23 冷酷な火
サラダ有り。ステーキ有り。フイッシュフライ有り。
「エリゼ?」
マナ反応有り。魔法適性不明。レアから貸してもらったマジックコイン行方不明。
「聞こえているのかしら?」
「お母様有り」
「あなたの限られた良さはまともなところでしょう? 狂人とまでなると、いい加減わたくしもあなたを捨てざるを得ないわ」
……今とんでもないこと言われたな。
目の前に並ぶ料理とその向こうで、赤い瞳に火とは真逆の氷の印象を持たせて蔑んでくるフローゼ。そのあまりの発言に、ようやくあやふやだった意識が浮上した。
現在時刻は午後七時。場所は一階にある食堂。そこで昼間のようにフローゼと家族団欒で食事中。けれど、意識はあのレアとの魔法適性検査の時間で止まっている。
あの検査の結果は、エリゼに何かしらの魔法を使えるだけの才能があるという具体性にかける内容だった。魔法が使えるなら「やったぁぁ!!」で、使えないなら「まあ、仕方ないか」と反応できた。けれどレアから言われたのは……
『多分どれかの魔法が使えるんじゃないのかな? それよりマジックコインの弁償はできるかな?』
ちなみにマジックコインは魔道四輪よりも高いらしい。
意識の曖昧なままに肉を切る。そういえば海外には料理にコインを忍ばせる料理だかデザートがあったはずだ。この中から見つかるかもしれない。コインという名の未来が。
「お母様。今日は余すことなくよく噛んで食べましょうね」
「料理よりも前に人の話と気持ちを噛んで飲み込みなさい」
また毒舌だ。でも、この毒舌が現実逃避している暇じゃないと圧をかけてくれる。悪口でも今は助かる気がする。
料理から目を上げて正面を見る。オーレンシュケン家の特徴とでも言えそうな金髪赤目の外観のフローゼ。見れば見るほど親子の繋がりの強さを感じられる。
「そういえばレアも魔法一家って言ってたか」
「わたくしたちのことかしら? 誰に言われなくとも自分達のことなのだからわかるでしょう」
「忘れちゃうこともあるでしょう。ほら、お母様は何が使えるの? 白煙?」
フォークに刺さっていた肉を口に頬張りながら、小ボケのように偽って日常会話として訊いてみた。すると、疑われることなく答えを示してくれた。
赤い炎だ。ピンポン玉ぐらの大きさの火の玉。
「火の魔法?」
「知っているでしょう。火炎の魔女の魔法。何の面白味もない世界で最も使用者の多い三類魔法よ」
火炎か。属性としては白煙に近いか。魔法にも血筋があるのかもしれない。
浮かぶ火の玉が揺れる様を眺める。その隣では炎よりも赤い目をしたフローゼがいて、俺のほうをじっと観察している。
「それにしても、あなたがわざわざわたくしに魔法の話をするなんて珍しいわね」
しまった。エリゼらしくない発言だったか。
疑いを誤魔化すために口調を考える。嘘をつくときに必要なのは落ち着きだ。間ができるからと焦って口を開けば、口調や声音、内容に違和感が出る。だからここはあえてワンテンポ空ける。
「……別に魔法が嫌いなわけじゃないよ」
「あらそう。だとしたら不思議なものね。何故あなたは魔法を使わないのでしょうね」
淡々とした間髪いれない返答に、俺は眉を潜めていた。
今、『使えない』じゃない。『使わない』とフローゼは言った。
どんな言葉や行動も裏を感じて悪いほうに捉えられる。疑い深い俺らしい考え方だし、この慎重さは俺の長所だと思っている。けれど、今このときだけはこの疑い深さと観察力が的外れであってほしいと思う。
「聞き間違いじゃなければ、魔法を意図的に使っていないって言われたみたいだけど」
「早速助言を実行して、話を正確に噛み砕いてもらえて嬉しいわ。そうよ。あなたがわざと魔法を使えるのを隠している。そう言ったのよ」
「は?」
フローゼはエリゼが使えないのではなく意図的に使っていないと言った。わざと弱者のふりをしていると。エリゼの努力も知らずに、エリゼが何かの嫌がらせのように魔法を隠していると疑うように。
『ありがとう……。助けてくれてありがとう』
エリゼの姿を思い出して胸が痛い温度を上げる。誰よりも人を思う姿。一人劣等感と戦いながら、一人机に向かい続けて魔法を学んでいた痕跡。
そんなエリゼの苦労が侮辱されていいわけがない。
「……私は使わないんじゃない。使えないのよ」
「使えない? 自分のことはよくわかっているようね。そうよ。あなたは使えない人間。魔法も使えなければ、政治的にも武力的にも使えない、ただの……」
冷静に……。
偽っていた仮面が剥がされる。エリゼの仮面が剥がれて、偽っていた喉元が下がり有畑奏真が怒りと共に声を上げる。
「そんなことを言ってるんじゃない!! 俺は今! エリゼの魔法の話をしているんだ!!」
俺の声がエリゼの皮を突き破る。エリゼを扱う者として馬鹿なことをしたとは思っていない。ここで怒鳴れなかったら俺は死ぬ。肉体じゃない。俺が六十二回死んでも死にきれなかった魂が死ぬ。
背景となってしまった料理を眼下に、ただフローゼを睨みつける。
「エリゼは魔法を使えない! 使えないんだよ! どれだけ勉強しても、どれだけ追い詰められて練習しても、テレーゼをどれだけ慕って追い続けても! エリゼは魔法を使えないんだ! 嘘なんてあるわけがない! そもそも嘘をつくことに何の意味もない!」
「わたくしに反発するなんて。そちらのほうが娘としては都合が良さそうね」
「話を逸らすな。俺はエリゼが魔法を使えないことに何かにつけて文句を言ってくる理由を訊いてるんだ」
口を開く度にフローゼの印象が悪くなっていく。噂通りに。いや、噂以上に。異常で理解できない価値観が目の前に広がっていく。
「一つ問うわ。あなた魔法が使えない証明はできる?」
「そんなの使えないって事実だけ十分だ」
「そうかしら。少なくともあなたは何度か魔法適性検査を受けているわ。わたくし個人が依頼した検査と、テレーゼが魔法協会を通じて調べた検査」
魔法適性検査……。レアにもしてもらったやつだ。あの結果は確か……。
「魔法の適性は不明。けれど、マナ自体は体に流れている。わかるかしら? あなたは体の構造上ではなに不自由なく魔法を使えないといけないのよ」
「それは……」
体質的に使えないといけない。けれど使えない。だから、自分の意思でわざと使っていないと思われている。隠していると思われている。
まともな反論は出てこない。何で魔法が使えないかなんて体を借りているだけの俺にはわからない。けれど……。でも……。
「オーレンシュケン家の現状は知っているでしょう? あと三ヶ月。これが貴族でいられるリミットなの」
三ヶ月……。
「アルフレートは貴族との関係性を築きつつ実績を積もうと走り回っている。わたくしはここに領主の代わりとして座り治安を維持している。テレーゼは戦地に赴き爵位を得ようと必死になっている。で、あなたは?」
「お、俺は……」
「何もやっていないでしょう? 貴族との縁を築くために嫁がせようとしてもテレーゼの背後に隠れた。わたくしの仕事を託そうとしてもすぐに騙されて恥晒しとなった。終いには適正はあるのに魔法も使おうとしない。使えないとほざき、そのくせ努力はしているとでも言いたげに机に向かう。頑張っているからいいでしょう? 結果がなくても私はこんなにやっているんだからって。腹が立つでしょう? まるで必死にオーレンシュケン家を守ろうとしているわたくしたちを嘲笑っているようで」
呼吸の度に吸い込まれるフローゼの言葉で息が詰まる。本気だ。フローゼは冗談ではなく本気でエリゼに怒り、嫌悪感を抱いている。この平淡な口調に隠された冷淡さに間違いはない。
こんなのをエリゼは毎日受け続けていたんだ。こんなものの中でただ頑張り続けていたんだ。こんな人の情もない母親もどきと生活してきたんだ。
不満と怒りが声に変換されない。それだけ頭の中がぐちゃぐちゃなのか、返す言葉が多すぎて見つからないのか。それともどこかで正論だからと思っているクールな自分がいるせいなのか……。
「わかるかしら? 別にあなたがなんとなく嫌いだからだとかそんな幼稚な理由ではないのよ。全ては成長しないあなたが悪い。何も結果を出せないあなたが悪い」
「……」
「都合が悪くなったらまただんまり。そういうところよ。テレーゼもあなたみたいなのに足を引っ張られて大変ね」
洗脳するように畳み掛けられる言葉がエリゼではない俺に響いてしまう。結果が全て。過程は関係ないと。
「今日あなたをここに通したのは、あなたの気が変わったのかと期待したからよ。ペリドットの来訪する日にレアなんかと一緒に来る。何か理由がないとおかしいでしょう?」
「力を見せたら……エリゼを認めてくれるのか?」
「当然だわ。力と結果を残せばどんな性格であろうとわたくしは認める。それがオーレンシュケン家を守る人間よ」
これまでの俺は単に第三者として、かわいそうだなんて上から目線でエリゼの境遇を良くしようと思っていた。けれど今はっきりした。エリゼを認めさせたい。何がなんでも俺を認めてくれたエリゼをこのフローゼに認めさせたい。
フォークの先をテーブルに押し当てて思考を回す。あるはずだ。フローゼを認めさせる手段が。
魔法は使えない。剣も扱えない。頭も良くなければ、人脈もない。いや、でもそうだ。あれがある。希少性の高いあれが。
「――スキルを持っている」
「……そう。どんな?」
「動物と話せるスキル」
選んだ答えはこれだ。エリゼだった頃に持ち合わせていなかったスキル『シュピネの瞳』。この世界においてスキルの価値はかなり高い。その中でも珍しいと呼ばれるスキルで応用も利くスキル。これなら魔法以上の価値がある。
勿体ぶるようにフローゼは間をおいた。それがスキルを吟味している時間なのか、もっと別の俺の心理を読もうとしている時間なのかはわからない。けれど、ただ一つわかった。
「あら。残念。わたくしの気持ちは今日も伝わらなかったようね」
選んだ答えが間違いだったと……。
その瞬間これまでフローゼの隣で浮かび続けていた赤い火の玉が膨れ上がる。それが死に直結するものだとわかったのは経験則。危険に対する防衛本能は体の芯をブルリと震わせて、最短の動作で席から立ち上がらせてポケットに手を突っ込ませた。
選択肢はいくつかあった。ただの脅しだと気丈に振る舞うか、徹底的な防御を取るのか。けれど、実際は選択肢なんてあってないようなもの。それだけあからさまに感じ取れたフローゼの殺気。
氷雪の魔道具!!
フローゼから離れながら青く透き通る魔道具を床に向かって叩きつける。その瞬間冷気で覆われた氷の壁がそびえ、既に放たれていた熱気からエリゼを守る。
赤い火炎と青い氷がぶつかり合う。激しい白い蒸気と沸騰するような音。熱くもない。冷たくもない。一部の料理に霜が降り、一部の料理を焼き焦がしながら膨大な蒸気が頬を濡らすだけ。
「何で……。やりすぎだろ」
フローゼは防御することを見越して魔法を放ったわけじゃない。俺が魔道具を投げるよりも前に火炎の魔法は放たれていた。つまり一切の余地もなく、エリゼを傷付けようとして放たれた魔法だった。
厚さが不均等となった氷の壁の向こうにあるのは椅子に座ったままのフローゼ。その氷越しに見えた姿は歪に歪んでいる。まるでエリゼとフローゼとの関係を示すように。
「魔道具なんて面白いものを使うわね。そういうところも悪くはないわね」
「ふざけるな。実の娘なんだぞ。それをこんな……。防御できてなかったらどうしたんだよ」
あまりの強行に怒りは出てこない。だってそうだろう。急に家族から攻撃されたんだ。混乱して意味がわからなくて信じられない。
「怪我をしたらどうするのか? 別にいいでしょう? 何もしないできない人間なら怪我ぐらい治す時間はあるわ」
フローゼは本気で興味がなさそうにそう言った。最悪なのが悪意が感じられないことだ。自分の行動を正しいと思ってやっている。そんな感じなんだ。
氷の向こうでフローゼが動く。こちらは逃げるように扉のほうへと一歩退く。しかし、そのあとに起きたのは激しい魔法の攻防ではなかった。ただ、どこからともなく一冊の黒い本が取り出されただけ。
――デス本に似ている。ただデス本よりもサイズは小さく厚みはある。手帳のような見た目だ。タイトルは存在しない。
「わたくしが手を下すのは問題だけれど、あなたは死んだほうがオーレンシュケン家のためになるのよ。あなたが死ねば同情で爵位剥奪までの時間が稼げる。テレーゼだって、あなたという楔から解放されて自由に敵国を蹂躙できるでしょう。……ええ、そうね。むしろあの子であればやる気も出してくれそうだわ」
うっとりと本に視線を向けたまま大事そうに表紙を撫でるフローゼを前に、俺は動くことさえできなくなっていた。
怒れない。唖然とできない。今はただ恐い。わからないんだ。ここまでエリゼに非情になれる理由が。ここまで爵位に固執して、娘の命さえもそのためのチップにする考え方が。
足が震える。エリゼじゃないから悪口も受け流して言いたいことを言ってやろうと思っていた。でも今は?
逃げたい逃げたい逃げたい!! こいつと関わりたくない!!
「奥様!! 今の音は……っ! 何ですかこれは!? どうか落ち着いて下さい!!」
物音を聞きつけた使用人がノックもせずに入ってきた。すぐに状況を理解したのか、声を裏返らせながらもフローゼを止めようとする。
でも、使用人の目は間違っている。フローゼは乱心しているわけじゃない。落ち着いている。冷静でこれなんだ。
「エリゼ様お下がりください。この場は私どもに任せて……」
「エリゼ。最後に一つだけ確認しましょうか」
相槌も返事もできない。けれど、逃げることもできずにフローゼの目に釘付けにされる。そして、その目が例の本によって隠される。
「このページには何て書いてあるかしら?」
こちらに向けられていた本の中身。フローゼが見ていた本の内容だ。ただ変だ。変なんだ。
「何言ってるんだよ。何も書いてないだろ」
「そう。あなたにはそう見えるね」
「エリゼお嬢様お下がりください!!」
使用人の声が挟まるが、それでもフローゼと俺との時間が流れていた。赤い瞳を見つめその意図を探り続ける。それがエリゼを認めさせる一つ要因になると信じて。
「見込みはなし。さっさとそれを追い出しなさい」
くそっ……くそっ。
言葉が出なくてただただフローゼを睨み続けた。けれど、その時間はすぐに終わりを向かえ、いつの間にか部屋から出されていた俺の目の前で、慌ただしく扉が閉ざされていった。




