16 ゾンビ転生
最後という覚悟でやってきていたゾンビ転生。おおよそ一時間が命のリミットという中、現在は五十分ほどが経過したあととなっている。
――人の存在を忘れ去った廃坑。落石や崩落の心配はあるがこちらは問題というほどの危険性を感じない。
――この洞窟に居座る外敵。ゴブリンにゾンビとその他小動物。どれもゾンビの俺を見て襲ってくるようなものではない。
――食料問題。一時間で死ぬような境遇ではあるものの、これまで餓死した試しはない。それに一応食料も携帯している。
骨付き肉ならぬスコップ付きエリゼ。なお、食べたくはない。
チラリと後ろを振り返る。そこには金髪赤目のエリゼが松明の代わりとでも言いたげに、肩より少し下まで伸びた金髪を弾ませながら明るく振る舞っている。
ここまでエリゼと一歩通行の会話をしながら歩いてきたわけだが、その途中で何度かゾンビに出くわした。ゾンビたちは揃ってエリゼを羨ましそうな目で見ていたため、その都度「コレオレノ」とゾンビらしく威圧してから退けている。
異世界で多少の憧れはあった『可愛い女の子と仲良く手を繋ぎ歩いてるのを、周囲の者たちから羨まれる』の状況にはなった。ちなみに正確に表すためには、その合間に「スコップ」だとか、「ゾンビ」だとか「食欲」だとか、憧れとは程遠い言葉を足さなくてはならない。
――ん。何か違う。
ともあれ、そんな『何か違う』をそれなりの心情で受け止めながらトロッコ用のレールを辿っているのが現状だった。
今の目的はウッツを探すこと。最終的な目標はエリゼの姉であるテレーゼを見つけることなのだが、何事にも手順がある。
まず、エリゼはテレーゼがこの場所にいると思っているようだが、正直その線は薄いと思っている。
エリゼに情報を提供し、途中まで一緒に探索をしていたというウッツなのだが、話を聞く限りどうにも怪しさが拭えない。エリゼは疑ってすらいないのだが、それはエリゼが疑うことを知らない純真無垢な子というだけで、俺からすれば違和感しかない。
明かり一つが消えただけでパニックに陥り、それぞれの声が聞こえなくなるほど遠ざかるなど考えられるだろうか? 普通であればその場に留まり、新しく松明だの火だのを灯すのでないだろうか?
これが最初の違和感だが、今のゾンビ話のお陰でそれ以外も気になってきた。ゾンビの目。間違いなくゾンビはエリゼを襲いたがっている。それなのに一人でいた数時間エリゼは誰にも襲われていない。血の臭いもしていて、啜り泣く声も出していた。隠れてもいなければ、そのつもりもなかったエリゼがどうして無事でいられたのか。
何がどうなっているなんて明確な答えがあるわけではなく、違和感だけが張り付いている。エリゼとテレーゼとウッツ。少なくとも今の俺の頭にある情報だけでは誰に善悪があるのかさえ判断できない。
そんな状況だから、今はただレールに沿いながらウッツを探しつつ外を目指していた。
「そういえば、テレーゼお姉様について話してなかったね」
それ。欲しい情報の一つ。
ここまでのこちらの気分を保つための世間話ではなく、ようやく必要な話題をエリゼが持ちかけてくれた。それに待ってましたとやや歩調を遅らせる。
「テレーゼお姉様。コルネリウス魔法協会に属する希代の魔法使い。研究よりも実戦に駆り出されることが多いテレーゼお姉様は、敵からは畏怖を味方からは敬意を込められて『ビャクエン』の魔女って呼ばれているの」
コルネリウス魔法協会。聞いたことがない名称だけど、話からして国の重要な機関みたいだ。それと『ビャクエン』……。白炎でビャクエンか。それとも白猿でビャクエン? あとは少し方向性を変えて呪術師っぽくすると百の怨で百怨か。
どの印象にしてもとても弱いとは思えないその名前を聞いて、そのテレーゼが戻ってこないと報告したウッツがますます怪しくなる。テレーゼが強い。だとしたら、こんな低レベルの敵しかいない洞窟から戻ってこないなんてあり得ない。
こちらはこちらで勝手に推測を捗らせるが、エリゼはここまでの印象を裏切ることなく、疑いという煙に濁ることなくはにかんだ。
「『ビャクエン』の魔女。本人はあんまり気に入ってはなさそうなんだけどね。でも、格好いい。佇まいがね。何者にも屈しないって気概と、魔法の性質とは逆の冷静さがね。近いうちに新たに爵位が与えられるかもしれないってぐらいだから。――自慢のお姉様」
卑屈なしにエリゼは言葉を温めた。純粋。混ざりっけがない。好きと言えばそれ以外の感情は混ざらない。信じると決めれば、微塵も疑いを宿さない。
俺とは真逆か。でも、嫌いじゃない。
コンコンコンと適当に壁を石で叩いた。ゆっくりとそれでいて丁寧に聞こえるように。たったそれだけではあったが、エリゼは「ありがとう」と顔をぼんやりと赤らめる。
「私と違って凄い人なの。だから、こんなところでつまづいてほしくないの。ウッツさんと一緒に探しに来たのもそれが理由」
強い眼差しで胸の前でぎゅっと両手を握った。当然のようにスコップから手が離れ道案内が機能しなくなる。けれど、幸いこのゾンビは優しいので、また手元にスコップの柄を当てて掴ませる。
話は理解してきたよ。でもだからだ。ウッツを信じすぎだ。イタズラにしろ敵意にしろ置き去りにしたんだ。悪意のあるなしに関係なく相応の責任は取らせないといけない。
ギリッと歯の音を鳴らし、ゾンビの本領を発揮させることを心に誓いまた進む。
また数分歩く。微調整された体内時計が転生後五十五分を知らせた。普段の転生であればこの辺りではもう脅威と接敵し、デスレースを始めている頃合いだが、まだ敵の姿はない。そこに安堵を覚えられれば、もっとこの状況を楽しめただろう。けれど、わかっている。これはビブライアの転生だ。
――そこに救いはないとビブライアの作者は指を向ける。
――姿のない影はこちらを見下ろし生きる覚悟があるのかと問い続ける。
だからこそ負けられない。だからこそ今度こそは守り抜く。背後でスコップの柄を握るエリゼの姿に誰の姿も重ねない。重ならせない。
少しして開けた場所に出てきた。左の壁は身近にあるが右には壁はない。どうやら通路に面した広大な広場に出てきたようだった。なかなかの規模のようで、ちょっとした体育館などよりは広く高い。壁にはいくつもの松明をさすための留め具があり、今は役割を忘れてセミの脱け殻のようにへばりついていた。
そんな採掘場と思われる広場を、十メートルを越えるような崖の上から見下ろす。この高さから落ちたら余裕で死ぬ。
……暗闇の中に放置され続けたらここにエリゼが落ちていた可能性もあったか。本当に何を考えてウッツはこんな場所に連れてきたんだろうな。
広場の下層に薄く靄のようにかかった水蒸気を冷たい目で見送る。さっさとこの場所を離れよう。道幅はあるため見えている限り落ちるなんてことはないだろうが、見えていない人を連れているのだから、早く抜けるに越したことはない。
それにあの地面に這ってる靄は嫌な予感がする。最初に思い付いたガスなんかの可能性もより高まってきた。
死因となりうる存在が目の前に二つ。高所とガスらしきもの。これに出会った時刻もある。最大限この二つには注意しよう。
「大丈夫? 疲れちゃった?」
コンコン。
いいや。
無意識に止めていた足を前に出して案内を再開する。
「そういえば、あなたは何か目的があってこの場所にいるの?」
「……」
「勘繰りとかじゃないけど、その……何て言うのかな。暗闇で明かり一つなしで洞窟を歩き回ってる人ってなんか不思議と言うか……変人?」
そりゃそうだけど、お互い様ですよ。
とはいえ、向こうからしてみれば、俺は謎に洞窟で明かりを持たずに歩き回っている口のきけない人間。ウッツの怪しさについて疑うよりも前に、こちらへの怪しさに先に目が向くのは正直わかる。
けれど、エリゼの反応は疑って警戒しているわけではなさそうだ。ただこちらの目的を聞いているだけ。そして、聞いてからあわよくば手を貸そうという魂胆だろう。
「スーレ鉱山。ハルネアの近隣にある、忘れ去られた過去の遺産。そこで採掘できるエーレライトと呼ばれる緑の鉱石は、万能な資源として用いられ、透明度が高いものは宝石として、高値で取引される」
へぇ……。
「有名だったの。昔は全国各地から労働者が集まって、ハルネアの最大の収入源として利用されてきた。でも、ある問題が発覚して廃山になったの。それが労働者への過酷な労働」
ゴブリンやゾンビが呑気に暮らしているわけだし、人の出入りが少ないのはわかってはいたけど、そんなブラック企業への罰みたいな理由だとは思ってなかったな。……もしかして、この肉体がその一人とかはないよね。まるで埋葬されてたみたいに地面から這い出てきたけど。
「使い潰して死体を埋め立てたり……」
やっぱりそうじゃん!
「あとは行方不明者を放置したり。ろくな話は出てこなかった。だから、国によって法的な措置で人の立ち入りを禁止されたのがこの場所スーレ鉱山なの」
そして、話は最初に戻る。そんな場所に明かりもつけずに歩き回っていた言葉を話さない奴が一人。お金欲しさにエーレライトを採掘しに来たコソドロに見えるわけか。
そもそもエリゼは男爵家の出身だ。この領地を管理する貴族。そしてそんなエリゼの立場だから、こちらの扱いに悩んでいるようだ。
「えーと、だからオーレンシュケン家の娘として、ここのエーレライトの採掘は許可はできないわ。でも、もしあなたがお金に困ってこんな場所に入り込んじゃったのだとしたら私に言ってほしい。助けてくれたあなたには誠意を尽くしたいから」
素性に関してはまったくの見当違いだが、もたらされる結果だけは素直にありがたい。この世界でまともに生きるための基盤さえ存在しない俺にとって、貴族のエリゼからの支援は物凄く助かる。
コーンと石が壁にぶつかり音が鳴った。そんな「わかった」の意思表示に満足そうにエリゼが笑う。
「よかった。それまではよろしくおねがいします。暗闇を愛する泥棒さん」
その評価と名前は願い下げだけどね!
コンコン。石を二回強めに壁に叩きつけると、またエリゼが笑って……
「おーい! 今の音! エリゼちゃーん! まだこの辺りにいるのかー」
談笑の合間に、洞窟の狭い通路に反響して誰かの声が聞こえてきた。大人の男性の声だ。それと僅かだが、鼻先に残るような煙の香りも漂っている。
「ウッツさんの声……。やっぱりずっと探してくれてた!」
エリゼの声にこれまで見せていなかった生気が宿った。ここまで気さくに話してはいたが、やはりその根幹には恐怖はあったのだろう。その部分が取り払われると、エリゼの本当の人間性が見えてくる。
……さっさと案内してあげよう。それにしても、ここまで疑っていたウッツがまだこの洞窟にいたとは驚きだよ。
ウッツがエリゼを本当に探していたことで、少しだけ罪悪感は覚えた。けれど、いまだにウッツへの違和感は払拭できていないのが本音。あくまでウッツはエリゼを探していただけ。意図的にエリゼを孤立させていた可能性が消えたわけではない。それこそエリゼから聞いたこの鉱山の話から、意図的にエリゼと離れて一人静かにエーレライトを採掘していた可能性もある。
でも、その辺りの処分は俺の役割じゃないか。
「私はここにいる! 長時間の捜索痛み入る。迷惑をかけたな。ご苦労」
と、ここまで話してきたエリゼとは違う性格の方で声音が作られた。貴族らしさと尊厳を保つためのような上からの口調だ。
「今、行く! 待っててね!」
エリゼの声に反応して、貴族に向けるにしてはラフな答えが返ってくる。感動の再開は目の前だ。
さて、でも、そろそろこっちはお別れした方が賢明か。
そもそもこの肉体はゾンビだ。ゾンビとは、人と限りなく近い体の構造をしながらも、人と決して交わることのない壁が存在する生き物だ。人間にとってのゾンビはどう捉えたとしても敵。襲い襲われ、あるいは喰われ殺されの関係性。とても肩を並べられるようなものではない。
エリゼはこちらをゾンビとは思っていない。だから一緒に歩いていられる。それがウッツの持つ明かりによって姿に露になればどんな反応をされるのか。ビブライアの転生を元に考えれば、想像は簡単だ。
――エリゼからか、ウッツからか。どちらかから多分殺される。
より救いがないのは助けたエリゼに息の根を止められることだろうか。あんまり考えたくはないし、エリゼの印象からして考えられないのだが、それでもビブライアならその展開を起こしかねない。六十二回死んで希望的な推測がどれだけ無駄なのかは思い知っている。
だからそろそろか。
男の声が近付く。松明の煙に、小気味良く弾ける火の音。ぼんやりと明かりが岩肌を照らし始める。こちらまで届くほどの明るさではないが、あの正面を左に曲がればすぐに鉢合い、ゾンビの姿がさらされる。
もう限界だな。
エリゼと俺とを繋いでいたスコップから手を離す。すると、片側からの支えがなくなりスコップの先が地面に落下して物寂しげな音を奏でた。
突然手の中にあったスコップの感覚が変化したせいか、それともその結果で生じた金属音のせいか、いつの間にか前を歩いていたエリゼが振り返る。
「わっ。ビックリしたー。どうかしたの?」
ここまでやってきたような壁を叩く返答はしない。もう既に、前方の明かりが差し込み始め、俺のゾンビの顔を明らかにしようとしているからだ。
現にシルエットは捉えられているのか、エリゼは俺の頭部の方をを射止めるように見ていた。時間はない。
さっさと逃げよう。ウッツがエリゼを探してくれているのであれば、もう俺が案内する意味もない。ここまでだ。
エリゼの感情のよく現れる赤い瞳を見ていると、生において重要なタイミングを逃しそうになる。なので何かを思うよりも前に背を向けて、足音を消して闇に紛れ。
「――掴まえた」
「あぅ!?」
逃げるために前に踏み出した瞬間、手首が掴まれていた。
誰に? エリゼに。
何で? 推測もできない。
ゾンビにあるかもわからない心臓が派手に跳ねた。揺れるのは跳ねた心臓だけじゃない。その周りの肺や血管も、あまりの驚きに痛みを訴えかけている。この驚きは、ここまで徹底して無言を貫いていた俺が声を出したことからも伝わるだろう。驚愕と無理解。その両者が頭の中で手を繋ぎ躍り狂っている。
離れようとして手を引くが、エリゼが体ごとこちらに引き寄せられるだけで、いっこうに離してくれない。
「そんなに人見知りしなくても大丈夫。ウッツさんはわかってくれる。それにどんな目的があってあなたがここにいたとしても、私は絶対に裏切らない」
……それがゾンビっていう常識の外にあったとしても、裏切らないって言えるのか。
――魂に刻まれた恐怖がある。――裏切られ続けた結果がある。そして、最後になりうる転生という現状がある。
エリゼの人柄を短い付き合いの中で知ったとしても逃げるしかない。信じられると俺の人格が言っていても、こればかりはどうしようもない。どうしようもないんだ……。だから、エリゼを振り払ってでも……。
「……ッ。やっぱり手袋はしておいた方がよかったかな」
エリゼの顔が痛みに引き攣った。何が原因かと見てみれば、ゾンビの鈍感な肌に触れていたエリゼの手があった。洞窟を彷徨い壁を辿り続け岩肌に傷付けられた血の滲んだ手。それが引っ張られて傷口が開いてしまったのだろう。
その手が俺を我に返らせる。ここまでしても俺を引き留めようと姿に頭が硬直する。推測と本能と心と。それぞれが牽制しあった結果は、前進でも後退でもなく硬直だ。ただエリゼに対して迷い動けない。
どこまで俺を信用しているんだ。名前も知らない、姿も見えない相手だ。それなのにどうして引き留めようとするんだ。
「ほら。行こうよ。私は約束は守るから。弱くて、才能もなくて、ダメダメだけど、その一点だけは違えない。あなたは私の恩人で、私は今もあなたを必要としている。だから、お願いだからまだ行かないで」
「……うぅ」
漏れたゾンビの不細工な声を聞いてもエリゼは怯むことも嫌悪感を抱くことはない。ただ強く熱く、手首を掴み続けている。それを振り払えるほど、俺の意思は強くない。
答えはない。明確な声を出すほどの勇気はない。けれど、残された左手にはまだ石が残っている。
……仕方ないか。それにまだエリゼの目的が達成されたわけでもないんだから。
コン。
俺からの答えは一つ。たった一つの硬い音。それだけで十分。エリゼを納得させるにも、俺がエリゼの元へ足を運ぶためにも。
「ありがとう」
ありがとう……か。まだその台詞は早いよ。
オレンジ色の揺れる光が近付く。ゾンビ特有の暗視があるため、大抵のものは普通に見えるのだが、それでも明かりがあるのとないのとでは見え方が違う。鮮明さが変わり、現実味を帯びる。転生したと実感できるほど世界が色付いていく。
多分、エリゼに俺の顔はもう見ている。よほど鈍くても、こちらがゾンビであることにも気が付いているだろう。けれど、手は離さない。一緒に明かりの方へと向かっていってくれる。
ウッツと思われる人影が一足先にこちらの目に入った。中肉中背の体に暗い茶髪。掲げた松明に照らされた装備はエリゼと似たようなもの。ふざけたように身に付けられた装備は、膝当てを脛に当ててしまっているほどの惨状であり、普段それらと関わりのない一般人だと容易に想像できた。
「おお! 無事だったか……」
こちらの姿に気が付いてかウッツは松明を振る。再開を喜ぶ態度は好感が持てる。エリゼを陥れようとしたという認識は忘れてあげよう。
「ウッツさん! すまない! 迷惑をかけた!」
「いいや。いいってことだよ。それより、そちらは……ん? その汚ならしい衣服、その顔。ゾンビ? ……ゾンビじゃないか!」
ウッツは装備を派手に揺らしながら後退った。いかにもな反応だ。
こちらからウッツへの疑いが良い方に晴れた。しかし、今の問題はそっちじゃない。ウッツがエリゼの敵じゃないことなわかっても、ゾンビである俺の敵かどうかは話は別だ。
……現にね。
「ウッツ。誰に武器を向けている? この方は暗闇で迷っていた私を親切にも案内して下さった方だ。今すぐに剣を下ろすんだ」
「エリゼちゃん。それはできないだろう。君は今まさにゾンビに襲われようとしているんだ。君がネクロマンサーなら、もしかしたらだろうけど、違うだろう?」
「無論、私はそういう才能ありきの技能は持ち合わせていない。そして、二度も言わせないことだ。私はその方を恩人と言ったのだ。そこにゾンビと人との垣根はない」
強気に声を作るエリゼとウッツが言葉をぶつけ合う。互いに譲る気はない。初心者丸出しで剣を片手で構えるウッツからは、混乱と動揺が溢れてくる。
「やっぱり君はネクロマンサーじゃないんだね。じゃあ、そのゾンビと君の力は無関係と」
「当然だ。何度も言ったことを繰り返させないことだ」
「そうだね。……では」
ウッツは一度剣を振った。空中に走った剣から、斬撃が飛び俺を襲って……なんてことはなく、剣は剣らしく重そうな風切り音を立てるだけ。その次の瞬間には見事な白刃は鞘に収まっていた。
攻撃はなし。剣を納めた。つまりはエリゼの意見が通ったのだ。
「これでいいのかい?」
「話せばわかるな。行こうか。まだテレーゼお姉様が見つかっていない」
「そうだね。でも、やっぱり、テレーゼ様はゾンビなんかを信用しないんじゃないのかな?」
「……えっ。待って!!」
武器を納めて緊張感が緩んだ瞬間だった。剣を納めたはずの右手の中でナイフの刃が光る。細く薄いナイフは暗器と呼ばれるような代物で、ゾンビの鈍い体が動くよりも前に、手の中から放たれていた。
――額目掛けて迷うことなく飛び込んでくる。細い線のように見えるそれを常人の俺は目で捉えられない。これが頭蓋へと侵入し柔らかい脳を貫いて、何も考えられなくなって……
タイムリミット一時間。寸分の狂いのない処刑時刻だ。
まあ、それもいいか。エリゼを守れたならこの転生は満足だ。
目を瞑ろうとした。目を細めこの世界で続く光景を諦める。そして……。
「……っ!?」
「あぅ!?」
しかし、目の前を過ぎ去る金髪の動きに反応して、閉ざそうとしていた目蓋が再び開かれた。
「あうぅ!」
エリゼ!!
俺の体は、エリゼの軽い体でナイフの軌道から押し出される。そして、代わりにエリゼのその白い頬にナイフの軌跡が残る。細い線が生まれて、赤い血が滲んでいく。
二人揃ってバランスを崩して地面に転がった。エリゼに助けられて心臓が生存を主張する。生きている。誰かに助けられた。安堵と感謝で体がほだされる。
でも、そうじゃない。そうじゃないんだ。
生物の心理はそんなプラスの感情よりも先にマイナスな感情が現れる。それは生存本能と呼ばれるもので、急激に回転するゾンビの脳にはもっと別の思考が絡まり合う。
何で。何で? 何が起きたんだ? どうなっている? どうして? 何でだよ!
眼球を震わせ混乱していた。自分が殺されかけたから? NOだ。エリゼが傷付いてまで俺を助けてくれたから? それもNOだ。
カランカランと。二つ音が鳴る。一つが俺を殺すために向かってきたナイフ。もう一つが……。
『俺を庇う前にエリゼ立っていた場所を通過したナイフ』
急いで立ち上がって、体勢を崩したエリゼの前に壁となるように立ち塞がる。正面に向き合うのはウッツだ。
ゾンビに対してだけに敵対心を抱いていると思っていた。でも、違うりウッツは間違いなくエリゼにもその殺意を向けていた。
エリゼが狙われており洞窟に騙されて連れてこられた可能性は想定していた。想定していたんだよ。でも、それはあくまで嫌がらせとしてだ。殺意とは別だ。だってそうだろ。殺意があったなら最初から洞窟に連れてきた時点で殺してないとおかしい。
「うぅぅぅー」
「駄目。私の前に出ないで。今はあなたが狙われているのよ」
自分へと向けられた殺意に気が付いていないエリゼがこちらのボロボロの衣服の端を引く。けれど、この場は譲れない。
ゾンビとして人間らしい言葉を扱うことは不可能だ。けれど、ここで伝えなければエリゼを見殺しにすることになる。
石は使わない。折角明かりがあり目が使えるのであれば、それを利用する。
ウッツから意識を決して外さないようにしながら、背後に落ちたナイフの方をを指差し、次に二本指を立てる。そして、本数を減らして片方を自分へ、次にエリゼへと向ける。
「……二本と、私とあなた? 片方があなたで、片方が……まさか」
よし。伝わった。
エリゼの目が厳しくなる。けれど、それは形だけ、本心は純粋すぎるあのエリゼなのだ。怒りよりも先にショックが瞳の揺れへと変換される。
「ウッツさん……」
「何を馬鹿なことを。僕は君を守ろうとして……なーんて、信じてはくれないだろうね。僕ぐらいの者だと失敗する可能性は頭に入れておくものだけど、まさかゾンビ一人がその障害になるとはね」
「ううぁううー!!」
とても予想外とも思っていなさそうなウッツは、言葉とは裏腹に深々とえくぼに影を作り軽薄に笑う。
「何のつもり。答えてウッツさん!」
「エリゼちゃんは騙されていたってことだね。手のひらの上ってね。ただ果たしてその手のひらは誰のものなのか。そこはこんな異常な場に面すると僕でもわからなくなるよ」
「この状況で言葉を濁す意味なんてないわ。私の命を狙い、私の友人の命を狙った。その報いはいずれ受けることになるから」
「罪は罪だと知る人がいてだよ」
ウッツは悪人らしい決め台詞。それに露骨にショックを受けているエリゼだったが動揺している暇はない。
衣服を引いて軽く目を合わせる。落ち着けと。逃げるぞと。
現状エリゼと俺ではウッツには勝てない。エリゼは自称無力。ここに至るまで特出した技能も見せていない。今こうしてウッツと対面しても、刃を前にしたただの女の子という感想しか抱けない。そして、それだけ上からな感想を抱く俺も、ゾンビという多少人間よりも痛覚の問題で乱暴に戦える種族であっても、相手が悪すぎるとしか言えない。
裏路地にたむろしている刃物を持ったモブAじゃない。確固とした意思と信念を土台にした、実力のある悪党だ。
何故そんな判断をしたのかは、かなり感覚的な話になってしまう。しかし、ウッツに一つ言えるのは落ち着きすぎていること。武器を持っていて有利であるのにむやみやたらに攻撃を仕掛けてこない。こちらの言動と動作を気にかけて、格下相手にも気を張り巡らさせている。
そんなウッツが俺の瞳を覗き込む。ゾンビというモンスターを見る目じゃない。意思があるものとして俺の目を覗いている。
「人語を理解し、本能とは別の角度から敵意を察知する頭脳を持つゾンビ。それを意のままに操りつつ、自分の身よりも大事にする領主の娘。立場上興味が湧いてくるけれど、その興味と疑念は後回しだろうね。殺して事情を知っていそうな人を問いただすが早い。時間もそれほどあるわけではないからねぇ」
ウッツは再び剣を抜く。揺れる松明の炎が不気味に刀身で揺れた。
マズイ。
「ううっ!!」
「逃げるわよ!」
会話の終わりを察した二人は完璧なタイミングで体を反転させて走り出した。明かりとは真逆の方へ。また彷徨い続けていた暗闇の中へ。暗闇で泣きじゃくっていたエリゼでさえも今は迷いなく闇の中へと潜っていく。
エリゼは暗闇の中では目が見えない。俺が先導するしかない。けれど、背後からの攻撃に気を遣わなければエリゼがやられる。
チラリと動かしにくい首を動かして、必死に走るエリゼの背後を覗くと、左手に持った松明の明かりを剣に宿し、ウッツがぎこちない動きで追ってくる。
単純なスピードは五分。しかし、いくらエリゼがこちらを信用して迷いなく走ってくれているからといっても、見えなければ何もない所でも足を取られる。その内致命的な失速が生まれて追い付かれるのが関の山だ。
何かのアクションを挟まなければこの場を打開できない。
手持ちのアイテムは既に存在しない。スコップはウッツと出会う前に落とし、石に関してはエリゼに庇われたときに手放してしまった。
クソッ。死のタイムリミットが近付いているのはわかっていたんだ。何かしらの武器を持って構えておくべきだった。遅すぎる後悔だ。
武器なし。直線の通路では速度差もあって撒けない。そして、もう一つ、自己犠牲ではエリゼは救えない。
少し前のアランとの転生では、守るためなら死んでもやむ無しとは思えていたが、今回は違うんだ。自分が死ぬ=エリゼが死ぬ。暗闇を逃げ切るには俺のゾンビの目は欠かせない。
足音が重なっている。追う足音とぎこちないテンポの足音。あとは時折躓いたように止まる足音。
考えるんだ。考えよう。何かあったか。ゾンビとゴブリンとレールにスコップ、ピッケル。その辺りには期待はできない。地形はどうだ? 隠れられる場所は……。
「はぁはっはっ。……あなた大丈夫? 無理なら私なんか捨てて逃げていいから。ここにはテレーゼお姉様はいない。それなら私が無理して生き残る意味も」
「わあぁぁう!」
そこまで卑屈になるのはやめろ。
こちらが助けようと躍起になる中でエリゼは悔しそうに俯く。今もなお、自分が足手まといになっていると思っているのだろう。ゾンビなんかにも気を遣っている。
……ここまでくると良心がすぎるとかの話じゃない。他者への価値が高すぎて、自分の価値が低すぎる。最初はお姉さんへの劣等感とかって思っていたけれど、そうじゃない。そのレベルの卑屈さじゃない。普通は劣等感一つで自分を諦めて他人を救おうとはしない。
何が彼女をそうさせているのかはわからなかった。単なる性格なのか、それともそうならざるをえない環境があったのか。
知りたい。知ってもっと話したい。だからこそ、ここでエリゼだけは失えない。
自分は失っても戻ってくる。けれど、他人はそうじゃないんだ。これから何度ビブライアで転生をしたとしても、その進路に失った人が現れることはない。
胸が重い。この気持ちだけは偽れない。この締め付けるような苦しさは偽れない。
視界が開けた。明るさは変わらずだが、その広さを前にして視界が明るく見えたのだ。少し前にやってきた広場に面した崖の上だ。
……ここか。こんな危ない場所さっさと抜けて……待って。思い付いた! とっておきの転生を活かした作戦が!
覚悟が変わる。怖いに怖いが上塗りされる。どちらが嫌かを考えて、嫌な中での一つを選び取る。
エリゼの手を強く握る。そして、近くの壁の方へと投げつけた。
「……っ。そう。それでいいから」
壁に背中を預けながらエリゼは諦める。足を止めたのは俺が逃げるために時間を稼ぐつもりだからだろうか。
ウッツとの距離が少し開いたことと、地形的にややカーブしていたこともあって、ウッツの持つ松明の光はまだ届いていない。だからこそ、その内にやることをやる。
崖の方へと歩みを進める。断崖絶壁……とまではいかないにしても、落ちたら重傷以上の結果を招くのは間違いなし。
エリゼは正直すぎる。それに今の体じゃ作戦なんて伝えられない。だから、ごめん。騙すような真似をさせてもらうよ。
崖へと指先をかける。ちょうど位置はエリゼと反対側。足を滑らせれば一貫の終わりだが、急いで扱いにくい体を使って岩肌に張り付く。
尖った岩肌が腕の内側を傷付ける。体勢を変えようかと思ったが、それよりも前に気配を感じて動きを殺す。
コツコツコツ。硬い地面に足音が木霊する。
「ふぅーん。諦めることをやめたようだー。何というか呆気ないものだよ。あれだけ逃げる気と逃がす気があったというのに、結果は実力差を見てからの分断。軽薄なゾンビだね」
「彼を悪く言わないで。あの人は迷った私を救ってくれた。そんな人が私を付け狙うあなたなんかに殺されるなんて筋違いよ」
「へー。そこまで言わせるのか。これが落ちこぼれの貴族の娘ね。前情報とはかなり違うね」
……まだだ。
ウッツはエリゼへと向き合った。壁に背を預けたエリゼに対しても、油断がないウッツは距離を取っている。読み通りの構図だ。
このウッツはプロだ。どんな相手にも油断しない。だからこそ、左右どちら逃げても捉えられるように、エリゼの正面に立ち距離を取る。そして、顔を向けるのはエリゼの方。背を向けるのは崖の方。
外敵が襲ってこないと踏んで崖に背を向けた。その経験則が今は致命傷だっ!
「うおぉう!!」
「何っ!?」
腕の力で上半身を崖の上に持ち上げて手を伸ばす。狙いはウッツの足首。唸り声を上げたこちらに驚いてウッツの動きは一瞬硬直。その間に足首を離さないように強く握り締める。
しかし、ウッツは冷静だ。足を掴まれたとなれば右手の剣で切り落とすだけ。これが戦闘だったのなら、それで十分でこちらに勝ち目はなくなる。ただこれは違う。生きるか死ぬかじゃない。死んで殺すかだ。
さて。行こうか。羽のコスプレなしの……。
ウッツの足首を掴んだまま足で崖を蹴飛ばした。
――スカイダイビングだ。
「うっあぁぁぁ!!」
「ううっ」
「待って!! ダメェェェ!!」
カランと崖の上でウッツが取り零した松明が転がった。それ以上は落下するこちらからは何が起きていたかは見ることはできない。悲痛な叫びを無視しながら二人揃って浅い奈落へと落ちていく。
まったく、結構雑に投げ捨てたんだけどね。それでも「待って」か。未練が残らなければいいけど。
体が地面に向かって落ちていく。数百メートルから落ちるのとは違い、現実的な高さから落ちているせいで恐怖指数が高い。風を感じるよりもやけに自分の肉体の重さを感じた。
天井が遠退く。隣ではうつ伏せで落下するウッツの叫び声。
ゴッ。
ぶつかった感覚があった。十メートルほどの高さから落下すればぶつかったあとにも力が下へと働く。バウンドせずに下から上に順々に潰れていく。目が浮かぶような感覚のあと左側の視界が消えた。あばら骨が胸の真ん中から上方向に割けるような感覚があって砕け散る。肺も割れた。胃も心臓も。意識があるのはゾンビだから。生きているのではなく、死という過程の延長線が残っただけだ。
痛い……痛い……。どこがなんて表現はできない。どんな痛みなんて経験したことがなくて言葉にもできない。
視界が赤く陽炎のように歪むほどの痛みだった。覚悟の上での衝撃だったが、わかっているからといって痛みが軽減されるわけでもない。
「ううっ……駄目……フブッ……みたいだね」
耳は生きていたのか隣からの声は聞こえた。小さい声だが骨に響いて音が痛い。
動けない中で目だけを向けると、ウッツもひどい有り様ではあった。
四肢がもげ、眼球が飛び出し、血が吹き出す。……なんてことはなかったが、ある程度の原型を留めた中で、頭蓋だけが違和感のある形状で凹んでいた。卵がギリギリ中身が溢れないぐらいにひび割れ凹んだ感じ。喩えとしては、いろんな意味で正確だったかもしれない。
……生きているけど死にかけ。動くこともできなければ、エリゼを追うなんてとてもだ。これで目的は果たせた。上には松明もあるしエリゼはもう迷わない。
これまでの転生では極力生き物を殺さないようにと振る舞っていた。それは転生ポイントの低下が頭にあったからだったが、今それを思い出したからといって後悔はなかった。
ウッツを道連れにしたことに後悔はなし。エリゼを守れた。今度は誰も殺させなかった。誰も……。
崖の上の松明の明かりが見える。そこにエリゼらしき影があって、こちらに身を乗り出しながら何かを叫んでいるが、遠いせいか聞こえない。それでも、無事にそこで動き、言葉を口にするエリゼの姿に堪え性のない目から涙が垂れる。
「まさかこんな手を使うとはね。……野生のゾンビが。……命を捨ててまで……。悪くはないね」
「……」
ゾンビ流の答えを返そうと口を開けたが、ゴリッと変な音が顎の付け根からしただけで声は出なかった。顎も喉も肺も。その辺りは揃っておしゃかになっているようだ。
こちらの返答はないが、ウッツは平然と話を続ける。同じ高さから落下したにも関わらず、頭が三分の一ほど平たくなっているのに平然としたものだ。これが異世界の生命力。
「見事だったね。……ボクと君との勝負は君の勝ちだよ」
敵だったとは思えないほど近しい距離感。強者だからだろうか、常にこのウッツから殺意以外の敵意を感じなかった。
……勝ち負け。そうやって言えば相討ちでしかないんだけど。それにこの人の真意はまったく読み解けなかった。
何故エリゼを狙ったのか。何故暗闇で孤立していたエリゼを殺せなかったのか。わからないことだらけであったが、それはウッツの墓の中に持っていってもらうしかない。
「この体は終わり……かな」
頭は潰れてるし、脳や内臓もだ。魔法がある世界でもこれはどうしようもならない。今こうして口を開いて余裕ありげに話している方が異常だったんだ。血だってこんな……。いや、――待って。――待てよ。
今更なことに気がつき死の温度と共に体が冷える。
――変だ。俺の体から血がほとんど出ていないのはゾンビだからで結論付けられる。でも、ウッツが……、人間のウッツから血がほとんど出ていないのは異常すぎる。
頭が凹み、内臓や骨もやられているはずのウッツからは、ほとんど血が滴っていない。
足首に触れた感覚からして人間の体に間違いはないだろう。人形じゃない。魔法で作られた幻覚なんて線もあるけどそれでもない。
ゾンビなんだ! 俺の肉体とは違う、当たりの強個体のゾンビだったんだ!
「……ッォ」
「おや、気付いたか。そうだよ。僕は死んでも構わない。僕の肉体はコレじゃない」
何度かウッツはネクロマンサーだなんだと口にしていた。もしそれが存在するのであれば、このウッツを倒したとして終わりはない。それにウッツの余裕は……。
「ちょ、ちょっと、あなたたちは……」
「ううー」
「あうぅ」
上から悲鳴のような声が聞こえた。これが最大の失態の証明だ。
ウッツから他のゾンビへと仕事が引き継がれる。エリゼを殺す仕事を。
くっそおぉぉ!!
窮地に気付いてからようやく体の痛みと向き合う。この痛みがどこからくるものなのか。どこが無事でどう動かせばこの崖を上りエリゼを襲うゾンビたちを退けられるのか。
動け腕! 腕が駄目なら足! 顎でもいい、背筋でも腹筋でも。どこでもいいから動いてくれ!!
喉までも潰れ指示を出すこともできない。何もできない。気概どうこうではなく構造的に体が動かせない。推測を甘んじ、異世界での常識や戦闘スタイルを見抜けなかったツケ。それが今こうしてエリゼの身へと降りかかり後悔だけを胸に張り付ける。
残り僅かな余命が語りかけてくる。これが転生ポイント1の境遇なのだと。
嫌だ。嫌だ。嫌だっ!!
崖の上に目が釘付けとなる。そこにはエリゼが追い詰められたように立っていて。そのまま、まるで背後の宙に床でもあるように一歩下がろうとする。
やめろ!!
エリゼの足が空に放たれた。金髪をなびかせて頭からエリゼが落ちてくる。俺やウッツが肉体を壊した地面へ向かってのスカイダイビングへ。
止まらない。クッションにもなれない。ただ無力を嘆いて死ぬエリゼを見守ることしか……。
世界が揺れる。白く揺れるそれはエリゼを飲み込むようにして死の手を伸ばす。
「――夕食の支度もしていないから、どこに行ったかと探しに来れば、こんなところで道草か。本当に使えない妹だな」
は?
聞き覚えのない第三者の声に頭が止まった。言葉を理解するために頭を回そうとしたが、それよりも前に爆音が頭蓋を貫く。
落下してくるエリゼの上。さっきまで俺たちが立っていたその場所が赤く膨らみ破裂する。リアルで目にすれば間違いなく死を覚悟するような理不尽な力を秘めた爆発だ。
吹き飛ばされるのは、ウッツの仲間だと思われるゾンビらしき人たち。それが肌を赤く焼かれながらエリゼと同じように崖から放り出される。
ドスドスドス。と嫌な音が衝撃として岩肌に響く。時に折れ、時に砕けたような音。ゾッとするような死の連打音。
――その中にエリゼが含まれる。あのどれかの音にエリゼが潰れてしまった音が混ざっていのだろう。
くそっ。くそっ。
「おね……、テレーゼお姉様!」
この声? エリゼ? エリゼが生きている!
声を探して目を反らしたくなるような死体の上に目を走らせる。すると、この死体ばかりの場で横たわっていない二つの影が現れる。目がほとんど動かないので、明確な形まではわからないが、素性だけはわかる。一人はエリゼ。もう一人はエリゼの探していた姉テレーゼだろう。
「才能がなく力もないエリゼが、理性まで失ってどうする。まさか私がこのレベルの洞窟で手を焼くとでも? 私がそれほど弱く見えるか? それとも『白煙』の名を疑っていたか?」
「それは……ごめんなさい」
「謝罪はいらない。おおよそ、私を邪魔だと思っている政敵か何かが差し向けた刺客だろう。私を直接殺せないからと、最も私の近くにある弱い者に手を出した。エリゼが死んだとしても私の力が弱まることなどないというのにな」
「……うん。そうだね」
何だよ。その言いぐさは。
一方的にエリゼの良心や心配を踏みにじる言葉に聞いてこちらが苛立ってくる。死へと近付き緩やかに自我が消えていた途中で、有畑奏真がもの申したくなり帰還する。
助けてくれたのは感謝してるし、エリゼを守ってくれる存在が来たのは心強い。ただ素直にこのエリゼとテレーゼの関係は喜べない。
死に体で目に怒りとして生気が戻る。けれど、それもすぐに熱気とは逆の寒気によって書き消える。
「ふ……ひひ。流石は白煙の魔女。どこまでも冷たく、どこまでも真意を隠したように煙巻く……。僕が話を聞いていると察していたのかな」
声を出したのは死にかけで体さえも動かせなくなっていたウッツだ。負け惜しみ……と言いたいが、ウッツの正体はゾンビ。本体は別にいる。
「家族の会話に混ざるな。死体」
「ふ……ひひ。……ひひっひひ。ぎっぐあぁぁ!!」
俺の隣で死にかけていたウッツが声を向けられた瞬間に燃え上がる。激しい炎の明かりが頬に当たる。激しい悲鳴が折れた骨に残酷に響く。
そして残響が消えるよりも前に隣にあったウッツの影は消えていた。一瞬で白い灰に変わったのだ。物を壊す程度の気軽さでウッツを焼いたテレーゼ。味方と思っていても戦慄するほかない。
消えた断末魔が耳の中に籠る。嗅ぎたくもない灰の匂いが鼻先で泳ぐ。それが俺を不安にさせる。
本当に……安堵していいのか。この人はエリゼを……。
――答えは出せない。――託すしかない。けれど、エリゼをこのままにするのがいいのかはわからない。
足音が聞こえる。ぎこちないこれはエリゼのものだろう。接近を察して、顔が見えて、頬が濡れる。それだけで不安が一瞬で消えた。
まったく、困ったな。
身動きが取れずに顔さえ隠せない中で上から覗き込んでくるのはエリゼの顔だ。悔しそうに目を細めて涙を浮かべるエリゼは、とても俺の望んでいた表情じゃなかった。俺が死んでも足を止めさせずに悲しませないように雑に投げ捨てたというのに、そんな粋な心遣いも無駄だった。
無駄になるぐらい純粋で人が良すぎたんだ。
「死なないで! 死んじゃ駄目だから! あなたにもやりたいことがあったんでしょう! だから……うぅっ、死んじゃ駄目! お願い……死なないで」
「……」
「死にゆく相手を引き留めるなんて無駄なことはするな」
「でも!」
「ここに転がっている死体だけが敵の全てと思わないことだ。わかるな? まだこれはやってくる。知っているだろ? 私は洞窟での戦闘は好きじゃない。相手もそれを狙っていたはずだ」
顔の見えないテレーゼとこちらとを見比べる。それでも、エリゼは決心がつかない。
「――何を求められて助けられたか忘れるな。今そのゾンビにかける言葉は死への拒絶じゃない。エリゼならわかるな」
「……うん。わかってる。わかったよ」
大きく息を吐き出したのはわかった。今の死にかけの俺にはそのぐらいしか見えない。影だけしかわからない。
「ありがとう……。助けてくれてありがとう」
ふふっ。そうだね。冷たくて非情なエリゼお姉様の言う通りだった。
視界が完全に消える。音も消える。けれど、胸の中でエリゼの言葉が響き続ける。魂と肉体が切り離され孤独の空間へと落とされてもその言葉だけが残り続ける。
『ありがとう』
――その言葉が一番欲しかった。




