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提案

2026.05.23 改稿






それから数日もすると、空気は一気に冷え込んで、手が温度を失うことも増えた。


「お前さんは寒さにも弱いのな」


また書庫の小部屋に篭る日々が続くメイヴィスは、コーディお手製の火鉢によってその寒さをしのいでいた。与えられた部屋に一人でいても、息が詰まった。メイヴィスに対して何の感情もない相手と話している方が、ずっと気が紛れる。


「冬はベッドが友達ですから」

「冬だけか?」

「年中かも」


互いに笑い、沈黙が降りる。


「体調が良くなったら、少し外に出るのはどうだ?」


精霊の提案に苦笑いし、首を振った。


「外は、人の目があるので」

「城内のことじゃない。もっと外だ」


もっと外、というと、答えは一つ。


「城の外ですか?」


ふふんと笑ったのが正解の合図だ。


「お前さんの見た目を知っている人間は少ない。それどころか、貴族じゃないなら名前も知らないんじゃないか。お前さんは城以外に安らげる場所が必要だ」

「その考えは……ありませんでした」


体が弱かったメイヴィスは生まれてからほとんどを実家で過ごした。旅行なども行ったことがない。ほとんどベッドの中で、調子の良い日に庭でマリアと遊んでいたくらいだ。

二人とも、外への憧れはあった。ほんの少し。ただ、両親はマリアの外出を禁止した。王妃になるかもしれない娘に何かあってはいけない、ということだ。メイヴィスは禁じられなかったが、一人で外に行く勇気はなかった。メイヴィスが外に行ったところで、誰も気にかけはしなかっただろうが、シャロンもいい顔をしなかったため、メイヴィスは何も言わなくなったのだ。


「だろうな。でも、今なら行けるんじゃないか。どうせ誰もお前さんの行動を気にかけはしない。数時間姿を消したってきっと気づかないだろうよ」


コーディの提案に、メイヴィスはすっかり驚いた。その発想はなかった。言われてみれば、メイヴィスは誰にも縛られていないのだ。義務のように、王宮にいなければならないと勝手に思っていたが。


「いいですね、それ」


サイラスの言った騒ぎの基準は、おそらく他人を巻き込むかどうかだろう。毒騒動も怪我も、クリスタやルーナが関わってしまっている。だが、メイヴィス一人が少しだけ姿を消すことを、誰が騒ぐだろうか。


「里帰りの侍女たちに紛れ込めば問題ないとして、目立つとマズいから、侍女の服を拝借しないとな。まあどっかに在庫があるだろうから、探しておくよ」

「ありがとうございます」


人外のやることをいちいち気にかけているとキリがいので、礼だけ述べた。


「侍女といえば。お前の侍女、まだ帰ってこないのか」


思い出したように、コーディが尋ねる。メイヴィスはまた視線を逸らした。


「直談判はしてみましたが……無事の一点張りで、会うこともできないんです」


候補辞退と引き換えの提案までしたのだが、サイラスにとっては何のメリットもなかったのだろう。


「まだ無事そうだがな。もっと情報が欲しいなら、集めるが」

「……何が欲しいんですか?」


即食いつくメイヴィスに、コーディは苦笑する。


「単なる暇つぶしで提案しただけだが……お前が納得できないってんなら何かもらおうかねえ」


この世にタダより高いものはないという。欲しいものがあれば、それ相応の対価を払わなければならない。メイヴィスはそれを心得ていた。


「私にできることなら、なんでも」

「あんまりそういうこと言うもんじゃないぜ」


心意気だけは評価するけどな、とコーディは続けた。


「何かあるから、そんな提案をしたのでしょう」

「考えとく。ツケってことで」


サラリと答えたコーディに、メイヴィスは拍子抜けした。てっきり自由になりたいと言われると思ったのだ。


「……わかりました。シャロンのこと、よろしくお願いします」


自由になりたい。それだけは頼んでくれるな、と言いたかったが、メイヴィスは自分がコーディと対等な立場はないことを痛いほど自覚していた。自分では何もできない侯爵令嬢が、万能の精霊を御せるはずがない、と。結局、何かを望むのであれば、コーディの言いなりになるしかないのだ。契約とは、そういうものだから。


「あいよ。次来た時に教えてやる」

「ありがとう」

「気にすんな。互いの利害が一致してるだけだから」


都合の良すぎる存在。誰かの望みだからと、救いようのない他人を助けようとする。

人間では、決してあり得ないこと。


「……」


横から落ちる髪の毛束を掴み、耳にかける。


「もう行きますね」


立ち上がり、出口を開ける。信じるという行為は、ある意味賭けに近い。立場の弱い者であればあるほど、それには抗えない。強い者に縋るしか選択肢がないからだ。メイヴィスはまさにその術中にいる。隣の精霊を信じることが本当に正しいことなのか、時折わからなくなる。だが、頼れる相手がいない人間は選んだものを元に戻す権利を持たない。それに賭けて、勝てば望むものを。負ければ全てを失う。文字通り、全てを。


「侯爵令嬢」


背後から精霊が呼び止める。戯ける様子でもなく、真っ直ぐに。しかしメイヴィスは返事をせず、そのまま廊下に出た。


(この不信も、おそらく見破られている)


言葉では埋められない穴がある。きっと誰も、その穴を塞げないのだ。


























王宮の侍女たちには、階級がある。貴族らのそばについて身の回りの世話をする上級侍女、貴族らの部屋に入り、掃除や不足したものの補充などを担当する中級侍女、そして部屋に入ることが許されておらず、雑用を担当する下級侍女。ほとんどの者が下級侍女から始まり、年数を重ねたり成果を出したりすると階級と待遇が上がる。出身は庶民の娘が多く、採用されるには狭い門ではあるが、採用されるとその身分は保証される。貴族の家に雇用されることもあるが、身分は保証されないため、王宮に来たがる者は多い。

シャロンのように外部からの侍女も主人の王宮入りと共に身分が保証され、上級侍女として登録される。しかし王宮では新入りのため、ベテランの侍女たちから嫌がらせをされることもある……とは、コーディの言だ。

それはさておき、上級侍女ともなると主人の世話のため休みはほとんどない。対して下級侍女たちはシフト制で働き、休みの日には実家に戻り、プライベートが比較的充実している。つまり、その里帰りの中に紛れ込めば、メイヴィスも街へ行って帰ることができるというわけだ。

が、下級侍女であっても城の出入りは厳しく検査され、所属も問われる。正門からの行き来は難しい。


「ほらこれ、下級侍女の制服」


これにフードをかぶっていれば髪の毛も目立たないだろ、と新品の証であるタグが目の前で切られた。あれから数日は小部屋へ入ることを避けていたが、コーディは怒るでもなく久々に訪れたメイヴィスを歓迎した。


「出るのは問題ないとしても、入るのは難しそうですね」


メイヴィスは侍女ではないので、所属を問われたところで答えられない。


「妃候補だっつっても、信じてもらえんだろうしな。嘘もすぐにバレる。さてどうしたもんか」

「……城なら、誰にも知られていない秘密の抜け道とかないでしょうか」

「あるにはあるだろうな。有事の際に王族が逃げるためのルートが。でもお前さん、それがどういう意味かわかるか?」


首を傾げるとコーディはくくっと笑った。


「王族専用なんだから、王族の部屋にしかない」

「……あっ」

「王族の部屋に出ても平気か? そこにいるかもしれないのに」

「やめた方がいいですね」


即答するメイヴィスに、精霊はまた笑った。

シャロンを助ける前に首と胴体が分かれるのは避けたい。


「そういや、侍女のことなんだが」

「何かわかりましたか?」


前のめりになると、まあまあと両手で制される。


「元気そうということは、わかったぞ。拷問もされてないし、酷い扱いを受けている様子もない。ただ、会いに行くことは無理だろうな」

「……そうですか」


ひとまず無事なようなので、それはいい。しかし、シャロンも毎日不安に苛まれていると思うと、自分の無力さを思い知らされる。


「俺はお前が心配だよ」

「え?」


唐突に紡がれた言葉が一瞬理解できず、メイヴィスは間の抜けた声が出た。


「お前さんの新しい侍女が、ただならぬ様子でお前さんのことを探してる。急いだ方が良さそうだ」


精霊は小部屋の扉を開け、廊下の様子を探る。


「ほら」

「あの、一体どういう」


訳のわからぬまま放り出されそうになるのをなんとか止めるが。


「悪いが今回は助けてやれない」


目の前で扉が閉まり、メイヴィスは呆然として廊下に立ち尽くした。良からぬ事態の発生、そして精霊には解決できないこと。たったそれだけの事象が、心に重くのしかかる。


「侯爵令嬢様、こちらでしたか」


やや息を切らしたカレンがメイヴィスの元まで来て頭を下げる。


「何かあったんですか」


メイヴィスが尋ねると、カレンは神妙な顔で言いにくそうに口を開いた。


「……国王陛下がお呼びです」




















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