二度目の会食
2026.05.23 改稿
「侯爵令嬢様、おはようございます」
カレンがカーテンを全開にしたことで、部屋に朝日が差し込む。その眩しさで強制的に脳が叩き起こされた。
「んー……」
昼間もずっと眠っていたので、昨夜はなかなか寝付けなかった。遠くなっていく月を見て、明るくなっていく空をぼんやり見つめていたことまでは覚えているのだが。
「侯爵令嬢様、王太子殿下より伝言を預かっております」
カレンの言葉にさらに覚醒し、メイヴィスは「何ですかぁ」と眠気を隠さず尋ねる。
「本日は18時より会食を行う、とのことです」
「あー……」
そういえば月に一度全員で集まって、四人で食事をとるというようなことを言っていた。まさか継続するつもりなのだろうか。
「そういうわけですので、起きましょう。もう正午です」
よいしょと引っ張り起こされ、メイヴィスは子どものように呻く。
「……会食は参加が絶対なんでしたっけ……」
「侯爵令嬢様が欠席なさる場合、会そのものを中止するとのことでしたので、お忘れなく」
「……なんと」
先月、メイヴィスは怪我の回復に努めていた。おそらく会食は行われていないのだろう。
「本日は少し時間をかけますよ」
クローゼットを開けたカレンは、そのあまりの空白の多さに目を丸くする。
「お持ちの服はこれだけですか?」
「はい。必要なかったので」
「ですが、今後のためにもいくつか新調したほうがよいのでは?」
「……そうですね。そうします」
口では提案を受け入れるが、行動する気はなかった。そのうち使わなくなる服のために雀の涙ほどしかない私財を投入したくない。
カレンは比較的綺麗なものを取り出し、「お預かりしますね」とどこかへ持って行った。すぐに戻ってきたと思うと、その手には湯気のたった桶がある。
「まずはお顔をきれいにしましょう」
促されるまま顔を拭き、椅子に座る。目の前に鏡が置かれ、見たくもない自分の顔が映る。髪の毛を全て後ろにまとめられると、その目鼻立ちがより際立った。だがその容貌よりも、濃く浮かんだクマが目立つ。
「昨夜はあまり眠れませんでしたか?」
「起きている時間より寝ている時間のほうが長いと思うのですが、なかなか消えなくて」
鏡などほとんど見ないので、実際のところはわからない。
「では、少し隠しましょうか」
また部屋を出たかと思えば、化粧道具が乱雑に詰め込まれたカゴが運ばれた。
「これは?」
「私物です。お肌に合えば良いのですが」
ろくに化粧品すら持っていないことを見かねて、私物を使おうとしているようだ。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
蓋を開けようとする手をそっと押し戻す。
侍女に私物を使わせるなど、あるまじきことである。そこまでして自分が恥晒しな人間であることを、今更隠すつもりはなかった。
「ですが、ここまでひどいと必ずどなたかに突っ込まれてしまいます。それは、侯爵令嬢様も本意ではないのでは?」
「それは、そうですが」
「もしお肌が荒れてしまったら、その時は使うのをやめましょう」
ね、と説得され、メイヴィスは押し黙った。注目されないためには、話題を作らせないことが重要だ。自分から隙を与えてはいけない。
「目を閉じてください」
色々と肌に塗られ、粉が叩かれる。眉毛を整え、唇にも何かが走っていった。
「はい、終わりました」
目を開けて鏡を覗く。薄く化粧され、肌が補正された顔が映った。誤魔化すようなものは一切なく、見たことがないほど顔色が良い自分がいる。
「ありがとうございます」
「時間をかけて馴染んでいくと思います。横にはならないでくださいね」
何がきっかけだったのか、カレンはメイヴィスに妃教育についてうるさく言うことはなくなった。というよりも、カレンがメイヴィスのそばにいる時間がめっきり減ったのだ。こうして世話は焼くが、すぐに退室していく。なので、精神的なストレスはかなり軽減された。
「……あと数時間か」
ひとまず栄養剤は飲まず、窓辺に椅子を持って行きぼんやりと外を眺める。天気は悪くない。陽光が降り注いで窓辺はぽかぽかと暖かい。うつらうつらとしていると、いつのまにかカレンが戻ってきていた。
「そろそろお時間ですよ」
そんなバカなと時計を見ると、確かに針は6を指そうとしている。時間が飛んだようだ。
カレンは仕上げだと言って髪を整え始めた。
「侯爵令嬢様」
食堂に入ると、一人の少女が駆け寄ってくる。お茶会以来顔を合わせていなかった、年下の公爵令嬢だ。
「ご無沙汰しております」
軽く挨拶をすると、クリスタの胸元にペンダントが光る。これがルーナの言っていた宝のひとつなのだろう。
「お身体の具合はいかがですか? 本当はお見舞いに行きたかったのですが、殿下から止められて……」
その殿下はまだ到着していないようで、怪我の遠因とも言える伯爵令嬢が複雑そうな顔をしてテーブルについている。
「どうかお気遣いなく、公爵令嬢様。私は大丈夫です」
メイヴィスがどうなろうと彼女たちには関係ない。内心興味もないだろう。しかし、触れないのも不自然なせいでこうして気を遣わせてしまう。
「侯爵令嬢様は、普段何をしていらっしゃるのですか」
これ以上この件に触れる必要はないと判断したのか、クリスタは話題を変える。だが、そんな軽い世間話にすらメイヴィスは答えに窮した。
「えっと……」
「もしお嫌でなければ、今度一緒に乗馬などいかがでしょうか」
人ならざるものと会話をしていることなど言えるはずがなく、言葉に詰まっていると、向こうから助け舟が出る。
「乗馬、ですか」
ルーナからも似たような誘いがあった気がする。彼女たちは動物が好きらしい。
「風が心地良くて、気分がスッキリするんです。でも殿下はお忙しいですし、一人で走るのも味気なくて」
「……」
返事をしようと口を開く。自分が今どんな顔をしているのかわからなかった。できる限りの笑みを浮かべることができていれば、いいのだが。
「体調が良ければ、その時はぜひ」
断ることができるなら、そうしたかった。だが、明言や断言はどんな場面でも避けるべきだと誰かが言っていた気がする。それが世を渡り歩く術なのだと。これがメイヴィスにできる精一杯だった。
クリスタは良いようにとらえたらしく、ぱあっと表情が明るくなる。これを曇らせた時が自分の終わりかと、そんなことを思う。
「はい、ぜひ!」
なぜ、彼女はメイヴィスに構うのだろう。サイラスには関わることを止められているのに、それを破ってまで声をかけるのはなぜだろう。
彼女がメイヴィスの排除を望むのなら、サイラスは躊躇いなくその願いを叶えるはずだ。しかし、彼女たちはそうしない。それどころか、メイヴィスに友好的な態度さえ見せる。
(わからない)
どう接すればいいのかがわからない。もっとメイヴィスを警戒し、敵対してくれれば、メイヴィスは今頃こんな地獄から逃げていただろうに。
クリスタは言質をとれたことに満足してテーブルに戻る。そして今度はルーナと談笑を始めた。その姿はまるで姉妹のようで、自分がその空間の邪魔をしているように感じられた。
「侯爵令嬢様」
ぼんやりとその場に立ち尽くしているメイヴィスに、カレンがテーブルにつくよう促す。
「待たせた。食事を始めよう」
そしてサイラスが入室してきたのは、それからわずか数秒後のことだった。
メイヴィスはカレンが取り分けた料理を少しずつ口に運んでいた。かなりの量を載せられたが、食べきれそうにない。幸いなのは、コースタイプではなかったことだ。
時折サイラスやルーナがぽつぽつと世間話をするが、その輪の中に混じることができない。話題も提供できず、話を振られてもひと言で返して終わり、それ以上続かない。やがて誰もメイヴィスに声をかけなくなり、置物と化した。
(ああ、嫌だな)
メイヴィスに会話の能力がなく、さらに人生経験が少ないことでコミュニケーションがうまく取れずに気まずい空気になる。
(こんなことが、毎月あるの?)
いてもいなくても変わらない、むしろ悪化させるのであれば、三人だけで食事をすればいいのに。
(あと何回、こんなに惨めな思いをすればいいんだろう)
馴れ合いたいわけではない。サイラスに愛されたいわけでもない。場違いなこの空間から逃げたいだけだ。
(今すぐ消えたい)
人としての何かが、明らかに欠落している。それを突き付けられているようで、生きていることすら恥ずかしくなってきた。
「……!」
味を噛み締めていたその時、胸を貫くような痛みが走った。ついスプーンを取り落としそうになり、堪える。少しずつ、痛みを吐き出すようにして息を整えた。だが、痛みを抑えたいあまりに、胸元に手が伸びてしまう。
「侯爵令嬢様? いかがなさいましたか?」
たとえどれだけ平静を装っても、痛みに慣れていても、誰かがメイヴィスを見ていれば様子がおかしいことに気づいてしまう。痛みで、会話をすることもできないーー。そう思った矢先、痛みが消えた。
「……っ、何でもありません」
うまい言い訳ひとつさえ思いつかず、それだけ捻り出す。集まった視線が散っていった。
「どうか無理だけはなさらないでくださいね」
メイヴィスが話したがっていないことを察したのか、ルーナはそれ以上追及しなかった。
(起きた時は大丈夫そうだったのに)
明らかな体調の悪化は、環境の変化もあるだろうが服用してきた薬を飲めなくなったことが一番大きいとメイヴィスは思った。カレンに詳細な原料を尋ねたことはないが、あれにはきっと鎮痛剤の役割もあったのだろう。
(寿命について誰かに何かを言われたことはないけれど、私もそう長くはないんだろうな)
冬はすぐそこまで迫っている。マリアの命を奪った死の季節。メイヴィスも、きっと同じ。
「最近、急に冷えてきた。皆、体調には気をつけろ」
皿が片付けられ、サイラスが一言述べる。
「はい、殿下」
「殿下もお気をつけて」
お開きの合図だと受け取ったメイヴィスは軽く頷き、いの一番に立ち上がる。しかし。
「お前は残れ。話がある」
「えっ」
耳を疑う言葉に、メイヴィスはそこでその日初めてサイラスの顔を見る。こちらを刺すような視線に耐えられず、メイヴィスはすぐさま顔を背けた。クリスタもルーナも、意外だったのか目を見合わせている。
(どうして)
話があるのなら、呼びつけるなり部屋に来るなりすればいい。にも関わらず、第三者の目の前で意味深なことを言うなど、周囲に邪推しろと言っているようなものだ。
「座れ」
だが王太子の命令に逆らえるはずもなく、メイヴィスは無言で席に着く。
「それでは、私たちは失礼いたします。おやすみなさいませ」
クリスタとルーナは困惑しつつも従者を連れて退室していく。後にはサイラスとメイヴィス、そしてカレンが残された。
「カレン、お前もだ。外に出ていろ」
メイヴィスの背後に視線をやり、サイラスは命じる。
(カレンまで外に出すなんて)
サイラスの命令に逆らうつもりはない。メイヴィスはカレンが出て行くことを止めなかったが、彼女はどこか躊躇っているようだった。
「早くしろ」
と催促され、ようやく諦めたように部屋を出て行く。
「……」
取り残されたメイヴィスは心の中で泣いた。




