27 ネクロマンサー=レア
熱が冷めていく感覚があった。昼間に溜め込んだ日光の温もりが夜空へ消えて冷えていく。さっきまで生きていたはずの肉体から熱が血の香りに変換されて魔道具店の室内へと放たれていく。
そして、ゾンビに追われそれら全てを良くしようと必死になっていた俺から目的と感情の熱が冷めていく。……醒めていくんだ。
『レアがネクロマンサーだった』
レアは実家から追い出されたあと心配して魔道四輪に乗せてくれた。レアは魔道四輪が止まってゾンビに襲撃されてもゾンビと戦っていた。レアはゾンビに腹を貫かれて今目の前で眠るように死んだ。……そのはずなのに別のレアが目の前にいる。全部仕組まれていたとそう言いたげに。
信じられなくて血に濡れた手を見つめる。死んだレアの血は確かに本物で、既に乾燥し始めており、所々固まってひびわれている。紛れもなく本物の死なのにこのレアは偽者。今日、冗談を言ったり真面目な話をしたりしていたこの死体になったレアのほうが偽者なんだ。
ははっ。これが現実だ。どうしようもない現実なんだ……。
退いていく死の悲しみ。そのあとの胸の空洞を埋めるように重々しい怒りの感情が溜まっていく。
「……どういうことだよ。何でこんな意味のないことをするんだ」
「意味はあったよ」
「そんなわけない!」
堪えきれなくなって俺は生きているほうのレアに向かって怒鳴りつけていた。
レアがネクロマンサーだったとしたら、これまでのやり取り全てが茶番だ。初対面の魔道具をくれたあのときも。今さっきのゾンビとの攻防も。全部全部全部意味のないことだ。
赤い手を握り潰して、その拳で左にあった棚を殴りつける。落下する商品には目もくれない。胸の苦しさが勝っていて痛みなんてものも感じない。
「無駄な逃避行をさせて? 無駄に俺にレアの死を味合わせて? 無駄にネクロマンサーだって自白されて? それに意味がある? あるはずがない! 最初から問答無用で殺しておけばよかったんだ! それなのにこんな……、そんなに俺を苦しめたかったのか? なぁ! レア!!」
「言ったよ。意味はあったんだ」
レアの決して大きくもない一言に言葉が詰まった。口の動きが頭に残る。声に秘められた思いが、この短い言葉以上に含まれていた気がした。
興奮で小刻みに震えていた視界が落ち着く。その中央ではレアが指を組んでその上に顎を置いている。
「……魂性術師の境遇は知っているね? このロレール魔法王国においては禁術とされ、使用者はもちろん、知識を持つ者やそういった思想を持つ者でさえも処罰の対象となる」
その話はテレーゼからも聞いたことがある。魂性術は魔法とは別視されていて、さらには激しく蔑視もされていると。そして、その魂性術を根絶しようと国や魔法協会は徹底してその芽を摘んでいることも知っていた。ただそれはエリゼとは何の関係もない話。
「魂性術師の人生は悲惨だよ。素性がバレて殺されるか。知識を得た瞬間から始まる世界との命をかけた追いかけっこを続けるか。あとは理不尽な境遇に負けずに素性をひたすらに隠し続けるか」
見たことのないレアの悲壮感が紫の瞳を俯かせる。その表情に偽っている様子がないのがまたもどかしい。
「君もその一人だと思っていたんだよ。無能だと呼ばれても、魔法を使えると検査されても、それでも頑なに自分の力を見せない理由。それが魂性術師だからとね」
「エリゼが……魂性術師? 同族意識ってことか」
「そうだよ。今でも覚えているよ。誰もいないスーレ鉱山で君がゾンビを使役した姿。この地獄に追いやられてから懐かしい胸の高鳴りを覚えたよ。決して会うことができない、存在すらも知ることのできない同じ魂性術師に出会えたと思えてね」
レアが少し前の出来事を懐かしむように微笑む。それにようやくレアの心情の枠組みが見えてきた。
「調べれば調べるほど確信に変わったんだ。最初のゾンビの使役。魔法適性検査。ゾンビとの会話。だから、ボクは君が魂性術師だと思ってこうして自分を明かしたんだ。君と同類だと。本物のネクロマンサーだってね」
今の今までレアから敵意や殺気を感じなかった。その理由はこれだったんだ。今このときまでレアは敵意とは真逆の思いで接してくれていたんだ。
同じ苦境に立たされている同類のネクロマンサーだと思われていた。だから、存在すらも不確かな同族が見つかったと思われて仲間意識が芽生えた。けれど、確信がなかった。自分の素性を明かして、エリゼが魂性術師じゃなかった場合、最悪テレーゼに報告されて窮地に追い込まれる。だから、確かめるためには追い詰めるしかなかった。エリゼのほうから魂性術師の力を使わせるしかなかったんだ。
その結果俺は、追い詰められて、『シュピネルの瞳』でゾンビとの意志疎通を図った。その行動でレアがエリゼを魂性術師だと確信し、正体を打ち明かすことに繋がった。
――ただ。
頬に力が入る。喉が締め付けられる。レアの気持ちはわかった。その悲しい人生も伝わってきた。寄り添いたいし、話し合いたい。それでも今の俺はこう答えるしかない。ビブライアのときとは違って選択肢は一つしかない。
「俺は……ネクロマンサーなんかじゃないんだよ。偶然だ。全部偶然なんだ。エリゼにそんな力はないっ」
「そうだろうね。明かした瞬間の反応でわかってるよ……。それだけは至極残念な結果だった」
穏やかな笑みでも強気な笑みでもなく、ほんの少しだけ頬を上げただけの笑みが一つ。その笑みがレアの孤独を表しているようで、胸に響く空白が生まれた。
「……どうするつもりなんだ」
「ん?」
「レアはネクロマンサーだと明かした。こっちはネクロマンサーじゃなかった。それで終わりだと思いたいけどそうじゃない。それだけなら、ギードから殺されるななんて言われない」
「そうだね。……本来の目的を果たすしかなくなったね」
そうか。やっぱり。
そもそもの話だ。魂性術師かどうか怪しまれるよりも前にエリゼは洞窟に連れていかれている。魂性術師かどうかを確かめるために洞窟に連れていったんじゃない。何らかの目的で洞窟に連れていったあと誤算で魂性術師の疑いが出て最初の目的が遂行できなくなったんだ。
じゃあ、何の目的で人のいない洞窟なんかに連れていって放置したのか。
何かの間違いでレアとの関係が戻ると思いたかった。けれど、結局は変わらないのだ。ネクロマンサーかもしれない。それがレアと俺とを繋いでいた細い糸だった。けれど、それが切れれば元の関係に戻る。
――殺す側と殺される側に。
「ボクの受けた依頼。それはエリゼちゃん。君を見極めることだ。有能なら生かし。無能であれば殺す。そういう依頼だよ。果たしてエリゼちゃんはどっちかな?」
「ふっ。はは。そうだよな。やっぱり俺の悪い推測は間違ってなかった」
……間違っていないからこそ最悪なんだ。くそっ。
乾いた笑いで額を押さえる。エリゼの金髪が血で汚れるが興味がない。こうでもしていないと気が狂いそうになる。
「レアは、レアだけは違うと思いたかった」
洞窟に連れていかれた。追い詰められた。魔法を使えるんじゃないかと詰め寄られた。魔法適性検査を自然な形で勧められた。そして、ゾンビに襲われてスキルを使わさせられた。
全部全部全部! 全部、エリゼの力のためだ! 結局はどいつもこいつもエリゼを力でしか見ようとしない。力がなければ価値がない。使えなければこの世に必要ない。無能無能無能って! ふざけるな。ふざけるなよ。
もうかなり前になるエリゼの顔が鮮明によみがえる。死にかけのゾンビ程度にも向けてくれたあの優しさ。弱くても才能がなくても悩みながらも強がるあの姿。誰もあの姿をエリゼを評価しようとしない。そのパラメーターにしか興味を示さない。
「エリゼが何をしたって言うんだ! 何が罪なんだ! ずっと誰かのために頑張っていただろ! テレーゼのために尽くして! 親の期待に応えるために実らない中でも魔法を勉強し続けて! 俺のためにだって泣いてくれたんだ! 俺ごときの人間のためにも涙を流してくれたんだよ! それなのにっ……それなのにっ。何で誰も本当のエリゼを見ようとしないんだよ!!」
「悪いね。いまいち意味を理解できないんだ。依頼は依頼。殺す相手のことなんて考えないよ」
「理解できないわけないだろ!! エリゼの行いは肯定されるべきなんだ!」
「それは君視点でだろう? ボクから見たら何の価値にもならない命乞いでしかない」
俺がエリゼだから伝わらない。何と言おうとそれはエリゼが自分のことを話しているだけ。苦労話や愚痴を溢しているだけだ。だから、伝わらない。俺の言葉は伝わらないし理解されない。
「君はもっと冷静だと思っていたよ。言っただろう。有能であれば生かすってね。君がやるべきことは感情に訴えることじゃないんだ」
レアがカウンターの向こうで立ち上がり両腕を広げる。左手は低く、右手は高く、不釣り合いな天秤のように。
「死にたくないなら自分の有用性について語ろうか。有能、無能。単純な力以外でも評価しよう。さあ、話してみてくれたまえ。自分の命をかけて真実を」
レアの性格を知っていると思っていた。ネクロマンサーにも同情できる箇所があった。だから、まだ理解できる人間だと思えていた。でも最初からだったんだ。最初からレアはエリゼを殺すことを何とも思っていなかった。だからこんなふざけた依頼を受けていたんだ。
昂るレアをよそに肩を落とす。敵として向き合いたくない気持ちがまだあった。この時点で絶対に許せないが、それでも許せる要因を探して最後の足掻きをする。
「最後に一つ教えて。レア。その依頼。そこまでして遂行する意味がある?」
「もちろん。大切な報酬のためだよ」
「依頼って言ってたからそうだよな。ただそれが金のためなんては言わないよね」
「わかるだろ? 復讐だよ。ノルデバルデン侯爵へのね」
……そうか。やっぱりか。
魂性術師の境遇についての話はついさっき作り物のレアの死に際に聞かされた。領地ノードで生活していた魂性術師を、ノルデバルデン侯爵が、鞍替えした国のルールに従って皆殺しにした話。その生き残りがただ一人存在した話だ。
「復讐か」
「そうだよ」
「……復讐程度のために関係のないエリゼを巻き込んで殺そうとしているのか」
「復讐程度? 何が程度なのかな?」
これまでどこか達観して話を進めていたレアだったが、今回は俺の怒りに触発されて言葉の芯を固くする。おっとりとしたタレ目が、つり上がり、その怒りが空気を変えた。
「隣人が、先生が、友達が、家族が全員殺された。焼かれ、きざまれ、毒され、呪われ、穿たれ、窒息し、死んで死んで死んで死んで死んで!! 何の罪もなかったはずのみんなが、ノルデバルデンの魔眼の魔法の好奇心で殺された! それがその程度? その罪を償わせることがその程度と呼ばれるほど甘い憎しみなんかじゃない!」
発散されない怒りで、卓上の品物を凪払うレア。これが隠しようのないレアの本質だ。
突然の怒りの発露に身が固まる。自分の発言が軽率だったとは思う。けれど、あくまで言葉選びを間違っただけで、伝えたいこと自体は間違ったつもりはない。
「だとしても、関係ないエリゼを巻き込んだ時点で間違っているんだよ! ギードだって、それがわかっていたから俺にヒントを出したんだろ! レアに殺させないように!」
「かもしれない……ね」
レアが拳を下げてテーブルに置く。ひどく悲しげなレアに敵対心なんてものはない。ただどうすれば元の関係に戻るのかだけを求めてそれらしい言葉を探す。
「レア。こんなことは止めよう。そうしたら……」
「それでもこれがボクの最善だ。ノルデバルデン侯爵へ安全に接触できるチャンスが、次もあるとは限らないんだから」
力なく下ろされた拳がまた握られる。力仕事とは無縁の手袋に包まれた細い指が、見かけ以上に深く握りこまれている。復讐とエリゼ。いや、復讐と自分とを比べてもレアは復讐を選ぶ。それだけの気迫が寄り添おうとしていた俺を遠ざけた。
「さて。最後の質問だ。慎重に、そしてできればボクの求める答えを選んで欲しい。エリゼちゃん。君は無能か有能か。どっちかな?」
魔道具店の棚に不規則に並んだ橙色の明かり。その他の魔道具が持った落ち着いた色合いの明かり。それらの明かりはレアの瞳には映っていない。ただの冷たく命のないアメジストのような瞳。その目の温度が説得の時間の終わりを告げていた。
そうか。結局はこうか。
レアへの呆れではなく、もっと別のものに対して心の中で嘆く。そして、それでも諦めきれない聞き分けのないのが俺だった。
『YES』。生き残るなら答えはそうだ。レアの求めるように力があると宣言して見せつける。これがエリゼを生き残らせるための最善のルートだ。これが正解なんだ。それでも……。
「――NOだ」
「何て?」
「『NO』だよ」
取り返しがつかないことを言ってしまった感覚はある。しかし、後悔なんてしていない。だってそうだろう?
「エリゼの良さはそんな力や魔法やスキルじゃない。そんなものでエリゼを評価するな」
「そうかい。残念だよ。ホントに」
何を皮切りにというわけじゃない。ただ勘がここをスタートラインだと笛を鳴らした。その瞬間に俺は半身を傾けて棚に手を伸ばす。そこにはここに来て初めて手に取った魔道具、閃光の魔道具が刺さっている。それを一本といわずに三本掴み取って、他ならぬレア本人に教えてもらった使用法で、床に向かって投げつけた。
その瞬間、落ち着いた明るさで満たされた室内が白く染まる。明るさに明るさをさらに上書きし、白い世界にさらに白光が走り抜ける。
この隙に店を出る! 裏路地のときとは違って道がわかる! 時間からして大通りまで走り抜ければ人はいる!
床に広がった血に靴底を舐められながらも、輪郭だけは見える棚で身を支えてから走り抜ける。アドレナリンのせいでまだ数歩しか動いていないのに心臓が早鐘を打っている。変な心臓の動き方で息苦しさよりも気持ちが悪い。
脇目もふらず目の前の直線上にある扉へ。一歩二歩。背後からの音は聞こえない。これは人間の聴覚の問題かなのか。それともレアが動いていないのか。
あまりの静けさに振り返ろうかとも迷ったが、それよりも先にドアノブに手がかかっていた。
「絶対に逃げ切ってみせる。店を出てからが本番だ」
「うぅ? あぁ」
「は?」
押戸を開いた。開いたんだ。けれど目の前には確かに壁があった。見上げるような背の高い人の壁が。
「ゾン……ビ!?」
「エェリィゼ」
ゴキッ。
首を鳴らすような音がした。しかし、それにしてはおかしい。変だ。音が近すぎた。それにゾンビの動きはもっと別のもので……。
あれ? アレ?
視界がゆっくりと傾いていく。目蓋も無意識に沈んでいる。
思い……出し、た。
経験があるこの状況。頭だけが回っていて、体は逆に一切動かなくなるあの感覚。一度経験した。ビブライア転生でのチュートリアル。最初の洗礼。ウサギ転生。
――首が折れている。
体に指示は伝わらず目蓋が落ちていく。それに加えて視界も狭窄して、視界の中央にあったゾンビの顔だけが残る。口元の裂けたゾンビの顔。けれど、そんな印象的な傷よりも目がいったのはその目にだった。
その瞳に影が見えた気がした。レアだ。未だにカウンターの向こうから動いていないレアの姿。
レア……!
「ェ……ア」
声が出ない。それでもその名前を呼ぶ。怒りと執念で声という手を伸ばして。
視界が完全に闇に飲まれていた。体の感覚はない。倒れている感覚も、地面にぶつかる衝撃もない。けれど、叫ぶ。レアに何かが伝わるかもしれないと信じて。
「レアァァァ!! ……あ?」
声が出た。声が出ていた。俺が求めていた声だ。それでも満足感なんて存在しない。
「いや、コレ。は? この声」
ここ数日慣れ親しんだエリゼの声よりも聞き馴染みのある声だった。外出時はやや低い声音を保っていたエリゼよりも低い声。しかし、それでも男性の中では高い声音。
視界に何かが浮かんでいる。確かめるように上げた手には包帯は巻かれていない。
そして……この場所は……。
「……あ、あぁ。あぁぁぁぁっ!! あぁぁ!!」
《転生ポイント1》 《生を諦めますか?》
目の前にあった本の置かれた小部屋。そこは決してエリゼの状態で戻ってきてはならなかった場所。――転生部屋に他ならなかった。




