21 フローゼ・オーレンシュケン
オーレンシュケン家。それはスーレ鉱山の利益によって栄えたハルネアの領主でもあるアルフレート・オーレンシュケン男爵の邸宅だった。しかし、その中を改めてみると、想像よりも幾分か落ち着いた様子だった。
美しい絵画や威厳ある自画像は存在しない。
職人が長い年月を経て掘り出した石像も存在しない。
部屋一面の煌びやかな調度品の群れも存在しない。
初期印象。無駄がない屋敷。数分後現在、大きいだけの空っぽの屋敷。そんな場所をメイド服の付き人に案内されながら進んでいた。
「ふーん。こんな感じなのね」
「随分と様変わりしているでしょう。ご存知とは思われますが、スーレ鉱山の採掘が打ち止めとなってからは、財源の確保が難しく、今は旦那様が家財を売り払いながらなんとかこの街の運営を維持しております」
街を散策している時点でも治安の問題は気になっていた。発展している場所とそうじゃない場所の差。その原因は鉱山を失ったことによる収入の激減からきた資金難だったようだ。鉱山の後に残った残骸の街。そこを今統治するのが貧乏貴族オーレンシュケン家。
貴族に転生しても苦労は変わらないんだな。
唯一装飾として飾られた花を眺める。これが貧乏貴族の最後の意地にも思えた。
「……お久しぶりに足を運ばれましたのに、こんな有り様で申し訳ありません」
「……ううん。あなたが謝るようなことじゃないわ。私は気にしていないから。ほら、こんなにしっかり掃除されてる。家って物のあるなしじゃなくてその有り様が大事だから。手入れされた家ならいつ帰ってきても気持ちが良いわ」
「勿体ないお言葉です」
窓枠を撫でてから慰めると使用人はまた申し訳なさそうに頭を下げる。責任感が強いのかネガティブなのか。エリゼの担当の付き人らしい性格の人だ。
「ところで、さっきまでペリドット侯爵が来ていたでしょう? あれはもしかして支援の相談をしていたのかしら?」
「いいえ。そんな優しいものではないですよ。余命宣告みたいなものです」
「余命宣告?」
あの長身の赤茶色の髪を結ったイケメンを思い出す。エリゼに護衛を付けようとしてくれるだけの思いやりあるご仁だった。情があって、情け非ずではない。余命宣告なんて質の悪いことをする人ではなさそうだが。
「北の隣国ダラグリア魔法帝国と戦が絶えないことはご存知ですね? 国を守るためには騎士だけでは手が足りず今は国中から候補者を募っています。その報酬が領地と地位。わかりますか?」
「戦の報酬としてはイメージはできるけど、それが余命宣告?」
「そうですね。現在オーレンシュケン家はその爵位の入れ換えの候補として名が挙がっております。実績ないものから実績ある若者へ。ペリドット侯爵はその報告をするために本日来訪しておりました」
「……もしかしてお母様の機嫌が悪いのも?」
「そのせいでございます」
それは機嫌悪いよ。
爵位剥奪の話をされればフローゼじゃなくとも機嫌は悪くなる。ただ客観的に見れば無能な領主を変えているだけ。気持ち的にはエリゼ側に寄り添いたいが、それでもペリドットが正しいとは思える。
「本来旦那様は悪くないのです。鉱山の管理を任せていた者が勝手を働き、過酷な労働強いました。死者が出ていたことも、管理人側が洞窟に埋め立て隠蔽していたせいで発見も遅れました」
「そうだったのね」
「はい」
あの場所でゾンビとして土の中から復活した俺。それと洞窟を彷徨っていたゾンビの数々。もしかしたら、あのときの俺も悪徳管理人に酷使された労働者のなれの果てだったのかもしれない。
ゾンビだった頃を思い出す。あんな風に埋められていたとなると、気分的には鉱山を廃坑にしたのは正解だとは思う。しかし、問題はその先の責任だ。
「国はその責任を領主でもあるお父様に押しつけた。スーレ鉱山を閉鎖して街の利益を剥奪した。だったわね」
「申し訳ありません。誰よりもエリゼ様はご存知だとは思いますが、どうしても耐えられず不満を……」
「気にしない気にしない。気持ちはわかるから」
存続の危機に貧しているオーレンシュケン家。そこに仕える使用人。自分のこれまでの生活の全てが奪われるような感覚なんだろう。不安にもなる。
この爵位のシステムに、外で生活しているエリゼやテレーゼがどこまで影響を受けるかはわからない。それでもオーレンシュケン家は守りたい。
心の優しいエリゼなら、家族が苦しむ姿を無視できないだろうから。
使用人の背後で小さな白い手を握る。けれど、その決意は胸に秘めて表には出さなかった。
「訊き忘れてたけど、私って今どこに案内されてるの?」
「おわかりとは思いますが……」
おわかりではありませんが……。
「食堂へ。奥様がティータイムをとのことで」
「へー。嫌な予感」
ペリドット侯爵との対談で機嫌は最悪とのこと。そこでこれまた嫌われていそうなエリゼが食事に誘われる。
フローゼに裏はないでしょうか? YES NO
「NOだよ。絶対にNO」
ご機嫌最悪のフローゼがエリゼをわざわざ食事に招くなんて嫌な予感しかしない。憂さ晴らし、ストレス発散で何かやられそうだ。嫌味でもねちねちと言われるのか、虫でも出されるのか。
行きたくないが本音。ただエリゼと家族との関係性を見極めて改善もしたい。
「お断りしましょうか?」
「……」
目蓋を軽く落として思考を回す。エリゼだがエリゼじゃない。だからこそ、その食事のお誘いに乗るか退くかが難しい。
いや、でも行くか。精神的な苦痛はあくまでエリゼだから受けるもの。俺には関係ないことだし、それ以上にエリゼについてもオーレンシュケン家についても知りたい。多少の文句なら死ぬわけじゃないから行くべきだ。ほら、テレーゼで嫌味への受け答えは練習済みだし。
「ちょうどお腹も空いていたからいただくよ」
「そうですか。十分にお気を付けくださいませ」
そこから妙な緊張感をまとって、使用人はてきぱきと案内に務めた。雰囲気からして使用人はエリゼに断ってほしかったのかもしれない。けれど、こちらの元々の目的はエリゼを守るというもの。人間関係を保ち改善することも後々のエリゼを守ることに繋がる。
少しして花瓶に活けられた花で両脇を固められた扉の前にたどり着く。そこで使用人がノックと共に一声をかけてから扉を開いた。
縦長な室内にパーティーにちょうど良い長さのテーブルが一つ。その中心には鬼灯のようなデザインの照明が置かれてあり、こじんまりとした中でも適度にその色味を主張していた。
そこそこの広さ。そこそこ質の良さ。ティーセットはまだ運ばれてきてはおらず、ついでに誘ったであろうフローゼの姿もない。
誘ったのに姿もなしか。この時点で性格の予想がつくな。まあ、いいけど。
と、思いながらテーブルの元へ。しかし、ここで問題発生だ。食器が置かれているわけでもなく、フローゼが座っているわけでもない。では、このエリゼは、俺はどこに座ればいいのか。
家族間で決められたポジションがあるのか。そうじゃないのか。普通に考えれば入り口から一番遠い場所がエリゼの父のアルフレートだろう。その左右の側のどちらかに妻のフローゼが座るのもまた普通。先に座っていてくれたのなら、そのあとに真正面に向かい合うようにして座ればよかったのだが。
――結論。
「席まで案内してくれる?」
「はい。こちらです」
諦めて使用人を頼ると机の左サイド側を先導される。そして、結局は左右をふんだんに余らせた中央の席に連れていかれ、丁寧に椅子を引かれた。
「ありがとう」
「いえ、仕事ですから。わたくしは席を外しますが、食堂のすぐ外にはおりますので、何かあればお声がけください」
「うん」
また深く一礼をしてから使用人は食堂を出た。閉ざされる扉の姿がやけに頭に残る。そして、完成した一人しかいない食堂は、転生部屋の雰囲気を思わせた。
「さて。何だかんだで一人のときが一番集中できるな。ある程度頭の中でフローゼ相手の接し方を意識しておこうか」
フローゼとエリゼの関係性を改善したいのが本音だが、何よりも肝心なのは『エリゼではない』ということに気付かせないこと。テレーゼでは上手くいったが、親ともなるとその難易度はさらに上がる。たとえ嫌われていたとしても、誰よりもエリゼを知っているのは間違いないはずなのだから。
「俺らしく向こう見ずに思ったことを感情的にぶつけるのはなし。ぶっちゃけ、俺の性格とエリゼの性格は真逆に近いわけだし」
初動は様子見。積極的に会話に引き込むのではなく、相手の会話に合わせて距離感や話し方を探す。そもそもエリゼとの関係が悪いなんて、こっちが勝手に想像してしまっているだけかもしれない。嫌われているなんて前提は持たずに気楽にいこう。
ノックなしに扉が開かれる。音に釣られて慌てて振り向くと、そこには窓からの明かりを受けて真っ青のドレスの繊維を輝かせて立つ女性がいた。
高く盛られた金髪に、エリゼよりもテレーゼに近い尖った赤い目。そして、胸部だけやけに露出したその姿は、妖艶で心臓に悪い。
これがフローゼ・オーレンシュケン。噂のエリゼの母……。
「……」
「……」
赤い瞳同士で目を合わせる。その間に言葉はない。ただ、一瞬とは思えないほどの濃密な時間が過ぎて、瞬き一つでその時間が切られる。
フローゼは俺の座る側の反対側を歩く。そして、ちょうど俺の正面の席に座った。
威圧感? 緊張感? どれとも言い難いけれど、歓迎されているような空気感じゃない。でも、ひとまずはエリゼとフローゼの距離感を確かめる必要がある。当たり障りないラインから攻めてみるか。
「……えー、お母様はご飯食べたの?」
「煩わしい客たちの前に済ませているに決まっているでしょう。この家での生活すら忘れているとは言わないでちょうだい。期待はもう諦めたのだけれど、記憶力までとなると同じ人間とは思えなくなるわ」
「はい……」
初っ端から重々しいの入ったんだけど……。
エリゼとフローゼの関係性を確かめようとして当たり障りない会話を選ぶと、何気ない答えにふんだんに嫌味や悪意を含ませて返ってきた。『期待』、『諦め』、『人間とは思えない』。日常会話の切り返しにしてはメンタルに影響を与えそうな三大パンチを、なんと一つの文に纏めて返してくる。人を貶し不快にさせる才能はテレーゼよりも上。アッパー、フック、ストレートの三コンボ。天才だ。
……じゃなくて。今の発言は苛めと捉えるかは難しい。グレーゾーンか。でも、冗談だとしても言葉が強い。何でエリゼをここまで蔑視しているのか。
「それにしても珍しいわね。テレーゼに付き添ってこの家から逃げたあなたが戻ってくるなんて。どんな用件かしら?」
「家に帰るのに必ずしも用件がいるわけじゃないよ。ただたまには実家で寝泊まりしたかっただけ」
「……ふーん。そう。少しはマシになったようね。あなたが言い返してくるなんて」
優雅な口調と仕草のフローゼ。一瞬言い返して反感を買ったかとも思ったが、それだけ言ってからまた口をつぐまれた。
ここであまり踏む込みすぎるとエリゼじゃないとバレる可能性がある。適度にやり過ごしながら、この食事会の意味を確かめていくか。
そこからエリゼの薄い唇をくっつけたまま会話なしで数分。空気を一新するようなノックから、ティーセットがテーブルの上に運ばれてきた。ただあくまで空気を一新する『ような』だ。使用人は扉を開いて部屋に入ろうとしてから空気の重さに一時停止。そこから凍りついたかのようにぎこちない動きでティータイムの準備をしてから早々と退散。唯一空気を読まない紅茶だけが冷え渡るこの空気の中で呑気に湯気を立てていた。
まあ、食事に呼ばれたわけだし食べながらフローゼの思惑でも考えるか。
フローゼから目線を外して、手元から最も近い皿に乗ったクッキーに目を向ける。ベースはシンプルではあるが、クリームやソースで飾られている。
緊張解すように深く息を吸うと甘い香りが胸を解す。視覚嗅覚共に食欲を刺激する。けれど、わかるだろう。誰しもが経験したことがあるはずだ。子供の頃の校長先生。部活の関わりのない先輩。仕事の剥げた頭の上司。そして、今のフローゼとエリゼの対面。身分が上の者との食事で味がしないやつだ。味が感じないじゃなく、作法や言動に意識をしすぎて、味を知覚する暇がないあの地獄。今、俺はまさにその地獄にいる。
食べる動作を意識する。皿からクッキーを手にとってそこから口に含んで複数回噛む。
「えっ、うまっ」
「品がないわ」
「うふふ。美味しいですわぁ。お母様」
ヤバい。めちゃくちゃ味した。美味しい。緊張感を越える味だった。
人間生活を始めてから他の生き物たちとは比べ物にならないほどの質の食事を得ていたと思っていたが勘違いだった。上には上がある。雑草、花の蜜、自分で作った朝食、昨日の夕飯のオムライス、そして今が最高潮。
美味しくてついつい手が伸びる。テレーゼがこの家で育ち過激派甘党になったのも頷ける。
「うまうま。……じゃなくて」
今はフローゼとの大事な会話の場だ。フローゼが食事のためにエリゼを呼んだのではないのは、未だに紅茶にもおやつにも手を出していないことで明らかだ。
「わざわざおやつまで用意してくれたみたいだけど、私に何の用事だったの?」
ふざけを抜きにしてようやく本題に入ると、フローゼは長い睫を静かに倒す。
「あなたは相変わらず自分のことしか見えていないわね。考えてみなさい。連絡もせずに、レアなんかと一緒にやってきて、来訪の理由もまだ伝えていない。こうして、食事に誘えばその本題にも入るかと思ったら、今度は私に何の用事かなんて。逆じゃないのかしら」
「……それは確かに。いろいろと順番が違ったかもしれない」
フローゼがエリゼに悪意を持っているという前提があったせいで、普通の思考になれていなかった。確かに、家を出たはずの娘が何の予定もなく帰ってくれば不思議にも思う。
そして、俺が何をしに来たのかを知るために、わざわざ話しやすくなるような食事の席を設けた。フローゼの口ぶりからしてそんな簡単な話だったらしい。
エリゼが嫌われている……って事前情報は、今は無視しよう。俺として俺の評価でフローゼを見る。
「じゃあ、諸々改めまして、テレーゼお姉様が仕事で外出してて不安なので泊まりに来ました」
「あら、また具体性に欠けるわね。自宅に一人なんてよくあることでしょう? 勿体ぶらずに理由を話しなさい」
「ネクロマンサーから狙われてるの。四日前は直接攻撃されて、昨日は跡をつけられたの。だから、身を守れる場所にいたいの」
「ふーん。そう。それが目的ね」
無駄を省いた簡潔な説明に納得しているとも疑っているとも言えない相槌が挟まれる。中身のこもっていそうな相槌だ。
「……だとしたら、ペリドットの来訪する日にレアの馬車に乗ってきたのは偶然ということかしら?」
「偶然も何もないけど? たまたま徒歩でここに向かっている途中でレアに会っただけだし、たまたま来たときにペリドット侯爵がいただけだよ」
「あら。そう。てっきりあなたがちょっとした手見上げでも持ってきたのかと思っていたわ。そう。――徽章とかね」
徽章? おかしいな。ペリドット侯爵は徽章探しをしていたアランと無関係みたいな口振りだったけど。
「徽章ってあのペリドット侯爵の? さっき少し話したけれど、そもそも知らないような様子だったけど」
「話した? 何を?」
「世間話を少しと、最後にペリドット侯爵の徽章捜しをしていたルーレイン家について」
「……へぇ。そう」
ここまで淡々とタイムラグなく思ったことを語っていたフローゼが、会話のテンポを落とした。もしかしたら、エリゼが徽章の情報を引き出してペリドットに協力し恩を売るなんてストーリーが展開されていたのかもしれない。だからこそ、期待外れと思われたのだろう。
黒指猫の寝床の白骨の下にあった緑に輝いていたあれがもしかしたらと頭に過った。そして、その死の山を築き上げた怪物黒指猫。
エリゼの評価を上げるためにも、このオーレンシュケン家を建て直すためにも、調べてみるのありか。そして、勿論、復讐のためにも……。
あの手足の長い猫の形をした化物の姿を思い出してカップの取っ手に力が入る。フローゼの視線を感じたが、特段何かを言われることはなく、視線を切られて軽い声音が空気を上塗りした。
「まあ、いいわ。宿泊だったわね。許可をしましょう」
「あっ、うん。ありがとう」
「礼など必要ないでしょう。まだここはあなたの家でもあるのだから」
そこからまた最初のような無言が訪れる。どうやら本当に目的を話させる以外の目的はフローゼにはなかったらしく、ただ無言で食事の時間だけが続いた。
そして、最後の一口に舌鼓を打ったのを確認したフローゼが立ち上がる。
「わたくしは自室に戻っているわ。何か用事があれば勝手に来るか、夕食の時間にでも話しなさい」
「うん。お母様も手伝って欲しいことがあったらいつでも呼んでね」
高いヒールの足音が遠ざかり、扉の開閉の音ともに消えていった。身構えていたフローゼとの二人きりの時間。それは想像よりも遥かに穏やかな結果で締め括られていた。でも、だからこそ思う。
――エリゼは何でわざわざ家を飛び出したのだろうか。




