17 見慣れない
黒い空間に浮かんでいる。墨汁に、コーヒーに、泥に、石油に。どれとも形容しがたい透明感のない暗闇に浮かんでいる。浮遊感はない。足場もない。しかし、自分という魂の形だけは残っている。有畑奏真と呼ばれる器は。
――死んだね。ただ少しこれまでと違う。
これまでは死んだ瞬間にあの部屋へと戻されていた。ただ今回は違う。ここはあんな落ち着きのある世界じゃない。けれど、見たことがない場所でもない。
あのときの、転生する前にやってきた場所……。本格的に廃棄処分か。
俺に残されていた転生ポイントは1。その状態でウッツと共に投身自殺を図っている。自己防衛とも呼べるが、誰かしらの命を奪ったのは間違いない。だからこそ、ポイントを失って、転生ポイントが0となってここにやってきたのだろう。
ゲームオーバー。転生生活の終わりだ。
『有畑奏真 二十歳』
転生する前に一度体験した第三者からの評価タイム。懐かしいものであり、同時に諦めに入っている自分もいる。
これは、これまでのビブライアを使った転生の採点だ。これだけ無能だったんだって劣等感を植え付けて廃棄するつもりなのだろう。
また黒い空間に白い文字が浮かぶ。以前見た評価のままだとしたら次は職業だったか。
『職業 転生者』
以前と変化して……。
突然暗闇か蠢いた。文字が歪んで闇に飲まれていく。俺の体も同様に上下左右に揺られて平衡感覚を悉く蹂躙されていく。
何だこれ? 何が起きているんだ!?
廃棄処分だと決めつけて覚悟していた。けれど、実際に起こってしまえば混乱しないなどあり得ない。
この暗闇に飲まれるのか? そうやって消えてしまうのか? 嫌だ。まだ俺は死にたくない。ようやく掴めたんだ。だから!!
「まだ死ねない!!」
『ようこそ』
「はう!?」
暗闇に言葉という泡を吐き出すと、思いもよらぬ形で声が返ってくる。誰の声だ? 聞き覚えがあるようでないようで……。でも、どんな特徴かまとめようとしても頭から印象が消えていく。
眠気が訪れる。病気のような突拍子もない眠気だ。目が開けない。
待って。教えてほしい。俺は……。
存在感が消えた。自分が消えたせいなのか、向こうが消えたせいなのかは判断はつかない。
「俺はっ!! ……っうおっ!?」
ドスン。
手を伸ばそうとして体のバランスが崩れた。視界が反転している。そこにあるのは黒い空間ではない。落ち着いた印象の部屋。その木目の天井を見上げている。椅子から地面へと転げ落ちていたのだ。
「あぁ……いって。戻された? もしかして、また戻された? 転生部屋に?」
数秒の間に洞窟から暗闇から転生部屋と、あり得ないほど環境が変化して、意味がわからず混乱中。けれど、疑っていた部屋を眺めれば眺めるほど、転生部屋という答えだけが明らかになる。
ズラリと並んだ本らは転生できなくなってから一冊つずつ眺め続けたせいで記憶に新しい。自棄になって振り回したこの椅子も紛れもなく転生部屋の椅子だった。
「……戻ってこれたか。だったら、あの暗闇はなんだっ……あ」
一冊分隙間の空いたブックスタンド。木製の置時計。青い羽ペンに結晶の生えたインク瓶。
テーブルの上に変化はない。部屋全体にも変化はない。けれど、たった一つだけ変化していたのだ。
その変化が胸に苦しさを植え付ける。肺が膨らんだまま停止して、言葉も出ない。
何も持ち帰らずに死んだと思っていた。けれど、たった一つだけ俺は持ち帰れていたのだ。
『ありがとう……助けてくれてありがとう』
エリゼの言葉が涙の熱さと共に胸に甦る。胸を抑え嗚咽を殺し、俺はただ視界の真ん中を見据える。例の見慣れた文の見慣れない数字を。
「ありがとう……こっちの台詞だよ。ホントにさ」
《転生ポイント51》 《生を諦めますか?》 YES NO
「――NOだ」




