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死んではじめるビブライア  作者: 細川波人
一章 ハルネア
32/36

14 裏路地にある地獄


 大通りの喧騒が遠ざかり迎えるのは裏路地の沈黙。人々の生活による熱が失われ、無機質な建物やゴミなどの無生物から放たれる冷たさが肌を撫でた。


「想像していた裏路地とは違う」


 某犬と会話をした辺りからこの道に入って五分ぐらいは歩いただろう。しかし、裏路地から抜けることもなく、開いた場所に出るわけでもない。永遠と狭苦しい通路が迷路のように続いている。


 白い指先で灰色の壁を撫でる。汚れが目立っているような様ではないが、その指先の水分を奪うようなざらつきは、どことなく質の悪いものに思えた。


「表の活気とは真逆。スラムみたいな印象か……」


 しかも、ただ狭いだとか汚いだけじゃない。建物からもその雑さが垣間見える。普通家を建てるとしたら、通路に対して玄関が見えるように建てるだろう。しかし、ここはどうだろうか。出入口、扉、窓まで家それぞれで配置された方角も違う。通路側に扉のない壁を晒した家を見たその隣で、平たい玄関を見せつけている建物があったりもする。


「敷地の問題でやたら滅多に建物を建て続けた……。ウィンチェスターハウスの街バージョンね」


 確か、あのウィンチェスターハウスは、亡霊だとか呪いだとかから逃げるためのおまじないのような意味でめちゃくちゃな増築を繰り返したんだったか。しかし、ここは少なくともそんな理由はなさそうで、むしろ呪いだとか病気だとかを溜め込みそうだ。

 一番道幅のあるこの道から少しだけ横を見た。すると、そこには意味がわからないほどに低い位置にある平坦な屋根があって、その向こうにはあろうことか通路がある。


「こんな場所で捜し犬。今さらだけど、わざわざやる必要があるのかな? 危険と労力に見合わない気がする」


 気楽に犬捜しなんて思っていたが現場を見て冷静になる。現実逃避じゃない。現実と向き合った結果の後ろ向きな感想だ。


「ペペを捜して得られるのはちょっとしたお小遣い。あとは転生ポイントの獲得の条件の確認ぐらいか……。転生ポイントかー。やっぱり替えが利かない依頼だなぁ」


 お金に関しては困っていないのでいいとして、後半の転生ポイントの獲得となると諦める意思が折られて呻いてしまう。


「人にも犬にも関わる手伝いなんて他にないんだよ。依頼を完遂して依頼主への貢献。犬を見つけて連れて帰ることで犬への貢献。人間への貢献で転生ポイントが手に入るか、動物でも転生ポイントが入るか判断できる貴重なチャンスなんだよね」


 転生ポイントの獲得条件の確認。これだけはエリゼのうちに調べなくてはならなかった。なので、やりたくないことを前に最後の不満のため息を漏らして前を向く。


「――やるか。本物のエリゼならきっと見過ごさないし諦めない」


 そう自分に言い聞かせてか捜索開始。やることは単純。ペペ本体を捜す。それと平行してペペの痕跡も探す。


 よく道に落ちた髪の毛を見つけて「あいつはここを通ったに違いない」なんて展開もあるだろう。試しにやってみれば成果が出るかもしれない。

 毛を探して風で飛ばされていなそうな壁の近くで膝を曲げる。そして、それとなくそれっぽいものをつまみ上げた。


「この毛……毛か? ホコリか? 繊維か?」


 青空にかざして毛らしきものを調べてみるが、そもそも犬の毛かもわからない。今さら気付くが、ああいう展開は主人公が化物だからできたのだ。髪を拾ってこれは誰の髪の毛なんて普通は不可能。髪が見つからないし、見つかってもよほど派手な髪色でなければ誰のものかもわからない。


「この路線で調べるのはなしか。俺は常人だった」


 毛らしきものを投げ捨ててからハンカチで指先を拭く。仕切り直しだ。


「異世界に来ても俺は俺だしその現実は変わらない。隠れた力があるなんて都合よくはいかないんだ。まぁ、だとしたらあるものを使うしかないか」


 包帯の巻かれた右手を一度見つめ顔を上げてから生き物を探し始めた。すると、すぐに裏路地の定番が現れる。人通りが少なくて掃除されていない場所によくあるクモの巣だ。幸い住人のクモも在宅中のようで獲物の捉えられていない新居で退屈をしているようだった。


 スキル『シュピネの瞳』発動!


 クモへの意志疎通のラインを繋ぐ。特別何かが変化した感覚はない。しかし、話せると信じて壁に向き合ってクモに声をかけた。


「やあ。ここら辺で犬を見なかった?」


「……ハエ。最近減った」


「あの?」


「待つ。静かに待つ……」


 顔色もわからないクモはうわ言を言う。聞こえはするのでスキルは発動できているようだが、会話が成立している感覚はない。クモの一人言の合間に俺が質問を差し込んでいるだけ。こちらの意図や思いが届いている感覚はない。


「ダメそうか。言葉がわかっても、会話が成立するとは限らないのか」


 日常的に各々の言葉や仕草でコミュニケーションを取っている生き物であれば会話も可能だが、それ以外に関してはそもそも会話ができない。会話を知らないんだ。相手に意思を伝えるのではなく、自分の思いを口にするだけで止まる。今回のクモはそのパターンだろう。


 潔く諦めてからスキルの発動をオフにする。すると、通訳されていたクモの声が聞こえなくなり、裏路地特有の静けさが戻ってくる。


「会話する対象を変えて情報を集めるか。ひとまず虫は以外を探しそう」


 まだクモ以外の虫とは話せる可能性はあったが、雰囲気の悪いこの裏路地でいちいち試したくはなかった。今は手早く別の生き物を探す。ターゲットは哺乳類だ。


「ネズミ、犬、猫。裏路地だったらその辺りはいてくれるだろうし」


 ゴミが散乱し人の鼻でも感じられるくすんだ空気を取り込みながら、物陰や細道を中心に生き物を探し始めた。しかし、数分経っても野良猫やカラスがゴミを漁ったりもなく、犬がとぼとぼと路頭に迷っていたりもしない。


「他の生き物もこんな場所は好みじゃないか。汚い。治安も悪い。おいしい食事があるわけでもないと。だとしたら、何がぺぺをこんな場所に引き留めているんだろうね」


 あの飼い主のおばあさんが嫌だったのか。それとも実は虐待でもされていたのか。もしくは最初の想像通りに全てを忘れてしまっているのか。

 そっと顎先に触れる。外界から意識が内へと集まり、慎重すぎる俺らしい別の考えが浮かんできた。


「……いや、何もぺぺ自身の意思だけとは限らないか」


 ここまでは迷子なんて人間っぽい理由ばかり考えていた。しかし、犬であれば野良犬と思われて保護されたり、逆に不衛生だと別の場所に連れていかれた可能性だってあるだろう。第三者の関与も想定すべきだ。


 不格好な姿の段差になった通路を通りすぎる。すると、ようやく少し広い通路に出た。とはいえ相変わらず雰囲気は悪く、人通りもない。


 ひとまず、この辺りで少し休憩でも挟んでから……。


「なあ、最近この辺りに『人狩り』が出たんだろ? 俺たち大丈夫なのか?」


 人の声っ!


 誰もいないだろうと油断していたせいで縮んだ喉から高い声が出そうになるが、それをなんとか両手で塞いでから押し止めた。


 声の発生源はこの通路の少し先。まだ少し離れている。

 少し前の俺なら、ようやく人に会えたと喜んで犬の情報を集めに行っただろう。しかし、犬から聞いた三人組や、ネクロマンサー、無刑罪人『人狩り』が頭にあるため、臆病になって足を止めている。    


 リスクがあるかもしれない……は、転生ポイント51の境遇だとリスクしかないに変わる。こっちはビブライア転生でそうやって教育されてきたんだ。


 前後どちらにも逃げられように壁を背に身構え、存在感を消して声を辿る。敵か。無害な人間か。それを確かめるために聞き耳を立てる。


「『人狩り』か。確かに危険だが、あいつはこっち側の人間だ」


「犯罪者側ってことかぁあ? 俺、あんまりこっち側って噂は聞かねぇっての。俺らみたいな犯罪者で殺られた奴だっているんだろ! 新聞で読んだ!」


「だが、主は貴族や一部の権力者ばかりだ。俺たちみたいなのには関係のない話だ」


「ケッ! そうかよ!」


 小物らしい声と落ち着いた低い声が交互に飛び交った。ありがたいことに、軽い自己紹介はしてくれた。この声の持ち主は敵。ここは逃げの一択だ。 

 凡人なりに音を立てずに踵を上げた。しかし、一歩を踏み出すよりも前に罪人たちの会話の内容が耳に入って足を止められる。


「むしろ警戒するべきなのはテレーゼの方だ。少し前までは北の国境沿いまで出かけてダラグリア相手にやりあってたのに、最近は急に戻ってきてこの街にいる。噂だと今は家にいて動きもないらしい。何かに備えているかのようで不気味だろ」


「あの白煙の魔女までいんのかよ! いっときは俺たちみたいな奴が生活しやすかったのに、何でぞろぞろそんなバケモンばっかりがやって来るんだよ!」


 何だ?


 テレーゼが国のためにダラグリア魔法帝国と戦っていたのは知っている。けれど、今の話だと何かしらの目的があってこの街に戻ってきたようだった。


 テレーゼは何のために戻ってきたんだ?


 続きが知りたくなり欲をかく。けれど、油断は一切せずに体はいつでも逃げられるように声のする方向とは真逆に向いておく。 


「まあ、テレーゼの方の目的は実家のオーレンシュケン家の問題があるからじゃないのか。実績も実力も頭のキレもテレーゼの方が無能な領主よりもいいんだろ」


「そりゃ言えてるが、困るなぁー。そんな奴に領主になられちゃ。隙だらけの貧乏領主だから俺たちみたいなのが好き放題やれるのによ」 


「まあ、だからといって今の領主が続ければ近いうちもっと酷いことになるだろうがな。俺らみたいな罪人が目じゃないほどの奴らがぞろぞろ溢れかえる。それもそれで俺は嫌だがな」


 領主問題? どういうことだ? 何でテレーゼが? いや、エリゼは前に新しく爵位が与えられるなんて話もしていた。もしかして、家族間での権力争いにでも巻き込まれているとか。


 頭の中でピースが繋がる感覚があった。あともう少しでエリゼとオーレンシュケン家についてわかる気がする。


「どちらにしてもこの街に長居は無用だ。危なすぎるからな」


「あーあ。じゃあ、そろそろおさらばか。兄貴にも相談しないとなぁ」


 兄貴にも? 


 その瞬間、急にあの女好きの犬の話を思い出した。この路地に怪しげな男たちが入っていったと。がらが悪く客としても迎え入れたくない相手で人数は……。


 ――三人――


「そういえば兄貴帰り遅いな。今日は市場の方だったっけな?」


「仕方がないだろう。食料を買うにも俺たちみたいなのは場所を選ぶ。ただそろそろ帰ってくるだろう」


 まずい! 市場があるのは大通り! だとしたら戻ってくる方角は……っ!


 もっと早く気付かなくてはならなかった。あの犬から三人組の話は聞いていた。それなのにあろうことか俺は会話をしていた二人だけに意識を向けていたんだ。


 急ぎこの通路から外れてどこかへ逃げようと頭から体に指示を送る。体に力が入り金髪を揺らして振り返って、最速で地面を蹴りつけ……。


「こんなところでなーにしてるのかなぁ? お嬢さん?」


 突如として後ろから声が聞こえた。その瞬間心臓が割れそうなほど膨らみ一瞬体が硬直する。


 じゃないだろ! 動け俺!


 一瞬の硬直を破って生存本能で体を動かした。動かしたんだ。それでも、致命的にも一歩遅く、振り向き終わる前に体を掴まれていた。


「ん……んっむう!」


 悲鳴を上げようとしたが汗で湿った指先が頬に食い込み口を封じられていた。吐き出そうとした息が逆流し喉が痛い。肺が苦しい。


 マズイ、マズイ、マズイ!!


「へー。聞いてた通りだなあ。金髪に赤い眼。間違いなくオーレンシュケン家の娘だ。エリゼの方だろ?」


 男からの舐めるような視線が肌を撫でる。近付いた顔が首元で鼻息を立てている。男だから? 女だから? いや、そんな性別の壁も無視した悪寒。

 

 気持ち悪い!! 気持ち悪い!! 俺に、エリゼに……触るっなぁぁ!!


 手のひらを噛み千切ってやろうと口を開こうとするが、骨をうまく固定されて動く気がしない。それでも抵抗しなくてはいけない。逃げなくてはいない。


「んん!!」


「おいおい。暴れるなよー。狂暴だなぁ。それにしても、貴族のお嬢さんがこんなところで何してるんだ? んん? はぁー」


 首もとにかかる湿っぽい息に体が生理的に拒絶して手足がばたつかせる。しかし、そんな素人の踠きは通用しない。暴れた側から右腕を捻られて外れそうな肩の痛みで頭が真っ白になる。


 たった数秒。――痛みが。――嫌悪感が。――恐怖が。俺の抵抗する意思を束縛する。


 こいつ……。ただの犯罪者じゃない。


「おっ! 兄貴! 戻ってきたんだな!」


 こちらの騒ぎに気付いたのか、さっきまで気楽に話していた二人も目の前の細い路地から出てきた。片方は細身。もう片方はプロレスラーのようなガッチリとした体型。逃げるのも、力ずくで突破するのも難しい。バランスのいいメンバーだ。


 友達にでも会ったかのように手を上げて挨拶をする二人に、俺の背後でリーダーの男が低く声を響かせる。


「おおよ。ご帰宅だ。で、その途中で気品のあるかわいい子ネズミを見つけてな」


「兄貴……それオーレンシュケン家の」


「ああ。オーレンシュケン家のエリゼちゃんだ。どうだ? この従順そうでちょっと反抗的な姿、悪くないだろ」


「いや、待てよ。兄貴……。それはちょっと」


 エリゼの姿に気付いて二人の顔色が変わる。エリゼという女を目にして下衆な態度を示しているリーダーとは少し様子が違う。目を見開いて頬を強張らせている。手を出してはいけないものに手を出したとでも言いたげだ。


「何だよ。言いたいことがあるのか? 聞いてやるぞ」


「ある。こんなところにエリゼがいるのは変だろ。貴族で、領主の娘で、そして、あの白煙の魔女の妹だ」


「あー。わかるぞ。それか。エリゼを使って俺たちを誘き出して、テレーゼが俺たちを狩ろうとしてるんじゃないかってな。はぁーあ。……いいか?」


「うっ」


 見せつけるようにリーダーは、俺の細い腕を可動域よりも少し先へと捻った。肩が関節から少しズレる。肩の内側で腱が引っ張られる。小指から薬指まで熱と痺れが浮かび、意識が一瞬で痛みだけに染まる。


「テレーゼは俺たち程度の小物に用はない。あるとしたら、最近この辺りを騒がせている『人狩り』の方だ」


「だとしても、もしかしたら……」


「ないな。俺も裏の奴から話を聞いたんだが、ここにエリゼがいるのは本人が勝手にやったことらしい。裏はないぞ。ほら、わかったら、そのポーチ漁れ」


「あ、あいよ」


 肩から垂れたポーチを無遠慮に細身の男が漁る。飲み物や食べ物は貪られ、銀貨の入った袋は懐に納められる。そして、最後に取り出したのは新聞二枚。


「ほら、そこにあるだろ。犬探しの依頼が。どうやらこのお優しいエリゼちゃんは犬を探しにこーんな危ない場所に一人で来ちゃったそうだ。コイツの独断だから助けもこねぇ」


「んんっ!!」


「はいはい。エリゼちゃんには残念なお知らせだったな。まあ、ゆっくり楽しもうや」

 

 背に触れる男の熱が生々しく伝わり、一ミリでも体から遠ざけるようと鳥肌が立つ。喉が潰れるような絶望感が頭を焼いている。体は冷えるが、頭は怒りと恐怖がぶつかり合ってショートする。


「ほーら暴れるなよ。余所者やら何やらで物騒になってきたしたで、俺たちもそろそろこの街からは撤退する予定だったんだよ。領主の娘なら最後にその魅力的な体を張って、この街の良さでもアピールしておかないとだろ」


「ふぅーーうぅっ!」


 ――最高には頂上があっても最悪には底がない。


 何度も何度も地獄を味わって最悪を更新してきた。喉を食い破られ肉体を失っていく感覚。集団で食欲を向けられ逃げられない絶望感。トラバサミによる死に至らない痛みという逃げ場のない地獄。さらにそんな痛みさえも超えた溺死による自我の崩壊。そして折角得た仲間を失う絶望。


 それでもまだ下がある。下がいる。


「んん!! んんっーー!!」


「叫んでも無駄とは言わないが、この辺りの住民は軒並み仕事で出払っているんだよ。俺たちもそこら辺わかってやってるんだ。繁華街から外れた場所で声が遠くに届かないような建物の配置。ついでに聞こえたとしても自分のことで手一杯な住民たち。答えはわかるよな?」


「ううっ!」


 捻られた腕が上に引っ張り上げられ肩の関節が喉の代わりに悲鳴を上げた。痛みがこの場がどれだけ窮地なのかを知らしめる。これまでの様々な生で味わってきた山場の一つ。越えられたことのない死と絶望。


 ――諦めるな。


 自分が今何なのかを思い出す。自分がこれまでどんな境遇と戦ってきたかを振り返る。そうすると、この赤い瞳の中の炎が再び燃え始める。


 痛みに思考を濁らすな。痛みはただの信号。腕は付いている。痛いだけで一生動かなくなるわけでもない。今は冷静に分析しろ。男の言うことを鵜呑みにするつもりはないが声を上げても意味はない。人の気配がないこともだが、変に声を上げれば殺される可能性もある。


 必死に身動きが取れない中で目だけを動かす。人の気配はこの三人以外にはない。動物もいない。『シュピネルの瞳』も使えない。石材を使った建物の質感からして音はほとんど響かない。


 ない。ない。ない。ない。ない。ない!!


 諦めるな!! まだ詰んでない!! エリゼの命を、エリゼの体を、エリゼの魂を! 俺一人が諦めてこんなクズなんかには渡せない! 考えるんだ! 考えろ! 体の自由が奪われた状況で、情報という武器を目と耳でかき集めろ! 


 背後のリーダーの男の武器はわからない。けれど、目の前の男二人のはわかる。片方は地面に付きそうなほどの長さの細い剣。もう片方は短い鉈を腰の位置で横に装備。素手なら不意をつけるかもしれないが、こんな相手には通用しない。


 いや、待て……。


 俺は背中を曲げたまま視線を悟られないように気を遣いながら左腕を見た。


 ――文字通りに手はある。背後の男は左手で口を押さえて、右手で俺の片腕を固定している。そのお陰でこちらの左手は自由。ただ妙な動きをしようとすると、さっきみたいに腕を捻られて痛みで動きを封じられる。


 逃げ道はありますか? YES NO


 ――YESだ。YESなんだ! けれど隙が必要だ。この背後の男の意識を一瞬でも反らせるような隙が。


 命懸けの駆け引きを、言葉も使えない状態で引き起こすしかない!! 覚悟を決めろ!! 感覚を確かめて結果をイメージするんだ!!


「んん……んーん」


 目を瞑れ。そこからイメージするのはエリゼの弱々しい姿。弱った姿だ。


「なあ、兄貴ちょーと味見してもいいか?」


「ここは万が一がある。いつもの場所に行ってからだ」


「いやいや、だから味見だってえ」


 目を力強く見開いてあえて目を乾燥させる。乾燥すれば目を潤そうとして涙が溢れてくる。その結果弱々しい涙目となり、その状態で顎を軽く引いてみせれば一見無力でいたいけな少女が完成する。


 一方的に弱者をいたぶれる状況だと相手に思わせる。侮らせるんだ。黒指猫にシカの角を届かせたように。ウッツにただのゾンビと思わせて一泡吹かせたときのように!


 軽薄で目の前のことしか見えていなそうな男が近付いてくる。目は上半身に釘付け。こっちの縛られてもいない足元を見れていない。


 ――入った!! 射程だ!!


 エリゼの胸へと手を伸ばしてきた瞬間、背後の男に体重を預けながら爪先を男の脛にぶつける。


「あぁぁ!! いってえ!!」


「おっ、お前」


 スニーカーなんかよりも攻撃力の高い革靴。それが脛にぶつかって男は悲鳴を上げる。そして、バランスを崩して俺と俺を捕まえていたリーダーの男に衝突した。


 今!!


 地面に倒れこみながら、ポケットからあるものを取り出した。やや重く縦に細かなラインの入った白い棒。――閃光の魔道具。


「いっけぇ!!」


 デコボコの地面に魔道具を叩きつける。すると、白光がこの裏路地を純白の世界へと誘った。


「あぁっ!!」

「んぬ」

「うおっ!? 魔道具かっ」


 閃光の魔道具。効果は網膜に直接光を叩き込むもの。ただ眩しいなんて話じゃない。何がどこにあるかさえわからなくなる。


 使用者の俺以外には!!


 俺を掴んでいた手が外れる。その隙に閃光の魔道具の効果を受けなかった俺は、まだ発光し続けている魔道具を置き去りにして裏路地を駆け抜けた。


「はっ、はっ、はっ。道間違えた!」


 逃げられる方へと駆け出してはみたものの、元来た道とは違う。しかも、無我夢中だったこともあって脳内マッピングは穴だらけだ。

 それでも人がいない路地を走り回る。なんとなくの方角を空模様と影の伸びる方向から算出すれば同じ場所を繰り返すことはない。


 とにかく逃げろ。逃げて駄目そうなら隠れる場所を探せ。


 走り続けて足が靴の硬さに悲鳴を上げる。しかし、止まることは許されない。エリゼの体に痛みを強いることに胸が痛む。それでも、決して止まれない。


 ――追われている感覚はまだある。小娘一人を逃がしただけとは思われていないんだろう。白煙の魔女テレーゼの妹だから絶対に逃がせない。逃がせば居場所を報告されて自分たちが殺されると思われてる。だから今の向こうは遊びじゃなくて本気で探してきている。


 考えろ。隠れるのはありか? いや、隠れた場所が安全な保証なんてない。スキルや魔法だって存在する。居場所を突き止めるものだってあるかもしれない。となると、物理的に距離を引き離すしかない。どこでもいい。人の通りのある場所に抜ける。そうしたら……。


「次は右……」


「お急ぎみたいだな」


「えっ」


「悪いがここは通行止めだ」


 しまった!! 三人組とばかり警戒していた!! でも、実際は……。


「……ん?」 

 

 逃げ場を失って引き返そうとしたところで我に返る。やや、視線が下がってそれを見る。あの三人組とは別問題の男を。


「これはー」


「ここは覚悟の決まってない人間が来るような場所じゃないぜ。わかるだろ? そこらかしこに地獄が転がっている」


「……その地獄って、もしかして、通りすがりの犬に睨まれて動けなくなってる男の人とかも入る?」


「惜しい。そこに三日間と微動だにせずを付け加えろ」


「くっさっ」


「もう一段下もあったな」


 それほど高くないエリゼの視線よりもさらに下で、男は言った通り体を動かさずに壁に背中を預けていた。


 壁、男、犬のサンドイッチ。何だこれ。逃亡中に何に遭遇しているんだろう。


 逃げた先。そこに何があったのか。説明が難しい。いや、情報が多すぎる。まず、両腕で持てるぐらいの犬が通路の端付近に四足で立っている。これが信じられないことに、特徴からして例の探し犬のぺぺだ。そして、そのペペの正面に足を開き座っている髭だらけの青い目をした男がいる。


「そして何でテーブルなんて背負ってるの? これが異世界ギャップ?」


「いや、質問してないで助けてくれよ。三日もこの体勢キツいって。やらかしたんだよ。酒飲んで怠くて家帰れなくて、人の出入りがほとんどないこの場所で寝たんだが、起きたら犬だ」


 いや、犬って……。どかせばいいだろうに。


 あまりの馬鹿馬鹿しさに緊張感が解けそうだった。けれど、思い出したようにやってくる胸の苦しみ。そうだ。今は例の三人組から逃亡している最中。呑気に変人と話している暇はない。

 せめて目標だったペペは連れていきたいが、両手が塞がった状態で走って逃げるのは今は難しい。そっちも今は諦めるしかない。


「それに三日もこのままなら、ほっといても犬はこのまま。テレーゼお姉様あたりを連れてきてもう一度チャレンジした方が安全か」


「なあ、ほっといてとか不穏なこと言うなよ。いつまでもほっといて無事とは思うなよ。見ろコイツ。何で俺の方を見てるんだ? コイツの目は何を映している? 何で開きっぱなしの口からは涎は尽きない? 理由がわからない奴がいっちばん恐いんだぞ」


「わかる」


「そうか。だったら」


「バイバイ」


「オーイ、コラ。またお前も見捨てるのかよー」


 犬嫌いが偶然出会った犬のせいで動けなくなってると思うと、かわいそうだとか不憫だだとかは思う。ただだとしても今は助ける余裕はない。俺の優先はエリゼ。第三者は後回しだ。


「……ん? お前、ヤバイのに追われてんな」


「え?」


「そこ。横道あるから気を付けろよ」


 横道?


 話を聞こうとまた男の方へと向こうとした。しかし、その途中で男の言った横道が目に入る。腰ぐらいの高さまで物が置いてあり気が付かなかったが、確かにそこには道があった。

 そして、この雑多と置かれた物の山を飛び越えて手を伸ばしてくる姿が。 


 しまっ……。


「あふっ!」


 影が顔に覆い被さり、今度は離すまいと頭蓋骨を砕くほどの怪力で掴んでくる。逃げ場のない圧力で脳が締めつけられる。足が地面から離れて首の筋が引き伸ばされる。


「流石テレーゼの妹だな。油断しちまったよ」


「は、な、せ!」


「俺らみたいな落ちこぼれは、一度目は失敗するんだ。ただ二度目はその悔しさを糧にして、上手に生きるようになる」


「カッ……!?」


 宙ぶらりんな足で男を蹴りつけるが、それを簡単に受け流されて、お返しと言わんばかりに灰色の壁に体を叩きつけられる。冷たく硬い壁は衝撃を余すことなく体の内側に伝えて、骨が軋む音が身体中から鳴った。


「おいたがすぎたなエリゼ。服から何から剥ぎ取ってから、余すことなく使ってやるからな?」


 くそっ! ダメだ。これはどうしようもない!!


 警戒心が強まった格上相手。じきに合流する二人の仲間。閃光の魔道具はもうない。氷雪の魔道具は氷の壁を作るだけでこの場では効果が薄い。


 頭がっ。わ……割れるっ。


 大きな手のひらの隙間から見える金髪がやけに自分の物とは思えなかった。あれだ。死ぬときに自分の使っていた肉体がただの入れ物のように感じるあれ。その感性の変化が俺の中で助かるビジョンが消えた表れだった。


 何か……っ。


「誰っ……か」


「誰もいない。誰も来ない。残念だな」


「いや、誰もいないは失礼だろ。いくらゴミみたいに路上に転がってるからってなぁ。下は見ながら歩け。お前らみたいな奴にでも下はいるぞ」


「ん?」


 この声。そういえば……。


 気だるげな声に誘われて、二人の意識が下に向く。通路のちょうど反対側。乱れた金髪のカーテンの奥には、こちらのやり取りを出会ったときと変わらない異様な姿で見守る男が一人。


「おいおい。そーか、お前がいたところだったか。犬が恐くて動けなくなってる間抜けが一人」


「そうだよ。久し振り。前にも提案したが、犬どかしてくんないか?」


「はっはっはっ! 前にも言ったがこんないい見せ物放置しておくに決まってるだろ! 犬一匹が恐いんですかー? 飢え死にしちゃいますよー」


「はぁ。恐いに決まってるだろうが。死んじまったらどうすんだよ」


 二人の男の会話を高らかで趣味の悪い笑い声が支配する。けれど、俺はこの不快なやり取りの間に活路を見いだせていた。


 ここしかない。この人しかいない。


 この犯罪者とあのテーブル男は仲間じゃない。それどころか、このやり取りからして関係は悪い。戦えるかは知らないが頼れるのはこの人しかいない!


「ねぇ! そこの人! 助けて!」


 負担のかかる首に力を入れて、手のひらの向こうへ声を向かわせた。すると、小さい動作で男がため息をついたのが見えた。


「おいおい。助けてって俺に言ってるのかよ。逆だよ立場が。俺を助けろ。じゃないと俺は助けられる立場にはなれない」


「わ……かった」


「おおー! よかったなぁ兄ちゃんよ。助けてくれるだとさ。まあ、俺はコイツを離してやるつもりはないがな」


 意気揚々と体を雑に揺らされて首が痛む。それでも俺の意思は変わらない。何と言われても諦めるつもりはない。


 雑音は捨て男を見つめる。背負ったテーブルの足を体の前面から出して座る様は、まるで、はりつけにでもされているかのようだったが、その男の群青色の目に弱々しさは見受けられない。深く、そして強い瞳。汚れた衣服や肌、伸びきった髭。それらに囲まれてもなお、瞳だけはラピスラズリのようや青さを貫いている。


 ――この人の目はこいつらクズとは違う。


「ほーら、やってみろ。口だけは自由にしておいてやるよ。口でああだこうだほざいて必死になって希望を掴もうと踠く様はいいぞー。わかるか? 諦めてる奴よりもそういう生きている奴の方が興奮すんだよ」


「――黒鴉(くろからす)


「は?」


 黒? カラス?


 俺と犯罪者を見比べながら例の男はそう言った。脈絡もないただの名詞。そうとしか頭で捉えられず、不快なことに捕まる側と捕まえる側で同じ反応を示していた。


 魔法? それとも仲間を呼ぶ合図? でも、何も起きない?


 このときばかりは二人揃って軽い警戒心を持つだけ。しかし、束の間の沈黙の間に何かが変化することはなかった。


「いいや。何でもない。いいだろう。話に乗る。助け助けられだ。俺を助けられたら今日一日お前を守ってやる。もしできなかったら、お前が何をされようと俺はここを動かない」


「それで……いい」


 どう考えても賭けでしかない。らしくない勝算の低い賭けだ。ただ、そんな俺らしさを捨ててでも、乗らなければ助かる道を完全に潰すことになる。だから全てを使ってこの賭けに勝つ。


 頭を掴まれたまま宙吊りで、ただ男の前に座る犬に注目する。名前はぺぺ。少しボケた印象。犬同士での会話も曖昧。


「ぺぺ! ねえ。一緒に帰ろう!」


「……」


「ははっ! 残念だな! そいつは何を言っても退きはしねぇ。だからそいつがいつまでも動けないんだ。わかるか? 耳が聞こえてないんだよ。くくっ……それなのにエリゼちゃーん。口だけでコイツを動かせると期待しちゃったか? さいっこうだ!」


 耳が聞こえない……。


「……のは予想通りだよ」


 なんとなくその可能性も頭の中で追っていた。普通いなくなった飼い犬を探すとき名前を呼ぶ。それで出てこなかったのだから、ボケているか、嫌われているか、何かしらの理由があると思っていた。もちろん、その中に五感の劣化も考えてあった。


 耳が聞こえないのならこの状況で犬を男の前から遠ざけることができない。……なんてことは想定済み。そして、もう一つ。俺は勝算が低い方にかけても、勝算がない方には賭けはしない。


 少し前を思い出す。『シュピネルの瞳』を発動してクモに話しかけたときだ。あのとき俺は確かにクモの声を聞いた。けれど、よく考えてみると変だったのだ。『シュピネの瞳』が翻訳だとしたら、クモの言葉がわかるのは当然だ。しかし、人よりも遥かに小さな存在のクモの声を俺が難なく聞き取れるかはまた話が別だ。


 何故クモの言葉が普通の声量で聞こえたのか。いや、実際に聞こえていたのか。

 

 『シュピネルの瞳』。レアリティ黒。効果は他の生物との意志疎通。『翻訳』じゃない。『意志疎通』。意思を伝え合う。言い換えればテレパシー。


 ただ犬にだけ意識を集める。リーダー格の男の高らかな笑い声が消える。真剣にエリゼの顔を見守るテーブル男の姿も意識の外へ。無駄が消え、ただこの場にいる一対一の存在となり向かい合う。犬と俺。ぺぺとエリゼ。


『シュピネルの瞳』発動。


「……ご主人かな」


 頭をつついたのはそんな独り言だった。人間の声ではない。もっと裏のない純粋な言葉のままの思い。それが頭に犬の表情と共に流れてきた。


「ご主人だよね。ご主人だと思う。きっとそうだご主人だ」


 なるほど。この人をご主人だと勘違いして動かなかった。律儀な犬だ。……本物のご主人と姿はあまりにも違うけど。


「手足が二本ずつ。ご主人だ」


「それだとこの世界ご主人だらけだけど!?」


「ん? あれ? 君ご主人?」


 チラリとぺぺがこちらを向いた。その姿に人間二人が何をしたのかと驚いた様子でこちらを向いた。言葉一つ発していないのに、これまで微動だにしていなかった犬が急にこちらを向いたのだ。スキルを知らない者からすれば混乱するだろう。


「何をした?」

「魔法……いや、スキルか」


 根拠はわからないが、犬と俺の反応だけでスキルだと一発で見抜いたテーブル男。この人に助けを求めたのは正解だったみたいだ。


 人を驚かせるのは気分がいい。しかし、今は浸っている場合ではないため、目の前のぺぺに意識を戻す。


「ご主人?」


「私はご主人じゃないよ。でも、ご主人にお願いされて君を連れ戻しに来たの」


「わかった。じゃあ、連れていって。……ところで君、ご主人?」


「ご主人じゃない」


 この犬少しボケてるな。


 それでも飼い主の元に戻りたい意思はあるようで、三日も動かなかったぺぺは、ようやく重い腰を上げてこちらへと歩き出した。そして、吊り上げられたこちらを足元から気楽に見上げてから開きっぱなしの口からは涎を溢す。


「……お前っ。噂通りの無能じゃなかったのか。エリゼ! お前もそっち側の……」


「悪いな。約束だ。中身のないひがみは他の奴相手で頼む」


「うぐっ」


 事態はたった一つの犬の挙動でひっくり返っていた。

 俺は男の手のひらの間から足元の犬を眺めていた。けれど、急に視界が開けていた。顔を覆うように掴んでいた男の手はいつの間にか離れていて、ついでに男は離れた場所で膝を着いている。そして、宙吊りになっていたはずなのに着地した感覚もなしで地面に足を着いていた。


 いつテーブル男は動いたんだ? 何で着地した感覚がなかった? 頭を掴まれていたのに、何で急に霧にでもなったみたいに手のひらが外れたんだ?


「無事か?」


「あ、ああ。うん。無事だけど。何したの?」


「何って、助けた。それだけだろ」


「そうじゃなくて……」


 一瞬で全てを成したであろうテーブル男が俺の隣に立っていた。息も上がらずに平然とだ。


 異世界に来て、命のやり取りを経験して、異世界でのスピード感を思い知らされた。けれど、それでも速いどころか、わからないのは初めての経験だ。


「質問はあとにしてくれるか。動けるな?」


「まだちょっと体は痛いけどなんとか。ありがとう。えーと、今さらだけど名前は?」


「ギードって呼ばれてる。お前はエリゼか。……なんか人間っぽい名前で嫌だな」


「斬新すぎる理由も異世界流!?」


 人間に人間っぽい名前が付けられてるのは普通だろう。それが嫌なんて言われるとどうしたらいいのか。この世界特有の感覚なのか? そうだよね?


「よし。じゃあ、赤猫。ここからは俺の背後から一メートル以上離れるな」


「ちょっと赤猫ってなに? あだ名がフィットしない!」


「文句言うなよ。ほーら、死ぬぞ」


 腕を急に引かれて倒れそうになる。それに文句を言ってやろうとしたが、鈍色にぬらりと漂うそれを見て息が止まっていた。


 ナイフ。しかも躊躇なく喉を狙われた。


 ギードが助けてくれなかったら、攻撃の動作にすら気が付けず、喉から溢れる血を冷たい眼で眺めることになっていただろう。助けられて気が緩みかけていたが今はまだ死地にいる。命を狙う捕食者の前にいるのだ。


 足元にいたぺぺを抱えてからギードに身を寄せる。任せきりになるが、信じるしかない。


「チッ。犬ごときに怯えてる奴だからただの腰抜けかと思ったが。それなりにはできる奴だったか」

 

 両手でナイフを宙に投げながら遊ばせるのは例の男。あれだけでも常人の動きじゃないことはわかる。器用にナイフを投げたり掴んだり。モブだと思っていた相手だったが、ただのモブじゃない。


「逃げるなら今のうちだぞ。俺はこれまで十二人殺してきた。犯した女から、女を守ろうと必死こいてた男。俺たちを捕まえようと追いかけてきた衛兵まで。経験が違うんだ。エリゼを置いて逃げるならお前は追うつもりはない。どうだ?」


「程度が知れるぞ。本物の殺人鬼は殺した数をいちいち数えない。二流は殺した命に思いを刻み名を覚える。そして、三流は殺した相手を忘れられずに心を病む。お前はどれにもなれないただのゴミだ」


「そうか。何もわからない勘違い野郎か。だったら、俺の手で惨めに潰されていく様を晒して……死ね!!」


「……三人か」


「なっ!?」


 ギードの言葉に眉を潜めた瞬間、さっき男が現れた路地から二人の仲間が飛び出してきた。それぞれ鉈と剣を持った二人が、目の前の男に気を取られていた俺たちに迫ってくる。


 ――迫って。反応ができずに体を切り裂かれ……。


「てない!」


 痛みを覚悟してい引いていた顎を上げると、悠々と佇むギードの胸が目と鼻の先にあった。さらにそこからよく見ると、例の背負ったテーブルで鉈と剣の一撃を受け止めていた。


「そういえば、何でテーブル背負ってるかって訊いてたよな?」


 ギードは背中のテーブルを親指で指す。得意気でもなくただ淡々とした調子で。


「背負う理由は背後からの奇襲の大半を防げるからだ」


「コイツ!!」

「硬すぎる。何でできてるんだ。このテーブルは」


 二人は追撃せずにギードから一度離れる。今度は挟み撃ちの形だ。これでは背負ったテーブルだけでは防げない。


 テーブルを体に固定していた紐が外れる。そして、そのテーブルの四足の一つがギードに掴まれた。


「――物事には見方がある。お前たちはこう見ていた。俺が犬にも劣る非力な人間だと。でも残念なことに違った。それで痛い目を見てるんだよ。ちなみにこの赤猫はお前たちとは違う見方をしていたがな」


「……かもな。だが、いくらお前がやれる奴でも、テーブルなんかその場凌ぎの武器で、女を守りながら俺たちを相手できるわけがない」


「それだよ。それ。テーブルなんかで。俺がテーブルを持つ意味を考えてもない。その点やっぱりこの赤猫の方が見る目があった」


 にじり寄る三人。その距離が少し近付くだけでも、俺は恐怖で体の動きがぎこちなくなる。だから、縋るようにギードの言いつけの通りに身を寄せる。


「まっ、その辺りはいくら言っても変わりはしないだろうな。ただ一つこれだけは誤解しないように聞いておけよ」


 その瞬間、空気が変わる。冷たいだとか、熱いだとかそんな空気じゃない。ただ戦闘中でも手を止めて口を止めて耳を傾けさせるような空気だ。

 一拍の間が生まれた。その用意された間に簡潔で誤解を生まない言葉が残されていく。


「――覚悟を問う。今退くなら死にはしない。退かないなら死ぬ。どっちがいい」


 殺気は漏れ出てはいない。しかし、それでも退くには十分な気迫があった。ただその殺気のなさが悪かった。例の三人は変わらずにギードを侮って吠える。


「その虚勢、あとで後悔するんだなぁ!!」


「そうか。じゃあ、仕事だ」


 前方から剣を持った小男が飛び出してきた。真っ直ぐに突き出されただけの剣だが、それだけでも常人には死へのカウントダウンだ。しかし、それをギードはテーブルの二つの脚で挟み回転させてから、テコの原理で剣を根本から易々とへし折った。


「うげっ!? テーブルなんかで!?」


「テーブルの利点はいくつもある。まずはこれ。四つの脚による予測不能な攻撃だ」


 剣が折られて竦む男にギードは踏み込む。今度はテーブルの持ち方が違う。構えでいうとトンファーのような形だ。その構えからそれこそトンファーのような使い方で、男の腹を打ち抜き早速一人ダウン。


「後ろががら空きだぁぁ!」


「きゃっ!」


「今度はこうだ」


 無防備になった俺の背中に鉈を持った男が攻撃してくる。最初に仕掛けてきた男よりもこいつは冷静だ。弱点となりそうなこっちから狙ってきた。この角度、この位置。ギードと敵の間に俺がいるせいで防ぎようがない。……はずだった。


 テーブルが俺の体ごと殴りつけるように振られていた。しかし、面白いことに俺には攻撃は当たらなかった。腕のスレスレでテーブルは止まっていおり、その四つの脚の間に綺麗に収まっている。しかしその一方で、その向こうにいた鉈持ちの男は違う。そのテーブルの脚が顎に当たり、脳震盪でも起こしたのかふらつきながらゴミの山に突っ込んだ。


 俺の体に当たらないように寸止めするだけじゃこうはならない。寸止めしつつ、その止めるよりも前にテーブルの脚を敵にだけぶつけないといけない。神業だ。俺だったらもろとも吹っ飛ばすか、ただテーブルを止めるだけで敵への攻撃にはできない。


 この世界でいろんな人間に会ってきたと思う。狩人にネクロマンサーに魔法使いまで。けれど、いない。ここまでは卓越したレベルの人間という種族を見たことはない。


「こんな感じだ。テーブルの利点は、扱う人が少ないから攻撃が読めない。動きが読めない。重心が読めない。剣や斧なんかはどこが危険でどう防げばいいかわかる。ただテーブルはどこからどんな風に攻撃を仕掛けてくるか初見だと見切れない」


「やるなぁ。確かに言う通りだ。俺の仲間は経験が足りなかった。ただ! 騎士として戦ってきた俺がお前ごときに止められるものか!」


「あっ」


「ん?」


 急にギードがリーダーから目を離して意味深に声を漏らした。そんな態度の急変に二人揃ってギードの青い目の向いた方を見つめる。


「ごあっ!?」


「ごめん。普通の騙し討ち」


 は? 今何て言いました?


 ギードの見ていた場所には何もない。さっきのゴミしかない通路で、面白いものが転がっているわけでもない。対してこっちのギードの方はおもしろいことに例のリーダー格の男をテーブルで殴り倒している。


 助けてくれたわけだし文句は言わない。重要なのは結果だ。俺は手段を問うような人間じゃないし、勝算が高いのもわかる。でも、何て言うか……、結構それらしいことを演説していたのにこれは。

 

「せ、せっこー」


「お前は良い方に俺を見誤ってるな。俺は強くない。ほら、見てみろよ。まだみんなピンピンとまではいかないまでも元気だ」


 テーブルを担ぎ直して紐で留めるギード。戦闘は終わりとでも言いたげだが、残念なことに敵が全員戦意喪失しているほどでもなく、痛みに呻きながらも敵意でギラギラとした目で睨んできていた。


「ということは?」


「逃げるぞ。ついてこい」


「だよねっ!」


 俺たちはまだ横たわったままの敵の上を一飛びしながら走り始める。そんな完全勝利ができないところがビブライアの境遇補正の影響のように思えて力が抜けたのは、もはや仕方のないことだった。


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