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死んではじめるビブライア  作者: 細川波人
一章 ハルネア
35/36

17 無刑罪人

 

 ――暗い。――暗い。ただ暗い中に佇んでいた。墨汁にでも沈められたような有り様で光という光は存在しない。


 いつの日かにも体験したっけ。


 転生に入る前の前。最初期の有畑奏真が死んだとき。そんな過去を思い出しながら、自分の肉体を操って手を伸ばす。体を動かせている感覚はあるがそれ以上はない。


 どこか胸の苦しさを覚えながら暗闇を眺めている。けれど、あのときとは少し違う感覚があった。

 こちらに問いかけるように描かれた白い字がないこともだが、今はないことよりもあることのほうが気になった。目は見えない。音はない。声も出せない。それでも確かに人の気配が感じられた。


 どこだ! どこだ!


 息が上がってくる。それがタイムリミットのように感じられて、無作為に足と手を動かして探し求める。

 

 誰かいる。会いたい。ここにいる。ここに感じる彼女を……。


 探し求めて手を伸ばすが、ついには息が切れて膝を着く。胸の苦しさに耐えきれずに不細工によだれを垂らし、あるかないかもわからない床を睨みつけた。


 まだだ。まだ。絶対に俺は取り戻す!


 視界の先で何かが揺れた気がした。足だ。色のわからない靴を履いた足。それにすがるように俺は手を伸ばす。息がもうもたない。それでも手を伸ばす。

 吐き出すための空気はもう肺の中にはなかった。それでもせめて伝わるように口を形作る。


『絶対に助ける! エリゼ!!』


 闇が落ちる。意識が濁って闇に溶ける。しかし、闇の中で有畑奏真の誓いだけは残り続けていた。



「うっ、うぅ。胸が……」


「ワウ」


「苦し……い?」


「ワウ?」


 ……誰かが。いや、犬が真上から見下ろしていた。


「何勝手にエリゼの体に乗ってくれてるんだよ。ペーペ!」


『ご主人? 生きてる?』


「息苦しくて死にそうだから下りてくれるかな!?」


 心配とは裏腹に盛大にその前足で胸を圧迫してくれていたペペに文句を言うと、すたすたとペペは胸から下りてベッドからも下りていった。


「まったく」


 額に浮かんでいたさらりとした汗を拭う。部屋は外から漏れ入る日光で既に明るくなっており、朝の雰囲気を醸し出していた。


「はあ。さっきの夢何だったんだろう……。何かうまく思い出せないし」


『大丈夫? ご主人?』


「大丈夫。ご心配どうも」


 と、多分夢の原因となったペペのちょっと気の抜けた顔を見て肩を落とした。


 迷子犬ペペ。昨日コルテ街で捜し出した老犬。本当は昨日、飼い主の元へと返そうと思っていたのだが、時間の都合もあり結局は返すことはできなかったのだ。

 そんなわけで「お前が面倒をみろ」と心の中ではなく実際に口にしたテレーゼの命令で、ぺぺはエリゼの部屋に半ば軟禁されていた。


 床に座って起きろとでも言いたげに、惚けた顔で眺めてくるぺぺの思惑通り立ち上がろうと靴を履こうとした。しかし、そんなときだった、不意に視界にあった表記に気が付いた。


 《転生ポイント獲得 20 現在21ポイント》


「えっ?」


 一日の始まりとして靴紐を結ぼうとしていた手が止まる。完全な不意打ちで思考も体も急停止だ。


「転生ポイント? 何で今?」


 目の前にあったのは転生ポイントの獲得通知だ。生きてこっちの世界で目にした初めてのポイントの獲得画面。

 表記を消さずに、目を見開いたまま、やや乱れたエリゼの髪を横に振った。


「えっと。おさらいとして、転生ポイントの獲得には貢献度が必要。その貢献度の詳細は未だに不明で、具体的にどうやったら転生ポイントが増えるのかも、減るのかもわかってない。それで今回は人助けというていでペペを探したんだけど」


『何か用事? ご主人』


 ペペが一人言に反応して頭を傾けた。それにごめんと謝りながら手を振った。


「依頼はまだ未達成。飼い主への貢献はまだできていないし、ぺぺに関しても同じで飼い主の元に戻れてもない。どう見てもまだ貢献したって感覚じゃない」


 以前のエリゼの件を思い返してみよう。あのときはエリゼに接触し孤独と不安を取り除くことから始まった。その次が洞窟の案内とゾンビを遠ざける役目。そして最後にウッツことネクロマンサーからの防衛があった。しかし、その都度に転生ポイントを獲得できたわけではなく、エリゼを守りきりテレーゼに引き継いでから、ようやく最後に転生ポイントが手に入ったのだ。


「それと比較すると変だ。何でだ? 考えられるのは……。一日の貢献度を日付変更時に換算して表記しているとか? いや、でもエリゼのときは死んでから次の瞬間には手に入ってたし」


 《転生ポイント獲得 20 現在21ポイント》


 まじまじと眺めて考える。しかし、こんな重要な評価基準や評価方法を明かさないのがビブライアの鉄板だった。


「これ以上は考えても迷うだけか。ペペを飼い主のおばあさんのところに連れていって、そのあとに転生ポイントが増えるかどうかを見て判断しよう」


『お腹へった。昼ごはんまだ?』


「昼じゃないよペペ。まだ朝だよ」


『昼だよ。おひさま昇ってけっこう経った』


 ん?


 そんなはずはない。今はまだ朝だ。目覚めも良いし、頭も冴えているし。


「……ん? 疲れが取れてる? まるでよく寝たみたいな……」 


 出だしの息苦しさはあったが、昨日の疲労とは打って変わって体調は優れていた。けれど、その事実こそ致命的なミスの証拠。

 よく開いた目を恐る恐る時計のほうへと動かした。


 現在時刻十二時。

 

「終わった……」


 四日目。転生ポイントの獲得から出だし好調。かと思われた朝ならぬ昼は、盛大に俺の気分を盛り下げた。

 しかし、それでも下でご立腹であろうテレーゼの機嫌のためにも、手遅れだとは思いながらも、気分とは真逆で体だけはハキハキと動かし始めた。



 既に日光で温められた廊下を全力ダッシュ。一つ踊り場のある階段でドリフトを決めながら、駆け下りてからリビングの扉を開く。


 ここまで順調。タイムロスなし。


「おはよう。テレーゼお姉……様?」


 ここまでの遅れを取り戻さんとばかりのスピード感がリビングに入った瞬間、目の前の光景を見て急停止。


 テレーゼがいつものように起きています。朝食の準備に三時間遅刻しています。怒ってますか? YES NO


「……どころの話じゃなさそうか」

 

 テーブルの上にはいつものティーカップは置かれておらず、本や新聞の類いは全て片付けられてある。常にあの席がテレーゼの定位置だったため、その場所が空白であることの違和感は強い。そして、何よりもの違和感はそのテレーゼ本人。寝坊したこちらを咎めることもせず、無駄のない動きで身支度をしている。 

 

「ど、どうしたの? お出かけ?」


「起きていたか。仕事が入った」


 昨日も見たタイトな黒い制服にテレーゼが袖を通す。そのあとに流れるような動作で下から上にとボタンを留めていく。


 フラグ的な嫌な予感がする。


「仕事って国の?」


「違う。別物だ。今朝バラバラの死体が見つかったと、この街に来ていた私の仲間から連絡があった。その件の解決に出るだけだ」


 ……なるほど。てっきり、隣国ダラグリアとの戦況が悪くなって呼び出されたかと思ったけど、そうじゃないのか。まあ、だとしてもこっちもただ事ではないけど。


「バラバラの死体……。そういえば昨日の新聞にもそれに近い情報が載ってたね。無刑罪人の……『人狩り』だったっけ」


「ほう。新聞を借りて何をしているのかと思えば、ちゃんと読んではいたようだな」


「読んでなかったら昨日はペペを探しに行っていないと思いませんか? お姉様?」


「読んでいたにしては、無警戒に『人狩り』の被害のあった裏路地に入り込み、ついでに別の犯罪者に絡まれていたがな」


 それはそうです! 反省はしてます!


 転生ポイントのためだったとはいえ無警戒にエリゼを危険に晒したのは認める。けれど、エリゼを馬鹿にするテレーゼは認めない。


「……じゃなくて。大丈夫なの? 嫌味なお姉様はいつものことだけど、嫌味の一つにも感情が入ってなかったよ?」


 言葉のキレはそのままだが表情に軽蔑の色が足りない。綺麗な顔してふてぶてしい。そんなテレーゼはどこか今日は演技っぽくあった。

 その反応がまたこちらの不安を駆り立てる。状況によっては引き留めるのも視野だ。


「無刑罪人ってそんなに危険なの?」


「……危険性はともかく気乗りはしない相手だな」


 小型の魔道具らしきものやナイフ、布切れ。テレーゼはテーブルの上に並べてあった装備品を淡々と腰に装備していく。


「罪が重すぎて奴らに相応しい刑が無い。ゆえに無刑罪人」


「えっ」


 ――罪が重すぎる。――刑が存在しない。普通の犯罪者とは違うのだろうとはわかっていた。それでも、ここまでのものだとは思っていなかった。


「その中でも『人狩り』は特に異質だ」


「無刑罪人の中でも異質って、肩書きが増えすぎて不安しかないけど」


「危険性だけでいえばどれも変わらないがな。異質なのはその手腕。奴の痕跡は残らない」


 痕跡が残らない……。


「目撃者もいなければ凶器もわからない。数百回以上の殺害で、奴に繋がる手がかりは一度も見つかったことはない。どうだ? 気乗りしないだろう?」


 やりきれないとでも言うように、うんざりとしながらテレーゼは鼻で笑った。

 『気乗りしない』は、これから調べてもどうせ徒労に終わるから。相手の力量が高すぎて勝てない相手に挑まなくてはならないからではなかったようだ。


 ひとまず、最悪な展開ではなさそうだったので、肩から力を抜く。


「ちなみに『人狩り』って強いの?」


「当時の四天剣の一人、『波剣』をも殺している。私の推測ではこの国で十指には入る実力者だろうな」


 前言撤回だ。肩に力が入り直す。  


 嫌な流れすぎる。こういうタイプの敵は毎度、悲惨な爪痕を残して消えていくのが定番だ。そして、そこにテレーゼが向かおうとしている。マイナスの境遇のエリゼの姉のテレーゼがだ。フラグが立ちすぎている。


「まあ、奴がこの国で十指の相手でも、私はこの世界で頂点の白煙の魔法使いだがな」


「それは知ってるんだけど……」


 ギードもそんな風に言っていたので、この場合は自称ではない。しかし、だとしても、心配になるのは当然だ。エリゼとしてじゃなく、ここ数日共に過ごした俺としてだ。

 止めるか止めないか葛藤して、止めるほうへと傾き顔を上げる。けれど、一歩先を打たれてテレーゼに口を封じられる。


「私のことは心配するな。どうせ死体を片付けて書類を書いて終わりだ。それよりもお前は自分の仕事をしろ。その犬をいつまでも家に置くのは不快だ」


「その犬って。ぺぺね」


 いつの間にかペペは一階まで下りてきていて、器用に半開きだった扉を開いて入ってきていた。そんなペペにテレーゼは一瞥。犬が嫌いなわけではないのだろう。ただあまりペペとテレーゼは性格的に合いそうにない。


 ……心配ばかりしててもか。


「テレーゼお姉様の言う通りね。確認したいこともあるし、私はこの子を早く送るよ」


「そうしろ。私はもう出る。朝食はパンを噛って済ませてある。食器は流し台にある。片付けておけ」


「はいはい。お互い早く仕事を終わらせようね」


 ふんと鼻を鳴らしてから、テレーゼはリビングを出た。見送ろうと追いかけるように廊下に出たがよほど急いでいたのか、見送ったのは背中ではなく閉ざされていく扉だけだった。


 きっと大丈夫なはずだ。きっと……。


 扉の向こうに消えたテレーゼを信じて、目の前の仕事を終わらせるためにとキッチンに向かう。皿洗いからスタートだ。


「あー。うん」


「ワウ」


「あのさ」


 テレーゼから聞いていた通りキッチンには食器が置いてあった。汚れたり割れたりなんてことはない。しかし、俺は白い皿の上を俺は冷たい目で眺める。


『朝食はパンを噛って済ませてある』


「これは想像してなかったなぁ」


 目の前にあった皿の上。そこには紛れもなく噛った痕跡の残った丸いパンが、もう食べてくくれないのとでも言いたげに、寂しげに皿の上に載っていた。


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