書庫管理人
2026.05.23 改稿
ランプを掲げながら、メイヴィスは本棚の間を縫うように歩いていく。鍵はかけられておらず、王宮の書庫であれば管理人がいるはずだが、姿は見当たらない。灯りも付いていないので、もう閉館しているのか。それとも元からこうなのか。
「だとしたら随分杜撰な管理ね……貴重な本もあるでしょうに」
少し歩くと、螺旋階段があった。その周りには階段を囲むように本棚が設置され、上の方までずっと続いている。
「わ、さすが王宮の書庫」
メイヴィスはゆっくりと階段を上り始める。
棚に収められた本の背表紙を撫でながら、ゆっくりと。
「……そういえば、さっきの騎士。名前を聞くのを忘れた」
騎士というだけあって、当然メイヴィスよりも体格が良く、健康そうな顔つきをしていた。
「私も名乗ってないし、もう会うこともないでしょうから別にいいか……」
メイヴィスは基本動かない。そのため、滅多に人と出会わない。今回はたまたま声をかけられたが、それは一人だったからだろう。誰かがそばにいれば、騎士と二人きりで話すことはあり得ない。
「この螺旋階段……どこまであるの」
地上から十数メートルは来ただろうか。それでもまだ上はある。王宮の天井は高すぎる。
それでも限界を知りたくて、メイヴィスはひたすら階段を上っていく。
「ん?」
一冊だけ、タイトルもなく、製本も崩れた古書が綺麗な本たちの中に突っ込まれているのを見つけた。
「呪いの書とか?」
手にとって階段に座り込み、躊躇いなくパラパラとめくってみる。しかし何も起こらない。中に印刷されている文字は、古代文字なのか読むこともできない。
「……私って、本当に何もないな。せめて一つでも、得意なことがあればよかったのに」
歌姫、という意味の自身の名前でさえ、メイヴィスに才を与えてはくれなかった。
「未来が見える、心が読める、浄化の力がある……他の誰にもできない何かが、あれば」
たとえ、それが忌み嫌われるものであったとしても、何か一つでも他人にはない力があったなら。
「でも所詮、絵空事か」
古書を閉じ、元あった場所へ戻す。
「絵空事。本当か?」
背中から声が聞こえ、メイヴィスは振り向く。誰もいなかったはずだが。
「よお」
メイヴィスより数段上に、青年がいた。見たところ、騎士でも使用人でもない。だが、貴族のようにも見えない。その格好は、まるで侯爵家を訪れていた商人、もしくは旅人のように見えた。年齢はサイラスと同じ、若しくは少し上だろうか。
「……っ」
今夜はやたら初めましてが多い。わざとなのか偶然なのか、メイヴィスはただ困惑した。
立ち上がり、いつでも逃げられるよう体勢をとる。
「無理すんなよ。お前みたいな貧弱娘が逃げられるわけないだろ」
「なっ」
青年は冷めた目でメイヴィスを見下ろす。
「俺はコーディ。ここの管理人……みたいなもんだ」
釈然としない物言いが引っかかったが、メイヴィスは突っ込まないことにした。態度も決して王太子妃候補に対するものとは言えないが、言い方を変えればフランクとも言える。それはメイヴィスにとって新鮮だった。
「何だか私のことを前から知っていたような口ぶりですね」
代わりに別のことで突っ込んでみる。コーディ、と名乗る青年は動揺することもなく笑みを浮かべている。
「お前の方が弱いのは、誰でもわかる」
「……さっき、私が絵空事と言ったことに疑問を投げましたね。どういうことですか?」
話題を変える。世間の噂は概ね正しい。メイヴィス自身も似たような自己評価だ。何も持たないメイヴィスが、何かを望むのは絵空事。青年の言葉は、その前提に石を投じたようなものだった。
「俺を見つけるのは、そんなに簡単なことじゃねえから」
たかが書庫の管理人を、見つけるのが難しいとはどういうことなのか。メイヴィスは小さく首を傾げた。
「まだ話してやりてえが、今日は日が悪い。また来な。俺はいつでもここにいる」
「あっ、ちょっと」
ぐいぐいと背中を押され、時折転げ落ちそうになりながら階段の一番下まで降りてくる。そして、半ば書庫から締め出されるような形で、メイヴィスは廊下に出た。
「侯爵令嬢様!」
するとカレンが悲鳴のような叫び声と共に飛んできて、メイヴィスは大人しく部屋に連れ戻された。
カレンはあれほど焦っていたにも関わらず、「肝が冷えるのでやめてください」と言うだけだった。怒りもせず、説教もせず、たった一言で終わらせる。
「私がいない時は書庫にいると思ってください」
カレンの後ろをついて、廊下を辿っていく。ゆらゆらとカレンの掲げるランプが揺れ、壁が明滅した。
「そうではなくて……はあ、もういいです」
カレンとしては、自由気ままなメイヴィスにもっと言いたいことがあるだろう。しかし正直、シャロンの代わりとしてやってきたこの年若い侍女に、気を遣うつもりは毛頭なかった。彼女はサイラスにのみ忠誠を誓い、あくまで命令でメイヴィスの世話をしているだけ。メイヴィスとしては、命令になど従わずに放っておいてくれた方がありがたいのだ。彼女が職務放棄したところで、告げ口する相手もいないのだから。
「書庫について、少し説明をいただけますか」
なので、自分と同じ部外者のシャロンには聞けないことを聞いてみる。何年働いているかは知らないが、少なくともメイヴィスやシャロンよりは城に詳しいだろう。
「書庫ですか? 基本的には24時間いつでも立ち入りできます。ただし、防犯のため管理人のいない夜間に窓を開けることは禁じられております。制限はありませんので、どの本を手に取ってもらっても構いませんが、全て持ち出しは禁止されております。貸し出しもしておりません。万一破損した場合は誰でもいいのでお伝えください。修理に出しますので」
そばにあったノートとペンを取り、ふんふんと頷きながら書き出していく。
「管理人の方は何時から何時までいらっしゃるんですか?」
「朝の9時から夕方の17時までです」
管理人らしくない風貌の青年を思い出しながら、
「それ以外の時間には誰もいないんですか?」
と尋ねてみる。カレンは「はい」と首を縦に振った。
(じゃあ、さっきのは一体誰なの?)
怪訝な顔をすると、カレンは「しかし」と続けた。
「少し前に本が消えるという事故があったため、夜間にも管理人を設置することが検討されているとか」
それを聞いて腑に落ちる。彼は選考途中の人物なのかもしれない。
「書庫に向かうことを止めるつもりはありませんが、約束通りスープをお飲みください。冷めないうちに」
部屋に戻るなり、カレンはメイヴィスを椅子に座らせて目の前に皿を置いた。そこそこ時間が経ったはずだが、スープはまだ冷め切っておらず、むしろちょうど良い温度になっていた。
(まるで私が逃げることをわかっていたみたい)
観念して、メイヴィスはスプーンを黄金色の液体に突っ込んだ。
翌日。
「少し出てきます」
部屋着から着替え、羽織を着たメイヴィスが声をかけると、カレンは困ると言わんばかりに扉の前に立ちはだかる。
「なりません。これからダンスのお時間です」
「……あの。本当にやらなければいけませんか?」
講義に付き添うカレンは、メイヴィスが本当に何の才能もないことを知っているはずだが、メイヴィスのサボタージュを決して見逃そうとはしなかった。
「妃候補になられたのですから、受けないという選択肢は存在しませんよ」
カレンの言い分は何も間違っていない。候補は妃を目指すことが前提であるため、なりたくない人間が存在することは本来あり得ないことだ。
「私は、妃になりたくありません」
姉の代わりに妃の座を狙っているなど、思われることはいい。ただ、それが事実として広まっていくことは望んでいない。防ぐためには、何もしないことが正しいと信じている。
「しかし、王室主催のパーティーが開催されれば侯爵令嬢様も出席は免れません。当然ダンスも踊ることになります。侯爵令嬢様が恥をかくことは、私も殿下も望んでおりません」
メイヴィスは肩をすくめる。今更恥をかいたところで、どうでもいいことだ。
王室主催のパーティーとは、王族の誕生日を祝うものや国にとって良いことがあった記念日に行われることが多い。マナーとして、ダンスは男性が女性に申し込むものであり、パートナーを変えながら交流を目的としている。そもそも、男性に誘われなければ女性は踊る権利もないのだ。誘われなかった女性は壁の花として扱われる。存在しないものとして。
「私にダンスを申し込む相手は、いらっしゃらないと思いますよ」
サイラスの関心が全く向いていないとはいえ、メイヴィスは仮にも妃候補。王太子より先に他の男性と踊ることはマナー違反であり、誘った相手も非難は避けられない。
そして、サイラスはメイヴィスを誘うことは絶対にない。社交場という場所に置くことも嫌がりそうだ。メイヴィスの隣に立つということは、本人の価値も下げる可能性がある。
「しかし……これからもずっと、そうなさるおつもりですか?」
カレンの事情も理解はできる。教育を受けさせ、見守ることが仕事であるのだから、メイヴィスを諭そうとするのは当然だ。だが。
「……私が努力することで、周囲は幸せになれるでしょうか」
努力をすれば、多少は報われるのかもしれない。だが、それは余計な争いを招きかねない。
令嬢たちと対立したいわけではないし、秩序を乱すメイヴィスを、サイラスや国王が許すとも思えない。
一体誰が幸せになれるというのだろう。メイヴィスの名誉が回復することで。
「……」
突然、目の前が真っ暗になった。そうして気がつくと、メイヴィスは床に倒れていた。カレンが膝をついて声をかけていたが、それに反応することができない。意識はあるのに、体を動かすことができなかった。
倒れた時にぶつけたのだろう左半身の痛み以外は、どうということもないのだが。
「一体何が……侯爵令嬢様、聞こえますか? 侯爵令嬢様!」
カレンが必死に呼びかけていると、部屋の入り口に誰かが立っているのが見える。身動きの取れないメイヴィスは、無様に床に転がりながらその人物が歩いてくるのを背景の一部のように見ていた。
「何を騒いでいる」
部屋に入ってきたのはサイラスだった。しかし、居住まいを正すこともできない。カレンが説明している間、メイヴィスはぼんやりと天井を眺めていた。
会話が終わり、サイラスがメイヴィスを見下ろす。そして何を思ったのか、サイラスは膝をつき、メイヴィスに向かって黒い手袋をした手を伸ばした。抵抗のできないメイヴィスは、反射的に目を閉じるだけで精一杯だった。
次に目を開けると、こちらを覗き込むサイラスと視線がかち合う。メイヴィスはベッドに寝かされていた。目が合っていた時間は1秒にも満たない。サイラスはふいと顔を背け、カレンに「話がある」と言って部屋を出て行った。
「侯爵令嬢様。本日の予定はすべてキャンセルいたします。私は少し席を外しますね」
カレンはメイヴィスにそう言い置いて、サイラスの後を追った。
「……」
一人残されたメイヴィスは身を起こし、体の異常を探る。痛みはもうない。どこも苦しくない。呼吸もちゃんとできている。
突然意識を失うことは、ここしばらくはなかった。成長とともに回復したのだと思ったが、そうではないようだ。
「シャロンの薬、飲めていないからかな……」
城で他に薬を処方されているわけでもないので、シャロンがいない現在、メイヴィスが弱っていくのは必然であった。牢の中のシャロンが薬を作れるはずがない。だが、自分のために処方を願うつもりもない。
(約束したのは、息を潜めて生活すること。元気でいること、じゃないからね)
ひとつ、ふたつと咳をする。強い風が窓を叩く。その音が、やけにうるさく響いた。これでは眠れそうにない。
「行ってみようかな……」
ベッドから降りて、部屋を出る。行き先は一つだけだ。




