51話 暗がりの男
ザリッ… ザリッ… と地面を踏みしめる足音を立てながら、無言で近づいてくる男から、微かにコロンの香りがした。
「……っ!」
(違うわ! クレマンはコロン(香水)なんて付けないから。いったい誰なの⁉ 大広間に戻らないと)
近づいて来る男の脇を通り抜けて、大広間へ続く扉へ向かおうと、私は駆け出すが……
「おいっ! どこに行くつもりだ⁉」
「きゃっ!! 嫌っ……!」
私の長手袋を付けた腕を、男は怒鳴りながら強引に捕まえ引き戻した。
「生意気な女が! お前のような女には僕のような賢い男が、しっかりと躾けてやらないとな!」
「誰っ⁉ 放…放して───っ!! 嫌ぁぁ──っ!!」
暗がりの中で相手の顔を判別できず。誰かわからない男に乱暴な扱いをされて、私は恐怖で怯えながらも大声で叫んで抵抗する。
「うるさい、黙れ!! キィキィ騒ぐな──っ!!」
「嫌っ! 放してぇ──っ! 嫌っ……!!」
自分の手首を捕まえた男の腕を、もう一方の手で拳を握り何度も叩くが。小柄な私の小さな拳では、相手に何のダメージも与えられない。
「お前のせいで……僕は、父上にまで責められて! どれだけ恥をかいたと思っているんだ⁉」
「知らない! 放して───っ!!」
(私のせいで恥をかいた? いったい、何⁉ 誰なの⁉ この人は何を言っているの⁉)
夢中で男に捕まれた腕を引っぱると、肘の上まである長手袋が、ズルリッとすべって脱げた。
男の手の中に長手袋を残し、自分の手をひき抜くことに成功したが……
「いやっ! ……ああっ!」
力いっぱい自分の手を引っぱっていた私は、急に男の手から腕がすっぽ抜けて、そのまま後ろに尻もちをついてしまった。
「この…っ!」
「ああっ……」
(逃げないと! 早くここから逃げないと! 早く! 早く! 早く…っ!!)
恐怖で身体が強張り。手足はぶるぶると震えて、私は上手く立てなくて、地面をずるずると這いずった。私の瞳から涙があふれ出した。
ザザッ! ザザッ! と新たに誰かが走って来る足音が聞こえ、私は助けを求めようと涙で濡れた顔を上げた。
「助け…っ……」
「…僕の婚約者から離れろ────っ!!」
クレマンの怒鳴り声が響いた。
私を捕まえようとしていた男を、クレマンがガツッ! と鈍い音を立てて殴りつけた。
「ぐあぁ…っ…!」
男も応戦しようとしたが。クレマンが最初に打ちこんだ拳が、上手く顔面に入り、男は地面に倒れ込む。
「クソッ!! ミレイユによくも…っ!!」
「ううっ……! ぐあっ! こ……この、止めっ…っ!」
クレマンは倒れた男の顔を、抵抗しなくなるまで激しく殴り続ける。
「ああ…… ク…クレマン…! クレマン…!」
(クレマンだわ。クレマンが……! ああ……)
ホッとした瞬間、いっきに身体から力が抜ける。怒り狂い男を殴り続けるクレマンを、私は泣きながら呼んだ。
「クレマン! ……クレ……クレマン! ……ううっ」
「ミレイユ…っ!」
私が必死で名前を呼ぶと、クレマンは猛烈な怒りから我にかえり。男を放り出して、地面に座り込んだ私の前で膝をつく。
「クレ…マン… ううっ…… ク…クレマン……!」
「ミレイユ! ごめんよ、一人にしてごめん! 僕が悪かったよ!! ごめん!」
自分の上着を脱いでクレマンは私の肩に掛け、ギュッと抱きしめた。
「違うの……私が人の目を気にして。こっちに来たから、いけないの。ここなら広間の扉が見えるから、平気だと思って……ごめんなさい。ううっ…うっ……」
私はクレマンにしがみついて泣いた。
「ミレイユ、離れてごめん! クソ───ッ!」
広間の扉が開き、騎士が二人ほど出て来た。
散歩道から戻って来た誰かが怒鳴り声に驚き。ケンカ騒ぎが起きていると、王宮警備で広間付近を巡回していた騎士を呼んだのだ。
騎士たちが、地面に座りこむミレイユとクレマンに向かって走って来る。




