――友達なんだ」
静かな思い出に感情が沸騰する。
苦しみ? それは火の粉ぐらいの熱さだ。 怒り? それはまだ炎ぐらい熱さだ。感動。激情。感謝。謝罪。それがマグマのように熱く、それでいて俺の胸の中で跳ね回る。
「ビブライア……」
答えはない。
「ビブライアァァ!!」
人生で出したこともないような声量が部屋を貫く。恥ずかしさなし。むしろ誇らしい。
「もう全部わかってる! これが俺を試すためのものってぐらい!」
周囲を見渡してから、俺は目の前に未だに浮かんでいた文字を指差した。
《生を諦めますか?》
「ここが本当の転生部屋なら、二択の選択肢がないはずがない。そうだろ!」
相変わらず答えはない。けれど、伝わっている。絶対にだ。
「お前は無駄を嫌う質だ。だとしたら、ここに呼んだのも、この本を読ませたのも意味があるんだろ! そうだろ!」
こんなのを読ませる意味なんて一つしかない。そして、『生を諦めますか?』の答えを用意していない理由も一つしかない。
「俺がエリゼを絶対に生き残らせる。だから、俺をあの場所に戻してくれ!!」
額を机にぶつけながら身体中の空気を吐き出すように叫んだ。耳が痛い。喉が痛い。それでも今燻っているこの胸の感情を閉じ込めておくほうが何倍も辛い。
「はぁ……はぁはぁ」
息が切れながらも、薄い酸素のせいで軽くなった頭を上げる。すると、例の問いかけが変化する。一度白く文字が塗り潰され、必要な箇所を残して透明になる。
《エリゼを諦めますか?》 《YES NO》
「来た」
覚悟を決めろ。頭を回せ。次に目を開いたときからが勝負の始まりだ。エリゼに転生する。けれど、今度は違う。本音で語る。
「NO。俺はエリゼを守りきる。そして……」
机のインク瓶が不自然に倒れて黒いインクを溢す。それが止めどなく溢れ足を腹を黒に沈める。しかし、恐怖はない。この先に待っているのは俺の作るハッピーエンドなんだから。
「レア。あんたに俺を殺させたりなんかさせたりはしない」
暗く、暗く。目蓋の中に闇が紛れ込む。目も耳も鼻もない。そんな中で何かの声を聞いた。けれど、その声を俺は聞き取ることはできなかった。




