秘匿
2026.05.23 改稿
「あ、いた。入ってもいいか?」
向こうから現れたのは、昨夜の青年ゼノだった。部屋の主でもないメイヴィスが断れるはずもなく、頷く。タオルの合わせだけはしっかり握って、何も見えないように。
「すまなかったな、食事も出さないで」
「……いえ」
ラグに座るメイヴィスに合わせて、ゼノも床に座る。
「ゾーイも……普段はあんなに他人の世話は焼かないんだが……」
ゼノは妹の話になると途端に口が重くなる。
「鬱陶しかったら言ってくれ。言い聞かせるから」
「いえ……あんなに歓迎してくれるなんて。仲間意識からでしょうか」
「それもあるだろうが……まあ、王宮で会ったらよろしくな」
「はい」
ゼノはそれだけ言い置いてすぐに退室していく。そしてメイヴィスがパンも完食した頃、ゾーイが戻って来た。
「もういつでも入れるわ。冷めないうちに早く早く」
やはり強引に、風呂場へ連れて行かれる。
「わ、良い香り」
風呂場は花の匂いで満たされており、思わず呟いてしまう。
「良いでしょう? 私も気に入ってるの」
緩慢な手付きのメイヴィスの脱衣を手伝いながら、ゾーイは自慢げだ。
「あっ」
するりと服を脱いで裸になったメイヴィスを見て、ゾーイの動きが固まる。
「どうかしたの?」
「えっと……背中の傷、あんまり見られたくなかったかなって」
背中の傷、というのは少し前に負った怪我の傷跡のことだ。痛みはないが、跡は残ってしまったらしい。別に誰に見せる予定もないので、メイヴィスは特に気にしていなかった。
それどころか、急にしおらしくなったゾーイを面白いとすら思っている。
「いいえ。でも、あまり詳細を聞かないでくれると助かります。ただの事故ですから」
「だとしても、女の子の体にこんな傷……可哀想だわ。痛かったでしょう」
そっと抱きしめてくれるその暖かさは、メイヴィスにとって少しくすぐったかった。
「ありがとう」
ゾーイは困ったように微笑み、「掛け湯をしてから入ってね」と桶を渡した。
「気持ちいい……」
じんわりと広がる温もりに、メイヴィスは癒される。王宮では湯船に浸かることはほぼなく、カレンは外で待機をしていたのでメイヴィスは一人で手早く風呂を済ませていた。
「頭も洗ってあげる」
背後からゾーイが髪に触れる。
「でも」と遠慮するが、「いいから」とゾーイは髪を櫛でとき始めた。
「女の子で髪が短いのって珍しいね。それに綺麗な色。白? 銀?」
「あんまり伸ばすのに向いてる髪質じゃなくて……色は多分、白だと思います」
だんだん頭で泡が出来上がっていき、耳元でシュワシュワと音が弾ける。
すると、ゾーイの動きがぴたりと止まった。
「ん……? 首に模様みたいな痣があるね。髪と服で隠れてたけど」
「ああ、それは……気づいたらあったんです。見苦しいので、普段は隠していて」
「そっかあ」
再びわしゃわしゃと頭皮を掻かれる。
「ねえ、メイは人探しのためにここに来たって聞いたけど。誰を探しているのか聞いてもいい? もしかしたら知ってるかも」
「えっ……と」
メイヴィスは少し悩んだ。オリビアについて、確かにゾーイは知っているかもしれない。ただ、話してしまうと何も関係ない彼女を巻き込んでしまうのではないかと不安がよぎったのだ。
「ん?」
話さない方が怪しまれるかもしれない。そう考えたメイヴィスは、話すことにした。
「オリビアという女の子です」
そこまで期待していなかったが、ゾーイはオリビアという名前を聞いて手を止める。
「オリビアなら、知ってる」
「え?」
ゾーイの声が一瞬沈んだような気がした。
「でもどうしてオリビアを?」
「……人を介して物を貸したので、返して欲しくて」
次の瞬間、ゾーイの声のトーンが戻ったため、メイヴィスはそれ以上は追及できなかった。
「ふぅん、それは困るね。流すよ」
泡が流され、肌を滑り落ちていく。「香油も塗ったげる」と懇切丁寧にされた。
(やっぱりバレてるんじゃ……?)
何か不自然なことを言って勘付いてしまったのかもしれない。ただ、指摘しないのであればわざわざこちらから話を振ることもないだろう。
「メイはどこの出身なの? ここじゃなさそうだけど」
思わず唾を飲み込む。この国の村や領地の名前など、わざわざ覚えていない。
「ずっと田舎です」
誤魔化して答えるが、ゾーイは掘り下げる。
「それじゃ、なかなか実家に帰れなさそうだね。手紙とか送ってる?」
「……たまには」
「侍女のほとんどは城下かその周辺の領地出身だって聞いたけど、田舎出身の子も採用してるのね。初めて聞いたわ」
「……」
(ちょっと失敗したかな)
ラングラー侯爵家の領地出身だと言ってもよかったのだが、あまり話したくなかった。
「ね、メイはどこの所属なの? 誰と一緒?」
王宮内の侍女はある程度の人数で班を作り、各々所属がある。そこまではメイヴィスも知っていたが、さて何と答えたものか。
(ゾーイはどこって言ってたかしら……覚えてないわ)
「それが、決まっていなくて。その日その日で違った場所に配属されるんです」
誰かに確認すればすぐに嘘だと露呈してしまうが、下手にカレンの名前も出せず、適当な名前も博打だ。しかしそれ以外の最適解をこの数秒で出すことは、メイヴィスには不可能であった。
「遊撃班かな? そんなのもあるのね」
まだ侍女となって日が浅いのか、納得してくれたらしい。安心したのも束の間、すぐに爆弾が落とされた。
「ね、ラングラー侯爵令嬢様の居住には行ったことある?」
「えっ?」
つい聞き返してしまうと、ゾーイは苦笑する。
「ラングラー侯爵令嬢様だよ。知ってるでしょう?」
「え、ああ……どうだったか……」
王太子妃候補であるメイヴィス、クリスタ、ルーナにはそれぞれ居住スペースが与えられている。プライバシーを守るだけでなく、余計な争いごとを避ける目的もある。サイラスの居住から最も近い位置にはクリスタ、その次にルーナ。最も遠く、薄暗く、人もほとんど通らない寂れたスペースがメイヴィスだ。
メイヴィスの居住スペースは、メイヴィス自身が人目を避けていることもあってかほとんど侍女を見かけたことがない。すれ違った侍女もほんの数人だった。
「仲間の誰に聞いてもお見かけしたことがないって言うから、あそこは誰も配置されてないんだろうね」
「……」
ゾーイに背を向けていてよかった、とメイヴィスは思った。動揺しているのを悟られたくない。
「上級侍女様たちは何も教えてくれないけれど、どうやら王太子殿下が一部を除いて侍女の立ち入りを禁じているんだとか」
「えっ?」
侍女を見かけないのはメイヴィスが避けているからだとばかり思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。
「噂じゃ、こっそり立ち入った侍女たちが殿下に見つかってクビになったって」
「……噂ですよね?」
「でも何人かいつのまにかいなくなっててさ。本当なのかも」
「まさか……そんなわけ……」
それだけを聞くと、まるでサイラスがメイヴィスを人目に晒すことを避けているように聞こえる。
「護衛も最低限しかいないはずよ。不思議よね。ラングラー侯爵令嬢様に興味がないのかお守りしたいのか、よくわからない」
ゾーイの言葉で、メイヴィスは一つ可能性を見つけた。
「経費削減ではないでしょうか。侯爵令嬢様はほとんど外出されないといいますし、そんな方に侍女や護衛をたくさんつけても無駄でしょう?」
矢継ぎ早に言葉を繰り出すと、ゾーイは「驚いた」と呟く。
「メイは、ラングラー侯爵令嬢様をあまり良く思っていないのね」
「それは……」
(他の誰でもない自分のことだし)
「悪く思わない人が、いるでしょうか」
少し間を置いて返すと、ゾーイは苦笑した。
「そりゃ、噂だけ聞いてたらね。でも、結局私たちって彼女のこと何も知らないじゃない? 憶測だけで他人を評価するって、すごく失礼なことだと思うのよ」
(……変わってるなぁ)
悪口ばかり聞くような環境にいれば、人は染まってしまうものだ。みんなが言っているのだからそうに違いない、と。だがゾーイは周囲に迎合するつもりはないようだった。
「みんな私のこと変わってるって言うの。私は自分の目で見たものを信じたいだけなんだけどね。いつかお会いしてみたいな、ラングラー侯爵令嬢様」
「お会いできるといいですね」
期待値が上がっているような気がして、当たり障りのない言葉で会話を終わらせた。ゾーイも洗髪を終え、
「じゃ、私は先に出てるね。ゆっくりしてて」
と止める間もなく出ていく。そうしてメイヴィスは風呂場に1人残された。




