管理人の正体
2026.05.23 改稿
昨夜の書庫へ向かうと、カレンの言った通り管理人らしき男がカウンターの奥から出てきた。
男は書庫に入ってきたメイヴィスをジロリと睨み、「許可証を」と手を出してきた。
「許可証?」
首を傾げると、管理人はため息をつき、「城の書庫に入るには、関係者の許可証が必要なんです」と説明した。
「関係者、というのは?」
質問すると、管理人はメイヴィスを見もせずに、
「侍女であれば侍女長の許可。貴族であれば王族の許可をいただくのが決まりです」
と淡々と答えた。メイヴィスは一応貴族の身分であるので、王族の許可が必要ということになる。妃候補という立場からして、おそらく最も近いサイラスから許可をもらうべきなのだろう。無論、知っているはずがないので未所持だ。
「ごめんなさい、許可はもらっていないんです」
「はぁ。では、何をお調べに?」
「調べるというより、少し勉強をしようと思って」
それが本当の用件ではないが、適当に理由を挙げる。すると、管理人はかけていた銀縁メガネをくいっと上げ直し、ペンが添えられたノートを寄越した。
「では、こちらに名前を」
「いいんですか?」
「今回だけです。初回特別サービスということで。次はありません」
「わかりました。ありがとうございます」
正確にいうと初回ではないのだが、語る必要はない。流石に偽名を使うわけにはいかないので、メイヴィスは殴り書きで自分の名前を書く。管理人はそれを見て目を細めたが、何も言わなかった。そしてカウンターの奥に戻って行ったので、メイヴィスはもう用済みだと判断してその場から離れる。
(ここだったかな?)
螺旋状に伸びる棚の集合体を見上げる。誰かがいる気配はなかった。息を吸って名前を呼ぼうとするが。
(あ……名前、何だったっけ)
変わった名前だった気がするが、それしかわからない。腕を組んでしばらく考えていると、背中の方から「おーい」とか細い声がした。
「あっ」
書庫の奥の方で昨夜の青年が手を振っていた。メイヴィスがそちらに足を向けると、早くこいと言わんばかりに青年は移動していく。たどり着いたのは管理人のカウンターからは確認しようがない、書庫の隅だった。
「何をしているんですか?」
青年は訳あり顔で壁にピッタリ背中をくっつけている。両手がその背に隠され、何かを探るように動いた。
「見てな」
何かを見つけたのか、とある箇所をコンコンと叩く。すると、ぱっと壁が開いて通路が現れた。狭く暗いが、少し先にうっすらと光が見える。
「ここは?」
「先々代の王妃が内密に造らせた小部屋。本人はあまり使ってなかったようだが」
「よくご存知なんですね、先々代の王妃殿下のことまで」
先々代ということは、普通に考えるとサイラスの曽祖母にあたる人だろうか。
「まぁな」
「では、ここの存在は誰も知らないんですか?」
「断言はできないが、おそらく。それより早く入りな」
促され、通路を進む。カーテンが掛けられ、そこから光が漏れていたようだ。それを避けると中は本当に小さな部屋で、机と椅子、ランプ、小さなベッドが備えられていた。天井の方には光を入れるためか小窓がある。
「なぜ私をここに?」
ベッドに腰をかけると、青年は扉を隠し、カーテンから現れた。
「お前のことは知ってる。噂通りの人間ではないことも」
青年はメイヴィスの隣には座らず、壁に持たれるように立つ。
「……あなたは、人間ですか?」
何かを聞くべきだと思ったが、それしか出てこなかった。青年は吹き出し、手を叩く。
「ぷっ、なんだそれ。でもまあ、真っ当な疑問だな」
メイヴィスの視線を受け止め、青年は正面に立った。
「俺の名前はコーディ。お前の想像する通り、人間じゃない。俺は……どう言ったらわかりやすいかな。昔の人間は、俺を精霊と呼んだ」
「せいれい?」
答えに眉を顰める。精霊とは、特定の土地を守る神のような存在だ。そんなものがなぜ城の書庫にいたのだろう。
「そう。この本の中が俺の居場所。開けてくれる誰かをずっと待っていた」
精霊が指した机には、メイヴィスが手に取った古書が置かれている。
「精霊様が、なぜこのような場所に?」
尋ねてみると、精霊は寂しそうに視線を落とした。
「……精霊というのは、人と共に生きるものだ。俺を所有したのは初代女王だが、その力が代々継承されていくわけじゃない。女王が去り、俺は力を失い、本に閉じこもることで生き延びてきた。その間にも何人かに見つけられることはあったが、まあ……人の生は短いからな」
コーディが現れたのは、メイヴィスが古書を見つけたからであった。初代女王の時代から生きているのであれば、かなりの高齢ということになる。
「人のために生きることが、あなたの生き甲斐ということですか?」
「概ね合っている」
「では、書庫の管理人というのは」
「嘘に決まってるだろ」
メイヴィスが呆然としていると、コーディはケラケラ笑う。
「あの。人と共に生きる、と言いましたが、具体的にはこれからどうするつもりですか」
「どうする? お前の願いを叶える」
あまりにもさらりと返された答えに、脳の処理が遅れた。
「それは、一体」
「俺の役目は、お前のような不幸な存在をなくすことにある。女王がそれを望んだからだ。一人の統治者が国の民全員を幸せにすることは不可能だと、女王は理解していた」
「……だから、人間ではないものに願いを託した?」
メイヴィスの問いかけに、コーディは指を鳴らして「そのとおり」と答えた。
「でも……あなたは女王陛下に従っていたんですよね。女王陛下亡き今、こんなことをする必要はないのでは?」
命令した張本人がいないのだから、元いた場所に帰ればいいだけの話に思える。だが、コーディは首を振った。
「俺はもともとこの土地に住み着いていた名前のない何かだ。女王はその俺に力を与え、精霊としてこの国の役に立つことを命令した。つまりだ。俺は必然的に、この国を守らなきゃいけない。女王がいなくなっても関係ない。帰る場所もないから、この国が滅ぶまでは同じことをしなきゃならん」
古書に閉じ込められ、ほぼ強制的に人間を救う役割を与えられた、人間ではない存在。それが精霊の正体らしい。
「ですが……解放される条件は、ないのですか?」
「さぁな。だが、もともと俺はそこらを漂っていただけの亡霊みたいなもんだった。こうして誰かと語ることもなかった。だから、今の状況は悪くないと思っているよ。本に閉じ込められている間はずっと寝てるだけだから」
強がっている印象は受けなかったが、その腹の底も読めなかった。
「……」
「だから、俺はお前が幸せになるための手伝いをする」
「……必要ないと言ったら?」
精霊は一回ハッと笑い、両手を広げる。
「俺は必要ない人間の前に現れることはない。もしお前が俺の手を取ったら、お前は精霊の力を手に入れた特別な人間になれる。何の能力もないお嬢様ではなくなる」
「……」
この精霊は、メイヴィスが己の無力さを嘆いていた時に現れた。あながち嘘でもないのだろう。黙っていると、コーディはまた笑った。
「はは、いきなりこんなこと言われても流石に困るな。じゃあこうしよう。お前の侍女が帰ってこられるよう支援をする。どうだ?」
あまりにも都合の良い話に警戒を隠さずにいると、相手はそう提案してきた。シャロンのことまで把握しているのであれば、その力とやらは本物と言える。だが、果たして信用していいのか、何かの罠ではないか、そう疑ってしまう。どれほど無力を嘆いていても、人の力を超えたものに縋って不相応な立場を手に入れたい気持ちはない。メイヴィスはただ、シャロンを助けたいだけだ。
「……わかりました」
頷いて手を差し出す。この青年の卑怯なところは、助けることを明言しなかったことだ。あくまで支援をするという体である。だがそれは、大口を叩いてこちらを拐かそうとしていない証でもあった。
「俺のことは、すぐに信用しなくていい。お前が利用したくなるくらい、役に立ってみせるからさ」
差し出された手を軽く握り、精霊はすぐに放した。あまり触れたくないような態度で。
「さて。お前の侍女についてわかることは、まだ生きているということだけだ」
ほれ、と突然差し出された銀の杯の中は空っぽだった。不思議に思いながら受け取ると、底から紫色の液体が湧いてくる。飲め、と目で合図をされたため一口飲むと、それはただの果実水だった。
「怪我とか、病気とか、酷い目に遭わされている可能性は?」
揺らぐ水は、やがてぼんやりとメイヴィスの覇気のない顔を映す。
「ゼロとは言わないが、ほぼないと思っていい。新しい侍女も言ってたろ、王太子はお前たちの無罪を信じていると」
「……そうですか」
そこでメイヴィスは、サイラスがメイヴィスを信用していないだけではなく、自分こそがサイラスを信じていないのだと気がついた。ゆえに、サイラスのどんな言葉も響かないのだ。
「あまり大した情報じゃなくて悪いな。何か進展があれば伝えるよ」
「はい。ありがとうございます」
「あとは……そこ、叩いて」
ベッドの奥の壁を指され、適当に二回叩く。すると、また扉が現れた。
「それは廊下に通じる道。許可をもらえるとは限らないから、管理人の目を気にせず、好き勝手やればいい」
「あ、ありがとう」
「出入りの時は見つからないようにしろよ。閉めるのは俺がやっておくから」
精霊は持っていた古書を机に置き、「じゃ、俺はここにいるので。お帰りよ」と手を振った。
「侯爵令嬢様、こちらでしたか」
トボトボと廊下を歩いていると、カレンが小走りで駆け寄ってきた。姿を消したことを責められるかと思いきや、カレンは一通の手紙を差し出す。
「侯爵令嬢様宛てに、こちらが届いております」
「私宛てに、ですか?」
メイヴィスには心当たりがなかった。手紙をくれるような相手などいないからだ。人違いだと思いながら尋ねると、予想もしていない答えが返ってきた。
「お茶会の招待状です」
「え?」
返却しようとした手を止める。
「オルセン公爵令嬢様から、お茶会の招待状が届きました。いかがなさいますか」
カレンは固まっているメイヴィスの手から手紙をそっと抜き取り、宛名が書かれた面を見せつけた。




