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死んではじめるビブライア  作者: 細川波人
一章 ハルネア
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6 無能の形


問一 あなたはエリゼの体に入っています。清潔感と最低限のプライバシーを守る義務があります。入浴方法を答えなさい。


答え 誰か教えてください!! お願いします!!


 そんなわけで今、大袈裟ではなく転生人生で最大の危機に貧しているのがエリゼの肉体に収まっている俺、有畑奏真だった。


 冷静に分析して立案しよう。どんな手段が取れるだろうか。目を瞑り入浴するのはどうだ? 超人でもない俺に可能なのか? 石鹸を踏み頭から硬いタイルに衝突して間抜けな死に様がデス本に記録されることだろう。じゃあ、体を拭くだけに留めるのはどうだろう? ありか? いやでも、それも一時的すぎだし、それ自体にもかなりの抵抗感がある。エリゼの体を隅々までこの俺が触れないといけない。ダメだ。絶対にダメだ!


「先に風呂を済ませておく。明日は寝坊などさせるつもりはないからな。エリゼも早く済ませろ」


 急かすなんてことはしないでもらっていいかな。今頭の中であなたの妹さんのプライベートを守る聖戦をしているんだよ。


 背の高いテレーゼをやや上目遣いで睨む。そんなテレーゼはどこからともなく持ってきた着替えとタオルを腕に抱き、豊満な胸を上に乗せて余裕の表情。

 

 くっ。まずいな。本格的にマズイ。


 視線が変な方向に向いていく。もちろん、テレーゼに向けての視線とエリゼに向けての視線はまったく別ではある。エリゼに対して邪な感情一切存在しない。もちろんこれはエリゼに魅力がないとかの話ではなく、一対一で別の体を持って向き合えば、テレーゼのような魅力は感じられるだろう。しかし、今はどうやっても自分の体なのだ。男だからエリゼの体を見るのが恥ずかしいではなく、エリゼのその性格や内面を悉く傷つける行いになりそうなのがとにかく嫌だった。


「何だ? 返事がないな。無視か? 反抗期か?」


「風呂……うーん。風呂」


「……暗闇に一人きりだったからトラウマで一人で風呂に入れないなどとは言うなよ」


 ナイス助け船。それ貰おう。


 俺には決して出せなかった答えが、テレーゼによって模範解答として表示されて、恥もなく答えを丸写しにする。


「ごめんなさい。どうしても一人で入るのが怖くて。風呂だと閉めきって、一人っきりになっちゃうから」


 エリゼらしく尻すぼみで若干の弱さを滲ませた本音。完成度は高かったが反応は?


 風呂場へと向かいかけていたテレーゼがさらりとした金髪の先を少し揺らして振り返っていた。驚いてはいなそうだが、なんというか軽蔑らしき鋭い目をしていた。


「……本気か?」


「これは本気」


 軽蔑の目につい引き下がりそうになったが、ここで引き下がることはできない。後々には一人でどうにかする術は探すつもりだが、今は致し方ないのだ。


 沈黙が流れていく。風呂の前なのに体感温度がヒヤリと下がっていく。


 同じ赤い目が重なり続ける。先に目を反らすと意志が折られるように思えて、目だけは真意を宿して動かさない。


「はぁ。世話の焼ける。さっさと着替えとタオルを持ってこい」


「うん! ありがとう! テレーゼお姉様!!」


 ホントにホントに!


 テレーゼの印象が一気にひっくり返り、同時に悩みの種が大きく解決して足が軽い。そのままの勢いで階段を駆け上がり、自室へと到着。そこで衣装箪笥に手をかけて開いて、オーマイガー。


 ……。まあ、うん。このぐらいは耐えよう。ごめん。エリゼ。


 そして、俺は急激に下がったテンションで適当に衣服を引っ張り出していた。……感想は省く。



 着替えオーケー。

 脱衣オーケー。

 目隠しオーケー。


 さて! いざ、一切風情も特別な感情もない湯気立ち上る暗闇へ!


「その目隠しは意味があるのか?」


「暗い方が落ち着くから」


「洞窟のトラウマなんだろ?」


 ……確かに。

 

 答えが返せなくなって口を閉じると、テレーゼはどうでもいいとでもいいたげに雑に腕を引いた。素足が滑らないくらいの、なめらかなタイルに触れて、湿った熱気が香ってきた。


「座れ」


「あ、はい」


 淡々と嫌気を隠すつもりもないテレーゼが俺に命令した。恐る恐るテレーゼを信じて座ってみると、浴室掃除のときに目にしていたであろう椅子に腰かけられた。安定感はある。


 何となくの浴室の構図は覚えている。縦長の姿見の前に椅子が一つ。その横に一般家庭の二、三倍もありそうな湯船が一つ。


 白い目隠しの下で鏡に映っているであろう自分の姿を想像する。モデルのようなエリゼとテレーゼの姿ではなく、平凡で地味とも呼べる有畑奏真の姿の方だ。

 

 エリゼを奪って、テレーゼを騙して生活をしようとしている。今自分はどんな風に思ってるんだろうな。


 背中からシャワーをかけられる感覚があった。温度は少し(ぬる)めだったが、テレーゼが調整してくれてすぐに肌が火照るぐらいの適温へと変わった。


「いろいろと大きくなったな」


「はい?」


 それはセクハラですか?


 意味深な発言に体を防御したくなるが、それに続くテレーゼの声に含まれる感情は少し違う。


「昔二人で風呂に入ったことがあっただろ。エリゼが私に付いてきて洞窟で迷子になったときのだ」


 心当たりがない昔の話だ。俺に向けられた話ではないのもわかる。けれど、耳を塞いだり、話を遮ったりはしない。


 体の上を少しざらつきのあるタオルが行き来する。肩周りから下りて背中から胸を慣れない手つきでやや雑に擦られる。


「私が八歳、エリゼが六歳だったか。私に憧れてなのかは知らないが、勝手に付いてきて勝手に泣き、結局私に背負われて帰ってきた」


「……」


「あのときエリゼは家に帰っても言葉すら発せず、怯えて動けなかったな。それを見かねて私が半ば強引に汚ならしいエリゼを風呂に突っ込んだ」


 髪の短いエリゼと髪の長いテレーゼが同じ金髪と赤い瞳を携えて想像の中で記憶を演じる。それが他人なのに鮮明に想像できてしまうのは不思議ではあった。


「あのときとは違うな。自分で言えた。弱さは変わらないが、弱さを知って受け入れただけ進歩はしている」


 このテレーゼの本音は本来俺が受け取ってはいけないものだった。本当は俺なんかよりもエリゼの方が聞かなくてはいけない。聞いて、受け入れるか、反発するか。どちらにしても俺じゃ駄目なんだ。

 けれど、ここにいるのは俺だった。だから心情に寄り添ってではなく、俺として俺の答えを選んでいた。


「……私は強いよ。弱さを知っているけど、弱さを受け入れてるわけじゃない。弱さに抗うだけの強さはある」


「どうだろうな。少なくともその強さを私は見たことがない。私以外もな」


 体が冷えかかったところでシャワーが体にかかる。けれど、その温度は伝わってはこなかった。


「……あのさ」


「何だ?」


「テレーゼお姉様って私のことをどう思ってるの?」


 エリゼとしての振る舞いじゃなくて、このときは俺としてテレーゼに訊いていた。口こそ悪いが二人の仲は良さそうだった。だからこそ、二人の関係性をはっきりさせておきたい。

 洞窟の話のように心温まる話が聞けると思って待っていると、シャワーの音が静まり返る。そのあとの一秒にも満たない静寂に話の質が変化していくのがわかった。


「……無能な出来損ない」


「え?」


「誰であれ体の機能が正常である限り魔法は使えなくてはならない。大人も子供も老人も」


 使えなくてはならない。いやでも何事も得手不得手はあるだろう。できなくても不思議なんてない……はずだ。


「使えない人だっているとは思うけど……」


 ルーレイン家とその周辺のみんなは魔法なんて高度な技は持たずに、弓矢や毒を使っていた。だから魔法が当たり前として使えないといけない世界ではないだろう。使えない人間だっているに違いない。


「確かにな。魔法を知らずに使えない人間はいる。しかし、魔法を知って、魔法を学んで、使えない人間は存在しない」


「いないって、そんなわけない。だって、エリ……、私は……」


「魔法にも相性がある。私の白煙の魔法は、一度習得すれば他の氷結系統の魔法を使えなくなる。しかし、お前は違う。何も、何一つとして使えない。これを無能な出来損ないと言わないで何と言えばいい」


「それは……」


 ここまでの会話でどこかテレーゼはエリゼに優しいのではと希望を持っていた。言動と行動が釣り合わないただのツンデレか何かだと。しかし、こうもエリゼの弱味をつついてこられれば、それが間違いだったと、認識を改めなくてはいけない。

 胸の中で針の球が転がるようなチクリとした不快感がある。テレーゼがエリゼに向けた言葉で、エリゼではない俺が思い悩む。


 どうしてエリゼは、これほど頑なに弱さを突きつけられているのだろうか。


 こうして胸が痛いのは、今の自分にもその劣等感が宿っているせいなのか、それともエリゼを侮辱されて胸が悪いのか。


 肌を伝って落ちていく泡が心地よさを失って肌に張り付いている。それがテレーゼによってかけられるお湯によって剥がれていく。


「無能でいろ。お前にはそれがふさわしい。私の下で働き続けていればそれでいい」


 無機質な声から何も伝わってこない。視覚が封じられて聴覚に集中しているはずなのにテレーゼから冷たさ以外感じない。


 本当だったら反発できていたんだろう。けれど、この肉体から放たれたのは、俺の意思とは真逆の言葉。


「……わかった」


 これが俺の言葉なのかエリゼの言葉なのかはわからない。ただ、このどうしても埋められない魔法という壁が、このエリゼの重大な悩みなのだと、喉元に突きつけられた言葉の鋭さで察するしかなかった。


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