彷徨いの夢
2026.05.24 改稿
メイヴィスは、大衆の視線を浴びていた。
「白い髪に赤い瞳……なんて不吉で不気味なんでしょう」
「ご両親のどちらにも似ていませんわね」
「本当にラングラー侯爵家の令嬢なのか?」
「あれでは王太子殿下が靡かないのも当然だな」
ヒソヒソと、貴族たちの囁く声がメイヴィスの耳に届く。慌ててフードを被ろうと肩口に触れるが、なぜかフードがない。見たことのないドレスに身を包み、メイヴィスは晒されていた。
「っ……」
逃げたい。立ち去りたい。なぜこんなところにいるのか、そんな疑問よりも、一刻も早くこの好奇と軽蔑の視線から逃れたい。だというのに、メイヴィスは震えてしまって動くことも叶わない。いっそ倒れてしまえたらいいのに、なかなか都合良くはいかないものだ。
コツ、と誰かの歩く音が聞こえる。背後からだ。
その誰かは、メイヴィスの姿を隠すように羽織っていたマントを被せる。それを見ていた周囲はざわつき、メイヴィスも混乱した。なぜなら、それをしたのが王太子であるサイラスであったからだ。
「侯爵令嬢は体調がすぐれぬらしい。本日はこれにて失礼する」
高らかに宣言し、サイラスは動けずにいたメイヴィスの肩を掴んで大衆の視線から引き剥がした。メイヴィスを幕に隠れた場所まで連れて行くと、サイラスは肩を離す。すぐに戻るかと思いきや、サイラスはじっとメイヴィスを見下ろしていた。
「……?」
なぜ戻らないのかとメイヴィスは疑問に思う。そしてすぐに、マントを返して欲しいのだと察した。
「も……申し訳ありません。お返し、します」
慌ててマントを脱ぎ、サイラスに押し付けて、メイヴィスは立ち去った。
「聞いた? ラングラー侯爵令嬢様、王太子殿下の生誕パーティーに参加されなかったのに、オルセン公爵令嬢様の生誕パーティーにも参加されないらしいわよ。随分勝手よね」
今度は室内で作業をしている侍女たちの陰口が、廊下を歩いていたメイヴィスの耳に届く。
「確かに、聞いたことないわよね。よほど何かない限り、生誕パーティーに不参加なんて」
「体調不良だそうだけど、それにしたってねえ」
「社交場のマナーを知らないから恥をかきたくないんだわ」
「王太子妃教育も取り組んでいらっしゃらないようだし、何がしたいのかしらね」
(表に出ても出なくても、結局こうやって影で言われる。針の筵だわ)
王太子妃教育に身を入れれば、クリスタを蹴落とそうとしている悪女だと言い出すくせに。
一部では、メイヴィスは王太子妃の座が欲しいためにマリアを殺したのではないかとまで言われているのだ。
何を言っても人間は、自分の都合のいいように解釈して人を陥れる。醜い。醜い。
メイヴィスを悪に仕立て上げ、その物語を娯楽に消化しているだけ。
「随分と楽しそうだな」
「!?」
またもや背後からサイラスが現れ、メイヴィスを侍女たちの視界に入らぬよう遠ざける。そうしてメイヴィスを隠すようにして前に立った。
「おっ、王太子殿下!」
メイヴィスには何も見えないが、侍女たちは慌ててサイラスに頭を下げる。
「お前たちは手よりも口がよく回る。そんなに暇ならば、仕事を増やしてもらうがいい」
「も……申し訳ありません……」
「妃候補であろうと、度を超えた発言は侮辱罪に当たる。口を慎め」
「はい……殿下」
「次はない」
サイラスはメイヴィスには目もくれず、そのまま立ち去っていった。
(何を、考えているの?)
サイラスはメイヴィスには興味がない。陰口を叩かれているのがクリスタやルーナであったなら、今の行為も納得がいく。だが、メイヴィスが何を言われようと無関心だと思っていたサイラスが、紛れもなくメイヴィスのために侍女たちを嗜めた。その事実が理解できず、しばらく立ち尽くしていると、メイヴィスはあることに気がつく。
(……ああ。これは、夢なんだ)
「メイヴィス」
今度はラングラー侯爵家、所謂実家にいた。振り返ればそこには、記憶のままのマリアがいる。美しい金色の髪と、エメラルドを彷彿とさせる美しい瞳が、どちらも持たないメイヴィスとの繋がりを否定しているようだ。
「……マリア」
柔らかく微笑むその慈悲深い顔が、羨ましかった。そこに苦痛はなく、心から笑えているように見える。それはそれでいい。苦しみなどない方がいい。ただ、メイヴィスにとって笑うという行為は縁遠いものであった。
「あなたが生きていたら良かったのに」
メイヴィスではなく。そうすれば、きっと誰もが幸せになれた。サイラスも、マリア自身も、国さえも。メイヴィスでは、マリアのような人生は歩めない。誰かのために生きることを、望んだとしても望まれない。そういう存在になってしまったのだ。
「……代われたら、いいのに」
今からでも遅くはない。手段さえあれば、迷わず選ぶ。マリアがどう思おうが関係ない。少なくとも、現状よりはずっと良くなると信じている。
「何とか言って」
声が掠れる。目が熱くなり、マリアの姿がぼやける。地面を見つめると、ぼたぼたとシミが作られていく。
「ごめんね」
謝罪が向けられ、メイヴィスはまた涙をこぼす。謝って欲しいわけではないのだ。
(謝るのは、私の方なのに)
自分の愚かな行為を理解していた。何の意味もない人生を、マリアのせいにしているだけだ。生者から死者への、完全な八つ当たり。泣きたいのはマリアの方なのに。
「私は、あなたに」
続くマリアの言葉は、風に攫われた。
暖かさに目を開ける。温かい、壁のようなものに額が押し付けられている。息はできるが、身動きは取れない。壁は柔らかく、無機物でないことはわかるが、その正体は近すぎてわからない。
(……抱きしめられている?)
重みを感じるのは、腕だろうか。
両親にさえ抱きしめられた覚えのないメイヴィスは、導き出した答えに確信が持てなかった。誰がメイヴィスを抱きしめるのか、という疑問もある。
(まだ、夢か)
瞼は重く、メイヴィスは起きることをやめた。
視界に格子が映る。薄暗い空間の向こう側に、誰かがいる。
「……シャロン?」
向かいの牢屋に倒れているのは、見覚えのある侍女だった。
「シャロン」
ガシャンと鉄の格子に飛びつく。だがシャロンはぴくりとも動かず、うつ伏せのまま冷たい床の上だ。
「……!」
ぬっと死角から現れた靴のつま先が、メイヴィスを向いている。ほぼ同時に剣の先が見えた。
フードを被った誰かは、シャロンを背にして格子の中のメイヴィスを見下ろす。
「シャロンに、何を」
抗議の声は、喉元に突きつけられた切先に吸い込まれるようにして消えた。格子の隙間をすり抜け、メイヴィスを害そうとしている。
「……」
だが、メイヴィスは落ち着いていた。床に手をついて後退り、牢の奥へ逃げる。格子は閉じているので、開けない限りその切先が届くことはない。それを悟った誰かは、すぐさまメイヴィスに背を向ける。しかし、それは標的を変えただけに過ぎなかった。
「あっ」
シャロンが倒れているのは格子のすぐ近く。意識のない彼女が、その凶刃から逃げることは不可能だった。
「やめて!」
格子に駆け寄ったその瞬間を、相手は見逃さず。
「……!」
振り向けたその刃を、真っ直ぐメイヴィスの首に突き立てた。




