第8話 誰そ彼
森の木々がすっかり葉を落とし、落ち葉の絨毯も色褪せた季節。
俺のやることは変わらない。
朝、目を覚ましたら川へ顔を洗いに行く。キンキンに冷えた水に前足を入れる俺の様子は、他の動物から見たら随分とおかしなものらしい。
だが、俺は顔を洗う。人間は朝に顔を洗うものだと知っているから。
それが済んだら朝食だ。季節柄、木の実やキノコがなかなか見つからなくなった。だから俺は川魚を取って食べて、少ない木の実や何かはトオのところへ持って行くために残しておく。
木の実を探して歩いていたら、あのフクロウがまた声をかけてきた。
「そろそろ潮時じゃないかね」
俺はフユイチゴを集めながら頭上に応える。
「何が」
「冬は食べ物のない死の季節だ。だからクマもリスも冬眠して、新しい命の季節を待つ」
「寝てたって起きてたって、生きてることに変わりはない」
「どうだろうなぁ」
フユイチゴを抱えて立ち上がり、「『主人公』はもうやらないぞ」と見上げると、フクロウはどんよりとした冬曇りの中で「そういえば」と村の方角を向いた。
「さっき、ここらで見かけない男が歩いていたなぁ」
その言葉に、俺はすぐ藍鉄色の着物の男を思い出した。
フクロウが「トオの家に入って行った」と続ける。
「……お前、何が目的だ?」
怪訝に思って尋ねると、フクロウが「別に」と言って朽木色の翼を広げる。
「お前は生きているのだろう? ならば、それ相応の振る舞いというものがあると思ってね」
それだけ言って、俺の問いを待たずにばさっと飛び立ってしまった。空を滑るようにどこかへ消え、その穴埋めかのように、はらはらと雪が降り始める。
「何なんだよ……」
俺は蔓で編んだ袋にフユイチゴを入れ、村の方へ駆け出した。
* * *
男とトオは物置にいた。俺は家の前にフユイチゴの袋を置き、物置の裏手へ回ってこっそり中を覗き見る。
ちょうど、トオが隅に置いてあった猟銃を取り、「これが父の銃です」と男に渡すところだ。
「へえ。上等な品ですね」
受け取った男が土間に座り、何かを確かめるように猟銃の長いところを傾けてみたり、持ち手に顔を近づけたりする。
トオがその隣にしゃがみ込み、「上等、なんですか?」と首を傾げた。
「うちはずっと貧しい家なので、高価なものなんてあるはずがないんですけど」
「ああ、すみません。少し語弊がありましたね。『上等』というのは値が張るという意味ではなく、『申し分ない』という意味で言いました」
「申し分?」
男が猟銃を膝に置き、何やらかちゃかちゃといじくり始める。
「父親が一人娘に遺すには、申し分のない品です」
「ええっと……?」
「比較的軽いのであなたでも扱えますし、口径が小さいので反動も少ないでしょう」
「……私にとって使いやすいもの、ということですか?」
「はい」
男が何やら意味ありげな顔で「実に、ちょうどよく」と続ける。トオの疑問符に笑みを返し、銃を持って立ち上がった。
「照準器が少しずれていたので、直しておきました」
それから、立ち上がったトオに「使い方は知っていますか?」と言いながら銃を差し出す。
「父が撃ってるのを何度か見たことがあるだけで、具体的なことはあまり……」
「では、お教えしましょう」
「なぜですか?」
「あなたはここに一人で暮らしている。何かがあった時のために、身を守る術は身につけておかないと」
慣れない手つきで銃を受け取ったトオへ、男が持ち方やら何やらを指南していく。それを見て苛立つ俺は、あの男が彼女と一緒にいること自体が嫌だ。
それなのに、
「試し撃ちも兼ねて、今から森へ狩りに行きませんか?」
男が申し出て、トオがこれを承諾し、俺の苛立ちがしばらく続くことが確定した。
* * *
森を進む二人の後を、少し離れたところから、そっと足音を消して追いかける。
「そこ、いますよ」
ふと足を止めた男が、トオの耳元で囁いた。
距離が近い。さっさと離れろ。
「いるって、何が?」
「ウサギですね。あの藪の中です。トオさん、構えてください」
「えっ、でも、私、全然見えないです。どれですか?」
トオが促されるまま猟銃を構える。男が「萎んだカラスウリが引っ掛かっているの、わかりますか?」と薮を指す。
「ええっと……あっ。あれですか?」
「そうです。あれを狙って撃ってください」
「あれを? ウサギを撃つんですよね?」
「あの向こうにウサギがいます」
わけがわからない様子のトオに、男がそっと身を寄せる。「もう少し上です」と銃身を少しだけ動かして、
「いきなり動物を狙うのは荷が重いですからね。カラスウリなら引き金を引くのも少しは——」
話している途中。不意に藪がガサガサと音を立てて揺れた。トオが驚いた拍子に引き金を引き、どーんと空気を割る音が響き渡る。
銃口から青みを帯びた煙がゆらゆらと伸びる。男が「おおっ」と取ってつけたような驚きの声を上げ、トオが放心した顔で銃を下ろした。
「あ、あの、私……」
呆然としたトオの呟きに、男が「上出来です」と返す。藪に近づき、しゃがみ込み、死んだウサギの耳を持って「ほらね」と振り返り——
俺は気づいた。彼女を悲しませず、怒らせることもなく、彼女に殺される方法を。
「今夜はウサギ鍋ですね」
そう言う男と共に森を去る彼女を見送り、ふと、思い出す。
「そうだ。これは、物語……」
きっと、潮時なのだろう。
フクロウの言葉は正しかった。




