第一話 始まりの落下
それは、“落ちてきた”という表現すら正しくなかった。
空間が、裂けた。
音はない。
衝撃もない。
ただ、世界の一部だけが
“そこにあってはいけない形”に歪んだ。
――そして。
二つの影がそこから“滑り落ちた”
一人は、長い髪を風に揺らす女性。
もうひとりは、小柄な少女。
…体内の魔力が、いつにもなく乱れるのをふつふつと感じる。
瞬間――すっかり体に馴染んだ魔導具の蒼に、金が混じった。
合図もなく耳から音が聞こえた。
細かく速い金切り音。
この音は――焦り。
…お前もか。
どちらも――
この世界の人間とは思えなかった。
……誰だ、あれ。
目は捉えている。
だが、理解が追いつかない。
輪郭が定まらない。
存在が“曖昧”に揺れている。
まるで――認識そのものを、拒まれているような。
確かにそこにいるのに、
この世界から“切り離されている”
少女…いや、女性がこちらを見た。
あの目—— どこかで、見た気がする。
無意識に、膝に収まる存在に目が行った。
「え?うそ…」
傍から聞こえる声色に、嫌な予感が喉を刺した。
――その瞬間。
ぞくり、と背筋が粟立つ。
窓越しの落下物。
目が合った。
“認識できてしまった”
それだけで、何かを踏み越えた気がした。
「…そんなはずない」
居てはならない存在が…視界に映っている。
「…なんでよ。なんで“そこ”に居るのよ」
「これで…良かったんだよな」
“俺たち”は視線を合わせた。
俯かずにはいられない。
次の瞬間――
景色が、途切れた。
「――――――ル
―――――――
――――――イル――――ゼイル!
早く起きないと、入学式遅れるよ!」
「――ん?もう朝か。お母さん、今何時?
…ってヤッバ!遅刻するじゃん!早く準備しないと!」
母と共に鳥のさえずりに起こされながら、忙しなく布団を退かす。
…夢? いや、違う。
妙に“感触”だけが残っている。 背筋に、まだ冷たいものが這っていた。
「も~何でこんな日に限って寝坊するのよ。朝ごはん出来てるから、早く食べて行ってきなさい」
いい具合に焼き上げられたウインナーと、パンの匂いが食欲を掻き立てる。
毎朝準備してくれてる母の苦労を思うと、申し訳なさが立たない。
「ありがとう。お母さん」
日頃の感謝も込めて、母に伝えた。
「あ、そう言えば…今日も花に水やるの?」
「うん、そのつもりだけど。なんで?
いつもはそんなこと聞かないじゃない」
母はパンを口に運ぼうとする手を止め、不思議そうに尋ねてくる。
「いや…今日入学式と軽くオリエンテーションがあるだけだから、すぐ帰れるんだよ。
そんで…まぁ、時間できるから。たまには水やりでも手伝おうかなって」
「………ゼイルも“ たまには ” 良いこと言うのね」
母は少し小馬鹿にしたような顔で笑う。
「“たまには”ってなんだよ。たまにはって…」
まったく…母には敵わないな。
母は趣味で花を育てている。
それはそれはもう――華麗に青々と咲いている。
…元気にしてるか、母さん。
肩に刺繍された花柄を押さえ、空を見上げながら涙を堪える。
きっと、不器用な僕がやったら花を枯らしてしまうだろう。
…さすがにないか。
「あとはこれと――あとこれか」
制服に身を包み、ベルトを腰に巻く。
今日は魔術学校の入学式。
新たな環境についていけるのか、不安が込み上げる。
なにせあの学校は、この世界での魔術教育の最高機関とのことだ。さぞ、良い魔術を学べるのだろう。
だが、正直あの学校に行くつもりなどなかった。
できないことを強制される。
―――苦い過去は思い出したくない。
それにしても、まさか初日からこんな失態をかますとは…
「帰ったらお母さんに謝っとくか」
今朝の母の優しい声音が蘇っていく。
母は今頃、花に水をやっている頃だろうか?
「お、今日は快晴かぁ~」
右手で『擬似パラソル』を作る。不完全で隙間だらけのそれは、睫毛に影が落ちるには十分な欠陥品だった。
その春の空は、皮肉なくらい晴れていた――
相変わらずの住宅の陳列具合に失笑しつつも、ようやく魔術学校が見えてきた。
…まぁ、これが西部領の良さなんだけど。
建造物の山々に挟まれ、『まだかなぁ…』なんて思っていた――その時。そいつは現れた。
瞳に白色光が差し込む――
なんとも縦長な楼閣である。
遠目で見た感じ…うん。四角い。
いや…冗談でもなんでもなく、めっちゃ四角い。
それ以外に言いようがない。
学校の校舎において、こういった形状はあまり珍しくもないが、このレベルは腰が抜けそうだ。
腕時計に目をやる。
視界の端で、一瞬だけ “何かが歪んだ”気がした。
時間が刻一刻と迫っている。
…マズイ。
死に物狂いで走った。
…相変わらずだな。
西門まで着いた。
校舎を下から上までじっくりと観察してみると――
校舎に隠れているため東門側は見えないが、東西南北の門から玄関扉まで続く一本道は、赤レンガで統一されているのが見て取れる。
配慮するように道を避け、隅に配置されている木樹を眺めていると、安心感が身体に染み渡って行く。
目の前の楼閣は白を基調としており、その滑らかな石造りは、荘厳さすら思わせる。
白壁に埋まる窓枠を見ると――使用されている深茶色の木材は驚く程学校の雰囲気に馴染んでいて、思わず感心せずにはいられなかった。
陽光が反射し、まびゆさすら醸し出す艶は、まるで僕を盛大に歓迎しているようである。
随分大きい校舎だ。
目算で――大体、五~六階建ての校舎ってとこだ。
下方に視線を戻すと、視界の先には扉が仁王立ちしている。
そのまま左右の建造物にも目を凝らすと――
校舎の端には左右それぞれに縦に伸びる建物がそびえ立っている。
校舎とは打って代わり、この二つの塔には青みがかった濃紺色の、円錐屋根があった。加えて、円柱に円錐が乗っかった形をしている。
…そう。逆に言えば、校舎には屋根がないのである。びっくりだ。
意図的に孤立しているかのような異様さと、校舎とは雰囲気がまるで違う一対塔に、少年心がくすぐられる。
だが、今は時間がない。
打草驚蛇になってからでは手遅れだ。
心の純朴さを扉に押し込めた。
靴を履いたまま昇降口を通って――
食堂でかっ!?美味しそう…
東壁側に張り付くが如く設置された食事処を見据えた。多種多様の豊かな匂いが、胃袋を掻き立てる。
…さっき食べたばっかりなんだけどな。
て、そんなこと気にしてる場合じゃないか。
食堂の中心に構える中央階段を見つけるや否や、猛ダッシュで手すりを掴みに行く。
そのまま一階における約半分の高さに達したところで、西壁に続く直線通路を通った。
どうやら、ここが二階に繋がる階段らしい。
随分変な構造だな…
階段を駆け上がった。
一段一段上がる度に、秒針が加速していくように感じる。
一階、二階と来て――ようやく廊下まで辿り着いた。
ローファー越しに温度が伝わる程冷たい白石床を順調に通っていく。道中、壁デザインの木の温かみに思いを馳せ、『僕の家も木が多く使われてたっけな?』とか考えていると、もう三階である。
あとは右に曲がって、僕のクラスを見つければ…ゲームセット。
廊下で走ることは、代々数多の学校で禁止されてきたご法度行為だ。…だが、今の僕には知ったこっちゃない。全力で――走らせてもらう!!
うぉぉぉぉ!!!
左隣には、『1ーC』・『1ーB』と書かれた学級表札が見えた。
右隣にはガラスフィルム?越しに桜の花びらが舞い降りている。
「なんだこれ?」
ペター…と顔を貼り付け、顔面で冷たくさらりとした感触を確かめながら下から上まで覗いてみた。
何故に『貼り付け奇行』に走ったか?…それは、僕の癖だからだ。
我が家では、毎夜毎夜飽きずに木製の窓に顔を擦り付けている。…あ、僕だけがね。
お母さんは、部屋を覗いた時なんかに「えぇ…汚いよ?」とか言ってくる。
なんと勿体ない…
ドチャクソ気持ちいいのに。ひんやりしていて、僕の好みどストライクなのである。
どうでもいいことを考えつつ、思考をあるべき姿に戻す。
――なるほど。三階~五階まで、一部――恐らく、校舎の中央が吹き抜け構造になっている。そして、この真ん中の吹き抜けの部分を囲むようにして、ガラスフィルムとの間に廊下を作りつつ、教室や部屋が設置されているのだろう。
校舎の内部に桜がある原理は分からないが、見ていて心が浄化されるのを感じる。
今の季節は春。そして、ガラスの奥には花びらの舞。それから推測するに…季節毎で、このオブジェらしきものは違う顔を見せるのではないだろうか。
「四季折々の景色…」
学院にこんな代物があるだなんて情報、一度も聞いたことがなかった。
学院生にとっては、生活に欠かせない風物詩にでもなっていそうだ。
…今はとにかく急ぐか。
走って、走って、走って―――
ふぅ~到着!
なんとかホームルームに間に合って一安心。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ…」
イメージ通りの茶色い床と深緑黒板、そして教室独特の青臭い匂い。胸に温かさを灯され、その勢いのままゆっくり呼吸を整えた。
すぅぅぅ――はぁぁぁ――
「(…すっごいぎりぎり)」
「(あと五秒遅かったら死んでたな)」
変質者を見る目でまじまじと見つめられた僕。
クラスメイトたちの様相からは、これから仲良くやって行こうという気概が微塵も感じられなかった。
…まぁ遅れかけたわけだし。変な奴だと思われても仕方あるまい。
僕の席は…
あった!
どうやら窓際の席らしい。
群衆の波を掻き分け、なんとか自席を確保する。
「(チラリ…)」
周囲には聞こえないくらいのセルフ効果音を出し、西の景色を観望する。すると、西部領の南部と北部に目が行った。
僕から見て左側(西部領南部)には、湖畔の街――『ルーネ』がある。
海上に土地と土地を橋渡しする木橋。頭上から流れ落ちる液体を下に運ぶ水車。土地の杭に、紐で括り付けられた小舟が特徴的な、穏やかな水の街だ。
そして右側には、丘陵地帯に風車群。高台から見える夕焼けと、強めの風に揺れる風車が最高な街――『ラグナ』がある。
やったー!
両腕を高々と掲げた。
自然を見るのが好きな僕にとって、これはラッキーだった。
緑に満ちた山々や清涼な水流は、遅刻しかけた僕の心を、柔らかにつつみ込んでくれる。
ふいに目を向けた。
将来の仲間たちに――
目の前の黒紅髪の少女
青髪の少女
緑髪の青年
――目を引く外見が大勢だった。
異変に気づく。
…魔力すげぇな。
ただ一人というわけではない。
このクラスにいるほとんどから、その異変は感じ取れた。それだけこのクラスはレベルが高いのだろう。
それに比べて…アウェイか。
木目がはっきりと目に映る程、眼が机に接近してしまう。俯きながら、静かに拳を握る。
直接何かされたというわけではない。
ただ――仲間はずれにされた気分だ。
僕は昔からこうだった。
魔術は苦手だし、運動もろくにできないし。
はぁ…せっかくの門出だってのに、昔のことを思い出してしまう。
このクラスでやっていけるかなぁ…
そのとき、僕の心をリセットするように扉が開かれた。
「よし。みんなそろってるな」
突然入ってきた不審な男は、そう言って教壇に向かっていく。
「今日からお前らの担任になる
“ ゼルフィア=ノア ” だ。よろしくな」
男は教師だったようだ。
体型は――普通。
身長は――まぁまぁだ。
ただ…
服装――間違いなく普通ではない。
まさかローブを着てくるとは…
チャコールグレーとかいう渋めの色のチョイスだし――。ローブなら普通、チャコール色じゃね?
普通の学校なら、許されるはずがない服装(色の好みは人それぞれの感性だから、関係ないけど)。
魔術学校だから正装で通せる――そんな服装。
周りはどうだ?
……驚いた。
みんな担任の服装に一切の関心を示していない。さながら、絵に描いたような地蔵っぷりだ。
僕がおかしいのか?
今まで通っていた学校では、少なくともこんなファンタジーな格好じゃなかったぞ。
いや、僕が通っていた学校が『この世界』の常識とは違っていたのか?
「おい、そこのお前。さっきから何か言いたげに先生の顔見てるけど、俺の顔になんか付いてるか?」
担任は、焦点が合わないが如く指を震わせながら、僕を指さした。
突然の質問に、思わず飛び上がりそうになる。
「え、僕?いや、別に何も。ていうか、お前って…
僕にはちゃんと“ ゼイル=レグナード ” っていう母がつけてくれた名前があるんですけど」
不貞腐れた態度で担任をあしらった。
“お前”…か。僕の嫌いな言葉だ。なぜって?
…雑に扱われた気がするからさ。
怒りで眉間に皺が寄った面持ちで、担任の眼をまっすぐ見通した。
「おう、そうか。それは悪かったな。
じゃあ改めて、ゼイル。俺に何か言いたいんじゃないか?」
担任は、納得がいったような顔をして僕に聞いてくる。
『悪かったな』…って。雑くね?
もうちょっと、誠意を見せて欲しいものだ。
「いや、まぁ~それはちょっと、プライバシーに関わるというか――」
――その刹那
視界の横を“何か” が通り過ぎる。




