意図
2026.05.24 改稿
固い床に体を打ちつけ、メイヴィスは目覚めと同時に呻いた。どうやらベッドから落ちたようだ。緩慢な手つきで喉元に触れる。怪我をしたような形跡はなかった。辺りは薄暗く静かで、メイヴィスはひとりぼっちだった。
「……」
頭が痛い。体は熱を持っているが、寒気が止まらない。意識も視界もぼんやりと霞がかかったようで、正しい認識ができない。先ほどの夢に出てきた格子が見えるが、メイヴィスは床に転がったまま動けなかった。ベッドから共に落ちた上掛けに包まりながら、痛みが落ち着くのを待つ。少し経ち、状況把握に脳のリソースを割いた。
(ここは、地下牢……?)
門前で倒れ、身元も確認できず、不審者として捕えられたのだろう。だが鎖で繋がれているわけでもなく、ベッドもある。
夢がちらつく。だが、物音ひとつしやしない。格子の向かいに目をやるが、人がいるような様子もなかった。
「……」
ふぅと息を吐き、目を閉じる。ベッドの上に戻る気力がない。薄着なことで体温はみるみる奪われ、息苦しさが戻ってくる。すると。
「なぜ外へ出た」
場を照らす炎がゆらめき、声が落ちてきた。目を開けると刺すような視線とかち合う。それは、この国の王太子だった。
「……」
幻かとも思い、反応が遅れる。ズキ、と頭がいっそう痛み、顔が歪む。サイラスの顔はよく見えないが、侮蔑を映す瞳は間違い無く本物だ。起き上がることも億劫だったが、王族相手に居住まいを正さないわけにはいかない。上半身を起こし、壁に体を預ける。
「失くしたものを……探しに」
嘘ではない。だが、真実でもなかった。
「それはお前がするべきことではない。お前は、自室にいさえすればいい」
なぜそんな簡単なことができないのか、とでも言いたげだ。
「私はお前がアレを失くしたとは思っていない。必ず探し出す」
「……」
その割には本気で探しているようには感じられないが、言えないので黙る。耳鳴りがしてきた。
「ここから出て、部屋に戻れ」
「……よろしいのですか?」
謹慎の命令を破り、余計なことをした。部屋に戻ったところでまた抜け出す可能性は十分にある。
「お前が死ぬと都合が悪い」
果たして本当にそうだろうか、と思いを巡らせる余裕もない。ただ、地下牢は隙間だらけで、天井と壁はあるものの、ほぼ外と変わらない。冬が近く、陽光も入らないので気温が上がらない。熱っぽいメイヴィスにとって、あまりにも劣悪な環境であった。
「いえ……私、歩けそうに、なくて」
気持ち悪い。思考と呂律が回らない。
「おい」
ぐらりとまた視界が揺れ、仰向けに倒れる。後頭部を打ち付け、新しい痛みが増える。止まらない吐き気に涙が溢れた。いくつかの足音と、はっきりしない会話が、遠く遠くに聞こえる。
(見ないで……)
涙にまみれ、苦痛で顔が歪んだメイヴィスの顔はさぞ醜いものだろう。誰にも守れない自分の尊厳を守りたかった。
「……?」
何かが額に当てられる。それに対する抗議の声も上げられない。だが、すうっと頭の痛みが消え、楽になった。同時に、何もわからなくなった。
寝起きのメイヴィスは、自分の体を見下ろす。相変わらず肉のない薄い体。しかしどこか軽い。奇妙なほど。腕は小さな穴だらけで、とても健康そうには見えないが。
それはさておき、どこまでが夢だったかと記憶を辿る。地下牢でポツポツとサイラスと会話した気がするが、あれは現実だったのだろうか。そもそもあれからどれほど時間が経ったのか。
「……雪?」
ガタガタと音を立てている窓を見ると、真っ白で外の様子がわからない。どうやら吹雪いているようだ。まだ冬も始まりの時期だったはずが、真冬になるほど眠りこけていたらしい。
メイヴィスの部屋には暖炉もなく、温める手段は限られている。しかし、ベッドから出ても寒くはなかった。
(よくわからないけど、ありがたい)
風に叩かれる窓に触れると、冷たさが指先に伝わってくる。
(そういえば、マリアが死んだ日も……)
こんな吹雪だったと聞いている。そのせいで、行方不明になってから見つかるまでに時間がかかったのだと。
「侯爵令嬢様、お目覚めでしたか」
部屋に入ってきたカレンは冷静だった。特に驚く様子もなく、ゆっくりとメイヴィスの方へ歩み寄ってくる。
「お体の具合はいかがですか?」
「不安になるくらい体が軽くて、驚いていたところです」
「左様ですか。でも窓際は冷えますから、どうぞこちらへ」
カレンはさりげなくメイヴィスの手を取り、ベッドまで連れ戻す。そして水を汲んだグラスを渡し、飲むように促した。
「水分は大事ですから、こまめに摂ってください」
「……はい」
「ちょうどお体を拭こうと思っていたんです。失礼しますね」
持参してきたのだろう湯気の立つ桶に布を浸し、水が滴る音がする。メイヴィスは服を脱ぎ、拭かれるのを待った。
「熱くないですか?」
「はい」
肌の上を繊維が滑っていく。カレンは壊れ物でも扱うかのように、メイヴィスの首から下を拭ってくれた。
「髪も洗いたいですね」
お湯を換えてこないと、とカレンがつぶやいたその時。部屋の扉が無遠慮に開かれた。
「殿下!」
わずか数秒後、怒気のこもったカレンの叫びが響く。メイヴィスはまだ新しい服を着ておらず、肌を晒したままだった。部屋の入り口には背を向けていたが、カレンの怒鳴り声に怯んだらしいサイラスは「すまない」と退室していく。カレンは舌打ちでもしそうなほど顔を歪めながら、メイヴィスに新しい服を着せた。
「無許可で部屋に入るなんて」
対して、メイヴィスはさほど動揺していなかった。サイラスはメイヴィスがまだ眠ったままだと思ってノックをしなかったのだろう。ただその場合、なぜここへ来たのかという疑問は残るが、考えないことにした。
「では、お湯を換えてきますね。念の為、部屋の施錠もしておきます」
「しかし殿下が」
「待たせておけば良いのです。身支度が優先ですよ」
終わり次第呼びに行きますから、と言ってカレンは退室していった。戻るまでの間、メイヴィスは小机にあった栄養剤を一欠片、口に放り込んだ。
洗髪が終わり、カレンはサイラスを呼びに行く。ただ、サイラスは多忙の身であるので、とっくに別件が入っているだろうとメイヴィスは読んでいた。メイヴィスの優先順位は最下位であるし、そうあるべきだと思う。
(カレンが戻ったら、新しいシーツを持ってきてくれるよう頼もう)
退室する前に言えばよかった、と室内のソファに座る。少し空気が乾燥してるのか、目が痛んだ。しばらく目を閉じていると、「侯爵令嬢様」と声をかけられる。顔をあげると、目の前に男物の服が見えた。
「殿下」
ソファから立ち上がり、礼をとる。うまく体に力が入らず、若干よろめいたが、サイラスは何も言わなかった。座るよう促され、次の言葉を待つ。
「これを」
サイラスは自分は座ろうとせず、それだけですぐに退室しようとしているのがわかった。テーブルに置かれた小さな紫の箱に視線をやると、「早く取れ」と急かされる。躊躇っているのが伝わったらしい。辿々しい手つきで固い蓋を開ける。そこには、光に触れて輝きを放つ装飾品が鎮座していた。
「これは、もしや」
それが何であるのか、鈍いメイヴィスにも流石に理解できた。これを探すために街へ降りたのだから。
「お前の探し物であり、私の探し物だ」
「……見つかったのですね。良かったです」
メイヴィスは蓋を閉じ、テーブルに戻す。サイラスでさえ、今回の紛失の責任は免れなかったのだろう。国王夫妻にこってり絞られたに違いない。
「これはお前に預ける」
正気を疑う言葉に、メイヴィスは思わず顔を上げてしまう。同時に、国王の言葉が偽りではなかったことを知った。だがサイラスは、相変わらず感情のこもらない瞳で見つめ返すだけだった。
「私は、これを受け取るために探していたわけではありません。お返しするために探していただけです」
これを受け取るということは、クリスタとルーナに対する挑戦状に他ならない。持ち帰るように促すが、サイラスは頷かない。それどころか、鬱陶しそうに眉を顰めた。
「元よりお前に渡すつもりだった。紛失したのは事故だ。予定を変更するつもりはない」
必ず着けろ。そう言い置き、サイラスは部屋を出ていく。カレンはその後をついて見送りに出た。
(これを私にどうしても持たせる理由……)
箱を見つめながら考える。必ずあるはずだ、その理由が。信頼されているはずがないのだから。
(何か仕掛けられてるのかな)
小さな箱に、より小さなブローチ。何かを仕込むには向いていないように見える。
「侯爵令嬢様」
カレンが戻ってきた。
「これの管理をお願いしてもいいですか」
箱を指差すと、カレンは困ったのか箱とメイヴィスを交互に見る。
「構いませんが、公の場では必ず着けると約束してください」
やがて諦めたように妥協案を出してきた。
「……わかりました」
自分が困らせている自覚はあったので、メイヴィスもそれで手打ちにした。サイラスに忠誠を誓うカレンであれば、宝を紛失することは絶対にあり得ないだろう。メイヴィスへの信頼がなくとも、彼女は必ず王家への忠誠を優先する。そんなカレンの性格に賭けた。
「先ほどお達しがありましたのでお伝えします」
話題が変わり、メイヴィスは続きを待つ。
「殿下が離宮に向かわれるそうです」
「離宮?」
そんなものがあるのかと聞き返すと、カレンは「はい」と肯定した。
「どうやら体調を崩されているようです。先ほども、顔色があまりよろしくありませんでした。それで、ここよりも温暖なハルジオンへ療養にと」
サイラスの顔色など気にもしなかった。しかし、ブローチ探しで疲弊した可能性は否めない。実際どれほどの時間と労力をかけたのか、メイヴィスには想像できない。
「そうですか」
とはいえ、メイヴィスには直接は関係ない話だ。サイラスが不在だからといって、何かが変わるわけでもない。シャロンが戻ってくれれば、不在の隙に城を出ることも考えたが。
「侯爵令嬢様も無関係ではありませんよ」
「えっ」
油断していたメイヴィスはその一言で嫌な予感がする。
「殿下と妃候補の御三方が向かわれるんです。
オルセン公爵令嬢様もお風邪をひかれたそうで」
であれば、クリスタだけを連れていけばいい気もする。
「離宮は人も少ないですし、ここよりは落ち着けるのではないでしょうか」
カレンの言うことにも一理ある。サイラスに代わってメイヴィスの監視をするのは、国王と王妃になる。彼らに辞退を申し出たところで、当の本人であるサイラスが頷かなければどうにもならない。行かないという選択肢を取るには、あまりにも勇気が必要だ。
「侯爵令嬢様も病み上がりですし、ね?」
この様子だと、どうやら拒否権はないようだ。メイヴィスは小さく息を吐いて、頷いた。




