第4話 心残り
俺が無知で無力な人間の子供だった頃。
その短い一生の終わりに恐怖がなかったのは、単に『死』を知らなかったから。
ただ、考えていた。
なぜ自分は蹴られているのか。殴られているのか。
何が悪かったのか。どうすればよかったのか。
足りない頭ではどうしたって理解できないことをつらつらと考えて、トオが泣いているのがどうしようもなく悲しかった。
『悲しい』という言葉もわからないまま悲しんでいた。
そうして目を閉じ、長いのか短いのかわからない時間が経って、再び目を開けた時。
「君がやったのは『イタズラ』で、君には君を守るものが何もなく、だから君の行いに対する怒りを、人々はそのまま君に打ちつけたのだ」
右も左も後ろも前も、上下さえよくわからない光の中で、どこかから響いてくる声が言った。
「イタズラ?」
俺が溢した疑問符に、
「その語には多くの意味があるが、君が行ったのは『悪行』。『悪いこと』。『忌み嫌われること』。……まあ、人々がそう捉えたからそうだというだけの話で、君が皆に好かれる名家の跡取りだったらなら、違うふうに見られただろうが」
声がつらつらと答える。その時ようやく、俺は自分がその言葉の全てを理解していることに気がついた。
「ここは、どこだ?」
それから、自分が言葉を使えることにも。
「ここは桃源郷。あるいは冥界、地獄、黄昏、四ツ辻……もしかしたらアルカディア、エルドラド、ディル・ナ・ノーグ、ロクス・アモエヌス」
「……桃源郷は聞いたことがある」
「そうだろうな。君はよく人の言葉を聞いていた。ただ、聞いていた」
俺は完全な言葉を得た。人間として世界を知覚するための、人間であるために欠かすことのできない要素。
しかし、それでも、声が並べ立てた単語のほとんどは理解できず、
「俺は、これからずっとここにいなくちゃならないのか?」
とにかく浮かんだ問いを言葉にすると、声は「いいや」と答えた。
「ここは通過点。あるいは待機所。ゆえにこの場に『住民』はおらず、来たものは次の物語のために去っていく」
「じゃあ、俺は、どこかに行くのか?」
少しの沈黙。辺りには眩い光しかないが、何となく、誰かに見られているような気がした。
「君はいい主人公になりそうだ」
声が独りごち、俺がその意味を尋ねるより先に「君はどこへ行きたい?」と問う。
俺は反射的に答える。
「元の場所に戻りたい」
ただ後悔に突き動かされていた。すると、声は「ふむ」と頷き、
「なぜ戻りたい?」
俺はまた間髪入れずに「謝りたい」と答える。
「トオに謝りたい。『村に来るな』って言いつけを破ってごめんって。泣かせてごめんって」
声はまた「ふむ」と言うと、「では、奇人の物語としよう」と続けた。
「トリック……何だ?」
「あるいは人々への戒め。イタズラは悪。人々を驚かせて笑っているような悪者は、等しく裁きを受けることになるという教訓だ」
「……つまり、どういうことだ?」
何となく嫌な予感がして、俺は声の返答に身構えたが、
「君の名前は『六蔵』だったな。イタズラ好きで、良い行いもするが悪行も働くキツネの名前。……おあつらえ向きだ」
声は勝手に話を進め、周囲の光が一際強く輝き出した。
「君は戒めの物語の主人公。彼女に会いに行くといい。キツネの言葉は人間である彼女に伝わらないが、イタズラをして彼女に殺されるその瞬間だけ、君はその声を取り戻す」
光は形も重さももたないはずなのに、濁流のように押し寄せるそれに、俺は口を開くことができない。やがて目を開けていられなくなり、瞼を固く閉じ、しばらく。
気がついたらあの森にいた。立ち上がろうとして、体の平衡をうまく取れずに両手をつくと、茶色の肉球の前足が目の前に。
俺はキツネになった。これを新たな人生の始まりと言うべきか、別の物語の冒頭と呼ぶべきか、俺にはわからない。




