1 過去と今
本棚で両脇を囲われた木造の部屋。背後に佇むガラスの張ったショーケースとその中にある地図や壺などのアイテムの数々。暗い色調の木製のテーブル。アメジストのような結晶の生えた透明感のあるインク瓶。青と黒とのグラデーションが美しい羽ペン。淡々と音と時を刻み続ける銀の文字盤の置時計。何故か一冊分空きがある本立てと本。それらを照らす楕円形のテーブルランプ。
そして、部屋の中央のブックスタンドに座し、必ずその表紙を閉じて帰還者を待ちわびる異形の本――転生書庫ビブライア。
「変わらない。……変わらない」
何度戻されようとも……何度死のうとも……何度苦しもうとも……何度涙を流そうとも。決して変わることのない転生部屋。それでも一つ確かに変わったものがある。
五指揃った人間の手のひらを眺めながら有畑奏真は手を握る。有畑奏真の魂が有畑奏真の体でその手のひらに残る感触を離さないように握り締める。
「――変わったよ」
その手の中には何もなくても残っていた。錆びたスコップのざらつきと冷たさが。石を洞窟に打ち付けて響いた衝撃が。エリゼに握られた手の温もりが。
《転生ポイント51》
ただの数字の変化を俺は握り締める。手の中にその数字以上の価値を残して、俺は胸の前にその手を置いた。
「ありがとうエリゼ。ここから俺は変わっていくよ」
この部屋の様相は変わらない。けれど、たった一つ有畑奏真という人間の本質を変え、新たな転生への道が幕を上げた。
*
転生ポイント51
これがこの転生においての初めての進展だった。
目の前に浮かんでいたその数字を思い返しながら、茶色い表紙の、二つの本を重ねたような異常な構造をしたビブライアを見下ろした。エリゼから貰った転生ポイント。その成果の確認作業だ。
「……」
緊張で軽口も叩けずに無言でビブライアへと手が向かわせる。その途中で震えていた自分の手が視界に入って、震えを止めるためにもう片方の手で震えている手を握りしめる。
「大丈夫だ。大丈夫だから」
ビブライアを目の前にすればトラウマしか甦らない。数々の死に様。そして、転生ポイントが不足し転生さえもできなくなった前回。それを思い返すと、また今回も冷徹に裏切られ開くことさえ許されないのではないかと不安になってしまう。
「転生ポイントを得たなら閲覧権の変化があるのは当然だ。ルールは絶対。期待は裏切られてきたけど、ルールだけは裏切らない。だから」
不安で震える精神に理論で梁を作って固定する。そして、今度こそはと手を伸ばして茶色い表紙に指先で触れた。
紙とは思えないほど滑らかな質感の表紙に触れる。ここまでは問題ない。
焦らずまずは一ページ。心臓が大きく一つ鳴る。白紙に描かれたタイトルが俺に覚悟を呼び掛ける。
「次……」
また次のページへ。ビブライアのルールの表記。ここでさらなる覚悟を問われる。
喉が乾いていく。瞬きが減って目に違和感がある。けれど、本から目は離せない。
「はっ、はっ……はぁ」
大丈夫。大丈夫。大丈夫。開ける。開けるから。
転生できずに外にも出られない部屋で踠き続けたあの時間が記憶から離れない。しかし、だからこそ、その記憶を過去のものへと変えるため、俺はページの右端に指を添えた。
――頼む。
指を動かした。ページの重さは感じずまた滑ったのかと思った。しかし、見ると、そこではビブライア特有の捲りやすいページが指先の些細な凹凸に乗り、左側へと音もなく倒れていっていた。
ウサギ、オオカミ、ハチ、クマ、シカ……ゾンビ……。表れたのは何度も見返し見慣れた名前たちだ。
「開いた! ははっ! 開けるようになってる!」
当然だ。ルール通りなら当たり前。それでも、こうして目の前に形になるのとそうではないのでは話が違う。嬉しくてついブックスタンドを拳で叩いてしまう。
飽き飽きするほど見慣れた名前の群れに顔を近付けていると一つの名前が目に留まった。見開きの右下にあったゾンビの名だ。
「全部この転生のお陰だよ」
感慨深くゾンビの名前を撫でた。ここに描かれた名前には軒並みトラウマと死に様だけが染み込んでいるが、このゾンビだけは死に様以外の思いが刻まれている。
アランを失い、閲覧権も失って絶望した中での転生。窒息しそうな土の中から這い出して、スコップを持って挑んだ最後のチャンス。そこで出会ったエリゼ。
手を見つめる。あのときとは違って皮膚が破れてるなんてことも、スコップのトゲが刺さっているなんてこともない手だ。しかし、ゾンビだった自分の手は不思議なことに今の肉体と同じぐらい魂に刻まれている。
「ないって決めつけてたゾンビが正解だったなんて。最初からゾンビに転生していたらもっと楽だったのかもな」
とは言ってみたものの、実際俺は苦しむしかなかったのだとは思う。苦しんで、踠いて、壊れかけて。そこまでした俺じゃなかったらエリゼは助けられなかった。その自信はある。
ウサギに転生して死を味わい、他の転生で生きることの難しさを体感した。アランや他の仲間の死で自分以外の人が死ぬ恐ろしさと辛さを知った。だからこそ、俺はエリゼを助けようと動けたのだし、自分の危険よりも誰かのためにと動けたのだ。
ゾンビの文字を中心に無駄死にだと決めつけていた名たちが鮮明に色を帯びていく。たった一つの成功が他の失敗さえも意味を持たせる。俺は間違っていなかったんだと。
次の動作に移ろうと指先で右下の本の端に触れる。ここまではスタート地点に戻っただけ。マイナスがなくなり、進退窮まる状況から進退できなくもない程度の状態になっただけだ。
何度もやっても開くことがなかった次のページ。触れることも許されなかったそれに指先を当てて息を飲む。
「――触れたか。遂に次のページへのチャレンジ権を得たってとこかな」
興奮と緊張を誤魔化しながら息を吐く。それでもこれまでの絶望が足枷になってすぐには右から左へと手を動かすことができず、ページの角を穴が空くほど見つめてから指先で撫でる。撫でて爪の先にページが引っ掛かってページが浮き上がる。それが他ならぬビブライアの答えで、俺は興奮のままに一瞬浮いたページの間に指を差し込んで一気に開いた。
トビラトカゲ
ゴブリン
ターコイズイーグル
アシナガバチ……
「ははっ。はははっ! 開いた! 開けたんだ!」
ここまでのページで目にすることのなかった名前の群れ。その下には6と書かれ、反対側には11と書かれている。このビブライアの閲覧権が増えた証。これまで受けてきた地獄の終わりの証明書。
本を開けただけだろと言われれば確かにそれだけだ。本のページを右から左に開いただけであり、その本に世界を変えるような叡知が刻まれているわけではない。感動するような挿し絵も、想像を絶するような飛び出す仕掛けもない。ただの名前とページ数だけの見開き。しかし、これをずっと求めてきた。見慣れない名前を……何の変哲もない数字を……、そして自分が一歩を先に進んだという実感を。
「あー、困るな。この内容のどこに感動的なところがあるんだよ。ただの文字。名前。それだけだろ」
理性的に自分に言い聞かせるが体は正直なものだった。喉と口と目の裏と。圧迫されて熱を持つ。ゾンビの姿でエリゼへの感謝の気持ちで泣いたばかりというのに、今度は有畑奏真の姿でまた泣きそうになっている。どうやらいつの間にか泣き虫のスキルを獲得していたようだ。
鼻を啜りながらブックスタンドの端を握ったまま次へ。ページ数の振り方は1~5ときて6~10ときている。5ずつ進んでるのであればまだ開ける。
また次のページを開く。その次も。さらにその次も。同じ規則性で描かれたページの数字は次々と右から左に流れていく。そして、ようやく懐かしくも思える触れられない壁に阻まれる。ページの表記は46~50。
「転生ポイント6で転生可能だったのが一ページ。転生ポイント51で開けるようになったのが十ページか。ようやく始まったのか」
ここまでの死んで生き返ってのチュートリアルがようやく終わったのだ。まだ境遇へのマイナスは入っているが、それでも死から逃げ続けるような悲惨で絶望的な展開からは逃れられた。それだけで十分なのだ。
何もわからぬままに転生したウサギ。ありとあらゆるものに絶望したオオカミ。溺死で自我を失いかけたハチ。そして、守りたいものを全て失ったシカ。
それら全ての転生は、ここまで来てようやく過去となる。次のページを開くことで、ようやく前のページへと変わり、ようやく乗り越えることができる。
「……まずいね。先に分析からしたかったんだけど……」
止まらない涙が溢れていく。止まらない涙を拭こうと袖で擦るが片目を擦っているときにはもう片方から床まで溢れている。
大量の涙の一粒一粒にこの体以外の肉体に宿った痛みや苦しみが籠っていた。
冷静に分析ばかりに身を粉にしていた俺が、ようやく強がる理由捨てて弱い自分の感情と向き合った。
ただ子供のように泣きじゃくる。そんな無様な姿こそが、他ならぬ有畑奏真の裏表のない姿だった。
ご愛読ありがとうございます!
ひとまず、序章が終わり一章へと入りました。これからの更新頻度に関しては、できるだけこれまでと同じようにやっていきますが、一章の中でまだ自分の中で描き足しておきたい内容などもあるので、納得ができないと思ったときは更新を送らせるかもしれません。その際には都度後書きで報告できればと思います。




