二羽のウサギ
「明日から再び戦場に戻らねばならない。結婚式は、もう少し待ってもらえるか」
スルーされたうえに顔を背けられた。
ライナス様にすでに嫌われた――らしい。
私は王族としての教育を受けていない。
五歳で前世の記憶を取り戻してから、生き残るために目立たないようにしてきたのだ。
何だか違うと思ったとして、ライナス様を誰が責められよう。
「君は王族らしくないな」
「……そう、ですよね」
うなだれた私を見て何を思ったのか、ライナス様が口の端を緩めた。
「まさか、オーランド王国の王女殿下に心臓を捧げられるとは思ってもみなかった」
――心臓を捧げる?
「返しそびれていたな」
顔を上げると、ライナス様は左足を下げ胸に手を当てお辞儀をした。
それは、私が初日に見せたお辞儀だった。
「だが、この挨拶はすでに廃れている」
オーランド王国の図書館に合った文献に、レーゼ王国で王族を前にしたときにふさわしい格であると書いてあったが古すぎたようだ。
「王族への挨拶としては――。騎士たちの間では、今でも普通に使われている。君は知っていたのだな」
――知りませんでした。とは言えずに曖昧に笑う。
このあと衝撃の事実を知ることになるなんて思いもせず。
「高位魔獣に相対するときに、互いに竜に心臓を食わせるつもりだという覚悟を表す礼だ。まさか、大国の姫君がその覚悟で嫁いでくるとは思いもしなかった」
誤解ですぅぅぅ! という心の声は口にされることはなかった。
あのときを振り返る。そういえば、騎士たちが静まりかえっていなかったか……?
「……お恥ずかしいですわ」
「このレーゼ王家を途絶えさせるわけにはいかない」
「……」
ライナス様が、表情を改めた。
あの氷漬けの竜に祈ることにどんな意味があるのかはわからないが、私の予想が正しいのなら――。
「アベル殿下とエレナ殿下が祈ることをやめたらどうなりますか」
「俺が祈っても問題ないが、その場合は魔獣対策がおろそかになる。完全に祈りが途絶えれば、竜が眠りから覚めるだろう」
「竜が眠りから覚めたらどうなりますか」
「この国は滅びる。大陸の国々も無事では済まないだろうな」
――引きこもってばかりいた王女が嫁いでいい国ではない。
滅びかけの国、というよりは大陸の滅びの命運を握った国ではないか。
「さて、夜も遅い。君は休むべきだ」
「そうですね。でもその前に――事情も知らず、申し訳ありませんでした」
私は深々と頭を下げた。
子どもは守られるべきという考えは変わらないが、彼が抱えているのは大陸の命運だった。
安易に責めるべきことではなかった。
「それでは、おやすみなさいませ」
「あ、ああ――」
情報量が多すぎた。それにもう真夜中だ――。アベル殿下とエレナ殿下のことも気になる。
私は今度こそ普通のお辞儀をして部屋に戻る。
部屋には先ほど消えた二羽のウサギがいた。
『レーゼの子、意気地なし。据え膳食わぬは――』
『一目惚れしたらすぐに手に入れないと大抵拗らせる』
「あなたたち……」
『そういえば、あいつも拗らせてた』
『そうだったな、懐かしいな――あいつ』
あいつ、つまりこの国の初代国王は間違いなく転生者だ。聞き慣れた言葉の響き――あれ? でも千年前?
私が手を伸ばすと、スッと逃げられてしまった。
『知りたくないのか、人間』
『千年前、あいつと交わした盟約――』
「自分で調べるから良いわ」
『……人間!』
『人間、人間!』
「――私はレティシアよ」
名前を伝えた途端、ウサギが『『グハハハハハ、愚かな!』』と魔王みたいに笑った。
『まさか、我らに名を与えてしまうとは』
『まさか、名の意味を知らぬのか』
「……えっ」
『『盟約は、名を与えることに始まる』』
「ななな……」
これは嫌な予感がする。
魔法と名前に深い関係があると、禁書庫の本に書いてあった記憶がある。
『『盟約を交わし我ら、汝の願いを叶えよう!』』
「――願いなんて何もないけど」
強いて言うならのんびり生きていきたいくらいだが、自分で叶えられるだろう。対価も怖いし……。
『『――不死身の体でも、一生遊んで暮らせる黄金でも』』
「そんなのいらないわ……」
『いや、何かあるだろレティシア』
『遠慮はいらないぞ、レティシア』
「子どもたちが起きるから静かにしなさい」
『『はい……』』
彼らとは、長い付き合いになる。
そんな予感を胸に、私は自室のベッドに眠るアベル殿下とエレナ殿下の寝顔を眺めるのだった。




