第二話 仮面の奥
――ゴォォォォォン
重々しい低音が、耳を劈く轟音に遅れて響き渡る。
反響と振動から測った。 距離、およそ300m。
…来たか。
――何が起きた?
さっき“ 何か ”が視界を横切った。
そしてこの衝撃。
...人?
落ちてきた?
あり得るのか?
手を口元にやり、深い集中に堕ちた。
目に映る情報の不可解さに、僕のミステリー好きとしての心がくすぐられる。
あらゆる可能性を辿ってみた。
魔術で浮遊――?
......いや、今の技術で空は飛べない。
いったい…
「ねぇ今の聞いた?」
「ヤバくね?」
「何の音?」
「何が起きてんだ?」
何やら教室が騒がしくなってきた。
当然だ。
僕だってそうだ。
声を上げてないだけ。
みんなと同じ気持ちというだけで
どこか安心する。
……同じでいられるうちは。
担任に目がいった。
彼は生徒ではなく、
落下物の“軌道”を見ていた。
視点も揺らいでいる。
「おーい!静かに。あんまり騒ぐな〜
って全然聞いてないし。まったくっ…」
軽い口調。
こんな轟音を聞いても平然としてる。
まるで俯瞰しているようだ。
だが、落下物を見ていた瞬間――彼の手が震えていた。
この教師...何者だ?
僕は違和感を覚えた。
〜数分後〜
ようやく騒ぎが収まった。
僕も大概だが、みんなの騒ぎ具合は尋常じゃない。
泣いたり、立ち尽くしたり…おおよそ齢十五の精神とは思えない。
重力に従っていたローブの布端が、僅かに浮いた。
担任が席を立った。
「…ことがことだ。色々確認しなきゃならん。一旦、教室で待機しといてくれ」
そう言って、担任は教室を出ていった。
動揺しているらしく、担任は戸をバンッ―!と大きな音を立てて閉めていった。
オリエンテーションはどうするつもりだ?中止か?
中止なら早く帰れるが。
「ねぇ」
前方から声が聞こえる。きっと、誰かが会話でもしているのだろう。
「…」
「ねぇってば」
くるくると教室を見渡す。眼前の黒紅髪の少女の瞳に収まる人物を特定しようとしたのだ。
…
……
………どうやら僕のことらしい。
「…どうかした?」
「あなたどこから来たの?」
目の前の少女はそんなことを聞いてくる。
「答えてもいいけど、なんでそんなこと聞くの?」
「いや〜なんかほかの人と気配? 雰囲気? が違ってたから、ここらへんの人じゃないのかと思って」
よほど珍しかったのか、僕の顔のパーツの一つひとつを目で追っている。
そうか?
確かに人より魔力は少ないだろうけど、そこまで変わるか?
「それにさっきの音聞いて、何食わぬ顔で達観してたじゃん」
「……別に達観はしてないよ」
痛いところを突かれ、ピクッ――と肩が舞い上がった。
「なんでちょっと間、開けたの?
実は図星だったりして笑」
「そんなわけ――」
――なんてこったい。
そういう風に見られていたのか。
もしかして…あの担任と同類?
いや、考えすぎだろう。気にしない、気にしない。
教室の外から、白石床を蹴る革靴の音が響いてくる。と、思うも束の間。次の瞬きを完了したところ――引き戸が開いていた。
担任が帰ってきたようだ。
「え〜すごく言いづらいんだが、オリエンテーションは中止になった」
「え〜〜」
「マジかよ!今年は三年が本気出すって聞いてたのに!」
「魔術演武楽しみにしてたのに…」
みんな一斉に声を上げる。
この仕打ちだ。
僕でなければ、文句の1つでも言っているだろう。…現に、みんな言ってるわけだが。
「次いで、もう一つ連絡事項がある。入学式は明日に延期となった。明日も制服を着用するように。
明日から時間厳守でいくから、覚悟しとけ〜」
「は〜い!」
「よし。じゃあ、ホームルームを終わろう。起立。礼――それじゃあ明日も元気で来いよ〜」
ようやく教師らしい笑みを見せた担任。しかし、完璧と言うには程遠く、必死に表情を作っているのが丸見えだった。
今日という日の学校はこれにて終わった。
だが、それは生徒に限った話で―――
〜ホームルーム開始30分前〜
俺の名はゼルフィア=ノア。
31歳、独身の教師だ。
《セレスティア中央魔術学院》の教師として、魔術の基礎を教えている。
この年まで、年甲斐もなく魔法の道を進んできた。
今日は入学式ということで、それに向けた準備をしていた。
「よし、そろそろ行くか」
気持ちを入れ直すため、ローブを羽織る。俺のお気に入り――チャコールグレーだ。
廊下を歩く――
革靴の音が廊下に響く。
視界の隅に銀色の何かが映った。
…たまに目にするんだよな、この人。
不審者か?
職員室の隣には、三階共用花摘み場が設置されている。そこを横切り、右に曲がり――初等部一年生・二年生の元気溌剌な声に勇気を貰った。
…いいな。子供の声は、その時期にしかないあどけなさと、かけがえのなさが光っている。
順路の奥まで達したところで、今度は中等部一年生の少し落ち着いた空気を見通す。
この位の歳になってくると、どんどんと生意気さがうざったくなってくるものだ。
…まぁ俺もそうだっただろうが。
中等生区域を過ぎ去り、高等部『1ーC』、『1ーB』――と来て、いよいよ俺の担当するクラスまでやって来た。
引き戸の前に立つ。
ふぅ〜
手を胸に当て、心臓が今日もちゃんと動いていることに感謝し、精神を落ち着かせる。
担任というのは最初の掴みが大事だ。
俺は勢いよく引き戸を引き、声を張り上げた。
「よし。みんなそろってるな」
生徒たちを一瞥する。このタイミングで生徒の空気感を探る。今年はどうだ――?
「今日からお前らの担任になる“ ゼルフィア=ノア ” だ。よろしくな」
両手を教卓にドンッ――と構え、いかにもな教師面(多分)で堂々と話し出す。
――うん。みんな魔力は高めだな。
まぁこの学校に入学してくる時点で、ある程度高い水準はあるわけだが。
ん?
一人異質さを放つ生徒がいた。
別に魔力は多くない。
少ない方だ。たが、この感じ。どこかで…
思わず、震える手をポケットに突っ込む。
「おい、そこのお前。さっきから何か言いたげに先生の顔見てるけど、俺の顔になんか付いてるか?」
俺はこの生徒の素性を引き出そうとする。
…今の内にこいつの素性を知っておいた方が良さそうだ。何か一つでも、情報を――
「え、僕?いや、別に何も。ていうか、お前って…
僕にはちゃんと“ ゼイル=レグナード ” っていう母がつけてくれた名前があるんですけど」
ゼイル=レグナード――。
なるほど。そういうことか。
『セリナ=レグナード』の…息子。
ゼイルに悟られる訳にはいかないな。
「おう、そうか。それは悪かったな。
じゃあ改めて、ゼイル。俺に何か言いたいんじゃないか?」
「いやまぁ〜それはちょっと…プライバシーに関わるとい――」
――ゴォォォォォン
空が鳴る。と、同時に。耳元でも轟音が響く。
脳に響く類の厄介者だ。早く治まって欲しいところ…
頭痛に悩まされながらも、落下物の軌道を追う。
――あの落下は、偶然だ…と思いたい。
動揺が胸中に渦巻き、致死量に達しそうになる寸前、脳の司令塔が制限をかけた。意識が飛――
――俺は大事なものと引き換えに、冷静さを取り戻した。
先ずは、現状把握。
衝撃波到達まで、一秒未満。
距離は……300m圏内。
近いな。
想定誤差、270m。
……外したか。
いや――外れていない。
俺が、外したことにしただけだ。
落下角度は理論通り。
速度も、質量も、計算値と大差ない。
俺が、初めて成功させた理論の残滓。
…あいつの邪魔さえなければ。
十三年前の遺恨を拳に籠める。
窓の外を眺めた。
まだ、煙は上がっていない。
悲鳴、十五秒。
ざわめき、二十三秒。
泣き声が混ざる。
...長いな。
手が震えている。
――あの日と同じだ。
今日はいつにも増して多い。
「おーい!静かに。あんまり騒ぐな〜
...って全然聞いてないし。まったくっ…」
声はいつも通り。
間延びした調子。
気の抜けた教師の声。
誰も、気づかない。
気づく必要もない。
これはまだ――始まりに過ぎない。
俺は関係者じゃない。
これは偶然だ。
そう、偶然。
……まだ。
〜数分後〜
収まったか。
阿鼻叫喚――とまでは行かないものの、それに迫る程には、教室では騒ぎ声や泣き声が響き渡っていた。
「…ことがことだ。色々確認しなきゃならん。一旦教室で待機しといてくれ」
教卓に手を付き、席を立つ。悶々とした中、俺は引き戸を閉めた。
さて、どうしようか。
こうなってしまった以上、生徒をこの場に居させるわけにはいかないだろう。
何かいい案は…
「あ、ゼルフィア!さっきの音聞きました?」
その時――視界の右側から、男が引き戸を引いて出てきた。
ん?この声は…
「リヒト!ああ、聞いたよ。まさかこんなことになるなんて…今、これからの対応を考えていたんだが、何かいい案あるか?」
「ん〜とりあえずエーデル校長に話を通すのが無難ですかね」
「まぁそうだよな。よかったら一緒に行かないか?」
「ええ。行きましょう」
頼もしい声に、心のモヤモヤは、少し緩和された気がした。
リヒト=アーウェル。
学生時代に苦楽をともにした、俺が唯一心を許せる相手。
「そう言えば校長室ってどこでしたっけ?」
「お前なぁ…まあいいや。ついてくれば分かるだろ」
「すいませんねぇ〜」
まったく。
こんなときだってのに調子のいいやつである。
「そういや、お前んとこの生徒、どんな奴が居たんだ?」
校長室の場所も知らない大馬鹿者に鉄槌を下――したいところだか、ここは我慢しておくことにする。
最大限の譲歩として、『雑談』という選択を取った。
「私のですか?ん〜そうですねぇ…去年までと、ほとんど変わってないかと。
ゼルフィアの方は?聞いてくるってことは、何かあったんですか?笑」
「ああ。一人異質な奴が居てな。そいつ…魔力はそんなになんだが、何かこう、感じるものがあるっていうか…」
「お〜それは興味深い。早く会いたいですねぇ」
自然に微笑み、涼しげな目元を柔らかくするリヒト。
時折見せる彼のこの表情。同姓の俺であっても、無意識に目が引っ張られる。
…どこか、不思議な引力があるのだ。
「授業になりゃ嫌でも顔合わせるだろ」
「フッ…確かに笑」
と、そんな話をしていたら校長室の前まで来た。
ふぅ〜
校長室なんていつぶりだろう。
手が滲み出してきた。
「大丈夫ですよ」
リヒトがそっと肩を叩く。
「え?」
「ちょっと話をするだけですから」
――そうだな。俺は重く考えすぎているのかもしれない。
リヒトがこんなに落ち着いているというのに…
俺というやつは…まったく。
俺たちは扉に手をかけた。
「失礼します」
「失礼します」
「何の用かね?…ん? 確か君たちは――」
「高等部1ーA担任、ゼルフィア=ノアと――」
「高等部1ーB担任、リヒト=アーウェルと申します」
俺たちは校長と視線を交わす。…相変わらず何を考えているか読めないお方だ。
「あ〜そうか、そうか。君たちか。それで?何の用かね?」
「エーデル校長も聞いたでしょう?さっきの音」
「はて?何のことだか?」
とぼけやがって。このジジイ。
「ホォッホォッホォッ。冗談じゃよ。まぁそんな怒りなさんな。ゼルフィア」
マズイ…顔に出てたか。
「いえいえ。そんな、滅相もない…」
「ところで、あの音。お二人さんとも聞いたのは初めてかね?」
校長の視線が、逃がさぬように絡みつく。
一瞬、呼吸が止まる。
校長の指が、――
机を一定のリズムで叩いていた。
リヒトの指が、わずかに肩を叩く。
「私たちは初めてですよ。ね?ゼルフィア」
「あ、ああそうそう。そうです。初めてですよ」
危ない、危ない…
「そうじゃったか。お二人には急で悪いんだが、あの音の原因を探ってきてくれんか?」
「オリエンテーションは?入学式はどうするんです?生徒たちにも、今待ってもらってるんです」
リヒトの喉が僅かに震えていた。
リヒトも俺と同じだったようだ。
「あ〜そうじゃった、そうじゃった。
じゃあ、オリエンテーションは中止。
入学式は、明日に延期と伝えといてもらえるかい?」
「えぇ!?中止ですか?
オリエンテーションを楽しみに、来てくれてる子たちもいるんですよ?!」
驚愕の発言に、思わず瞠目した。
この校長は、三年生たちの練習の成果を無下にしようと言うのか?
「そうは言っても、この事態じゃし…
生徒たちには悪いが、帰ってもらうしか無いじゃろう」
「ん〜まあそうですけど…」
なんとか反論の狼煙を上げようと、打開策を捻り出そうとする。しかし、そう簡単に糸口は見えてこない。――これが現実だ。
「ゼルフィア。ここは素直に従っておきしょう。
(それに、“あれ”を探す時間も必要でしょ?)」
リヒトの吐息が当たる。
「(あれって?)」
「(落下してきた“ あれ ”ですよ)」
あ〜あれか。
「ん?笑 何やら密談かね?」
「いえいえ。気にしないでください。
それでは、エーデル校長の命――しかと受け止めました。さあ行きましょうか、ゼルフィア」
「ああ」
俺たちは扉を開けた。
「失礼しました」
「失礼しました」
扉が閉まる。
「…ゼルフィア=ノア。そして、リヒト=アーウェル。ともに卒業時は――『A評価の到達者』
一体何を隠しておるのか。これは調査せねば。
…大方予想はついておるが」
「いや〜ほんと肝を冷やしましたよ」
「いやほんと。助かったよ。ありがとう」
校長室での死闘(笑)をなんとか潜り抜け、兎にも角にも今は安堵で満ち足りていた。
「…」
「なんだよ?そんな唖然として」
急に言葉数が少なくなったと思ったら、口をポカーンと開け、なんとも不格好に固まっている。
「いや、君も大人になったんだな…と」
「何を今更。俺はもう三十のおっさんだぞ」
「いや、そういうわけではなく…」
いつものクスッと笑う反応を期待した。が、リヒトは思ったより深刻な面持ちで俺の目を見つめてきた。
…なんだ、なんだ?どうしちまったんだ、リヒト。
「はぁ〜前言撤回。やっぱり何も変わってませんねぇ〜」
勢いに流されるがまま、リヒトの指先が顎の輪郭に触れる――かに思われた。…そう。“思われた”なのだ。
実際には、俺を嘲笑うが如くお得意の呆れ顔で煽ってきやがった。
「なんだと?」
「うわ〜怖いこわい笑 逃げろ〜」
「あ!待て!」
精一杯手を伸ばし、彼の背中に追いつこうとする。
…なんだか懐かしい。
昔、リヒトとこうして追いかけっこしていたな…
「やなこった。べぇ〜!」
リヒトは左指を下睫毛に付け、舌を出しながら皮膚の裏側を見せつけてきた。
こいつ…
リヒトは頼りになるが、こういう餓鬼っぽいところが昔からある。
リヒトがふいに足を止めた。
「あ、そう言えば。さっきの“ 貸し1 ”ですからね?」
「ああいつか返す」
まったくこいつときたら…
まぁなんだかんだこいつには助けられてるんだよな。
いつか返してやらねぇと――
「と、着きましたね」
「そうだな。じゃあ終わったら連絡してくれ」
「ええ。ゼルフィアもね」
少々別れが名残惜しいが、またすぐ会える。――そう考えたら、不思議なもので、気持ちというものは軽くなる。
自分でも気が付かない内に、口角が上がりっぱなしで教室へと入ってしまった。
すると、ゼイルが「…?」と顔を顰めてしまった。
…もしかして、不気味だったかな?
折角軽くなった心が、再び地に落ちた。
「え〜すごく言いづらいんだが、オリエンテーションは中止ということになった」
「え〜〜」
「マジかよ!今年は三年が本気出すって聞いてたのに!」
「魔術演武楽しみにしてたのに…」
まぁ当然の反応だ。俺も学生の頃だったら、学生運動とか起こしてたかも。
その点、こいつらはそういう事はしなさそうだ。昔と比べて、法律も厳しくなってるしな。
――まぁ、四領土の『西部』だけ法律適用外…っていう謎規則は、未だに引っかかるがな。
「次いで、もう一つ連絡事項がある。入学式は、明日に延期となった。明日も制服を着用するように。
明日から時間厳守でいくから、覚悟しとけ〜」
今日は遅刻しかけた奴もいるらしいしな。
「は〜い!」
「よし。じゃあホームルームを終わろう。起立。礼――それじゃあ明日も元気で来いよ〜」
なんとか笑顔を保った。恐らく、鋭い奴には『作り笑顔』だってバレてるだろう。
ふぅ〜終わった〜
よし、じゃあリヒトに連絡…
と、メッセージ受信。
リヒトからだ。
〇ヤバいよゼルフィア!
どうした?〇
〇さっき気づいたんですけど、
“ あれ ”ゼルフィアが昔計算
してた軌道と似てませんで
したか?確か、私たちが学生
の頃の…
学生の頃?〇
〇…本当に忘れてるんですか?
まあ、行けば分かります。
早く降りて来て!
ああ、分かった。〇
何やら慌てているようだ。
というか、もう下で待っているのか。
早く行ってやらないと――
「あ、やっと来た! も〜遅いですよ」
「すまんすまん」
リヒトは西門の近くで、見張りと談笑していた。
…良かった。何もせず、退屈に待っていたわけではなさそうだ。
「さあ、行きましょう!」
リヒトの一声で、俺の中の得も言えぬ懐かしさが滲み出てくる。
一体何があるのか…
「あ、ゼルフィア=ノア…」
微かだが、聞こえた。
「ゼイル?まだ帰ってなかったのか?早く帰った方がいいぞ」
「先生たちの方こそ、ここで何してるんですか?」
ゼイルが不審な目でこちらを見てきた。
おっと、敵対心剥き出しじゃないか。
ほん…っと。若いって――怖い、怖い。
「それは…」
瞬間――言い淀む俺を案じ、リヒトが割って入ってくれた。
「私たち、これから大事な用事があるんです。だから、生徒のみんなには帰ってもらわないと」
「あなたは?」
見知らぬ人影に、少し怖気付いている様子のゼイル。
流石のゼイルも、初対面で牙を立てる程、野蛮ではないらしい。
「隣のクラスの1ーB担任、リヒト=アーウェルです」
「ふぅ〜ん。“ 大事な ”…ですか」
「えぇ〜と、なにか?」
引きつった笑顔でリヒトは答える。
俺だったら不安と苛立ちで、一発殴ってしまいそうだ。…そうなことしたら、即クビだけど。
「…別に。なんでもないです」
そう言って、ゼイルは帰路に向かって行った。
…そうか。ゼイルは西部領に住んでるのか。
「(なんですか、あの子?すっごい疑心暗鬼ですね)」
耳打ちで囁かれる。
「(…そうだな)」
「(君が言ってたのって、もしかしてあの子ですか?)」
「(ああ。教室で取り分け異質だった)」
「(君がそこまで言うって…何者?)」
「(分からん。…が、
あいつレグナードっていうんだ)」
「(レグナード…って、あの時の!)」
――目の前の教師らは、誰にも聞かれないよう、コソコソ、ヒソヒソと話していた。
あんなに顔を近づけて…
「やっぱり怪しい」
リヒト=アーウェル…一体何者?
というか、この学校は一体?
帰路に向かう僕の背中には、ひどく嫌な予感が張り付いていた。
「――で、そこで私は思ったわけですよ。『今日に限ってまた?』って」
「なるほどな」
落下地点に向かうまでの間、俺たちは落下物について話していた。
リヒトはというと、相変わらず能天気な話ばかりしている。
「お!見えてきましたね〜今回は一体どんなものが――」
「……」
落下物を目視した途端、リヒトはまるで屍のように黙りこくった。
「どうした?」
「…まだ気づかないんですか?」
リヒトの真剣な声音に、今の状況を徐々に理解してきた。
落下物。それも――人型。
リヒトが揺さぶった。
「聞こえますかー!」
「……?」
関節が、音を立てた。
乾いた音だ。
…まるで、初めて動かす体のように。
手が覚えていた。この記憶を――
「生きてましたか」
「何の話だ?」
「…名前を」
「――アサーシ」
………
「…それは」
「やはり」
リヒトは憂いを帯びた顔で、地面を見下ろした。
そんなのおかしい。だって、そんなの…
「ゼルフィア。君、本当は分かってたんじゃないですか?」
「...!」
リヒトの睨みに、俺の意識が覚醒する。
「理論家の君が冷静さを欠く」
「…違う」
「…無意識に自分を否定して、そうじゃないと思い込みたかった」
「違う!」
計算は完璧だったはず…
誤差はない。 あれは、事故じゃな――
その瞬間、脳裏をよぎる。
白い光、砕ける結界、 見上げた空、浮遊する女性――
アサーシ。これが――帰還。
「まぁまぁ落ち着いてくださいよ。焦ったって、しょうがないでしょう」
「...あなた」
落下物――いや、落下人から言葉が発せられた。
一層干乾びた響きは、関節から放たれる音とは到底思えなかった。
「ん?どうしたの?」
リヒトがアサーシの腕を自身の肩に乗せ、体を支えた。
起き上がったアサーシは、俺に顔を向ける。
しばらく俺を見つめたあと、
「…似てる」
その瞳は、俺ではなく――
過去を焼き付けていた。
突然そんなことをいうものだから、身構えてしまう。
「何のことだ?」
「...分からない。けど、そう思った」
このときの俺は知らなかった。
アサーシの言葉の意味を――痛みを。




