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最有力候補

2026.05.23 改稿






「ラングラー侯爵令嬢様。ご機嫌よう」


目の前に対峙しているのは、クリスタ・オルセン公爵令嬢。メイヴィスに茶会の招待状を送りつけてきた張本人だ。サイラスの寵愛を受けている彼女は、何もしなくても王太子妃になることが決まっている。それが今、なぜかメイヴィスの前に座っている。きらきらと光る金色の髪は、亡きマリアを思い出させた。


「遅れてしまい、申し訳ありません。オルセン公爵令嬢様」


社交界に出ていないメイヴィスは当然、目を合わせることができないので視線は常に下。頭を下げて、不自然にならないようにカモフラージュまでする。

メイヴィスは行くのが億劫で、なかなかベッドから出られなかった。招かれた理由もわからない。好奇か、牽制か、対立か。悪い想像ばかりが働く。それでも「断る」という選択肢はなかった。悪い噂は「無礼だ」と批判され、波風となり、やがて世間の耳に届いただろう。


「いいえ。きっと緊張されていると思いますし」


クリスタは後ろにいた侍女に合図を送り、茶を注がせた。湯気が立っては消えていく。メイヴィスはすぐには手をつけず、クリスタが切り出すのを待った。


「殿下から、侯爵令嬢様はお身体が弱いので、あまり関わらないように言われているんです。でも、部屋にいるばかりでは気が滅入るでしょうし、お茶を飲むくらいならいいかと思ってお招きしました。受けてくださり、ありがとうございます」

「いえ……お気遣い痛み入ります」


部屋にいて気が滅入る、というのは、間違ってはいないが合っているわけでもなかった。メイヴィスにとっては誰にも侵されない自分の部屋こそが落ち着く場所であり、それ以外は人の目があったのでむしろ気が滅入った。城へ来てから与えられた部屋も、人こそ少ないが落ち着くかと言われたら違う気がする。シャロンが見つけた部屋はあっという間に片されてしまったので、おそらく精霊が導いた小部屋がそのうちメイヴィスの城となるだろう。


「どうかご無理なさらずに、気分が悪くなったらいつでもおっしゃってくださいね」

「はい」


サイラスがクリスタに、メイヴィスを放っておくよう言ったのは、彼女を巻き込みたくなかったからだろう。メイヴィスを孤立させておけば、少なくともサイラスが最も懸念しているトラブルは起きないはずだ。だが、位はともかく立場が最も低いメイヴィスが、クリスタの誘いを断れるはずがなかった。


「ここは景色もいいですし、人も少ないのできっと侯爵令嬢様も気に入ると思いますよ」


クリスタは視線を周囲に向ける。花々が風に揺れ、陽光を目一杯浴びていた。その中心に建てられたガゼボが、二人のいる場所だ。


「……いい場所ですね」


その事実は否定しない。だが、日陰で生きてきたメイヴィスには、あまりにも眩しすぎる場所だった。

すぐに視線をテーブルに戻し、湯気の薄くなった茶を手に取る。一口飲み下すと、まだ冷めていなかったらしく舌が痺れた。顔には出さずに「美味しいですね」とだけ言ってみる。クリスタの顔が嬉しそうに綻んだ。


「お口に合ったようで何よりです! それは東部から取り寄せているお茶で、実家で愛飲していたんですよ。殿下にも持ち込みの許可をいただきました」

「そうでしたか」


メイヴィスに茶の良し悪しなどわからない。だが、出されたお茶を褒めないことが失礼に当たることくらいは心得ている。


「これは美容にも効果があってですね」


クリスタが生き生きと話しているのを見守りながら、メイヴィスは軽く相槌を打つ。ふと視線上げると、クリスタの侍女がこちらを睨みつけていた。クリスタの背後に立っているため、本人は気づいていないようだ。


「……」


すぐに視線を逸らし、聞くに徹する。茶で少し温まった手がサッと冷えた。後ろに控えるカレンが相手の敵意を感じ取っているかはわからないが、一刻も早くここから立ち去らなければならない。自分の身を守るためにも。

侍女が何を警戒しているのか、察することは難しくない。メイヴィスの侍女であるシャロンは毒殺未遂で捕まっているのだ。メイヴィスがクリスタに毒を盛る可能性を、彼らが考えないわけがなかった。


「殿下もお気に入りで……そういえば、侯爵令嬢様は殿下とどんなお話をされるんですか?」


だが、クリスタの質問は続く。不審な動きをしないように、手を膝に乗せたまま動かないようにする。


(そういえば……この方は、マリアのことを知っているのだろうか)


サイラスとメイヴィスは、マリアを通じてやっと接点を持っていただけだ。しかも姉の婚約者という、ほぼ無関係の他人。結ばれれば義兄ということになっただろうが、それももうない。友人ですらなく、名前だけを知っている。サイラスに関しては、メイヴィスの名前を覚えているかも怪しい。マリアがいない今、二人の間に話題などなかった。しかしそれをクリスタに話していいのか、メイヴィスにはわからなかった。


「私は、あまり会話をする機会がなくて。殿下のことは、よくわからないんです」


互いに興味もないわけだが。

卑屈な回答をしないよう、慎重に言葉を選ぶ。


「そうなんですね……では、なぜ王太子妃候補に?」


真っ当な疑問だった。クリスタからすれば、メイヴィスは自分の立場を脅かす存在だ。無論、メイヴィスに勝ち目はないしそんな心配をする必要は微塵もないのだが。父である侯爵が手を挙げた、という話を信じていないのかもしれない。


「父に命じられました。しかしご存知の通り、私は体が強くないので、殿下の役には立てそうにありません。殿下も私に何かを期待しているわけではないようですし、私はご迷惑をかけないように過ごそうかと」


結論はすでに出ている。だからこそ、クリスタの狙いが何であれ、メイヴィスは敵ではないことを示しておかなければならない。誰からも関心を向けられない状態こそが理想だ。


「そうでしたか」


メイヴィスには、クリスタの本音がわからなかった。排除したいのか、吐いた言葉が本心なのか、何が理想なのか、何もわからない。手がかりもない。

だが、少なくともこちらに敵意がないことは伝わったと思う。メイヴィスは本当に、ただ静かに過ごしていたいだけなのだと。


「お嬢様」


ふと、クリスタの侍女が彼女に耳打ちをする。視線が遠くへ向き、誰かを見つけたようだ。


「サイラス様!」


メイヴィスも同じ方向を見ると、確かにガゼボに向かってサイラスが歩いてきていた。クリスタは立ち上がり、小走りでガゼボから出ていく。メイヴィスも椅子から立ち、ゆっくりと後を追った。


「ここで何を?」


サイラスはクリスタを見て問いかける。メイヴィスは挨拶をする隙がなく、侍女のように少し離れて頭を下げ続けた。


「侯爵令嬢様とお茶を飲んでいました」


サイラスはクリスタから視線を外し、頭を下げるメイヴィスを見る。そして少し呆れたように息を吐いた。


「彼女は……」


何か言いたげであったが、続きが紡がれることはなかった。どうやら邪魔のようだ。


「私はこれで失礼します。公爵令嬢様、本日はお招きいただきありがとうございました」


最低限の挨拶をし、メイヴィスはその場を立ち去る。カレンが後からついてこようとしたので、「殿下にお茶を淹れてください」とお願いした。今は一人になりたい。


「かしこまりました」

「えっあの、侯爵令嬢様……」


このタイミングで退散するのは想定外だったのか、クリスタは混乱気味に呼び止める。しかし、メイヴィスは聞こえなかったふりをして城への道を辿った。空は雲が増え、時折太陽を遮る。世界が明滅しているようだった。


(サイラス様、かぁ)


王族を名前で呼ぶことは不敬に当たる。だが、許可があれば別だ。サイラスとクリスタが親密な仲であることは、疑いようのない真実である。


(いいなぁ)


サイラスに愛されていることが、ではない。公爵家の一人娘であるクリスタは、さぞ愛されて生きてきたことだろう。そうやって、当たり前のように周囲の愛を享受できるその人生が、メイヴィスには羨ましかった。


(でもきっと、彼女は努力してきただろうから)


愛されるためには、見合う価値を持っていなければならない。美貌でも、聡明さでも、愛嬌でも、なんでもいいから。せめて、一つだけでも。


(何もないのに、愛をねだるなんて)


一番やってはいけないことだ。


「……あ」


視界が揺れる。体に力が入らない。建物まではあと少しだが、草道の上に座り込む。世界が明滅して見えたのは太陽のせいではなく、メイヴィスの調子が悪かったためだろうか。


(耐えなきゃ)


頼れる味方は一人もいない。どんな痛みも、過ぎ去るまで耐えるしかなかった。どんなに心が傷つけられても、平気になるのを待つしかなかった。何の価値もない人間を、助けてくれる人はいないのだから。


「いかがされましたか」


ふと背中に手が置かれ、日差しから遮るように影がメイヴィスを包んだ。
















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