有力候補
2026.05.23 改稿
メイヴィスが影の主を見上げると、そこには鎧を着た青年が立っていた。
「あなたは……」
目を見開くと、青年はにこりと笑い、膝をついた。
「はい、いつぞやの騎士です。一体どうされたのですか、このような場所に座り込んで」
迷子になっていたメイヴィスを書庫まで導いた、あの晩の騎士だった。
「少し眩暈がして……でももう大丈夫です」
サッと自力で立ち上がると、騎士も立ち上がる。
「確かに、あまり顔色が良くありませんね。少し休まれたほうがいいでしょう」
「そうします……でもその前に少し、散歩に付き合っていただけませんか」
自分で言っておいて驚いた。常に人を避けていたいと思っているメイヴィスが、この騎士に対してはどこか安心感を覚えている。なぜか彼からは、メイヴィスへの悪意を感じられないのだ。ゆえにこの騎士が一体何を考えてメイヴィスを助けるのか、それが知りたかった。
「それは構いませんが……無理はいけませんよ」
騎士は困惑しながらも了承し、メイヴィスの少し先に立つ。先ほどのガゼボへ向かう道とは、また別の方向だ。
「本当に少しですから……ありがとうございます、騎士様」
そう呼ぶと、騎士はギョッとして首を振る。
「騎士様だなんてとんでもない。あなた様は王太子妃候補の令嬢とお見受けします。であれば、私の方が身分は下かと」
侍女服を着ていない女の身分は限られてくる。騎士の言う通り、騎士と妃候補の令嬢であれば令嬢の方が立場は上だ。だが、それ以上に言及がないということは。
(名乗ってないから、知らないのか)
あの晩、互いに名や身分を明かすような真似はしなかった。だからメイヴィスは騎士としか呼べず、相手も令嬢としか呼べない。
「では、私はあなたを何とお呼びしましょうか」
尋ねると、騎士はなぜか動きが固まる。聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。
「……私のことは、エル、とお呼びください。ラングラー侯爵令嬢様」
少し間が空いて、返事が返ってきた。
「! ご存知でしたか」
「失礼ながら、前回別れてから少し調べました。ご気分を害されたでしょうか」
つまり、この騎士はメイヴィスにまつわる噂を全て知っているということになる。
「いいえ。でも、少し不思議です。私を知っている人が、なぜ私を助けようとするのでしょうか」
「それは……どういう意味でしょうか」
「悪い噂しかない人間を助けたいと思う人は、いないでしょう」
いるとすれば、そうすることで得られる利益がある場合のみ。今まで親切にされたことがない人間を陥れるのは簡単だ。優しくすればいい。
あなたもそちら側なのではないか、と問うている。
「侯爵令嬢様は、お辛い環境で過ごされたのですね」
「……え?」
騎士の返事は想定していないものだった。
「噂はあくまで噂です。私は自分の目で確かめたものを信じたいと思っていますよ。真実を確かめもせず、無知のまま噂を信じることは、愚者のすることですから」
一介の騎士にしては、あまりにも人間ができすぎている。メイヴィスは眉をひそめた。
「でも、私が取り繕っているかもしれないじゃないですか」
「わかりますよ。どんなに取り繕っていても、人はボロが出る生き物ですからね」
エルと名乗る騎士は、今までメイヴィスの周囲にはいなかったタイプの人間だ。実家にも騎士という警護担当の人間がいたが、彼らの仕事はあくまで警護であり、屋敷の娘に何か干渉をすることはなかった。だからこそ、接し方がわからなくなる。悪意を持っていないのは事実だろうが、信用していいのかと聞かれるとそれはまた別の話に感じた。
「さて。そろそろ戻りましょう」
エルがメイヴィスを振り返る。すると、キーンと耳鳴りがした。思わず目を閉じる。エルが何かを言っている気がするが、音が拾えない。
「侯爵令嬢様?」
座り込むでもなく、倒れるでもなく、目を閉じ、その場に立ち尽くして動かないメイヴィスに、エルは声をかけ続けた。
「……申し訳ありません。何かおっしゃいましたか」
やがてメイヴィスが目を開け、エルを見つめ返す。
「いえ。風が冷たくなってまいりますから、そろそろお戻りになった方がよろしいかと思いまして」
「はい……そうします」
「では、お送りいたします」
エルの誘導を断ろうとしたその時。
「侯爵令嬢様〜!」
遠くから誰かが小走りで近づいていた。
「カレン」
メイヴィスがぽそりと呟くと。
「おや、良いタイミングでしたね。では、私はこれで」
カレンがメイヴィスの元まで来る前に、騎士は立ち去っていった。まるで、誰かに見られることを恐れるように。
「侯爵令嬢様。もうすっかりお部屋におられるかと思いました」
カレンはエルの存在には気が付かなかったようだ。
「ここで少し花を見ていました」
エルが早々に立ち去ったのは、やはりメイヴィスと一緒にいるところを見られたくなかったからだろう。ああは言ったものの、本心はやはり別ということだ。
「花がお好きなんですか?」
「……どうでしょう。詳しくはありませんし、特筆して好きな花もないですし」
儚い命とはいえ、美しく咲き、愛でられることが確約されている花すらも、メイヴィスにとっては羨望の対象であった。
「侯爵令嬢様、お部屋に戻りましょう」
風で髪が乱れる。無意識に手をさすると、カレンはそう促した。従い、その場を後にする。こうして、クリスタ・オルセン公爵令嬢との茶会は特に何もなく終わった。
(終わったと……思ってたんだけどなぁ)
「あら、そこにいらっしゃるのはラングラー侯爵令嬢様ではありませんか?」
クリスタとの茶会を終え、メイヴィスはまたしばらく部屋に篭る生活を送っていた。ベッドから起き上がることもできず、一日中を横になって過ごす日々は、実家にいた頃を思い出させる。
しかし、少し回復したので散歩にでもと出て行ったその先で、もう一人の妃候補に出くわしてしまったのだ。
「あなたは……ええっと……」
「ルーナ・パリッシュと申します」
カレンを置いてきたせいで名前が出てこない。そんな失礼をされながらも、ルーナは嫌な顔ひとつせず名乗ってくれた。
「ああ……パリッシュ伯爵令嬢様、失礼しました」
「いいえ。気にしませんよ」
「ところであの……木の上で何を……?」
それも、木の上にいる状態で。
「仔猫が震えていたので、救出に」
さらりと答えるルーナの膝上には、確かに仔猫がいた。
「膝に乗せて可愛がっていたら眠ってしまったんです。なので動けなくて」
いつも笑っているクリスタとは対照的に、無表情で冷たい印象のルーナだが、それは見かけだけかもしれない。推定4メートルはありそうな高さに軽々と登ってしまうのは、それだけでメイヴィスにはない逞しさを感じる。命の輝きを。
「人を呼びましょうか?」
と提案してみる。周囲に人の姿はない。
「いえ、それには及びません。そのうち誰かが探しに来るでしょう」
誰か、というのは侍女のことだろうか。ルーナも見知った相手とはいえ、一人の時間が全くないことにストレスを感じているのかもしれない。だが、姿を消しても迎えにくる人がいるということが彼女にとって当たり前であることを悟り、居心地が悪くなる。
「左様ですか……どうか無理はされずに。私はこれで失礼いたします」
人の気配がない場所を求めて、立ち去ろうとしたが。
「せっかくですから、おしゃべりいたしませんか」
引き止められてしまった。
「でも、私の声は聞こえにくいと思います」
メイヴィスは声質がか細いので、距離があると拾ってもらえない。だが、木登りなどもってのほかである。
「それでは、私がひとりごとを言うので聞いていてくださいませんか。お返事や相槌は結構ですので」
意図のわからない提案に困惑したが、何も話さなくていいのならとその場に腰を下ろす。
「私は成人しており、本来であればとっくに結婚していてもおかしくない年齢です。しかし、諸事情でなかなかできない状態にありました」
「……!?」
いきなりのカミングアウトにさらに混乱する。しかしルーナのひとりごとは止まらない。
「私自身、一生独身でもいいかと考えていたのです。家業を手伝えば生きていくことは難しくありませんし、両親も強制はできないと納得してくれましたから。しかし……」
ルーナはメイヴィスの様子には興味がないらしく、遠くを見つめている。本当に吐き出したいだけのようだ。
「私の父は大臣ですが、国王陛下とは古くからの友人関係にあります。陛下は王太子殿下が側妃をもつべきというお考えで、娘である私にお声がかかりました」
「……」
「流石に国王陛下じきじきの依頼とあっては、私も父も断ることができず……私は、ここへやって来たのです」
メイヴィスは言うまでもなく、父である侯爵が自ら立候補し、実家の厄介払いとして城へ入った。しかしルーナは立候補したわけではなく、指名されたと言う。そうなると、正妃はまだ確定していないのだろうか。
「ここに来るまで殿下とは顔を合わせる機会がなかったのですが、殿下は最低限のことをしてくれればそれでいいとおっしゃいました。あまり気負わず、自由に過ごして欲しいと」
「……」
「とはいえ、私も一応候補ですから少しずつ会話をして、殿下と交流するようにしています」
そういえば、彼女について随分前にシャロンが話してくれたことを思い出す。
パリッシュ伯爵令嬢はとんでもなく頭が切れ、難しい話にもついていける。それをサイラスが気に入り、よく部屋に出入りしているらしい、と。ルーナはこう言うが、サイラスにとってルーナは欠かしたくない令嬢に違いない。しかも国王にも気に入られているとなると、殊更メイヴィスの無能さが際立つ。
「しかし、侯爵令嬢様とはあまり関わらないようにと言われました。命令ではなく、ただのお願いでしたが」
「……」
「そこにどんな意図があるかは不明ですが、少なくとも殿下は、私たちが快適に過ごせるよう努めてくださっています」
「……あの。それは、私が聞いていいのでしょうか」
思わず立ち上がり、上に向かって声を張り上げる。
侍女がいないので忘れていたが、メイヴィスはクリスタの侍女に向けられた視線が過ぎった。警戒して然るべきの彼女が、無防備にも自分の内情をべらべらとしゃべっている。立場上は敵対する存在であるメイヴィスに。内容の真偽はともかく、本人のいないところで語ってもよいことなのか。
「口止めはされなかったので問題ないでしょう。私は確かに侯爵令嬢様のお人柄は存じ上げませんが、殿下がそこまでして侯爵令嬢様を孤立させる理由がわからないのです」
そこでようやくルーナは地面に視線をやり、メイヴィスと目が合った。話し過ぎたことを慌てるそぶりもなく、淡々としている。
「……私は、殿下の懸念は正しいと思いますよ」
大切にしたい令嬢を、悪い噂のある人間に近寄らせたくないのは当然だ。孤立させる理由など、それだけで足りる。だが、毒殺未遂騒動の時は、メイヴィスを始末する絶好のチャンスであったのに、なぜそうしなかったのか、ずっと不思議に思っている。
「もしかすると、殿下は……」
ルーナの声量が小さくなり、よく聞こえない。
「伯爵令嬢様、大丈夫ですか?」
声をかけるとルーナは「はい」と返した。
「侯爵令嬢様は、動物はお好きですか? 殿下から厩舎に立ち入る許可を得ましたので、今度ご一緒しませんか」
動物。実家には、馬とウサギといったごく普通の動物がいた。しかし、動物たちはマリアによく懐き、メイヴィスには嫌悪を示した。それからメイヴィスは厩舎に行かなくなり、ますます部屋に閉じ篭もるようになった。
「……少し、考えさせてください」
即答で拒絶するのは印象が悪い。そう言って、今度こそ立ち去ろうとした。その時。
「きゃっ」
突風が吹き、小さく悲鳴が聞こえる。見上げると、ルーナの体がぐらりと揺れている。
「……!」
考える間もなく、落下点に入る。ルーナは子猫を庇い、とても受け身を取れる状態ではない。メイヴィスよりもすらりとした長身を、受け止めるが。
「くっ」
当然支えきれず、背中側全体を地面に強かに打ち付ける。下敷きがあったルーナの無事を祈り、メイヴィスは目を閉じた。




