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乗馬

2026.05.24 改稿






「メイヴィス様」


しばらく部屋から出ることを躊躇っていたメイヴィスだが、いつまでも引きこもってはいられないと久々に外へ出た。すると早々にクリスタに廊下で声をかけられた。互いに侍女はついておらず、二人きりだ。


「公爵令嬢様。ごきげんよう」


挨拶を返すと、クリスタは何か言いたげに口を開けたが、思い直したのかすぐに閉じられる。クリスタとは王都を出発する際に姿を見ただけで、離宮に来てからは一度も顔を見ていなかった。


「体調を崩されたとお聞きしました。もう大丈夫ですか」

「お気遣いいただきありがとうございます。こうして歩き回れる程度には回復しました」


侍女のように姿勢を正し、頭を下げる。メイヴィスは彼女に、周囲に、自分の立場が最弱であることを示す必要があった。身の程を弁えていれば、メイヴィスに向けられる悪意が減ることを期待して。


「それはよかったです。私はこれから厩舎に向かうのですが、ご一緒していただけませんか」

「厩舎ですか」

「はい、殿下やルーナ様と乗馬を」

「えっ」


にこにこと悪意のない笑顔を向けるクリスタに、メイヴィスは顔が引き攣った。


「そっ……それは、私が行ってもよろしいのでしょうか?」


何よりサイラスに極力会いたくない。クリスタはきょとんとして首を傾げる。


「はい、殿下にメイヴィス様やルーナ様をお誘いしてよいかお尋ねしました」

「……」


この様子だと是と言われたのだろう。


「何かご懸念が?」


そして、メイヴィスが動物が苦手であると伝えたことも忘れているらしい。


「私が居合わせると、またトラブルを起こしてしまわないかと心配で」


誰がどう見ても、メイヴィスはトラブルメーカーだ。その場の空気を悪くする有害人物。そんなメイヴィスに誘いをかけるクリスタは、どこまでも純真でどこまでも無垢だった。


「ご心配には及びません! 殿下もいらっしゃるのですから、大丈夫ですよ」


(だから嫌なのだけど……)


どこからくる信頼なのか、クリスタはメイヴィスの訴えを棄却する。


(何かあってからでは遅いのに)


しかし、いつまでもサイラスを避け続けるわけにはいかないのも事実だ。乗馬であれば距離を取ることができ、無理に言葉を交わす必要もない。そしてそれを不自然に思われることもない。馬には乗らずに、遠目から見守っているだけなら誰も咎めないだろう。


「わかりました」


観念して了承すると、クリスタは目を輝かせて


「では私はルーナ様にお声がけしてきます〜!」


と元気に走り去っていった。メイヴィスはしばらく廊下に立ち尽くしていたが、カレンによって見つけられる。


「侯爵令嬢様、こちらにおいででしたか」

「厩舎へ案内をお願いします」


頼むと、カレンは一瞬理解が追いつかないという顔をした。


「厩舎ですか?」

「……お誘いです。行かないと」


カレンは「大丈夫ですか?」と尋ねた。おそらく、サイラスに会ってもいいのか、という意味だ。


「いつまでも避けてはいられませんから」


ただの強がりだ。本当は、同じ空間にいることすら躊躇う。不干渉を盾に、やりたい放題が許されるわけではないのだから。


「承知しました。その前にこちらを」


カレンはポケットから小さな箱を取り出した。とはいえ、ただの箱ではない。華美な装飾が施された箱だ。


「それは」

「ブローチです。付けておきませんと」


カパリと開けられた箱の中には、小さなブローチが鎮座している。それはサイラスが持ってきた、王太子妃候補の証であった。


「……」


無言の訴えは届くことなく、カレンは無抵抗のメイヴィスの胸元に手早くブローチをつける。


「こちらです」


流石に普段の装いで厩舎へは行かれないので、メイヴィスはカレンに手伝ってもらいながら厩舎の近くに用意されたテントの中で乗馬用の服に着替えた。


「落とされる可能性もありますので、こちらはやめておきましょう」


いつもの服に付けたばかりのブローチは脱ぎ捨てられた服からあっという間に箱に戻っていく。


「では、付けなくても良かったのでは」

「私が常に持っていることが殿下に露呈したら、怒られるのは私ですから」

「拒んだのは私ですから、怒られるのは私でしょう」


メイヴィスの言葉は無視され、カレンはテントから出て行く。憂鬱なため息をついた後、メイヴィスも後を追った。

馬に乗るつもりはない。触れるつもりもない。

メイヴィスが近寄るだけで警戒されて、乗ることはできないだろう。カレンと共に厩舎へ入ると、作業服を着た男が頭を下げた。


「お話は聞いております。馬をお選びください」

「一番穏やかな性格の馬を」


厩務員に促され、カレンが返す。乗るつもりは全くないが、それを悟られるわけにはいかない。乗り気なフリをして、体調がすぐれないと見守る方に回ればいい。厩務員は馬房までメイヴィスを案内する。連れてくるよりも馬を柵の中に居させたほうがいいと言うのでそれに従った。最初に目が合った馬は、芦毛の牡馬だった。小柄で乗りやすい。しかし、牡馬はメイヴィスを見るなり前足で地面を蹴る。やはり機嫌を損ねてしまったらしい。


「申し訳ありません、普段はこのようなことはしないのですが」


馬を宥めた後、厩務員はメイヴィスに謝罪した。


「……いいえ。昔から動物との相性が悪くて」


気に入らない何かがあるのだろうと遠回しに尋ねてみる。厩務員は「そうですか……」と言葉を選ぶ。


「実は、動物に好かれないお方というのは珍しくありません。特に貴族の方ですと、香水の匂いがキツい方や横柄な態度、そういった方が忌避されやすいです。馬は賢い生き物ですから」


メイヴィスは香水もつけなければ横柄な態度であるわけでもない。ただ、その場にいるだけで特別な興味関心があるわけでもない。あるのは恐怖。それが気に入られないのだろうか。


「怯えていることが伝わってしまっているのかもしれません」

「それは……」

「動物は信頼関係が重要なのでしょう。私には、難しいことです」

「侯爵令嬢様」


困ったような顔をしている厩務員に申し訳なく、メイヴィスは一歩下がる。


「やはり私は遠慮した方がよさそうですね。無理に乗って、事故が起きたら大変ですから」


カレンに報告を頼もうとするが、背後から肩を強く掴まれて阻まれる。


「侯爵令嬢様、もう少し見て回りましょう。部屋に戻るのはその後でも遅くありませんよ」


どこか引っかかる物言いだ。メイヴィスを部屋に戻したくないように感じられる。


「それは、そうかもしれませんが」


反論しようとするが、カレンは戻る道を塞ぐように立ってメイヴィスの後退を許さない。


「……わかりました」


言い争うのも億劫ですぐさま白旗を上げ、ずらりと並ぶ柵の前を少しずつ進んでいく。どの馬も不機嫌そうに鼻を鳴らしたり、地面を蹴ったり、立ち上がってみたりなど、メイヴィスに対して好意的な馬は皆無だった。そんな中、興奮する馬たちを宥めていた厩務員が今度はメイヴィスを制止する。


「次の馬はかなり気性が荒いので、ご注意を」


どんな馬かと思えば、見た目は栗毛の牝馬だ。体が特別大きいわけでもなく、他の馬との差がよくわからない。


「……」


牝馬の正面に立って、反応を待つ。牝馬はメイヴィスを見て、すぐに何か反応することはなかった。じっと見つめ返し、見定めているように見えた。この人間を背中に乗せてもいいと思えるかどうか。


「お下がりください!」


牝馬はメイヴィスの方に歩み寄る。怪我をさせるわけにいかない厩務員は焦ったようにメイヴィスを庇うが、牝馬は落ち着いていた。


メイヴィスの顔まで近づき、すり、と頬擦りのような行動をとる。


「……?」


意図が分からず、メイヴィスは困惑する。それは厩務員も同じだったようだが、やがて彼は「撫でてやってください」と助言した。おそるおそる手を前に突き出すと、牝馬の方からメイヴィスの手にくっついた。


「驚きました。初対面の人間にここまで懐くとは」

「……私もです」


動物と触れ合うのは初めてだ。手入れの行き届いた牝馬は艶々としていて、自分などよりもよほど気高く、美しい。


「この子にします」

「それが良さそうですね」


先に向かっているように言われ、メイヴィスはその場を後にした。





















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