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第3話 彼岸花が咲く頃に

 十日ほどが過ぎたある日。トオの家へ向かって歩いていると、田んぼの畦道で不思議な男を見かけた。

 普通の人間はそれぞれの匂いがするものだが、その男からは何の匂いもしない。


 地味な藍鉄色の着流しを纏う、ひょろっとした長身の青年。腰に打刀を下げていて、何となく品のある出で立ちだが、目つきはどうも荒んで見える。


 この辺りでは見かけない顔だ。もうすぐ秋祭りがあるから、その関係で他所から来た人間だろうか。


 そんなことを考えながら男とすれ違ったところで、


「弥助の家内がお歯黒をつけていたぞ」


 声がして振り返ると、男がこちらをじっと見つめていた。


「祭りなら、太鼓や笛の音がするものだが。神社の(のぼり)は立っていない」


 そう続けた男は、まるで俺が返事をするのを待つように黙った。俺はどうしたって自分が鳴くことしかできないことをわかっているが、「コン」と言ってみる。


 男はさらに黙り、


「難儀なものだ」


 それだけ言い、歩き出す。土道に出て左に曲がり、振り返ることなくどこかへ去った。


(なんだ、あいつ)


 俺は不思議に思いつつ、男の言葉を考えてみる。


(今日は祭りじゃない。……でも、弥助のカミさんはお歯黒をつけてる……)


 もしかして、と思って駆け出した。

 畑の間を抜けて、民家の横を過ぎ、赤い井戸のある、壊れかけた家へ向かう。


 トオとその父親が二人で暮らす静かな家に、いつになく大勢の人間が集まっていた。

 皆、他所行きの着物を着ていて、外のかまどでは女たちが火を焚き、大きな鍋の中身がぐらぐらと煮えている。


(葬式だ)


 一体、この家の誰が死んだのか。

 そんなことはすぐにわかる。


 俺は家の中を覗こうと近づいたが、かまどの横にいた村人に「シッシッ」と追い払われてしまった。

 仕方なく踵を返し、その場を後にする。


 それから太陽が動き、昼時。

 墓地にいたら、村の方から鐘の音が聞こえた。カーン、カーン、と遠くの空へ響き渡る。葬式の出る合図だ。


 真っ赤な彼岸花が咲き誇る静かの景色。六地蔵の横に一輪だけ白い彼岸花が咲いていて、俺はその陰に身を隠した。


 真っ直ぐ続く土道の向こうに、白い着物の葬列が見えた。そよ風のような人々の話し声が近づいてきて、やがて横を通り過ぎていく。


 葬列は墓地の中へ。彼らが通った後には、踏み折られた彼岸花が残った。俺は伸び上がって葬列の向こうを望む。


 白い着物を着たトオが位牌を捧げている。伏せた目元が赤くなっているのは、きっと、泣いた跡。


(お父ちゃんが、死んだんだ)


 俺は伸ばしていた体を戻し、地面に丸まった。

 踏み折られた彼岸花の間を、蟻の行列が歩いていく。その中で、食いちぎられた蝶の翅が揺れていた。


 * * *


 その日、日が暮れてからしばらく。俺はトオの家を訪れた。赤い井戸の横を過ぎ、淡い光が漏れる戸口の方へ。


 隙間から中を覗くと、トオが囲炉裏の傍らに座っていた。ひとりで、座っていた。

 すっかり燃え尽きそうな焚き木の赤い光をぼんやりと見つめている。


 ここ十日間も、その前も、俺はずっと彼女を見ていたから知っている。

 俺にウナギを譲ったあの日から、彼女は毎日川で魚取りをしたけれど、一度もウナギを取ることはできなかった。


 病床の父親に食べさせたかったウナギ。

 もしかしたら、父親が「食べたい」と言ったのかもしれない。

 しかし、彼女の父親は死んでしまった。

 きっと、「ああ、ウナギが食べたい」と思いながら死んだのだろう。


 俺がイタズラをしなければ、彼らは悔いを残さずに済んだ。


(俺は、こんなことをしたかったんじゃない)


 俺は()()()()()()()()()()()をしたかった。

 彼女を悲しませたかったわけではない。()()()()()()()()()()

 かつて、人間だった頃の俺を殺した村人たちのように、彼女を怒らせたかった。


(でも、もしかしたら……)


 俺は戸口の隙間に前足を入れ、すっと横に引いた。ガラッと音を立てて戸が開き、トオが「どなた……」と顔を上げる。

 俺を認め、グッと眉間に力を入れ、


(今、俺を見れば。悲しみなんかとんと忘れて、怒りに煮え繰り返るかも)


 しかし、なぜか、どうしようもなく。

 ()()()()()()()()、彼女は顔の力を抜いた。あろうことか「ごめんね、ご飯はないよ」などと言い出す始末。


 俺は土間に入り、壁に立てかけられている(くわ)を鼻先で押して倒した。トオを怒らせることが目的だが、彼女は「あらあら」と言って立ち上がるだけ。


 土間に降りようとした彼女の足元から草履を蹴飛ばす。やはり彼女は「えっ」と言うだけで怒らない。


 俺が土だらけの足で板間に上がっても、猫を真似て爪を研いでみても。


「どうしたの?」


 倒れた鍬を直して囲炉裏の傍らに戻ったトオは、不思議そうな顔でこちらを向いた。俺は土壁をガリガリと引っ掻いて削って見せるが、やはり彼女は怒らず、


「もしかして、私が落ち込んでると思って、元気づけてくれてるの?」


 ついにはこんなことを言って、「ありがとうね」などと微笑んだ。


 彼女はいつもそうだ。

 俺がどんなイタズラをしても困ったように笑うばかりで、ちっとも怒りやしない。

 悪意に鈍感なのだろうか。それとも、何でもいい方向に捉える稀有な思考をしているのか。


 このイタズラで足りないなら、より一層露悪的なイタズラをするしかないが——


(俺は、こいつが悲しむところは見たくない)


 そう。俺は彼女を怒らせたい。

 怒らせて、怒らせて、怒らせて。沸点を超えた彼女に、殺されたい。



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