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死んではじめるビブライア  作者: 細川波人
一章 ハルネア
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16 門限破りにご注意を


 ハルネアの街の日は落ちた。ただでさえ薄暗かった裏路地は真の暗闇に包まれるかと思われたが、意外なことに暗くはなく、むしろ昼間よりも明るい雰囲気を醸し出していた。

 

 特に変わったのは人がいることだ。人気(ひとけ)のなさを好む犯罪者なんかではなくまともな人間だ。

 そんな人たちがこの複雑で狭苦しい通路を慣れたように屋根なり障害物なりを飛び越して歩いていく。


 なんかこの辺りだけ世界観が忍者なんだけど……。


 非日常を日常にしている光景に目を奪われた。そこをギードに強めに引っ張られて前を向かさせられる。


「あんまり変な目で見るなよ。赤猫も街中でじろじろ見られたら嫌だろ」


「……いや、でも。あれを見るなって言うのも無理があるというか」


「何が変なんだ? ただの通勤帰宅の日常の光景だろ」


「飛んで跳ねての通勤帰宅が? こんなとこでもギードの常識ってずれてるの?」


 目の前でまた屋根に上っていく人をなんとも言えない心情で見送った。本当にこの世界はどうなっているのやら。


「ハルネア二区コルテ街。ここは一昔前に労働者用に作られた居住区なんだよ。スーレ鉱山で栄えていた時代の名残で、基本的には表の通りよりも地価も安くて、家を借りるにしても安いんだ。だから、住民自体はかなりいる」


「にしても、ここの構造の複雑すぎない? 狭いし変なところに通路がある」


「スーレ鉱山での採掘が国によって禁止されて、街の収入がなくなったせいだな。作りかけのまま大工がいなくなって、素人が手を加えたり崩したり放置したりで今の有り様だ」


 昼間にはなかった明かりの点った家の前を通りすぎる。相変わらず家の向いている方向はまちまちだが、その不規則さはかえって心地よい。変化が新鮮で見ていて飽きない。これが安全で死んでも気にならないような肉体であれば気ままに楽しめただろうに。


「こんばんはー。横通るよー」


「こんばんは。どうぞ」


「ワン!」


 またこの狭い通路で鉢合わせた一般人とすれ違う。手にはえんじ色の光を放つランタン。ギードとは違ってまともな人のようで、それを武器として殴りかかってはこない。紛れもない一般人。


「不思議だろうがこの辺りは昼間のほうが危ないんだよ。明るい暗いじゃなくて、人がいるかいないかだ。危ない奴もいる。ただそうじゃない普通に働いて生活する奴が大半だ。誤解はしてやるなよ」


「ちなみにテーブルを背負ってるギードはどっちの奴?」


「エリゼ・オーレンシュケンって、思いやりのある優しい子だと昨日までは思ってたなぁ」


「あっ、誤魔化した」


 テーブルを武器にし、困っている人を助ける戦える善人。一方そのテーブルを普通にテーブルとして使おうとする一般的とは呼びがたい価値観。……危ない奴としておいたほうがいいだろう。

 感情のこもっていない声で嘆きながら、ギードはテーブルを背負ったまま、これまた自宅を照らしていた緑の照明を手に先導する。


「ねぇギード。今何時だっけ」


「七時。いい時間だな」


「いい時間だね。テレーゼお姉様がギリギリ容赦なく怒っていそうな時間だよ」 


「過保護って話か? まあでも、話を聞く限り赤猫の心配をするのはわかるけどな」


 ギードはこちらの心情に寄り添う。しかし、その寄り添いは誤解だ。


「心配して怒ってるんじゃないよ。家事を放置してることに怒ってる。ご飯を作ってなかったら、そのままリビングで待ち続けて空いたお腹の隙間に怒りと不満を蓄積させてるような人だよ」


「は? 自分で作れよ」


「是非言ってあげてください! そのあとの責任は取れませんが!」


 ギードも俺の不満に同感してくれた。全くもってそうなのだ。確かにこちらは任された側ではあるが、それでもやんごとなき事情のときだってある。例えばメンタルズタボロのときとか。例えば犯罪者に追われ、隠れていて身動きが取れなかったときとか。


 ここまでを思い返して不満で拳を握ると、いつの間にか街のほうから賑やかな声が聞こえ始めていた。

 犯罪者に襲われた裏路地という迷路からようやく抜け出せる。それにしては安堵の色が薄いのは、ギードと出会ってから安心しきっているせいだろう。あれ以来襲ってきた三人組とも知らぬ間に追跡していたというネクロマンサーとも出会っていない。


「一応先に訊いとくけど、テレーゼってどんな奴なの? 噂とか新聞とか見た限りだと、冷徹無比で一人で完結してるような奴なんだが」


「……どっちもちょっと違うかな」


「どんな風に?」


 冷徹なのはあくまで敵に対して。言葉こそ鋭いがその内面がある程度感じられる人柄だ。わかり合えるし、わかり合おうとしてくれる人ではある。そして、外面(そとづら)と違って家ではエリゼに頼りっきりだ。


「うん。テレーゼお姉様は強さに隠れてるけど優しいよ」


「へー。そうか。じゃあ、向こうの大通りで白い煙を纏って俺たちを睨んでるあれは気のせいなんだな」


「……はい?」


 顔を上げると飲食店や雑貨屋などで賑わう絢爛豪華な表通りから鮮やかな明かりが裏路地に射し込んでくる。しかし、そこにはそんな情景さえもただの背景に変えてしまう複数の意味で強すぎる存在が一人暗い影を長く伸ばして立っていた。

 背景にある食べ物屋のオレンジ色の明かりが腰まで伸びた金髪を背後から透かす。その八頭身はありそうなすらりとした体には普段着とは異なる黒い軍服のような衣装が纏われており、その輪郭を白いもやによってやや霞んでいる。そして、その顔には目尻を上げた凛とした赤い目が二つ。


 気のせいじゃなさそうですね……。


「テ、テレーゼお姉様……!?」


「帰りが遅いと腹を空かせて探しに来てみれば。なるほど、そうか。仕事放棄で男漁りか。随分と楽しそうだな」


 普段と変わらないのは口調だけ。音域、抑揚その辺りは変化していないが、これはマジでキレてる。根拠は妹として体に刻まれた勘。


 テレーゼという人となりを知らない人でもその威圧感に気付かないものはいない。現に腕に抱いていたペペが、息を詰まらせて咳き込んだ。


「おいおい。すごい勘違いしてるなー。赤猫」


「この中で普通に話せるギードは流石だと思う」


「まだ射程外だろ。本気ならもう俺は死んでるよ」


「本気ではないとでも言いたげだな。そこのギードというオス」


「やべっ。飛び火した」


 ギードの軽口はテレーゼには火に油。敵視の視線がエリゼからギードに向いて両者の足が止まった。


「ギードか。家名は?」

「なしだよ。ここらに住んでる奴ならよくあるだろ」


「仕事は? その背中のテーブルは何だ?」

「冒険者みたいな奴だよ。便利屋みたいな? 個人営業で社名なんて大それたものはないって。テーブルについては便利だから」


「何故私の妹といる? 言い訳をしてみろ」

「言い訳って決めつけるなよ。最後だけ私情強すぎだろ」


 もはや聞く耳を持つ時間は過ぎていたらしく、最初から言い訳として聞く態勢に入ってしまった。十分手遅れのようだが、このピンチは切り抜けなくては。ギードのため? いやいや、嘘でもエリゼをギードがくっついているなんて言わせたくないからだ。


「ごめんなさい! テレーゼお姉様! 私この子を捜しに裏路地に入ってたの! そしたら、急に変な三人組に襲われて、そのときにギードが助けてくれたの!」


「犬?」


「そう! 新聞に書いてあった犬! その新聞は……ちょっと今は盗まれちゃったけど」


 意味ありげに抱いていたペペを少し高く持ち上げた。テレーゼはこの犬探しの記事も目にしている。説得力はある。

 腕に抱えられたペペへと切れ味の鋭いテレーゼの視線が移動する。そこからちょっとだけ目尻が下がったような気がするがそれは多分気のせいだ。


「犬捜しはいいだろう。だからといって、そのギードとの関係性が否定されるわけではない。むしろ、犬捜しをきっかけに関係が深まったなんて展開もありそうだ。うん。それだな」


 そっちに説得力を持たせようとしたわけじゃないんだけど!?


 一人悪いほうに解釈を進め続けるテレーゼ。いや、そもそも良いほうに解釈を進める気もないようにも思えた。これは妹のエリゼの立場をもってしても止めるのは至難。どうすればいいのか本格的にわからない。

 誤解ばかりを進めるテレーゼが思案のために引いていた顎を軽く持ち上げた。


「敵意を抱いているつもりはない。ただ、エリゼがサボっていた理由になったのがそこの男じゃないとしても、例え男女の関係でなかったとしても、適当に理由をつけてその男を焼きたいだけだ。……腹も空いて機嫌も悪いからな」


「おい赤猫。さっき良心うんたら言ってたよな? どこがだよ」


「たまには家に置き忘れることもあるよ」


「家の鍵より忘れちゃ駄目なやつだからな。それ」


 もう完全にお怒りモードで八つ当たりする気しかないらしく、ギードの声もこちらの声も届きそうにもない。もちろん、本気でエリゼとギードとの関係を疑っているわけじゃないだろう。ただそう決めつけて成敗すればストレスが解消されそうというだけだ。


 会話をするにはやや遠い距離に立つ三人。結局どうやってもテレーゼはギードを恩人としては捉えてくれないらしい。だとすれば、せめてギードに被害の及ばないようにするべきか。


 言いつけ通りに守り続けていた、ギードの守備範囲の半径一メートルから離れてテレーゼの元へ。足が震えている。


「急いでご飯作ります」


「そうしろと言いたいが我慢できずにここまで出てきたんだ。外食する」


「は、はい。お支払は……」


「は?」


「ポーチごと財布を盗まれたので、そこは勘弁してください!」


 テレーゼは上から見下ろしてくる。目の挙動を追うと、どうやら本当にポーチがないかを確かめているようだった。


「ほんとうに言いつけ一つ守れないな。落としたら次はないと言ったとは思うがな。愚妹」


「落としてはないんだよ。奪われたの。賢姉(けんし)


 賢い姉であればこの差ぐらいわかっていそうだが、わかっていても無視を決め込めるのが今のお姉様。

 こいつはダメだとでも言いたげに露骨にため息を溢してから、興味のない裏路地に背を向ける。胸が痛いがギードだけは助かったようだ。


「今日はやる気がないが、奪われたと言うなら取り返さなければな。その程度の盗賊ごときに屈していればオーレンシュケン家の恥になる。あとで特長を教えろ。明日焼く」


「まあ待てよ。こんな裏路地であんたみたいな化物に暴れられたら困る奴が結構いるんだよ。俺が探して届けに行くから。お姉様は家で待ってな」


「まだいたのか」


「いるだろ。短い関係だが互いに利を得た仲だ。じゃあねぐらいは言わせろよ」


 折角意識から外したのにギードはまたテレーゼに向かって反論する。ポーチに関してはギードに任せたほういいのは間違いない。地形の把握や、この裏路地の内情に精通している点。売られる前に取り戻すのであればギードのほうが頼りになる。しかし、それをプライドの高いテレーゼが認めるはずもない。

 テレーゼが反論しようと口を開きかけた。しかし、それよりも前に一歩前に出る。それを八つ当たりのような鋭い横目でテレーゼが見ていたが今は気にしない。


「わかった。ギード。お願いしていい。大切なものなの」


「ふっ。任せとけ。じゃーな」


「うん。ありがとう。またね」


 ギードは背中を向けて手を振る。去り際の台詞はテレーゼとエリゼとでそれぞれ違う受け取りかたをしそうな挨拶ではあったが、それ以上のやり取りはなく、ギードは道を曲がり消えていった。


「勝手なことを」


「でも、任せてくれるんでしょ?」


「探しには行くがな」


「……えっ? 今のやり取り無駄だった!」


 折角両者の気を汲んで間に挟まってギードに頼んだにも関わらず、結局はテレーゼも探しに行くそうだ。自分の力を信じているテレーゼらしい考え方だが、実力がありすぎるのでこちらから強く否定はできなかった。


 興味はないと言いたげに今度こそテレーゼはギードとは真逆へと歩き始める。それに俺はペペを抱えたまま疲労の残る足で付いていく。一つの区切り、一つのミッションをクリアした実感を抱いて。


「そう言えばだが……」


 不意にテレーゼが足を止めて声をかけてきた。長い金髪で覆われた背中を見せたままで、振り向きもしない。ただ平坦で冷淡な声が街の雑音を通り抜けて聞こえてきた。


「私の煙はどの辺りまで漂っているように見えた?」


「ん?」


 テレーゼの周りにもやみたいに漂っていた白い煙のことを言っているのだろうか。


 変な質問で意図がわからなかったが、答えを見つけるよりも前に正直に答えた。


「私にはテレーゼお姉様の周りにしか見えなかったけど。それがどうしたの?」


「いや。ただ気になってな」


 真っ直ぐに前を向いたままのテレーゼの横顔が見えた。凛としてるのは変わらない。笑顔もなく、怒りもない。ただその目だけは何かを見つけたときのように赤く輝いている。


「あの男ギードは、どうやって私の射程を見切り、あの場所で立ち止まったのだろうな」


 それだけ言って後ろのことも気にせずに足早に歩いていくテレーゼの真意を、このときは欠片たりとも理解できていなかった。


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