22 二つの視点
見知らぬ廊下を歩く心内は、足と同じで軽やかで、昼下がりの温もりはこれまでの死や恐怖を過去のものにするように乾かした。
時刻午後四時。オーレンシュケン家二階廊下。
転生ポイントの獲得とその条件。それからネクロマンサーの件に無刑罪人の件。それとエリゼの家族関係と、あとはエリゼの体からどうやって出ていくのか。
未だに抱えている問題は山積み。その問題を一つずつ頭の中で整理しながら俺は長い廊下でシャトルラン。……嘘、歩いてます。
手持ちぶさたで退屈になった俺は、たいそうな目的もなしに悩み事だけ頭に抱えて屋内を歩いていた。
「あーあ、できることなら屋敷の隅々まで部屋の扉を開きながら調べまくって、本もタンスも宝箱も無法者のように漁ってしまいたい!」
しかし、現実はゲームのようにはいかない。物理的に鍵がかかっていなくても、監視がいるわけではなくても、倫理観という鍵と自分という監視がいた。
エリゼの姿で意味もなく歩き回り部屋を開ければ怪しまれる。身内だからできる自由もあるが、身内だからこそできないことだってある。エリゼの自室で衣装箪笥を躊躇なく開けることとか。
廊下の突き当たりでUターン。たまに見かける使用人が「何やってんだこいつ」みたいな目を向けてくるものの、どこか避けられているようで声をかけられたりはしない。
家の中の探索は不可。使用人からオーレンシュケン家の情報を集めようとするのもエリゼっぽくなくて怪しまれるから不可。となると、エリゼの周辺を調べるよりも、昨日ギードから言われた例のノルデバルデン侯爵について世間話程度に調べるほうが懸命か。
「まあ、ただ今は避けられてるみたいだし、部屋に戻ろうか」
やりたいことや知りたいことが山積みだが、今は好奇心を鎮め、事前に使用人に案内されていた自室のほうへと歩き始めた。
そんなとき、一直線の廊下に変化があった。一室の扉が開いたんだ。
あれって……。
人だ。それも見知った親しみのある人。
太陽があまりにも似合わない真っ黒な服装をした人影。その姿を捉えて俺は軽やかに、そしてお淑やかに小走り。
「レア! まだいたのか!」
「おぉ? エリゼちゃんじゃないか」
そんな風にこちらの気分の高まりに呼応して、レアは声音を高くしながら肩から力を抜いた。
「てっきりもう帰ったかと思っていた。まだ用事が済んでいないのか?」
「大まかな話は終わってはいるんだけどね。エリゼちゃんのほうは……無事滞在許可が下りたのかな?」
「そんなに断られるような雰囲気でもなかったぞ。機嫌悪いとは聞いてはいたが、いつも通りだ」
「キヒヒ。それは何よりだ。……その優しさをレアお姉さんにも分けてくれたら、なお良かったんだけどね」
レアが帽子の下で白い歯を見せて苦笑い。レアのほうの話し合いはあまり上手くいかなかったらしい。
「レアはこれから二回戦か?」
「そこまでの元気はないよ。こう見えても君みたいな活力溢れる少女ではないからね」
「じゃあ、何だ? 会談が終わってから随分経つだろう」
屋敷の前での待ち時間からして、ペリドットの接客とフローゼとの食事の間に話し合いがあったと予想できる。俺の食事が始まったのが少なくとも一時間ほど前。つまりレアは一時間は何もせずに待たされている。
「待つように言われてね。ボクにもさっぱりと言った具合さ」
レアはうんざりとしているのか、やれやれと首を横に振る。話自体は悪い方向で終わったが、それでもまだフローゼはレアに用事がある。だから地位と権力の力でレアを無理やり引き留めている。……ってところだろうか。実は用もなしにフローゼの嫌がらせで残されている可能性も捨てきれないが。
「暇潰しにおしゃべりでもするか。私の部屋に案内しよう」
「え? いやいや暇ではあるんだけど……」
「わかった。暇だな」
少し子供っぽいとは思いながらも、力業でレアの腕を引っ張って部屋へ連れ込んだ。昔だったこんな荒業はしないしできないし捕まるしだったが、今はこんな純粋な思いで気軽に女性を部屋に引っ張ってこれる。エリゼは思いの外便利な転生先だったようだ。
エリゼの部屋はもう一つの家のエリゼの部屋よりも当然広かった。一人で寝るにしては大袈裟なサイズのベッド。机一つにしても庶民が寝れるぐらいの大きさがある。そんな中にあったティーテーブルの片方のイスを叩いてレアを座らせて、反対側に俺が座った。
「お茶はないがそこは勘弁してくれ」
「やれやれ、強引だねぇ。まあ、こちらも暇をしていたことには間違いはないけど。さて、どんな用なのかな?」
「用事ってほどじゃないが、少し知りたいことがあるのだ」
さて。ここに来てようやく本題だ。ギードから貰ったネクロマンサーへのヒント。ノルデバルデン侯爵の話だ。
「少し前にペリドット侯爵と話してきたのだが、思いの外話の通じる人だったのだ」
「んん? それがどうかしたのかな?」
まずは前置きにちょうど良かったペリドット侯爵の話題を持ち出す。そこから侯爵という地位に目を向けて、話をノルデバルデン侯爵に誘導。
「他の侯爵はどんな人たちなのかとな。レアは魔道四輪の中にいたとき四大貴族などと言っていた。なので、他の貴族に関しても知っているかと。ほら、例えばノルデバルデン侯爵とか……」
レアの目がゆっくりと瞬きをする。紫の目が隠れ次に開いた瞬間には色が変わる。感情が変化する。
「……へぇ」
「っ……」
レアの一言から突如として襲ってきたのは底冷えするような空気感。人間でも他の生き物でも体感したことのない感覚だ。氷雪の魔道具のような冷たさじゃない。もっと圧迫的で、そう。死を前にしたときのような……。
急激に、それこそキャラそのものが変化したような雰囲気に息が止まる。何なんだこれ。何でレアは……。
「おっと、申し訳ないね。かの御仁とはあまり仲が良くなくてね。マナが漏れてしまったよ」
「え、あ……あぁ」
見違えるような雰囲気から、こちらの知るところレアの雰囲気と表情に戻る。けれど、浴びた威圧感は本物で、漏れ出したというマナは身体中の汗腺を活発にさせた。
今のがマナ……。あの温厚なレアが名前一つでここまで露骨に反応するなんて。ギードもヒントとしてこの名前を伝えてくれたぐらいだ。ノルデバルデン侯爵。ただの英雄で貴族なんて話だけでは終わらないようだ。
「――ノルデバルデン侯爵。この国の四大貴族の一角で、国の防衛に大きく貢献する灰牙の猫と呼ばれる軍の創設者。そして、この国で今世の魔女と呼ばれている怪物だよ」
「今世の魔女!! あの魔法使いの最上位の!!」
「そうだよ。この国に五人しかいない今世の魔女の一人だ」
「でも、だったら何でレアはそんなノルデバルデン侯爵を嫌っているんだ?」
レアの殺気とも呼べるような反応。それと内容の割にどこか投げやりな口調。どうにも今聞いたノルデバルデンの偉大さと釣り合わない。
気を遣って深掘りすべきではなかったのかもしれない。けれど、そのレアの怒りの原因を知りたかった。ノルデバルデンの情報が欲しいとかは関係なくだ。
「なにも彼を嫌っているのは、ボクだけではないよ」
「どういう……」
「ノルデバルデン侯爵の評価は大きく二分するのさ。彼はね。元々隣国ダラグリアの将軍なんだよ」
「……」
隣国の将軍……。ダラグリア魔法帝国との戦況を大きく変えた将軍なのは知っていたが、まさか敵国のだとは思わなかった。
「隣国の元将軍が何で今のこの国の四大貴族なんだ?」
「知らないのが不思議なぐらいだけど。……いや、あれ自体はエリゼちゃんが生まれる前の話か」
物思いに耽るようにレアが声を机の上に転がす。俺はあえて急かさずに様子だけを見守った。すると、帽子の縁から柳の枝のように垂れた装飾品で目を隠したまま、レアは口だけを動かした。
「彼はね。ダラグリア魔法帝国を裏切ったんだよ。突然」
裏切った……。国の情勢か? どちらにしても長年敵として向き合ってきた側に鞍替えするなんてただならぬ理由があるはずだ。
「どうして?」
「――『魔眼』の魔女の魔法」
「魔法?」
「そう。二類魔法の魔眼の魔法。二類魔法はね、一類魔法と比べると機密性が低く、戦地でも使われることがあるんだ。それをたまたま戦地に赴いていたノルデバルデン侯爵が目にしたのさ」
魔法? 魔法を見てどうなるんだ? 話の行方が読めてこない。
「九十九の魔法の魔道書は、各国で機密情報として保管されている。だから、ノルデバルデン侯爵にとっては敵国の使う初めて見る魔法だったんだ。彼がその魔法に何を見出だしたのかはわからない。けれど、そこから取り憑かれたように、ノルデバルデン侯爵は魔眼の魔女の魔法を追ったんだ」
「それでどうなったんだ」
「わかるだろう? ノルデバルデン侯爵が自らこの国に交渉をしたんだ。当時前線だったロンベルト地区を明け渡す代わりに、魔眼の魔法の知識を寄越せとね」
「……だからか」
だからノルデバルデン侯爵の評価は二分する。激戦を終わらせた英雄と、魔法ごときのために自らの部下や民を捨てた裏切り者で。
レアが俺の想像を察して深く頷いた。
「ここからは想像通りだ。見事国を裏切り私兵や国から借りていた軍を罠にかけて全滅させ、挙げ句自らの領地だったノードの一部の人々を自らの手にかけた」
「命を……」
記憶に刻まれた記憶が奥歯が軋ませる。だってそうだろう。それが英雄? 違うだろ。
「……死をなんだと思ってる。ノルデバルデン……」
「その文句を言う王国の国民は少ない。それを他ならぬ君が言ってくれるのは嬉しいよ」
「当然だ。人が死んでいる。死と生の重さは魔法一つなんかよりも絶対に重い。あんな死への苦痛を魔法ごときのために他者に与えるなんて許されない」
死にも納得できるものとできないものがある。食われるため……それが自然の理だ。罪をおかしたため……受け入れるしかない。けれど、道楽やただの私利私欲のために与えられる死だけは許されるものじゃない。
「本当に知らないのか、それとも知っていて言ってくれるのか。君はどっちなんだろうね」
「俺……じゃなくて、私はレアの味わってる苦痛はわからない。ただ自分の都合と経験から怒ってるだけだ」
「そうかい。まあ、少しだけだけど救われる気分にはなるよ。困ったことに」
レアはこれまでとは少し違う印象だった。これまでは、どこか一つ壁を挟んで気を遣われている感覚だったが、今だけはその壁の向こうの顔が見えた。
「全ての魔女共通で言えるんだけど、彼、彼女らは自分の求める魔法に異常な執着がある。それだけのために生きて、それだけのために死ぬ。魔女になって執着するんじゃない。気が狂ったような執着を持つ者が魔女になるんだ。君も貴族で魔法を追う者なら頭に入れておくといいよ」
気を取り直すように普段通りの口調にレアが戻った。けれどわかる。この平淡さは作られたもの。内心穏やかじゃないのは僅かにずれた視線から伝わってくる。
今世の魔女……。特定の魔法を専門にした頂点の魔法使い。称号が格好いいだとか、強さに対しての憧れや幻想だったりがあったんだ。でも、レアの一言でわかった。この世界の魔女は尊敬や憧れの対象だけじゃない。
「さて、悪かったね。少し感情的になってしまった」
「いいや。元は私が切り出した話題だ。謝らなくていい」
「だとしても商人としては印象を悪くしたまま客は帰したくはないものだ。お詫びとしてちょっと値がつく魔道具を使わせてあげよう」
そう言ってレアは自分の腰の辺りをまさぐってから、一枚のコインを取り出した。
ガラスか? クリスタルか? 透明で濁りはなし。裏表に三角形のシンボル。シンプルすぎてとても魔道具には見えない。
「それは?」
「魔法系統別検査用魔道具、通称マジックコインだ。かなり特殊な魔法のかけられた魔道具で、市場にはまず出回らない」
「魔法系統ってことは……」
てことは?
「使える魔法がわかるってことか!!」
「その通り。あくまでおおよそではあるけどね。そもそものマナを持っているかどうか、そのマナをどう扱えるのか。そういうのを調べるアイテムだよ。まずはお手本を見せようか」
レアは黒い手袋をしたままコインを握り込んだ。力を入れている様子はなし。さっき感じたマナの威圧感も感じない。
「はい。できた」
「――コインに穴が空いている」
再び開かれたレアの手の中にあったコインはさっきまでとは明らかに見た目が違う。穴が空いているんだ。ワッフルのような網目状の穴。
「ボクの場合はマナを使うときにマナを繊維と捉えて編み込むような潜在意識がある。だから、結界の魔法とかが相性がいい」
「スゴい! これって人次第で反応が違うの?」
「そうだね。いろいろだよ。溶けたり、熱くなったり、丸くなったり。その姿で九十九の魔法のどれとの相性がいいか大まかにわかるんだ」
網目状になったコインがレアの親指に弾かれて宙に舞う。それが再びレアの手のひらに収まる頃には、最初の形に戻っていた。
魔法の相性! これがあればエリゼの悩みでもある魔法習得のヒントが得られるかもしれない。いや、ヒントどころか習得してエリゼに引き継げられれば、エリゼの劣等感もなくなる! エリゼの体を勝手に借りている罪滅ぼしだ。絶対に魔法を掴んでみせる!
迷うことなくエリゼの手のひらをレアのほうへと差し出した。
「やってみる」
「即断即決。純粋な向上心、お見それしたよ」
テーブルの上で硬貨が受け渡される。素手の上に転がるコインは無機質に冷たい。それを握らずにまずは眺めてみる。
円形、透明、模様あり。これがどんな風に変化するのか。
「色が変わったり、形が変わったり。温度なんかもあるね。それ以外だとかなりレアリティが高くて、二類魔法や一類魔法の適性になるよ」
「なるほど。つまりレアのレアリティはレアじゃないわけだ」
「君はそんな下らないことを言わない子だと思いたかったなぁ」
あまりにもエリゼらしくはなかったけれど、今しかなかったんだ。言いたくて仕方なかった。後悔はない……けど、おもむろにマジックコインを取り返そうとするのはやめてください。
「やるやるやる。やるから。それにレアも知りたがっていただろ。私に魔法の適性があるか」
「そうだね。興味はあるよ」
魔法一家の恥さらし。何でエリゼがそんな評価を受けたのか。何でエリゼは魔法が使えなかったのか。その答えはこのコインを握って明らかになる。
「――やるよ」
「どうぞ。ちゃんとコインが見えなくなるまでしっかり握ってね」
助言に従って指でコインを包んでいく。エリゼの小さい手で包めるか不安だったが、すぐにコインは手の中に消えた。
「あとは少しだけ待つ。魔法を使おうだとかマナを出そうとかは考えなくていいから」
何かをしようなんて意識はなしに手のひらの中のコインの変化だけを探す。熱くもない。冷たくもない。光ってもいない。形が変化しているような感覚もない。
「本当に変化してるの?」
「まあね。開いてみたらわかるはずだよ。さて、エリゼちゃんは果たして何者なんだろうね」
気持ちが高まって緊張感と共にコインを一度握りこむ。そして、覚悟を決めてから今度は指を花のように開かせる。その中にあったのは。
「は?」
「これは……」
結果を引き起こした張本人も、魔道具の使用法を知っているレアも。目の前の光景に言葉を失う。
そのままコインがあって魔法が使えないことが証明された?
――NOだ。
コインが異様な変化を遂げていた?
――これもNOだ。
それなら……。
じっと俺は手のひらを見つめる。コインではなく自分の手のひらを。
「マジックコインそのものが消されるか。本当に君は何なんだろうね」
レアが失ったであろう貴重なマジックコインを探して俺の手のひらをひっくり返した。けれど、変わることなくマジックコインはどこかへ消えてしまっていた。




