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手がかり

2026.05.23 改稿






ゾーイが立ち去り、とたんに静かになる。ちゃぷちゃぷと叩いたお湯の音だけが風呂場に響いた。


(特に手掛かりなし、か)


王家の秘宝を持ち去った可能性のある侍女。メイヴィスがオリビアに関して知っていることはそれだけで、あまりにも情報が少ない。そもそもメイヴィスは城にいたくなくて突発的に出てきた。手掛かりなど、見つかる方がおかしい。


(帰りたくないなあ)


湯船の中で膝を抱え、丸くなる。このまま立ち去れば、メイヴィスこそが王家の秘宝を持ち去った犯人として捕らえられるのだろうか。見たことも触れたこともない宝を盗んだ罪で。


(土産話の一つでも、あれば良いのだけれど)


捕まる覚悟はできている。それが足枷にならないくらい、あの場所にいたくなかった。シャロンがいる限り、どこへにも行けない。それがわかっていたとしても。


(いつまでもここに世話になるわけにはいかないし)


はっきり言われないだけで、迷惑なのは明白だ。


(帰ろう)


多少の気分転換にはなった。今のメイヴィスには、それだけで十分だ。
























脱衣所には、タオルときれいに畳まれた侍女服が置いてあった。メイヴィスが着ていたものだ。髪の水気をタオルに含ませ、全身の水滴を拭いとる。手櫛で滴が落ちなくなった髪を適当に整え、侍女服をまとった。


「ん?」


床に紙片が落ちている。服を取った際に落ちたのだろうか。拾ってみると、そこには文字が書かれていた。


『レジーナの森』


何のことだかメイヴィスにはよくわからなかった。筆跡はゾーイのもののように見えたが、彼女であるならなぜ何も言わずメモに書いたのか。


「……何か、事情があるのね」


ならば何も尋ねまい、とメイヴィスはそのメモをポケットにしまう。廊下に出るが、宿に人の気配はなかった。すでに客たちはチェックアウトし、家人たちはその後始末に追われているようだった。


「……」


金にならない客の顔など見たくもないだろうと、メイヴィスはそのまま出て行こうとした。

すると。


「あっ、おい何してんだ」


昨日の夕方、メイヴィスを助けた男と玄関で鉢合わせた。


「もう行きます。助けていただいて、ありがとうございました」


軽く頭を下げると、ゼノは「それは別に構わないんだが」と腰に手を当てた。


「そんな濡れ髪のままで外に出たら風邪ひくだろ。ほら、乾かしてやるから」


手を取られ、奥へと連れ戻される。


「えっ、あの、平気ですから」

「ゾーイにやらせたいが、今は忙しいんだ。俺で我慢してくれ」


有無を言わさず洗面所の椅子に座らされ、乾燥機が当てられた。


「熱かったら言えよ」

「大丈夫です」


慣れた手つきで髪が乾いていく。普段から慣れているのだろうか。


「この後行く宛はあるのか?」


問われ、先ほどのメモを思い出した。


「この近くに森はありますか?」


ゾーイが直接言わずメモを残したのは、都合が悪い理由があるのかもしれない。そう思ったメイヴィスは、知らない体で尋ねてみた。


「森? 森なんてそこら中にあるが」

「名前のついた森とか」

「あー? この辺なら、レジーナの森くらいかなぁ」


名前が出てきて、メイヴィスはすかさず質問を被せる。


「どんな森なんですか?」

「この国の初代女王の墓がある森。そう聞いたよ」

「行ったことはないんですか?」


物言いに引っかかり突っ込むと、とんでもないとゼノは顔を顰めた。


「あの森は王族しか入れない禁足地なんだよ。無関係者が入ったらどんな理由でも即刻処刑。そういう決まりがあるから、誰も近寄らない。ちゃんと前例もあるし」


メイヴィスは首を捻る。ゾーイはなぜそんな物騒な場所を示したのだろうか。


「でもなんでそんなこと聞くんだ?」

「行方不明の人の、手掛かりなんです」

「レジーナの森が? まさか行かないよな?」

「行きませんよ。そんなところにいないでしょうし」


王家がどのように侵入者を捕捉しているかは知らないが、メイヴィスが行っても仕方ないだろう。


「ならいいが」

「ありがとうございます。今日はひとまず、城に戻ろうと思います」

「そうか。気をつけてな」


終わったぞ、と乾燥機が止められる。乾かされた髪がしっとりまとまり、香油の匂いがほのかに漂う。


「一つ、聞いてもいいか」

「何でしょうか」


鏡越しに目が合う。ゼノの表情は硬い。


「お前のその目、生まれつきか?」


赤い瞳はコンプレックスだった。両親も、姉も、身内の誰も持たない色。アイデンティティであると同時に、爪弾きにするには十分な証。


「えっと……まあ、はい」


メイヴィスの表情が暗くなり、ゼノは申し訳なさそうに手を振った。


「悪い。不快な気分にさせるつもりじゃなかったんだ」

「いえ。気味が悪いですよね」

「確かに珍しいとは思うが、それだけだよ」


ゼノはメイヴィスの肩をポンと叩き、もう一度謝った。


「本当にすまなかった。機会があれば、また来てくれ」

「……ありがとうございます」


二度と来ては行けない。そんなことを思いながら、メイヴィスも再び礼を述べる。


「じゃあな」


どこかぎこちないゼノに見送られながら、メイヴィスは宿を出た。

王宮行きの馬車を見つけ、それに乗り込む。同じ馬車に乗り込む侍女は多く、鮨詰め状態だ。おまけに城に近づくにつれ、燻っていた頭の痛みが強くなっている気がした。少しでも休もうと、メイヴィスは息苦しさの中目を閉じた。



















「名前と所属を言いなさい」


前の侍女に続いて何とか馬車を降りると、先に到着していた他の侍女たちがズラリと並び、持ち物検査やいくつかの質問に応答していた。


(あ……結局、どうやって城に入るか考えてなかったな……)


全ては突拍子もなく決めたことだった。秘宝探しも人探しも気分転換も、後付けの理由だ。何も決めないまま飛び出してしまったせいで、ここに来るまで考えが至らなかった。このままでは捕まってしまう。だが、兵士まで構えているこの状況で逃げることはできないだろう。頭の痛みはさらに増している。冷や汗が止まらない。真っ直ぐ立つことも難しい。


「そこのあなた」


年配の侍女に手招きされ、列から離れる。


「顔色が悪いけど、体調不良? 何の病気かわかるかしら」

「……」


力なく首を振る。わかっていればどれほど良かったか。


「そう。では、あなたの入城許可は出せないわ」

「……」


仮に感染症であった場合、多くの被害が出れば責任を取れない。侍女の言葉はもっともだった。


「このまま街まで戻って、医者に診てもらいなさい。少し休暇をとって、元気になったらまた戻ればいいわ。所属はどこ?」


声が耳の中で反響して、うまく聞き取れない。自分が立っているのか座っているのかわからない。目の前にあるのは地面なのか、空なのか。肌に触れる何かが冷たい。湯で温まったはずなのに、すでに寒い。


「私……私、は」


名前が言えない。後戻りもできない。このまま街に送り返されても、行く場所がない。


「あっ」


怒声が聞こえ、耳鳴りが最高潮に達する。そして、糸が切れたように体が地面に沈んだ。

























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