第六十話 幻霧
御稜威山の頂で、スパティアは血だらけで倒れていた。顔面が抉れ、肉体再生が追いついていない。
「……スパティア!」
私は慌てて駆け寄った。このままではまずい――その時、祠の奥からパナケイアが静かに姿を現した。
「……手間をかけさせるな」
パナケイアが一言呟いた瞬間、スパティアの抉れた顔面がみるみる再生し、元通りになった。
「……済まない。油断していた」
スパティアは苦々しげに顔を押さえながら体を起こした。
パナケイアは淡々とした声で続けた。
「回復を迅速に進めよう。天啓に費やすべき時間を、無駄にする訳にはいかない」
そう言いながら、再びスパティアの肉体再生を加速させた。
「……二人とも、大丈夫かな」
私は遠くの空――駝荊毀壊城跡の方角を見つめ、そっと呟いた。
「……どうする? スパティアも助っ人も来ないよ」
モラは不安げにネブラを見上げた。
「時間を稼ぐしかないだろう」
ネブラは低く答え、ハルバードを顕現させた。
「シムラクルム」
その瞬間、周囲に濃密な霧が爆発的に立ち込めた。視界が真っ白に染まり、互いの姿すらほとんど見えなくなるほどの濃霧だ。
「……何?」
モラは息を呑んだ。
ネブラは霧の中で静かにハルバードを構え、ペルデレの気配に向かって一閃した。
「……遅いな」
ペルデレの嘲るような声が響いた直後、ハルバードの一撃は空を切り裂いた。代わりにペルデレの拳がネブラの胴体を抉っていたはずだった――しかし、その拳はネブラの体をすり抜け、ただ霧を散らしただけだった。
「……!」
本物のネブラが、ペルデレの背後から一気に間合いを詰める。幻影を囮にした高速接近。ハルバードの刃が弧を描き、ペルデレの右肩を深く斬り裂いた。
鮮血が飛び散る。
霧の中で複数のネブラの幻影が同時に動き出す。すべてが本物のように攻撃を仕掛ける。その瞬間、ペルデレがゆっくりと目を閉じた。
ペルデレは、ただ気配と魔力の流れだけで幻影を見分け、目を閉じたまま軽やかに体を翻し、すべての攻撃を紙一重でかわしていく。そして、ペルデレは本物のネブラの位置を正確に捉え――拳を突き出した。
その瞬間、半透明の羽を背中に生やした緑髪の少女が、ペルデレの目の前に忽然と現れた。
「待たせたね。ここからは僕、シルフ様の出番だよ」
少女はにこりと笑いながら、両手を広げた。ペルデレの拳は、少女の掌の寸前でぴたりと止まった。




