24 死なないために
『怪我をしたらどうするのか? 別にいいでしょう? 何もしないできない人間なら怪我ぐらい治す時間はあるわ』
気にするな。あれは魔法を加減して放った証拠だ。
冷たくとも熱くとも感じられないフローゼの声音が訴えかける。本当にそう思っているのかと。
『あなたは死んだほうがオーレンシュケン家のためになるのよ』
気にするな。あれはそうやって発破をかけているだけだ。
迷うことのない赤い瞳が伝えてくる。これが本気の殺意だと。
「落ち着け……。落ち着け」
エリゼを傷付けられそうになって怒っているのか?
NOだ。本気で怒れていない自分がいる。
自分の身に向かって吐かれた暴言に心を痛めているのか?
NOだ。あの言葉で心を痛められるほどエリゼになりきれてはいない。
じゃあ、何で俺はこんな気持ちなんだ?
「……わかってるだろ」
何よりもキツいのは……。
『それにね。わたくしが手を下すのは問題だけれど、あなたは死んだほうがオーレンシュケン家のためになるのよ。あなたが死ねば同情で爵位剥奪までの時間が稼げる。テレーゼだってあなたという楔から解放されて自由に敵国を蹂躙できるでしょう。……ええ、そうね。むしろあの子であればやる気も出してくれそうだわ』
――それを少しでも合理的だと思えてしまったことだ。
「くそっ……」
強く目を閉じて曲げた膝を抱いて身を寄せる。せめてこの体を、エリゼを大事だと思い込もうとするために。
エリゼを守る? ふざけるな。結局傷付けて危険に晒しただけだったろ。何も好転していない。フローゼにエリゼを認めさせる? ならせめてあのとき言い返せよ。
「エリゼちゃん」
エリゼは俺を転生の地獄から救ってくれた。何の意味もない死ぬだけの一時間に意味があったと教えてくれた。
『死なないで! 死んじゃ駄目だから! あなたにもやりたいことがあったんでしょう! だから……うぅっ、死んじゃ駄目! お願い……死なないで』
俺のために……たかがゾンビ一体のために泣いてくれた。それなのに俺はエリゼを傷付けたフローゼに言い返すことだってできずに。
「エリゼちゃん!」
「……っ!?」
外部からの声に驚いてびくりと体が跳ねた。強く開かれた目は、その声を発した者のほうへと向く。
「レア……」
目の前で名前を呼んでいたのはレアだった。心配そうにこちらを正面から覗き込み、俺の手を握っていた。未だに包帯の巻かれたままの右手だ。
「手。見ていて痛々しいよ」
「……」
そう言われて、自分の手の中に思い出したかのように痛みが現れた。いつの間にか、傷の残る手で自分の腕を力一杯握っていた。レアはそれを見かねて声をかけてくれていたようだ。
レアの顔とエリゼらしい細い指先を見比べてから、俺は身を抱くのをやめて座席の上に身を起こした。
「ありがとう。このままやっていたら、また後悔するところだった」
「礼を言われるようなことではないよ。同乗者として、ちょっと暇だったから、目の前の君を起こしただけさ。そう。それだけのことさ!」
「無理して明るく振る舞ってくれなくてもいいよ」
キメ顔を作っていたレアに偽りなしの本心を伝えると、レアの笑顔が苦笑いに変わった。
あのあと。そう。フローゼと衝突したあの一件があったあと。宿泊の許可が取り消され屋敷から追い出された。そのまま呆然と立ち尽くしていた俺を、レアが魔道四輪に乗せてくれて、ただ無言で走らせてくれていた。
「その。大丈夫かい?」
「大丈夫……じゃないよ。期待してたんだ。フローゼ……お母様との関係を好転させられるって。それなのに!」
フローゼとの初対面でのやり取りは悪くなかった。仲の悪さだって感じられなかった。
「なのに駄目だった! 私とお母様の間にはどうしようもない谷があった。私が持っていた力じゃ、その谷を越えるための橋を作れなかった!」
注意されたのにも関わらず、耐えられなくて手を握り締める。体の表面の痛みが遠い。胸の痛みのほうがずっと重い。
「……君とオーレンシュケン婦人の仲が良くないことはボクでも知っていた。けど、ボク以上に君は婦人について知っていたはずだ。だから、この結果もわかっていたんじゃ……」
「わかっていた? 死んだほうがマシって魔法を放たれることを? ただ力がないって理由だけで?」
「いや……、そうじゃないんだけど。ただその……。ごめん」
レアが予想していなかったとでも言いたげに声音を低くした。悔いるような声だ。そこで自分がどれだけ被害者面をしていたかに気付いて我に返った。レアは何も悪くない。悪いのは無策に実家に頼ろうとした俺と、エリゼを拒絶したフローゼだけだ。
俯いて手を見てからゆっくりと手を開く。この体に対しても、いつの間にか八つ当たりしていた。
「ごめん。レアはわざわざ魔道四輪に乗せてくれてるわけだし。励まそうとしてくれてただけだ」
「いいや、ボクのほうも気遣いが足りなかった。仲の悪さといっても、一線は越えていないと思っていたんだ」
魔道四輪の窓から見える夜景が流れていく。子供と親。家族で歩みを進める姿が、やけに胸に響いた。
「どうするんだい?」
「どうするって?」
「決まっているじゃないか。君は元々目的があってオーレンシュケン家に行ったんだろう? こうして追い出されたあと次の手はあるのかなってね」
「……傷心しすぎて忘れかけてた」
フローゼとエリゼのことで頭が一杯で本題を忘れていた。ノルデバルデン侯爵ことも、ネクロマンサーのことも、いつの間にか頭から抜け落ちていた。サブクエに没頭しすぎて、メインクエを忘れた感じ……ではないか。
「ネクロマンサーから襲撃を乗り切るために安全な場所に隠れるか、ノルデバルデン侯爵について調べる……が、今日の方針だったけど」
前者はフローゼに実家から追い出されたことで御破算。今さら他に誰かを頼ろうにも、ネクロマンサーを遠ざけられる力を持った信頼できる相手は思い付かない。後者に関してはレアから基礎情報を教えてもらったがネクロマンサーとの繋がりは見えていない。
力なく窓に頭を預ける。冷たく硬い感触が冷静に諦めへと思考を傾けさせた。
「具体的な対策はない。ノルデバルデン侯爵。これがネクロマンサー攻略のヒントにはなるって聞いたけど、基礎情報しかなくてそこからネクロマンサーに繋がらない。だから、答えが出るまでの間は、誰かを頼って身を守りたかったけど。その計画もなくなった」
ここまで出会った人たちを思い浮かべて、信用できる人は何人かは見つけた。しかし、信用できるからといってネクロマンサーに対抗できるわけでもない。だから、オーレシュケン家に行ったのだが、それさえも駄目だった。
窓ガラスを見つめる。その表面にここまで出会った人たちの影が浮かぶ。テレーゼ。八百屋。鍛冶屋。ギード。そして、最後に映ったのは、幻ではなく今実在しているレアの姿。
「手詰まりだよ。諦めるなんて絶対にしたくないけど、できることにも限りがある。だから今日は家に帰ってから、来ないことを祈りながらネクロマンサーの襲撃に備えるよ」
「ふーん。そうかい。頼れる人がいない。つまりは今目の前にいるこのレアお姉さんは相談もできなければ頼れもしないポンコツ店主ってことだね」
えっ?
穏やかな声音で一瞬聞き流しそうになったが、その内容の刺々しさが鼓膜に引っかいた。
確かにレアなら心置きなく頼れる。テレーゼを除いたらそれこそ一番信用している。それでも……。
「いや、頼れないんじゃない。そうじゃなくて。ただ」
「そうじゃない? 実力がないから関わるな。そう聞こえてしまっているけど」
「ち、違う! レアが弱いとかそんな話じゃないんだ。それはそうじゃなくて……。その……頼ったら迷惑になるし! 危険なんだよ! 本当に!」
息もつかずに早口で弁明した。巻き込みたくないって思ってることぐらい伝わるはずだ。
エリゼの高い声音の残響を感じながら、レアと目が合う。目線を遮るように帽子から垂れた装飾も、今だけはないもののように感じた。
「エリゼちゃん」
とんと頭に感触が生まれた。レアに頭を撫でられていたんだ。
「頼られる気持ちも知るべきだよ。友人が困っているなら頼って欲しいんだ。迷惑? それはこの前売ってしまって品切だ。危険? それって今日のフローゼ婦人やうちで扱う魔道具よりも下の話だろう?」
商人らしい軽口に乗せながらも、レアの目は本気だった。身振り手振りで話の空気を軽くされるが、不思議なことにレアの言葉は折れない鉄の柱のように俺の中に立ち尽くす。レアの瞳が俺の網膜から離れない。
「一人よりも二人のほうがいい。それにノルデバルデン侯爵に関しても、君より何倍もレアお姉さんは知っているからね」
「……ぐ」
そうだ。その通りだ。合理的だし。一番正しい選択で、一番エリゼを守るという目的にフィットする。
でも!
アランの一件で頼るだけでは駄目だと知らしめられた。頼りになると思っていても、ビブライアはそのさらに上から絶望を叩き込んでくる。境遇という名を借りて、強敵を用意して立ち塞がる。
生半可な戦力や知識じゃ足りない。ネクロマンサーの強さは知っている。魂性術師の中でもかなり高位の相手だとテレーゼからも聞いた。そんな相手にレアが犠牲にならない可能性なんて……。
「安心していい。ボクは絶対に死なないよ。そこは約束しよう」
――死なない。レアは死なない。
「本当に? 本当にだな。本当に俺の目の前で消えないんだな! ただの物になんてならないんだな!」
「死なないよ。こう見えても、そこそこにやれるほうの人間だからね」
魔道具に頼るでもなく、レアは自身の体から薄くマナを漏らしてその存在をアピールする。未知のものだからその力を正しく計れるわけじゃない。それでも、頼りになってしまう。レアの言葉は信じられてしまうんだ。
でも……。
最後の抵抗を口から出そうとした。けれど、頭に浮かぶよりも前にレアが言葉を投げ掛けてくれる。
「行き先はボクの家、ファブロスでいいかな?」
「…………わかった。ありがとう」
「感極まられるほどじゃないよ。ボクとしてもネクロマンサーには興味があるからね」
ポンポンと慰めるように肩を叩かれる。これがまた感極まりそうになるんだから、本当にレアには敵わない。
「さーて、襲われるよりも前にそのネクロマンサーへの対策を考えておこう。だから、もう少しエリゼちゃんの事情について教えてくれないかな」
「わかった。じゃあまず、最初に昨日の話からなんだけど……」
そこから俺は淡々と隠していたギードとネクロマンサーについての話を始めた。テレーゼにも言えていなかった二人の関係性。ネクロマンサーを止めて欲しいというギードの思い。それを口下手なりに感情で飾って必死に伝えた。
静かで優しい声音の相槌。頷く度にゆっくりと落ちる長い睫の目蓋。魔道四輪の駆ける音。それらが時間を忘れさせるようにして、俺から言葉を引き出してくれた。そのお陰かこの絶望的だった気持ちもほんの少しだけ落ち着きを取り戻していた。




