3 死の本
目の前に広がっているのは巨大な図書館。無数のシャンデリアを天井から垂らし、転生部屋と同じ色の明かりを落としたそこには、永遠としつこいまでに、もうやめろと言いたいほどに本が並んでいた。
項垂れるように地面に触れていた手には硬い床の感触以外存在しない。これも転生部屋と同じなのだろう。汚れもなければ傷も付かない。まるでこのときまで欠かさずに手入れをしていたような有り様の床は、俺の激しい衝突もなかったことにしてしまった。
「……確かに! 図書館としての完成度は見事なものだよっ! 二階へ続く階段から、リアルでは見たことがない高い位置の本を取るための移動式の階段みたいなのも存在する。やや広すぎることと分類が第三者からはわからないのはネックだけど、それ以外は完璧と言える」
ただっ!!
もう一度強めに床を殴る。やはり手には痛みは残らない。
「そうじゃない!! そうじゃないんだよ!! 今俺は転生をさせられている最中。その中で欲しいのは何か? 攻略本? いや欲しいけど! 触れられない飾りの本ではないよね!」
クラウチングスタートの構えから体を起き上がらせて全力ダッシュ。スタートダッシュは完璧だ。そこからゴールの本へと最速でタッチ。しかし、タイトルすら読めない本の背表紙の上を相変わらず指先は滑るだけ。その滑った指先を握り込んで間髪入れずに本棚を殴る。
移動できる部屋が二つになって広くなっただけ。気分転換には丁度良い。思考中の散歩のルートも増えたことだしめでたしめでたし。
「なんて言うわけないだろぉぉー!! どんだけ本が好きなんだよーー!!」
図書館とは相反する大声で喚く。図書館という場のルールに反するような行いが俺の細やかな抵抗だ。
「はぁ、はぁ」
疲れた。おいしいもの食べたい。風呂に入りたい。ソファーに横になりたい。ベッドで寝たい。
転生者に必要な精神的肉体的ケアを怠った眼前の景色に力なく倒れそうになる。いつになったら、この転生部屋は星五評価のシステムになるのやら。
……落ち着くべきか。
「すぅ。ふぅー」
転生部屋よりもやや明るく感じる照明の下、部屋の中央を目指してトボトボと進む。足が重いが、横長の十人掛けのテーブルが設置されているそこは、にたどり着くと、心なしか足から重りが下りていた。
「ははっ。これまで寝れる場所がなかったし、だからこれをベッドにしろってことね。すみませーん。布団と枕いただけますかー」
とまあ、不満を露に深い茶色のテーブルの上を眺めたが木目から変化はなし。結局は椅子を若干乱暴に引いて着座するのだが、これまた嘲笑うように引いた椅子からは丁寧な音しか発されなかった。
「不平不満のキャッチボールは一方通行。第一印象への不満はもういいよ。冷静に考えてこれ……。どうなってるんだろ」
本だらけの小さな部屋から、さらに本に徹した巨大な図書館へ。苛立ちを覚える部屋の並びではあったが、これをビブライアからの無意味な嫌がらせと思えないのも事実だ。ビブライアはあくまで「むくい」を目的としたシステムだ。罪のあるものや怠惰に過ごしてきた者に「報い」を。前世で徳を積んできたものには「酬い」を与える。
つまり、全てが転生者に対しての罰ではビブライアの意向と違えることとなる。なので、この図書館にも何かしらの要素が隠れていると目処をつけている。衣食住、その三つを蔑ろにしてでも必要とされる要素。それが何なのかは一目ではわからない。
「ひねくれずに図書館の意味を考えたら情報を与えるためだろうけどね」
本と言えば電子機器の存在しない世界での主流の情報保管媒体だ。それが山ほど存在するこの場所の目的は、その情報を俺に与えるためと考えるのが普通だろう。
「それこそさっき言った攻略本。転生する前にその種について調べられるようになるとかか。転生先の取扱い説明書みたいな。でも、それにしては、さっきは本に触れられなかったと。……情報を与えたり、本を読ませたりする意図じゃないのか?」
最初に行なった、最早ルーティーンのようになってしまった本への接触。それで得られた情報は本にこちらからの干渉ができないという代わり映えのしない結果のみ。
本を目的とした部屋に来たにも関わらず、本へは相変わらず触れられない。だとしたら何故今このタイミングで無駄に図書館を解放したのか。
髭のない顎に手を当てて推測を始めると、視界がギュッと縮む。部屋の壁から意識が離れ、さらに内側の本棚からも意識が離れる。そして、最終的には最も近くにある本一冊にだけ意識が集まった。
「……何も一冊の本だけに触れて全てを決めつける必要はないか。二階も含めてまだ見てない場所だってあるんだ。もっと徹底してこの場所を調べるか。その手始めはアレだよな」
顔を上げてから横に広がっているテーブルを迂回して、部屋の中央の通路をひたすら進む。見上げる高さの本棚を抜けてちょっとした開けた場所に出ると、そこには見覚えのあるデザインの扉がある。
「また扉。なんとなく結果はわかってるけど、まずはここから始めないとな」
何度も試してきたようにドアノブを両手で包む。そこから手を握りさっき感じた金属の質感を探す。
「……まあ、だろうね」
一つ前の扉と異なり今度は手の中に残るものは何もない。温度もなければ硬さもない。ドアノブの目の前で自分の手同士で握手するだけ。求めていた感触じゃない。
そもそも期待していなければ期待外れとは言えないだろう。だからこそ、動揺一つなしで握っていた手をほどきながら扉から後退った。
「これは次の目標を達成したときの報酬ってことか。転生ポイントを貯めて、徐々に移動可能な部屋を解放していく。解放要素だな」
転生ポイントを貯めれば次の扉へ。また貯めればその次の扉へ。最終的にどこを目指していくのかはわからないがビブライアの意向は読めてきた。
「――次はこの部屋の意味を探そうか」
無意味な扉に背を向けて、今度は本格的に本棚たちと向かい合う。本棚に挟まれた十本の通路。さらに両端にそれよりも広い通路があってそこからは横向きに本棚が続く。
「本、本、本と。さーて、タノシクナッテキタナー」
周囲を取り囲む本の群れを意識すると、まるでビルの群れにでも囲われたかのような心情になるが、何とか肩を竦めて首を振るだけで抑える。
徒労と終わる可能性もあるがそれでも明確にしなくてはならない。読める本があるのか。それともないのか。それ次第でこの部屋の解放の意味合いが大きく変わる。
最初に始めたのが壁沿いに本を確認しながら触れていく作業だった。転生部屋から見て右側に位置する壁を角から順々に触れていくだけ。たかがそれだけの作業だがざっと二十分はかかった。そこから手の届かない高さへ触れるために、例の移動式の階段を使う。この階段の仕組みも特殊のようで、レールがないにも関わらず決まった軌道を滑るように動く。重さはない。指先一つで押せば進み、止める動作を必要とせずに止めたい場所に自動で停止する(階段の上にいてもだ)。
そのお陰もあって、本の確認作業は一階の壁一つで四十分程度。これがもう片面と、それよりもやや本の量の少ない前後がある。そこまで調べ終えて四時間。本に触れ続ける疲労と背表紙の字を追うことで受けた眼精疲労。それだけしても収穫はいまだにゼロ。ついでこの部屋の調査の進捗度は二割ほどで頭が痛い。
「あとは内側にある本棚と二階か。二階はまだ壁沿いの本棚だけだからマシか。ふぅー。過酷な境遇味わってきてよかった。これだけきつくても、あの転生よりはマシって六十二回のバリエーションのトラウマでモチベーションを保てるー」
なお、その都度トラウマを思い出して気分は落ちる。プラスマイナスでいえば、どっちつかず。
また読むことのできない字らしきものを見てから背表紙を爪の先で弾く。これも外れだ。触れられない。
それから気分転換のために図書館と転生部屋とを行き来する。こうして長時間進展のない書庫を調べていると、出たくて仕方がなかったあの転生部屋が癒しに感じられた。末期だなと自覚はするも、やはり転生部屋に戻り机に座ると落ち着いてしまう。置時計の秒針が進む様。無音の空間に広がる針の音。羽ペン、インク瓶、テーブルランプ。一冊分欠けた本棚。
……もしかして、この欠けた箇所に、あの書庫から適した本を見つけ出して嵌めるとかないないよね? ノーヒントだし、持ってこれないし。……ないよね?
嫌な想像が浮かんで表情が固まるがその想像は捨てる。理由は考えたくないからだ。
それから何時間が経過しただろうか。時計は八を指している。ゾンビ転生のときは夜だったので、今は朝の八時だろう。
「調べ始めて九時間は越えたか。ここまで目新しい変化はなし。気分転換でもしようか」
半分にいかないまでもそれに近い範囲の調査を終えた一階から、まだ行ってすらいない二階へと目を向けて、奥の扉付近にあった階段へと向かった。
お年寄りに優しい段差の低い階段を、加工され滑りのよい手すりに触れながら上っていく。上から下を見下ろしてみると、人がいない違和感を纏った図書館が広がっている。棚の配列からそもそもの清潔感まで美しすぎるそれは、頑なに人を拒絶した潔癖症を極めたような有り様だった。
階段を上ってすぐの通路を歩いていく。やはりこの辺りも本棚と本以外は何もない。花瓶一つでさえも無駄だと言わんばかりに配置されていない。
「……二階に上がっても景色が変わるだけっと。難しそうな外観の本から、漫画本の表紙に変わってたりとかも……なし。いや、ん? 何だこれ」
これまで通りと諦めようとしたところで、ちょっとした違和感に目を細めていた。
階段を上がってすぐの本棚には黒い背表紙の本がズラリと並んでいた。これはここまでなかった規則性で、その一冊一冊の外観もやや異常。
「薄い……本? それにこれ日本語だけど」
パッとイメージするような本の姿ではなかった。文庫本などではなく。どちらかといえば雑誌のような厚みのそれなのだが、きちんと背表紙が存在する。その一つには白い文字で『ウサギ』とだけ書いてあった。
「ウサギ……か」
日本語で、かつ俺が初めて転生した種族がウサギ。
さらに目を横に滑らせる。背表紙に刻まれた名はどれも日本語。ウサギ、オオカミ、ハチ……。そして、最後のあたりにシカとゾンビ。
触れられないはずの本へと指を伸ばすと、その本の上に指先が乗った。人差し指を曲げて本を引くと、普通の本の動きで本棚から抜ける。
「――全部俺の本だ」
配列からタイトルまで。紛れもなくこれまでの転生と一致している。これが偶然の並びで、偶然日本語で、偶然触れられる設定にしてあるなんて話は流石にないと断言しよう。
手に取った『ウサギ』の黒い本。ファンタジーな世界ということもあって、嫌な想像はいくつもあったが臆することなく本を開く。見かけ通りに中身も薄い。軽く指先で弾いて確認してもページは十ページあるかないか程度。それを頭から開くと目を凝らすまでもない大きな文字が表れた。
《二十一時。ウサギに転生。ウサギの食性に倣い草を食む。嘔吐する》
「懐かしいな。その通りだ」
最初の転生だったためその内容は他のものより強く覚えていた。ウサギに転生してそこら辺に生えていた草を噛んで耐えきれなくなって吐いた。しっかりと嫌なことを記録されている。
「日記じゃない。記録か。俺が転生先で何をしたかのか。それが記録されているのか」
無駄に余白を作ったこの本の黒い文字へと目を落とす。大層な図書館を解放しておいてコレだ。ビブライアとは違い何の変哲もないただの本。読むことで何かが変化するようなこともない。
「知らないストーリーでもないし、これを見せてビブライアは俺に何をさせたいんだ? ただ失敗から目を背けるなって罪悪感を駆り立てたいとか?」
鬼畜さはビブライアらしくはあるが、嫌がらせ程度のためにこんな立派は図書館を解放するとは思えない。だからこそ、深く考えてみるが少なくとも本は本以外の用途ではなさそうだった。
「まあ、実際自分に起こったことを細かく記録されているのは利点ではあるのか。忘れてもいつでも思い出せる。……もう少し読み進めてみよう」
知っている展開で、ましてやトラウマものの記憶なので決して面白くはないが、また一つページを捲る。今度は水場を探すまでの話だ。ここも特に興味を惹く話はない。ものの数秒でページを送ると、次はウサギとの接触で、そこから次がオオカミとの鬼ごっこ。記憶とのズレもない。
そして、最後のページを開く。終わりのページ、死のページだ。
《ハイイロオオカミに喉笛を噛み切られる。出血により死亡する》
「……改めて目にするとイヤだな。自分の死に様なんてどんな形でも記録されてほしいものじゃない。はぁ……。ハイイロオオカミね。向こうの世界でもいたっけな」
よくイメージするような森で月に向かって遠吠えをしているオオカミ。白と灰色のクールな外観は肉食動物の中でもトップクラスのビジュアルだ。そんなちょっとした憧れのあったハイイロオオカミにウサギの俺は殺されていたらしい。イメージが一転、最悪だ。
「ん? ハイイロ……オオカミ?」
確かに俺はウサギ転生の最中オオカミに殺された。横から噛みつかれ、首を折られ、喉を食い破られて、踠き苦しみ死んでいった。しかし、一度も俺を殺した相手を『ハイイロオオカミ』と思ったことはない。
黒い文字を指先でなぞる。乾燥した紙面の上を指が滑る。
「これって客観的に書かれた内容なのか」
経験した内容を他人が俯瞰して書き綴っているようなもの。それが何だと思われるかもしれないが、情報の質に大きな差がある。自分が自覚していなかった内容を知れる。その転生での見落としが記載されている可能性がある。
例えば暗殺されても相手がわかる。これは有益な情報だ。もちろん、そう日常的に暗殺なんてされない……こともなさそうだが、もし、されたとしても情報を武器に相手を道連れにできる。
「一つ一つの死に俺の知らなかった情報が混じっている可能性、それを持ち込んで次の転生の武器とする。へぇ、いいねぇ。ようやく異世界転生の主人公らしい展開になってきた」
ここにある黒い本がその外観の薄さとは裏腹に心強く思えてくる。期待外れなんて初期印象はなくなった。
「手始めにゾンビ転生の情報を見直してみるか」
ズラリと並んだ黒い本を右から左へ。手前からウサギと始まり、奥に行くにつれて後半に転生した生物になっていく。その中で欲していた本はその最後に納められた本『ゾンビ』だった。
ゾンビ転生。思い返せばスタートから終わりまで謎の多い転生だった。ビブライアを開いてもいないのに勝手に転生させられ、さらにはエリゼ絡みの謎の刺客ネクロマンサー。
「その情報がこれでわかるかもしれない」
いつどうやって俺がゾンビに転生させられたのか。エリゼを襲ってきた相手は誰なのか。はたして、俺の求める情報は記述されているのか。
黒い背表紙を迷いなく手に取った。これまでよりも数ページ分厚く思えたのは、多分錯覚だ。自分の中でこのゾンビ生での内容が深かっただけだ。思い入れがあるから、重みを感じる。
劣等感や些細な恐怖は捨てて本を開く。腕の中で右から左に表紙が倒れる。
《二十二時。最大滞在可能時間に達しゾンビへ自動転生。土の中から這い出て涙を流す》
最大滞在可能時間……。これはビブライア関係の話か。オートでの転生。気になりはするけど、後回しだ。――もっと先だ。
《エリゼ・オーレンシュケンと出会い、洞窟からの脱出へ手を貸す。言葉を話せない有畑奏真はスコップを打ちつける音の回数を用いて意志疎通をはかる。成功》
まだだ。もう少し先。
一気に数枚のページを捲る。エリゼを狙った相手へと近付いていくようで自然と集中力が増し息が荒くなる。
道中をとばして最後のページ。そこに描かれているはずなのだ。敵の正体が……。
《人工ゾンビウッツを道連れに崖から身を投げる。全身の骨が砕け同時に内臓が破裂する。同様のダメージをウッツに負わせることで、一度目の襲撃からエリゼを守り抜く》
《その後、テレーゼ・オーレンシュケンに使命を引き継ぎ、安堵の中、命を失う。転生ポイントを50獲得》
「……」
そこにはネクロマンサーの正体は描かれていなかった。その思惑も、明らかとされていなかった真意も描かれていない。ただの事実が淡々と綴られているだけ。それだけだ。しかし、たった一つだけ見落とせない事実が描いてあった。その一つだけを見て興奮から戦慄へと体が切り替わる。
困るんだよ。その書き口は……。困るんだ。
本を持つ手に力が入り微かに震える。最後のページから目を離せない。通常の本よりもかなり大きな字で満たされたページ。そのページには文字の大きさ関係なく見落とせない類いの事実が存在していた。
『一度目の襲撃からエリゼを守り抜いた』
――それだと二度目の襲撃があるみたいじゃないか。




