第七話 先入観から出た誠のこと
「…授業のメモを取っていただけです」
白髪青年は淡々と告げる。
その瞳には焦りと葛藤が見えた。
「そう…なんだ」
それ以上聞くことができなかった。
このまま深堀ったら、僕が標的にされそうな気がしたからだ。
「ん?なんか話してる…?」
少女は訝しげに見つめる。
その髪に陽光が当たり、より一層彼女の明るさを助長させた。
「ねぇ、何話してたの?」
リゼリアさんが席と席の間に立ち、会話の隙を伺うように飛び入り参加して来た。
彼女は、僕たちの空気を――遠慮など知らないように切り裂いて来る。
ちょ…リゼリアさん。ここは空気読んでくれ…!
「え!?あ、いや、特には…何も」
青年は動揺の色を隠せない様子だ。顔が真っ青になっている。
「ほんとに?そうは見えないけど」
パンドラの箱に着実に接近していることに気づかない少女。その危うさは、いつか自身に牙を向いてくることを予感させる。
駄目だ、リゼリアさん。
そこから先へ踏み込んではいけない。
取り返しがつかなくなる。
白髪の青年は、髪の隙間から脅しをかけた。
「リ、リゼリアさん!次の授業なんだっけ?」
必死に話題を逸らす。ここで悟られる訳にはいかない。
「え?あ、あぁ〜えっと、確か『魔人語』だったと思う」
「ありがとう!」
ここにきて、ようやくこの場の空気を読んでくれた彼女に感謝を告げる。
リゼリアさんもそういう配慮ができるのか…
感心した。
人を悪い方向に買い被った僕から彼女に向けて、皮肉交じりの上から目線の感服が走る。
それより――魔人語?
今話している言語以外も学ぶ必要があるのか?
そもそも、どこの誰が使ってるんだ?
「(魔人語…そんなの資料になかったし、聞いたこともない。…新しく作られた?
でも、推測はできる。
例えば世界は“二つだけ”ではなく―――)」
またアサーシが独り言を言っている。
…不穏だな。
――さて、そろそろ座るとしよう。
授業の鐘を待ちながら、今日も自然を眺める。
…綺麗だな。桜の花びらが春風に靡いて、視界の前に舞い落ちる。
チャイムが鳴った。引き戸が開かれる。
「よ〜し、みんな席について〜。授業始めるよ〜」
若い女性の声が響く。
空気が一瞬冷えた。
教室のざわめきが自然と止まる。
顔を向けると、邪悪なオーラが立ち込めていた。
なんだ、あの人?人間っぽい見た目だけど、小さな角が生えてる。魔力がドス黒い。
あんな人いたか?
怪訝な表情を浮かべた。
「(ねぇあの人、角生えてない?)」
「(人間じゃないとか?)」
「(怖いよ〜)」
みんな先生の容姿に怖気づいている。
確かに、この先生の見た目は人外感がある。
…勝手に決めつけるのは、失礼に当たるが。
「まずは自己紹介から。『1ーC』の担任をしている、イリス=ノクティアといいます。
趣味は言語の探究で、主に魔人語の探究をしています」
見た目のパンチとは裏腹に、優しく落ち着いた声色に抱かれる。そのギャップに、僕は心の奥底を掴まれていた。
言語探究…学者基質だ。
「先生〜どこ出身なんですか?」
一人の生徒が尋ねる。
勇気のある奴だな。
ふと隣に目をやると、アサーシがイリス先生の紫紺の瞳を凝視していた。
「出身かぁ〜まぁ、“一応”南部領になるのかな〜」
黒板にもたれ、腕を組み、天井に上目遣いを決めた後に、結論を弾き出した先生。生徒の質問に、相当頭を悩ませていたことがよく分かる。
…一応?厳密ではないということか?
「今日やる魔人語は、割と最近できたものなの。語学学習は認知機能の向上にも繋がって、みんなにとって良い作用をもたらしてくれる」
これ以上詮索されては敵わないと感じ取ったのか、イリス先生は空気を授業説明の雰囲気に移行させた。
…逃げたな。
「だから、この授業を受けるときに――
『どうせ将来使わないだろうなぁ〜』
『魔術に時間を割いたほうが良いんじゃ…』
――とか考えずに、真面目に受けること。
それこそが、みんなにとって意味のある時間になるコツだから。分かった?」
「は〜い!」
僕らの意識が、彼女の話術に惹き込まれる。
先生の話し方・声色・声調には、聞き手を納得させるだけの説得力があった。
しっかりした人だ。
この人は丁寧に教えてくれそうな気がする。
ただ、一つ気がかりなのは、いつまで経っても――
“どこで”話されている言語なのかは言ってくれないこと。
隠してる…?
「それじゃあ、早速授業に入っていくね。
まずは基礎的な文法から。
魔人語の文法ルールはそこまで難しくない。今日抑えて帰るべきは3つ。
・語順は主語→動詞→目的語の順番
・動詞は変形しない
・私=Za
あなた=Tha
はい= Or
いいえ= Nar
これだけ。覚えてしまえば簡単でしょ?」
聞き慣れなさ過ぎる発音に、どう受け取って良いか分からなくなる。突然の情報の渦に、脳がパニックになったのだ。
なるほど。語学学習というのはこうやって習得していくのか。
これは…苦手なまま放置していたら、後で痛い目見るやつだ。
「じゃあ簡単な例文行こうか。
Za arel tha.
これを訳してみて。『arel』はまだ教えてないけど、さっきの知識を使えば推測できるはず。やってみて!」
彼女の舌から生まれる発音が、教室中に流暢な『異世界語感』を醸し出した。
合っているのかは判別出来ないが、“それっぽさ”があるので、妙に納得できる。
いきなり新出単語とは…
まぁでも、さっきのルールに乗っ取ると、『arel』は恐らく動詞だな。そうなると――
「先生」
手を挙げた。制服の皺が、上部に引き上げられる。
「おお!いいね。君は――ゼイル君か。よし!じゃあ、答えは?」
「 『私はあなたを信じる』ですよね?」
推測結果の成果を、大衆の面前で堂々と発表した。
自信はあるが、こういうときに限って無辺世界に思考が飛んでいたりするもの。ほんと、現実って甘くな――
「正解!すごいねぇ〜!」
「お〜!」
クラスメートが騒ぎ出す。
――マジかいな。
どうやら僕は語学学習の才があるらしい。
…いや、気のせいか。
きっとたまたまだろう。
そのとき、隣の席からガタッ――と、木と床の擦れ音が靡いてきた。
…アサーシがピクピクと震えている。
何か後ろめたいことでもあるのか?
「それじゃあ最後に、魔人語の文化的なところを話すね。
魔人語を学習する上で、この考え方を抑えてないとなかなか厳しいよ〜
みんな、ちゃんと覚えて帰ってね!」
「は〜い」
瞼を閉じ、肘を曲げ、人差し指で天井を指した先生。僕らに話を聞いてもらおうと、『飽きさせない努力』をしているのだと悟る。
考え方…か。僕たちと随分違いそうだ。
魔人語というからには、悪魔とか怪物とかが使っていそうだし。
――となると、実力至上主義…とでも言うのだろうか。“力が全て”という感じがする。そういう意味では、この世界とあまり変わらないのかもな。
「その考え方というのが――
Val orn.
(力こそ秩序である)
――というもの。
なんか魔人語って聞いて、一番にこれ想像した人もいるんじゃないかな?それくらい、この言語を使う人にとっては普通の考え方なの。挨拶にも使われてるぐらいだしね。
私たちからは、想像できないかもだけどさ」
隣で、青年の指先がわずかに震えた。
「(めっちゃイメージ通りだ…)」という小声も聞こえてきた。
アサーシもそうだったか。シンパシーを感じるな。
「そろそろ授業も終わるし、今日は早めに終わろうか。起立、礼――みんな、またね〜」
ただ手を振るのではなく、親指を固定したまま、残りの四本指で、波打つ海の如く別れを表現するイリス先生。
…ギャルみたいな去り方だな。
イリス先生の帰り方に意識が持っていかれるまま、前方に視線が飛ぶ。教室の前方に掛けられたアナログ丸時計で、時間を確認した。
そろそろお昼も近いな。
――お昼の鐘がなった。この学校は『チャイム』と『鐘の音』を使い分けてるらしい。
ふぅ〜終わった〜
…食堂でも行こうかな。
この学校には一階に大きな食堂がある。
メニュとしては、ジャンクフードから貴族料理っぽい豪華な食事まで…実に様々である。
腹の虫が治まらないのを堪えながら、階段を降りる。生唾が止まらない…今日は何を食べようか。
お腹をさすりながら僕が教室を出るのと同時に、黒髪の小さな少女が隣の教室から出て来ていた。
――食堂に着いた。空間は生徒たちで賑わっている。ショッピングモールのフードコーナーでよく見る、あれだ。
「今日の気分は…あれにしよう」
美味しそうな匂いにまんまと釣られながら、注文口まで浮き立って歩き出す。
よし、言うぞ…!
「ハンバーガーセット一つ!ポテト塩抜きで!」
「ハンバーガーセット一つ!ポテト塩抜きで!」
「え?」
「え?」
有り得ない音の重なりを捉えた。
この人は…誰だ?
恐らく向こうも同じことを思っていることだろう。
だって、塩抜き被りだし。
「あなたは…?」
目の前の少女を見下ろすような形で尋ねる。
この人…多分一年生だ。僕と同じ、『まだ染まってない感』がある。
「はじめまして。私は『1ーB』所属の、
セリア=グレイシアです」
両手を両膝にちょこんと乗せ、ゆっくりと頭を下げた彼女。黒髪で隠れた顔に注視してみると、角度的に子供のようなおちょぼ口が見えた。
『1ーB』の生徒なのか…道理で見たことないと思った。
「これはご丁寧にどうも。僕は『1ーA』所属の、
ゼイル=レグナードと言います」
挨拶が終わると、僕らは再び顔を見合せた。
…華奢な女の子だ。
背も僕よりだいぶ小さい。
小動物みたい…
「あのぉ〜」
「何でしょう?」
セリアさんは絞り出すように切り出す。
なんだろ…あ、分かった!『塩抜き被り』について、何か問い詰めたいことでもあるんだろう。
「そんなまじまじと見られると、緊張するんですけど…」
――え?
「あ、ご、ごめんなさい!」
今更ながら、自分の行動を振り返ってみる。
…僕、無意識の内に、人の事めっちゃ観察してたんだな。しかも、セリアさんに面と向かって言われる程に…
これはうっかりしていた。つい、彼女の容姿に目を奪われてしまっていたのだ。
「いえ、謝ってほしいわけではなく…
なんというか、男の子にこんなに見つめられたの初めてで…その、びっくりしちゃったというか…」
人差し指と人差し指をくっつけながら体をくねくねとさせている。
ほんとに小動物みたいだな…
僕は、この得体の知れない生命に興味を抱いた。
「あの〜これも何かの縁ですし、良かったら一緒に食べませんか?
塩抜き被りなんて、生まれて初めてで笑
ちょっと親近感が湧くというか」
思い切って提案してみる。
食の好みが合うというのは、そう多くはない。
故に、僕は『趣味も合うかも』…なんて勝手に想像しながら、セリアさんを誘ってみたのだ。
「…!本当ですか!じゃあ…お言葉に甘えて。ご一緒させていただきますね」
セリアさんの顔がパッと明るくなる。
こういう女の子もいるんだな。
前の学校ではこのような女の子はあまり見かけなかったので、つい目で追ってしまう。
「注文番号、14番でお待ちの方と15番でお待ちの方〜カウンターまでお越しください」
「あ、出来たみたいですね。さっそく取りに行きましょうか」
「はい!」
僕たちはカウンターまでハンバーガーを取りに行った。もちろん塩抜きポテトもである。これがないと始まらないのだ。
「席は…あ、ちょうど角が空いてますね。あそこに座りましょうか」
一階を見渡すと、生徒から教師まで…様々に密集していた。
その中には、僕たち高等生よりも少し大人びた人たちも居る。恐らく、『学徒』ってやつだろう。
「はい!」
はにかんだ笑顔で返答された。
そんな顔を見て、懐かしさを感じ取った。
――端の席に座った。
お、自然見えるじゃん!ラッキー!
思わずニヤける。
そんな様子を見ていたのか、セリアさんは尋ねてくる。
「景色を見るのがお好きなんですか?」
「え?あ、はい。そうなんです。
小さい頃から、自然を見ると心が落ち着くんです。
特に山の風景なんかは最高で、壮大な山を見ていると、不安が和らいで――」
自分の思いを理解してもらおうと、舌をまくし立ててしまった。
「ふふっ」
「…自分語りし過ぎましたかね?」
後頭部を手でカキカキしながら、彼女の笑い声に、我に返らされる。
やってしまった。前の学校でも、友達ができそうになる度にこうして失敗してきたのに…まるで成長していないな。
「そんなことないです。楽しそうに話してるゼイルさん、私…嫌いじゃないです」
僕を馬鹿にするのかと思ったが、彼女は違った。その瞳には、寧ろ精一杯の尊重と敬意すら感じる。
…初めてだ。ありのままの自分を受け入れてくれたことなんて――
…この人になら“過去”を打ち明けられるかも知れない。
僕が魔術を拒むようになったきっかけも――
今は無理でも、いつか――
「ゼイルさん?」
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしちゃって。
あと、ありがとう。そんな風に言ってくれる人、今まで居なくてさ。正直、嬉しくて…噛み締めてた」
『過去』を思い返しても、どこにもいなかった。
…そのはずだ。
「…よし、食べましょ!昼休みも終わっちゃいます」
黒髪少女は、しんみりとした空気を仕切り直してくれた。
「…そうだね」
そんな彼女の対応に、自分の不出来さが余計に浮き彫りになったように感じ取れてしまった。
セリアさん、大人だなぁ…
「あ、あの、セリアさん」
「はい、なんでしょう?」
ハンバーガーを美味しそうに頬張る少女は、不思議そうに上目遣いで見てきた。
ハムスターみたい…可愛い。
今の彼女はもはや人ではなく、『可愛いの権化』と化していた。
「その…良かったら友達になりませんか?」
「え!?」
ハンバーガーを口に含みながら、手に持っていた小麦変容物を机に落とし、セリアさんは椅子から転び落ちてしまった。
「大丈夫ですか?」
転んだ拍子に黒髪の影に隠れてしまった彼女を掴もうと、『またあの表情見たいな…』という思いを胸に、手を伸ばす。
喉に詰まらせていないか心配だ。
「はい。ちょっと、びっくりしちゃって…」
尻もちで付いたゴミを払うべく、立とうとする――が、足元のバランスを崩し、再び地に舞い戻ってしまう。
どうしたんだ?
変なことでも言ってしまったか?
「何かありましたか?」
僕の案じる声を聞いたセリアさんは――ぽつり、ぽつりと、自身の思いを語り出した。
「クラス、みんな仲良さそうで…ちょっと羨ましいなって。
私の入る隙がないというか…
クラスで孤立してて。それで、ゼイルさんが友達になろうって誘ってくれたのが、嬉しいと同時に驚きで…」
両手を胸の前に持ってきたセリアさん。その小さな手は、彼女の心を閉じ込めるように重なっていた。
――そういうことだったのか。
…僕にも、クラスで『アウェイ感』を感じたことはあった。多少なりとも、彼女の気持ちに寄り添えるかもしれない。
「立てますか?」
手を差し伸べた。それが彼女の心を救う手立てとなると信じて――
「はい。…ありがとうございます」
彼女の温度が手を通して感じられた。
…あったかい。いつだったか、この手に触れていた気がする。
…気のせいか?
「本当に友達になりませんか?」
――念を押して言ってみた。
セリアさんとなら、仲良くやれる気がする。
それに、彼女の隣に誰かが居てやらないと、僕としても心配だ。
「いいんですか?私なんかで…」
小動物は、自尊心の低さが見て取れる顔で俯く。
「セリアさんが良いんです!」
セリアさんの手を握った。
あ、やべ。女性の手を勝手に握るのは悪手だと、どこかで聞いたことがある気がする。
握手だけに…てか?!
――この場に、滑り倒した空気が立ち込めた。
「…!嬉しいです。ありがとう」
始めて敬語が外れた。
…なんだか、僕も嬉しい。
「あの」
「はい?」
セリアさんが尋ねてくる。その表情は先程の暗さとは違い、少しの期待と希望が見え隠れしていた。
「連絡先も交換していいかな?その、またお昼ご一緒できたら嬉しいなって…」
「…!もちろん!」
僕たちは連絡先を交換した。
…
しばらく静寂が訪れた。
この時間が、ずっと続けばいいのに…
初めての女の子の連絡先。
雑踏の人混みの中、静かに拳を挙げた。
「…なんか寒くない?」
セリアさんが寒そうに肩を震わせる。
そのとき、僅かな魔力の残穢を感じ取った。
この感じイリス先生と――
――瞬間、放送が流れる。
「東門より襲来!数はおよそ10。
先生方、直ちに対応をお願いします!」
嘘…このタイミングで?
平穏はここから崩れ始めた――




