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死んではじめるビブライア  作者: 細川波人
序章 無限転生
15/22

14 詰みの先


「サカサウオ、トビラカマキリ、ピンクスワン、シカ、ウサギ、ウサギ、オオカミ、ハチ……」


 何度繰り返しただろうか。同じ順序で同じ口の形で同じ声音と同じ姿勢で。ブックスタンドの足を片手に掴んで、床に仰向けになったまま意識もせずに六十二回の転生の名を呟き続ける。転生できないとそうビブライアに書いてあったとしても俺の口は閉じることを許さない。死ぬこともできずにただ頭がおかしくなるのを避けるように無心で口を動かし続けている。何かのバグで転生できることを願って。


 あれからただ現実を受け止められずに手当たり次第に調べ続けた。なんとかしてビブライアのページを開けないかと。この部屋で唯一制限なく触れられる椅子を用いてビブライアに触れてもみたが結果は何一つして変わらない。頑なに読まれることを拒むビブライアが存在し、腕に椅子の重みが残っただけ。

 次に行ったのがこの部屋中の物の中から打開策を探すこと。壁一面に嵌められた本棚に指を伸ばし、一つ一つの本に触れていく。ビブライアに代わる本がないかと。そんなものはないとわかっていながらも無駄を続けた。


 冷静さを保ち温厚に状況の打破を目指したのは最初の三時間ぐらいまで。そこから二時間は椅子の足を両手で持ってそこらかしこを殴りつける強行策を取る。体に疲労が溜まる。息が切れ苦しさが現れる。しかし、それだけしても部屋は変化しない。散らかることもない。ガラスの棚すら破壊できない。打ちつける衝撃さえも存在しない。ただ空に向かって素振りをする感覚。部屋にいるが、何にも干渉できない、空気よりも希薄な存在へと成り果てていたことにようやく気が付いた。


 そして今、自分がここにいるのだと実感するために時折の自傷を挟みながら、まぐれや奇跡を願ってビブライアに書いてあった名前を口ずさんでいる。ただそれだけ。


 本当に恐ろしいことはなんなのか。大抵は死なんて答えるだろうが、今の俺からしてみれば、それはまだ救いがあったと言える。死はその苦しさ痛みを一度味わえば終わる。しかし、こうして終わりのわからない虚無に閉じ込められ、自我を崩壊させていく恐怖は死の恐怖の比じゃない。


 死ぬこともできず、自由もなく……、ただ同じ光景だけを眼球の上に映す。もういっそのこと早く狂ってくれと願うが、それも人格的な問題からしてまだ先になる。


「だって俺はこんなにやってもまだどうにかなるって思ってるんだから……」


 どれだけひどい状況で救いがなくても、先々のことを考えてしまう。可能性があるからとこういう推測もできるからといって希望を持ってしまう。考えることをやめることができない。だからこそ、手早く狂喜に飲まれて自我を暗闇に投げ捨てることができなかった。


 喉が固くなり痛みを感じて、ついに口を止めた。まだ冷静な自分がいるようだ。


 転生できなくなって何時間が経ったのだろう。唯一俺以外に動いてる時計の秒針の音が鼓膜をつつく。気分転換に時計の元まで戻ると、机の上にある木製の置時計だけは、何も変化のない空虚な部屋の中で唯一変化を続けていた。

 その数少ない自我を取り戻せる音と動きに、心が安堵する。揺れる秒針を視界に入れて、ちょっとした思考へと現実逃避。


「……三時か。ははっ。このタイプの時計だと午前か午後かも曖昧だね」


 あのシカとして転生したのが夕方で、そのときに死んだのが夜だった。そこからこの場所に戻ってきて五時間はなんとなくやることがあって、そこから朦朧としながら名前を呟いていた。その時間がどれだけあったのかはわからないので、深夜の三時とも思えるし、昼過ぎの十五時とも思えてしまう。


「まあ、出られないのなら午前午後は関係ない。窓もないんだから気にかける必要もないか」


 自嘲しつつ周囲を見渡す。相変わらず開かない正面のドア。両面に本棚。背後にあるちょっとしたショーケース。完全に外界との干渉を断った部屋の構造だ。


「唯一時間に懸念があるとすれば、どれだけの時が過ぎたか……。どれだけの時間で人って狂うんだろうね」


 既に時間の感覚が曖昧になりつつあるのは実感がある。内容がない時間がスキップされているような感覚。その時間が自分が狂っていた時間なのではないかと思えて恐ろしくなる。


 物に触れられず、部屋からも出られない。痛みはあれど死ぬことも許されない。


「……どれだけ考えても答えは出ないよ。ひとまずは……寝ようか」


 寝ることで解決するとは思ってはいないのだが、何もできることがないのであれば寝るしかない。唯一救いだったのは、単に暇を持て余した惰眠ではないということ。睡眠は肉体の疲労を回復させ、脳に貯まった不純物を掃除する動作だ。椅子を使った過激な運動に、喉と頭を酷使した記憶力テストによって、睡眠を取るにふさわしい状態に至っている。


「やったこと自体はほとんど無意味だったけど」


 一応無駄とは思いながら部屋の中で寝具を探す。ベッドはなし。敷き布団、掛け布団共になし。枕なし。


 新聞紙などの紙は思いの外暖の取れるアイテムなんて言われているので、周囲の本を利用したくもなるが、依然としてこの部屋は俺に力を貸すつもりはないらしい。結果硬い床で寝るのは憚られ、机に突っ伏すこととなる。

   

 ただ目だけを瞑る。悩み事だらけだったが、頭と精神は過酷な転生で擦りきれていて考えるなんて力がない。意識という意識が白むのを、人格の破綻ではないと信じて意識の海へと背中から飛び込んでいく。


 寝たかどうかなんてわからない。そこに関しては生前だって変わらないが、どこか意識が覚醒しているような感じはしていた。寝ているのに時間の流れを感じる。一時間は経っただろう。五時間経ったかはわからない。そのぐらいの時間だ。暗くて、冷たくて、ざらついていて。気付かない間に死んだような。


 ……おかしい。寝ているのに冷たさとざらつきを感じる。


 不可解な睡眠の感覚が、涙で腫れている目を開かせる。意識したこともない瞬きの重みを感じながらもようやく目を開いてみると、明るい暗いなどの悠長な感想を述べる間もなく目の中にざらついた粒子が流れ込んでくる。 

 

 うっ……くっ、何だこれ! 


 さっきまで触れていたはずのテーブルを探すが、手に触れるのはざらついた感触ばかり。重くて湿っていて、爪の隙間に無遠慮に侵入してくる粒の感触。


「ふぐっ……うう……」


 それに口の中に何か流れ込んでくる。ヤバい。窒息する。体が……。


 何重にも布団を被されたような重さの中で腕を前へと伸ばす。伸ばした先で粒とは異なった空気を掴んだ。埋められているようだがまだ浅い。まだ間に合う。

 重く指先から零れていく砂の壁をさらに上へと押しやる。力強く弾き飛ばしたお陰で、その分だけ明るい隙間ができた。もっとだ。両手でスコップのようにして顔の上から砂を弾け。


「ブッァァァ!!」


 開けた視界の中へと頭を突っ込む。頭に引っ張られ肩が砂を押し退け、胸が上がり、砂という密閉空間から空気という安全地帯に帰還する。


「はぁ……あぁぁ、はっ」


 何が起きたんだ? さっきまで寝ていたのに……。


 目を開いて砂を涙と共に垂れ流しながら眼下を見渡す。あの部屋とは異なった汚ならしい一面の茶色。土とも砂とも呼べるものが今も俺の下半身を埋めており、そこから目だけを動かして左右を眺めると、部屋とは違った解放感が存在した。


 ここ洞窟の中か……。転生できなくなったから廃棄処分……じゃないといいけど。


 こんなところでもこの異世界転生で培われた危機察知能力が働いているようで、最初に思い付いたのがそんな救いのない可能性だった。


 転生ポイントが1となって転生ができなくなったことでの、ゲームオーバーを兼ねた廃棄処分。寝ている合間に移動させられ、知らぬ間に土葬されたと推測。それが救済の存在しないビブライアのやり口だ。実際、土の中から目覚めるなどそれ以外にに考えられない。


 その可能性を真っ先に疑いながら、墓穴を見下ろすと土を被った自分の手があった。


「あうっ?」


 何だこの指?

 

 五指があった。爪もあって人の手だ。ただ少なくともこれは俺の手ではない。俺の操ることができる手ではあるが、二十年連れ添ったゲームの動きに慣れきった連打用の親指はしていない。黒ずんでいて生気がない指。


 間違いない。これは廃棄じゃない。転生しているんだ。

 この青白い指からして思い当たる節がある。ビブライアのページの右下に書いてあった名前。唯一異世界らしいと思えた印象深い転生先。


 ――ゾンビだ。


 あの部屋でのやり直しのチャンスが潰え、ただ空白の中で自我が消えて狂っていくしかないと諦めかけていた。だからだろう、こうして無事に転生できたことに胸が騒いでいる。そこに転生ポイント1の下方補正があるとしても、すぐに死ぬ運命だとしても、今の気持ちは一つ。


「ううっ」


 ――生きていられてよかった。


 安堵と喜びで泣き崩れる。土が頬を汚す、肌が砂で傷つく。けれど、その一つ一つが他ならぬ自分が生きている証明だった。


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