助け人
2026.05.24 改稿
ズシリとのしかかられた重みで、メイヴィスは呻きながら目を開ける。誰かが自分の上に跨り、こちらを睨みつけているのが見えた。手には短剣が光り、メイヴィスの目が開いたのを見てそれを頭上に掲げる。
「!」
抵抗する間もなく、剣はメイヴィスの胸に真っ直ぐ振り下ろされた。躊躇いもなく突き刺さった刃は、いとも容易くメイヴィスの心臓に達する。メイヴィスが絶命するのに、そう時間はかからない。
(でん、か)
痛みより、飛び散り流れる血より、メイヴィスは己を刺殺した相手に動揺した。それは紛れもなく、オルティエの次期国王であったのだ。
「メイヴィス様!」
意識はとっくになくなっている。にもかかわらず、誰かの悲鳴が聞こえる。しかし、メイヴィスはその声にはもう応えられなかった。
メイヴィスは息を乱しながら起き上がった。震える手で胸に触れる。薄っぺらい皮膚に刃が刺さっていないのを確認すると、深く息を吐いた。
「……」
頭を抱え、先ほどの光景が夢であったのだと言い聞かせる。そうして息を整えた後、周りを見渡した。
(ここは、どこ?)
温泉の脱衣所で休んでいたはずが、いつのまにか移動している。窓の外は暗く、とっくに夜を迎えていた。
メイヴィスは、見覚えのない部屋にいた。皆寝静まっているのか、誰もいない。タオル一枚だった体にはゆったりした服が着せられており、枕は冷やされていた形跡がある。
(誰の、部屋?)
調度品はシンプルで、それだけでは部屋の主人が男か女かさえわからなかった。ゆっくりとベッドから降りると、部屋の隅に自分のケープがかけられているのが見えた。
(部屋に戻りたい)
雑にハンガーからケープを取り、まとう。メイヴィスを動かしたのが誰であれ、迷惑をかけたことには違いない。謝りたい気持ちはあったが、その背後に待ち受ける冷たい視線が、今のメイヴィスにはどうしても怖かった。夢は、明確な殺意を向けられていることを察するにはあまりにも十分すぎた。
部屋の扉を開け、廊下の左右を見る。幸い、誰もいない。自分の現在位置から部屋に戻るルートがわからなかったが、誰が戻るかもわからない部屋で待つより、精霊に縋りたかった。部屋を飛び出し、できるだけ足音を立てずに、早歩きで廊下を辿る。曲がり角では息を殺し、監視の目を逃れた。
が、メイヴィスはある想定を忘れていた。
それは、誰かが部屋から出てくることであった。メイヴィスは目の前で突然開いた扉を前に身を隠すことはできず、そのまま扉に激突して無様にすっ転んだ。
「わっ」
「お嬢様!」
勝手に扉にぶつかって勝手に転んだ誰かに、当然相手は警戒する。主人の前に侍女が出てきて、庇うように立った。
「曲者!」
と、侍女が衛兵を呼ぼうとする。フードを被ったメイヴィスの姿は、確かに深夜でなくとも不審者以外の何者でもない。
「待ちなさい」
何を思ったのか、誰かは侍女を止める。そして床を見つめて動かないメイヴィスの前に腰を下ろした。
「やはりメイヴィス様でしたか」
メイヴィスは、フードの縁を掴んで目深に引っ張る。正体が露見しようと、今は誰にも顔を見られたくなかった。
「私です、ルーナです」
メイヴィスは、フードを持つ手が震え始めた。相手がルーナだからではない。誰であっても同じだ。ルーナの背後の冷たい視線が、怖くて仕方ないのだ。自分以外の全てが敵に感じる。
「お怪我でもされましたか」
ルーナの優しい問いかけにやっと首を振り、自力で立ち上がる。
「申し訳、ありません」
謝罪を捻り出し、その場を立ち去ろうとするが腕を掴まれた。
「お待ちください。私が部屋までお連れします」
まだ体がおつらいでしょう、と続けられる。実際、メイヴィスには掴まれた手を振り解くだけの気力がなかった。反応がないことを肯定と受け取ったルーナは、メイヴィスの肩を抱く。
「あなたはここにいて」
ついていこうとする侍女を止めると、侍女は不満そうな顔をしたが、ルーナは「すぐに戻るから」と反論を封じた。
カレンがルーナに連れられたメイヴィスを見て悲鳴をあげ、すぐさまベッドに座らせる。メイヴィスが戻ってこないので騒ぎ立てずに探していたようだ。
「メイヴィス様。脱衣所であなたを見つけたのは私です。反応がありませんでしたので、近くの部屋にお運びいたしました。何やらご不安にさせたようで、申し訳ありません」
メイヴィスの前に立つルーナは、そう言うが、彼女には何の落ち度もない。謝るのはメイヴィスの方であった。
「……私こそ、みっともない姿を晒してしまい申し訳ありません。ご迷惑までおかけして」
落ち着いたメイヴィスが謝ると、ルーナは微笑んだ。
「つい長湯をしてしまいますよね。私は大丈夫ですよ」
ルーナにはメイヴィスを助けるメリットがどこにもない。なぜだろうとぼんやり考えるが、答えは出なかった。
「こちらの服は、必ず綺麗にして返します」
「お気になさらず。いつでも大丈夫ですよ」
ルーナはこれ以上の長居は無用だと思ったのか、お大事に、と言い残して自室へ戻っていった。
「侯爵令嬢様。どこにも見当たらなくて心配しました」
ギュッと手を握られ、メイヴィスは居心地の悪さを感じていた。一人で行くと言ったのにこのザマだ。穴があったら入りたい。
「ごめんなさい」
「いいえ。湯当たりしてしまったのですね」
「そうみたいです」
実際はほんの数分浸かっていただけのはずだ。メイヴィスの記憶が飛んでいなければ、だが。
「侯爵令嬢様は、どうやって温泉まで辿り着いたのですか」
カレンは伏せられるメイヴィスの視線に合わせて屈んだ。
「離宮の管理人だという方に、案内していただきました」
「離宮の……もしやセルゲイのことでしょうか」
「ええ、そのように名乗っていましたね」
頷くと、カレンの顔つきが険しくなる。
「それは、妙ですね。私は彼に侯爵令嬢様をお見かけしなかったかと尋ねましたのに」
メイヴィスは無言のまま、特に何も言わなかった。この様子だと、セルゲイはカレンに嘘をついたのだろう。そうした理由は、考えるまでもない。
「どこで会ったのですか?」
「部屋を出てすぐの廊下です。なんでも、私に挨拶をしにきたとか」
メイヴィスの返答でカレンは今度はため息をつく。
「殿下の許可もなく令嬢の部屋に一人で来るなど、あまりにも非常識で礼儀に欠ける行為です」
「許可は、いただいたかもしれませんよ。殿下はお忙しいですし、それで一人で来たのかも」
許可を得ていないとは限らないのでは、と思って言ってみるが、カレンはやれやれと首を振った。
「いいえ、それはあり得ません。殿下はまたの機会に侯爵令嬢様を紹介するとおっしゃっていましたから」
これでセルゲイは、メイヴィスに良い印象はないことがはっきりした。
「殿下の信頼ありきでここの管理も任されているというのに、愚かな方。この件は殿下にご報告いたします」
「……任せます」
長い付き合いがあるからこそ、セルゲイはサイラスを案じ、メイヴィスを危険分子とみなすのだろう。いくらカレンが報告したところで、セルゲイが態度を改めるとは思えなかった。サイラスはきっと、セルゲイに何も言わない。
「それはさておき、侯爵令嬢様。先ほどから顔色が悪いようですが、何かあったのですか」
「実は……殿下に殺される夢を見たんです。それで、少し動揺してしまって」
物騒な話をするメイヴィスに、カレンは一瞬呆けた。
「それは、さぞ驚いたでしょう」
「前も同じような夢を見たので、夢なのか現実なのか、わからなくなる時があって」
前は喉元を掻っ切られ、今回は心臓をひと突きだった。
「侯爵令嬢様、これだけははっきり申し上げます。殿下はそのようなことはなさいません」
「……はい。もちろん、わかっています」
サイラスに近い人間の言葉は説得力に欠けた。だが、メイヴィスはそれを否定するだけの材料がない。肯定するしかなかった。




