38話 淑女をやめる2
驚いてピタリと足を止めてしまったクレマンに合わせて、私も足を止めた。
「ミ、ミレイユ。淑女をやめるって……??」
「クレマン……私ね……いつもあなたには私のことを素敵な女の子だと、思っていて欲しかったから。ずっと完璧な淑女でいようと、今まで努力してきたわ」
クレマンと向き合い。私よりもずっと上にある、戸惑いを隠せない褐色の瞳を、ジッと見つめた。
自分が好きな女の子は誰よりも完璧だと。クレマンはクレマンらしい、素直な気持ちを口にした。
「うん、確かに僕が知っている中でも、ミレイユは一番の淑女だと思うよ……?」
「あ、ありがとう。クレマン」
こんなふうにクレマンに褒められて、少し照れてお礼を言った。
コホンッ! と一回、咳ばらいをしてから。私はすぐに気を取り直して、熱くなった頬をピンクに染めたまま話を続ける。
「と……とにかく私は、あなたがパトリシア嬢を優先していた頃も『パトリシア嬢なんて見ないで、私だけを見ていて』と、いつも心の中では醜い嫉妬心を燃やしていたの」
「そんなふうには、少しも見えなかったよ⁉ 本当に⁉ いつも君は穏やかに笑っていたから。でも、そうだったのか!」
鈍いクレマンでも。自分がパトリシア嬢と一緒にいる時、私が寂しそうにしていたのは気づいていた。
──でも、クレマン自身がパトリシア嬢を、『妹のような従妹』『妊婦』としか見ていなくて。自分の恋愛対象から大きく外れていたから。
私が嫉妬心を抱くとは、思わなかったのだ。
「そうよ。私は婚約者には『淑女』として見て欲しかったから。従妹を大切にするあなたに、嫉妬する醜い姿を絶対に見せたくなかったの。……だから強い怒りや屈辱を感じていてもクレマンには隠していたわ」
何度も腹をたてて。パトリシア嬢のように感情のまま、怒鳴り散らしてやりたかったけれど。
……でも淑女なら我慢するべきだと思っていた。
お母様にも『殿方に女性の本音を見せてはだめよ。嫌われる原因になるから』と言われていたから。
それに私にはクレマンの婚約者として、プライドがあった。
「ごめんよ、ミレイユ。本当に……何て謝れば良いか、わからないよ」
腕をのばし私を抱きしめようとするけど。クレマンは自分の抱擁を拒まれるのではないかと躊躇して、すぐに手を引っ込めてしまう。
それを見て、『パトリシア嬢ならきっと、躊躇しないで抱きしめたでしょうね?』と。私の胸の奥から苦い思いが込みあげてくる。
(抱きしめたいなら、思うままに抱きしめて欲しい! ……と素直に言えたら良いのに。今の私はプライドが邪魔して、そういう言葉も上手く言えない)
パトリシア嬢ならきっと、迷いなく言えただろう。こうして彼女と比べてしまう自分が嫌だ。
「だから私……あなたの前では淑女をやめたいの! もう、本音を隠すのはうんざりだから!」
私はほとんど無意識で、自分を守るように胸の前で腕を組み。話し終えると視線を足元に落とした。
「クレマンがこんな私は嫌なら……今すぐ婚約解消しても、かまわないわ」
「ミレイユ!」
緊張して私の身体は密かに震えている。クレマンはそのことに気付いたのか。
下を向く私を今度こそ躊躇いなく、ギュッと抱きしめた。
「あ……あなたに…たくさん、我がままを言うつもりだから。……だってパトリシア嬢は、いっぱい言っていたでしょう? 淑女だからって私は我がままを言えないなんて、不公平だわ」
「そうだね。ミレイユのいう通りだ」
クレマンに抱き締められたとたん、なぜか私の目が熱くなり涙が滲みだす。
パトリシア嬢なら同情をひこうと、顔を上げてクレマンに涙を見せつけるところだけど。完璧な淑女が抜けない私は、クレマンに見つかる前に指先でサッと涙を拭った。
「我がままを言っても、ミレイユは完璧な淑女だよ」
「どうして?」
「だって君は僕に何を求めているのか、親切に教えてくれている。……それって僕が君に好かれるための、重要なヒントだろう?」
人よりも自分が鈍感な自覚があるクレマンには、私の我がままは指針にしか聞こえないようだ。
「そ、そうね! 私の我がままをたくさん聞いてくれたら。あなたのことを、もっと好きになるかも知れないわね!」
(拭っても、拭っても、涙がこぼれてしまうわ。……もう、嫌! 私の泣き虫! こんな時に、なぜ涙が出るの?)
なぜ涙が止まらないのか? ……たぶんそれは、今まで私が我慢に我慢を重ねて、言いたいことを言えずに耐えて来たからだ。
「だからミレイユには、たくさん我がままを言ってもらわないとね……」
私の背中を撫でながら、クレマンは私の頭にコトンッ……と顎をのせた。
「だったらクレマン。あなたのお言葉に甘えて、我がままを言わせてもらうけれど。……私も、あなたみたいに勉強がしたいわ」
「……んんん⁉」
「私もあなたと一緒に論文を出す、勉強がしたいの!」
(お母様に『賢すぎる女の子は殿方に嫌われるものよ』と、勉強をやり過ぎないようにと注意されるけれど。クレマンも賢い女の子は嫌いかしら?)
淑女として完璧なら『少しぐらい愚かな方が愛嬌があり、女の子は幸せになれる』というのが……お母様が祖母から受け継いだ持論なのだ。
「僕たちがやっている……勉強をかい?」
「ええ。私もたくさん学んで、変わりたいの!」
私はクレマンの腕の中で囁いた。




