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王宮騎士

2026.05.23 改稿






座学、ダンス、刺繍、歌唱、絵画、王族のマナー、その他諸々。メイヴィスはある程度取り組んだが、何一つとして合格点には至らなかった。講師がつけられなかったメイヴィスはほぼ独学で最低限の知識を身につけたものの、それ以上のことは容器から溢れるように溢れて落ちていった。脳の隙間にせっかく書き込んだ文字を消しゴムで消されていくような、真っ白になっていく感覚を、誰にも伝えることができない。


「……何かの病気かな」


むしろそうであってほしいが、そんな病気はない。言い訳をしたいだけだ。

半分も取れていない座学の点数を見て、メイヴィスはため息をつく。その紙を握る手には怪我の跡が見え、痛々しい。


「少しずつ頑張っていきましょう」


と何人もの講師に言われた。カレンにも言われた。だが、頑張るつもりはない。メイヴィスは最初からずっと、妃になどなりたくないのだ。

しかし、自分が周囲より明らかに劣っていることは不思議で仕方なかった。


(どうして、みんなと同じことができないんだろう)


真っ白になった頭から何かを引っ張り出そうとすると、必ず耳鳴りに襲われる。考えることをやめるまで、それは続く。そして考えることをやめた瞬間、メイヴィスが発揮できる成果はゼロになる。その繰り返しだった。


「……っ」


心臓付近がきゅぅと痛み、顔が歪む。

ダンスでは足を踏んだり踏まれたり、刺繍では針を何本も指に刺し。歌と絵は完全にセンスの問題で、こちらにも恵まれなかった。


(もうこれ以上、できない)


メイヴィスの無能っぷりは講師を通してサイラス、そして王や王妃にも伝わっているだろう。期待外れ、というわけでもなく、ある意味期待通りというわけだ。


(シャロン……無事かな)


あれからしばらく経ったが、何の音沙汰もない。会いに行くことはもちろん許されず、シャロンが今どんな状況にいるのかも、メイヴィスにはわからない。

サイラスを訪ねてみても、部下を通して「お前は大人しくしていろ」の一点張り。騒ぎを嫌う彼らしい言葉だった。


(シャロンだけは守りたかったのに、あまりにも無力すぎる)


無論、シャロンを見捨てるつもりはない。彼女がどんな罰を受けても、どのみち周囲が主人であるメイヴィスを許さないだろう。


(私はどんな罰でも受ける。でもシャロンだけは、追放程度で許して欲しい)


毒の持ち込みは決して許されない。極刑でも文句は言えない。メイヴィスが処されるなら、シャロンも避けられないだろう。


(私が命令したと嘘の自白をすれば、シャロンは助かる? それでも可能性はゼロにはならないけど、シャロンを助けられる可能性は上がる?)


サイラスはメイヴィスに会おうともしない。だが、興味のない女を消す口実に、なれるのではないだろうか。


「殿下なら、あっさり私を殺してくれる気がする」


愛するクリスタに害が及ぶ可能性をサイラスが放っておくとは思えない。


(……あれ?)


そこで、とあることに気がついた。もっと早く、気づいておくべきことに。


「侯爵令嬢様、何かおっしゃいました?」

「……カレン」


カレンはサイラスが連れてきた侍女だ。誰の味方かと尋ねた時に、サイラスの味方だと断言した。今はメイヴィスの味方だと後に言ったが、信用できるわけがない


「毒殺騒ぎがありましたよね。あれでシャロンが捕まった」

「左様ですね。でも」

「殿下は私を疑っていないんですか?」


メイヴィスの疑問に、カレンは困惑したような顔をして、即答しなかった。


(おかしい)


サイラスは、シャロンがメイヴィスの罪を仄めかすようなことを発言した場合にメイヴィスを捕らえると言った。

いくら毒草を持ち込んで栽培していたのがシャロンだったからといって、サイラスがその主人であるメイヴィスを全く疑っていないのは妙だ。せめて取り調べるべきところを、サイラスは何もしない。シャロンがメイヴィスを標的にした可能性も捨て切れないが、それは取り調べをしない理由にはならない。


「……王太子殿下は、侯爵令嬢様の無罪を信じておられます。シャロン様への疑いが晴れれば、すぐにでも解放されるはずです。どうか朗報をお待ちください」


カレンが頭を下げるのを見て、メイヴィスはため息をつく。


(無罪を信じている? そんなわけないでしょう)


侯爵家から押し付けられた、訳あり令嬢。おまけに元婚約者の妹。サイラスにとって、煩わしくて仕方ないはずだ。

その機会があれば、彼なら喜んで無罪でも有罪にしてしまう、そんな気がしていた。


「あなたから、伝えていただけませんか。私の身柄を拘束して、シャロンを解放してほしいんです」


カレンはメイヴィスから目を逸らし、「申し訳ありませんが、それはできません」と謝った。


「殿下は多忙で、私もなかなか会えないんです」

「……わかりました」


そう言われると、諦めて引き下がるしかない。


「では、本日の予定は以上です。食事をお持ちいたします」

「……結構です」


断ると、カレンは困ったように視線を床にやる。


「侯爵令嬢様。ここ数日まともな食事を召し上がっていませんが、元から食が細いのですか?」

「まあ……あまり食べる方では、ないです」


メイヴィスの食事の頻度は、一般的な人に比べるとかなり異常だ。一日に口にするのは果実ひと口や野菜、水であり、肉や魚などは三日に一度、それもごくわずかな量しか食べられない。食べないのではなく、食べられないのである。


「それは……体型維持とは無関係ですか?」

「体型を気にしたことはありません。食欲が出ないんです」


メイヴィスの答えを聞いて、カレンは少し安心したようだった。


「それでは、医師を呼びましょう。侯爵令嬢様のご年齢でその症状は、普通ではありません」


意思が反映されなさそうだと悟り、メイヴィスは口を開く。


「それよりも……今日は少しなら食べられそうなので、用意していただけますか」


多少の無理をしてでも、医者だけは呼ばれたくない。

カレンはしゃんと背筋を伸ばし、「すぐにお持ちします」と退室していった。


「……」


メイヴィスはがらんとした部屋を見渡す。小部屋から問答無用で連れ出されたメイヴィスは、元の自室に戻っていた。そして、初日には壁沿いに知らない侍女たちが待機していたことを思い出す。


(何かあったら人を置くって、言ってなかったっけ)


ぼんやりとであるが、そんな会話をした気がする。

配置を拒んだメイヴィスに確かにそう言っていたサイラスだったが、所詮は口約束だったわけだ。メイヴィスにとっては大変都合がいい。


(まあ、どうでもいいか)


侍女たちも命令されれば配置転換に従うだろうが、メイヴィスに従うとは限らない。庇護者がいないメイヴィスは日頃のストレスが溜まっている彼女たちにとって、鬱憤を晴らすのに最適な存在だ。

周囲に信用できない人間は、置かないに限る。


「今のうちに、逃げよう」


椅子から立ち上がり、こっそりと部屋を出る。

カレンは穏やかで、メイヴィスを罵ったり手をあげることはない。だが、豹変する可能性は捨てきれない。

メイヴィスは、結局行けていない書庫を探す旅に出た。


















日はとうに沈み、続く廊下に人の気配はない。時折知らない侍女たちと遭遇するが、メイヴィスを見るなり幽霊でも見たかのような顔をして足早に去っていく。ふらふらとした足取りのメイヴィスが不気味に見えるのだろう。本人からすれば、ゆっくり歩いているだけなのだが。

周囲が暗いことも、侍女たちを怯えさせる理由になっている。

マリアがサイラスの婚約者であったことは有名な話だ。そして、メイヴィスがそんなマリアの妹であることも。

当然、候補になった過程は歓迎されるものではないので、これからも受け入れられることはないだろう。陰口を叩かれるのは事実もあるので一向に構わないが、メイヴィスとて人間であるので、できれば耳に入れたくない。

不相応であることは、自分が一番理解している。


記憶を辿りながら例の小部屋近くにあるはずの書庫を探していたが、迷ってしまった。ひと気もなくなり、部屋に戻る道もわからない。


「……自分の記憶力を過信してた」


これがメイヴィスが無能と言われる理由である。

広い廊下に一人立ち尽くす。ランプの一つも持たないメイヴィスは動けない。


(なんで灯りがついていないの? 誰も使ってないから?)


来た道を戻ろうか、そう思った時。背後から腕を掴まれた。


「っ!?」


その手が存外大きく、力が強かったのでメイヴィスは恐怖に襲われた。普段メイヴィスの周囲にいるのは女性ばかりで、みな細く繊細な手をしている。しかし、今腕を掴んでいる手はどうしたって女のものではない。


「どうされましたか」


ランプが掲げられ、相手の顔が見える。見覚えのない顔だが、まだ若そうだ。マントを羽織り、剣を携えている。


「……っ」


思わず後退りする。そんなメイヴィスの警戒した様子に、男は慌てて手を離した。


「あっ、失礼いたしました。迷っていらしたようなので」

「……」

「私は王宮の騎士です。何かお困りでしたら、何なりとお申し付けください」


一歩下がり膝をついて言われると、メイヴィスも少しずつ冷静さを取り戻していった。確かに、上着の胸元に国家の紋様が刺繍されている。これは騎士の証だ。


「えっと……書庫に、行きたくて」

「書庫ですか。かしこまりました、ご案内しますね」


こんな時間に書庫に行くなど、疑問を持ってもおかしくないのだが、騎士は何も問うことなくメイヴィスを連れていった。


「こちらです」


丁寧に、扉まで開けてくれる。


「では、私はこれで失礼致します。よかったらこちらをお持ちください」


騎士はメイヴィスに自分のランプを差し出した。


「でも、これがないと困りませんか……?」


メイヴィスが尋ねると、騎士は微笑んで首を振った。


「いいえ、道はわかりますから。それに、私より令嬢の方がきっと必要だと思います」

「……」


王宮に出入りする騎士ならば、確かにまだ王宮に来てから日の浅いメイヴィスより構造に詳しいだろう。何も言えない。


「それでは、令嬢。良い本と巡り会えますように」


騎士はマントを翻し、去っていった。















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