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第二十八話 棚から牡丹餅《得物》


「早く!逃げろ!!」


金髪青年の咆哮には、初等生集団がセレニアを置き去りにして、この場を離脱させる力があった。


「何を…言ってるんだ?」


黒青髪の少女から発せられた一語一語に、運動神経への伝達が、脊髄を介さなくなってしまう。

余りの話の合わなさに、異質な魔力 《毒ガス》から守る為の覆い手を離してしまった。


尊敬の眼を焼き付けていた少女の姿は何処へやら、魂が抜けたように活力が失われている。


なんでだよ…


有り得ない。有り得ないが…

セレニアの言葉に、彼女なりの整合性が取れてしまうとしたら――


「アーカ=レクシオン…」


怨嗟を籠めて、奥歯を噛み締めた。


未だ残る黒装束男性の面影は、黒青髪の少女の心を寄せ付け、この場に留まらせる異彩を保っていた。

その光景に、沸々と怒りが込み上げてきた。


『虚史編纂者』を司る彼の手によって、セレニアの精神・記憶に仕掛けが施されたのだろう。

いや、彼女がそうならきっと、この場にいる大半はもう――


テラス席に座る、幸福感に満ちた老若男女の様相を、目が理解した。


彼らからは、怖じ気や恐懼や畏怖と言った『恐怖の感情』を、頭――胴――脚――つま先の細部に至るまで、微々たるものだって感じなかった。


――クソッ…もう、手遅れって言うのかよ…


『悔しさの涙すら赦さない』とでも言いたげな北風が、無情な風力で目の潤いを奪い去った。


「…セレニア」


元の彼女とは別人になってしまった少女に、その事実を認められない青年からの、願うような視線を送った。


僕は…セレニアなら、大丈夫なんじゃないかと思ってる。

彼女ならきっと、皮肉顔で僕を苛つかせるんじゃないかって…そんな時間がまた来るんじゃないかって…思ってしまう。


「本当に…レクシオンさんが、今はお亡くなりだって言いたいんだよな?」


口から出すことを躊躇った言葉に、探求心の熱に動かされた魂の鼓動を込める。


セレニアにも、僕と似た真理を追求しようという探求心があった。

僕がその姿勢を見せ続ければ、いずれ元の彼女が目を覚ましてくれるかもしれない。


諦めの悪い銀髪青年からの、むさ苦しい期待を放った。


「ええ、そうですわ。先程からずっと、そう申しておりましたもの」


理路整然と立ち尽くす彼女からは、一変の曇りも感じられなかった。その唇からは、嘯く風は吹き込んでいなかった。


“先程から”…か。会話内容は、どうやら彼女の中で改造されてしまっているようだ。いや、あるいは――


「…そうか」


目まぐるしい虚しさが、眼球硝子体の全体で泳ぎ回った。願いというのは、そう簡単に届くものではないらしい。


それでも――むさ苦しさの未だ渦巻く脳で、様々に可能性を辿らせた。


――元から『アーカ=レクシオン』は存在しない…とか?

流石にないと信じたいが…


「君なりの『アーカ=レクシオン』という御仁の人物像を、語ってくれないか?…君と僕との間の、認識の乖離さを分かっておきたいんだ」


人への影響を厭わない、暴虐非道な『狂人』を頭の中に思い浮かべた。


真理を追求すると決めた以上は、これを聞かずにはいられない。手始めに、先ずは黒装束男性の他人から見た印象から探ってみよう。


「…承知しましたわ。では、彼の『英断話』を致しましょう」


英断か…他人を巻き込むのは、果たして良い選択なのか?


空になった銅製のカップを睨みつける。『英断』という言葉が使われる人物には不適切な行動をした不在男性に、反省の姿勢を促した。


「…と、この口調では少々窮屈かしら。…やむを得ませんわ。語り口調に変えさせていただくと致しましょう」


普段の調子を崩してしまう残念さとは裏腹に、彼女は尊敬する御仁の『英断話』を敬愛を込めて紡ぐことが出来るという事実に、心を踊らせている。


…語り口調に変える?

お嬢様口調じゃなくなるのか。

何というかそれは…物寂しいな。


ようやく馴染んできた少女の言葉遣いが変容する事態に、何処か裏切られた気分になった。


「かつて教師の道を歩んでいた彼は、ある日災害に巻き込まれてしまう。突然の出来事に、成す術なく被害を被った彼は、風流変わりの異郷の地に足を付けた」


慣れた発音で、演劇の語り手のような声色で流暢に話し出す彼女。

その姿からは、普段とは違う大人らしい雰囲気を肌で感じられた。


…意外とありかも。


「『一文無しの無職』という過酷なハンデを背負わされながらも、適応力の高い彼は、瞬く間にその土地に適合していった」


強烈なワードを強調したり、句読点を意識して息継ぎのタイミングを工夫したりと、彼女からは読み手としての才能を犇々《ひしひし》と思い知らされた。


一文無しの無職…僕がその立場だったら、間違いなく露頭に彷徨った末に、地に伏せていることだろう。断言できる。


「道草に流されながらの、体たらくな生活を送る彼のもとに、一人の訪問者がやって来た。それこそが――」


意味を含ませるように、静寂の時間を楽しむ少女。好きなことを話す時の彼女は、僕の心に『微笑ましく見守る親』を宿すかの如くだった。


…欲望に素直な人だったのかな?


黒青髪から漏れ出る、次の一声を待った。


「――エリュシア=リュミエル公爵陛下である」


自信満々に、嬉しそうに、真夜中の上弦の月の如く口元を綻ばせている。


そういや、レクシオンさんも自己紹介的な挨拶をしたときに、南部領領主の従者であると明言していた気がする。

その後に起きた現象が衝撃過ぎて、一時的に忘れかけていたが。


「言い伝えによれば、潜在能力の高さを買ってのご来訪とのことである」


領主の従者になっている人のことだ。ポテンシャルもきっと、他とは比べ物にならない程だろう。


例えば、僕との比較――いや、比較対象にもならないか。

自分で自分の足場をへし折った。


言い伝えということは、真実かどうかは曖昧と考えて良さそうだ。


「現状に満足していた彼は、陛下からの『傘下につかないか』という申し出を断った」


少女が右手を、親指――人差し指――と順に開いていき、五本の指を開き切ったところで目が合った。セレニアは、悪徳商売人とは全く異なる自信溢れる顔付きで、僕を誘うような視線を投げた。


話を聞く限り、レクシオンさんは相当な実力者であるようだ。ただ、『傘下』というのが気になる。この場合、奴隷のように扱うことも有り得そうだと思ってしまう。


「え?あ、断っちゃうんだ」


想像とは違う言葉尻に、思わず横槍を投げてしまった。素っ頓狂に上ずった声調は、少女の作った重厚な空気感を僅かに壊してしまった。


僕としては、提案されたその直後から、下に付いて生活水準を上げようと考える。公爵の配下となれば、将来は約束されたも同然であるからだ。


「そうですわ…と、話が途切れてしまいましたわね。…ゴホンッ――」


一度作り上げたセレニア劇場 《語り手独壇場》を打ち壊されたことに対する、怒りを纏わせた一臂いっぴの指さばきが目に移ろった。役者の一員として、『邪魔しないで』という顔をする彼女に、謝罪の念と役者魂を覚えた。


「代わりとして、彼はある提案を打診した。それが――」


懐かしさを焚きつけさせる予感がした。


「――『舎弟にしてくだせぇー!!』という、伝説の言葉である」


小物感が滲み出る、少女の本気の物言いに、口角の緩みが誘われた。彼女の迫真の演技は、かつて『将来の夢』に据えていた…と言っても遜色ない、優美さが靡いていた。


そこまで屈服の姿勢を見せる必要があったのかは謎だが――兎も角、今は静かに彼女の演劇に身を任せることにした。


…てか、何かどっかで聞いたことある台詞だな。


「面倒臭がりの彼は、出来るだけ楽をして生きる道を探していた。そんな中、抜け道の錯綜する儲け話 《かも》が舞い込んで来た。あの手この手で『楽』を追求した結果、彼は『徹底して下手に出る』という結論に至った」


“かも”という発語をした直後に顔を覗いてみると、有名女優もびっくりの、『悪役令嬢』という言葉がぴったりそうな悪巧み顔が佇んでいた。


彼女の話を聞きながら、レクシオンさんの『楽』の思考結果について、推定される思考過程プロセスを探ってみた。


…そんなことある?しかも、舎弟ってパシリとかされそうだし、むしろ面倒くさそうだけどな…


「彼の奥底の思惑は、『戦に駆り出される』という最も最悪で、煩わしい事象を避けることであったのだ」


戦火の記憶がない彼女だからだろう。『戦』という言葉を吐くときの少女からは、目的が明確に定まっていないと見える。


戦…か。巷の話では、今は昔と比べて戦争の数が如実に低いと言われているそうだ。それには、資源の運搬経路や運搬方法が大いに確立されたことや、現在の公爵の性格が落ち着いてきたことが関係しているらしい。


推測だが、昔は若気の至りというやつで、荒々しい性格の公爵も多かったのだろう。

そんな状況の中『傘下につかないか』なんて言われたら、確かに『戦だけは嫌だ』と思うかもしれない。いや――僕だったら確実に思うな。


「かくして、この伝承は彼の『率先して面倒な役割を受け持つことで、真に億劫な事柄を避ける』という英断に基づき、『臆病者の処世術』と呼ばれることとなった」


何処か腑に落ちない顔をする少女。勝手な評価を下した不届き者に対する怒りを露わにした彼女は、不貞腐れながら事実を吐露した。


臆病者…か。この伝承に名前を付けた人は、きっとレクシオンさんの行動結果だけを見て判断したのだろうな。彼の境遇や生育環境を知らずに、勝手な決めつけを――


その瞬間、人に向けた刃が僕自身に跳ね返ってきた。


心の言動を思い返す。

…僕だって、『アーカ=レクシオン』という人物を、勝手に『悪役』だとか言って色眼鏡で見ていた。


危険な魔力をばら撒いたことは、許されざる行為だ。

しかし、何の意図も無く、あんな狂気じみたことをするとも思えない。


然るべき、理由があるはずだ。一体、どんな目論見があって――


「…さて、私のレクシオン殿に対する『思い』――伝わったかしら?」


演劇が閉幕した会場には、自分の成果を存分に発揮できたか心配そうに思い悩んでいる様子の、黒青髪の落ち着きが貼り付いていた。


「うん。十分伝わってきたよ。ありがと――」


「因みに」


感謝の言葉を遮られてしまった。高揚感の暴れる黒青髪が、僕の視覚の半分以上を占めるまでに近づいてきた。


左手人差し指を一直線に伸ばし、補足説明の助走を丁寧に仕上げようとする彼女からは、今までとは違う『グイグイ感』があった。


「面倒くさがり屋として知れ渡っているレクシオン殿が、どうして『教師』などという職についていたのかは、定かではありませんわ。


研究者の間では『教師以前は勤勉だった』だの、『そもそも面倒くさがり屋ではない』だの、様々な意見が飛び交っていますの。ゼイルさんは、どのように考えなさるかしら?」


早口で饒舌な口調に、彼女の『憧れ像』は息吹を吹き返し始めた。

黒青髪の少女の、年相応で幼気な詰め寄り方に、気圧されてしまう。


セレニアも、好きな話をするときはこんな感じなんだな…


彼女に対する新たな印象に親近感を覚えつつ、妥当な返答を頭の中で巡らせた。

さながら専門家である少女を前にして、迂闊な回答は提出できない。


「両者の間――つまり、『勤勉でもあり、面倒くさがり屋でもあった』…かな?」


研究者の意見の両方を取り入れながらも、その両者とも違う新たな視点を開拓した。


「左様ですか…その心は?」


驚き払った顔付きが、興味津々に眼前にじわじわ迫ってきた。


…なんか距離の詰め方がリゼリアさんみたい。


今の少女からは、僅かながら『陽キャオーラ』が発せられていた。


「これに関しては持論なんだけど、『教師』ってのは愛がないと務まらない仕事だと思うんだよね。


僕らを思って授業準備をする――道を外した生徒には叱りを通して善導する――どれ一つ取っても、『他人事』として考えている人間には、到底出来ないことだ。けど――」


『東門襲撃事件』を思い返す。


あの日、襲撃者を止めようと独断行動を決行したセリアさんと僕。


あの後、『他人に迷惑をかけてはならない』と担任から叱られた。


そのときの僕は、担任の言葉に納得を催さなかった。あまつさえ、『そんなことを言っていては弱いままなんじゃ…』と思った。

今でもその気持ちはある。けど、今とあのときとでは、違うところがある。それは――向き合う決意があるか否かだ。


『弱さに向き合う』――受け入れるとは、また違う。前を向きながらも、忘れない。

常に、自分の心に『過去の自分』を宿すのだ。


僕の意見を傾聴する目の前の少女に、まとまった考えをぶつけた。


「そんな愛の溢れる教師が、必ずしも『勤勉』であるとは限らない。むしろ――面倒くさがりな一面があるからこそ、生徒に寄り添える。病めるときも、支えてやれる。生徒の気持ちを分かってやれるんだ。だから――」


セレニアの両肩をバシッ――と激励した。


「セレニアは『アーカ=レクシオン』という人物を、誇りに思って良いとおもうよ」


「…!」


『憧れ像』を尊敬の対象に据え置くということ。それを僕から認められたのがそんなに嬉しかったのか、涙を潤ませる彼女。溢れそうになる眼液を手の甲で拭い取り、いつもの顔付きを徐々に取り戻していった。


「…言われなくとも、そうしていたかしら。それに、レクシオン殿に対する敬称が抜けてるのよ」


少し嗚咽混じりの声で上ずった声色は、年ごろらしく中々治まらないようだ。


会話の痕跡を、隈無くなぞってみた。

アーカ=レクシオン――あ…『殿』とか『さん』とか付け忘れてるやん。


「あ、ごめん!うっかりしてた…」


誠心誠意の謝罪を披露した。レクシオンさん程完璧な腰の角度ではないものの、随分忠実に再現出来るていると思う。


「…まさか、他の御仁に対しても、忘れていたりしませんわよね?」


「…」


ぐぅの音も出ないとは、このことであろう。

目の前の呆れ顔に対して、どんな表情を返しても正解にならない――この状況。きっと、誰しもが体験したことだろう。


そのときの居心地の悪さと言ったら、さながら『静まった授業中に、お腹が鳴ってしまう』レベルである。


「はぁ…まぁ百歩譲って、本人以外の前では良いとしましょう。ですが、もし本人の目の前で失念するようなことがあれば――」


ギラリ――と鋭い目つきが、僕の愚行に釘を打ち込んだ。その姿には、今すぐにでも引導を渡されるのではないかと思ってしまう。

何を諦めさせられるのかは知らないが。


「――不敬罪で『懲罰対象』なのよ」


『落下事案記録』の話で出て来た言葉との類似性が、鼓動の安眠を妨げた。


マジかよ。僕、心の中で結構な頻度で敬称省略してた気がする…気を付けないと命が幾つあっても足りないぞ、これ。


「アストラ街でも?」


後ろから両肩を掴まれた僕。僕の後ろ髪からヒョコッと顔を出した彼女は、茶色の瞳に、審判の気迫を放った黒青髪少女の影を映した。


久し振りの黒髪少女の声が、僕の安らぎを助長した。


「ご存知の通り、ここでは問題ありませんわ。ただし、今から行く『焔獣館ヴァルクレイア』――ここでは恐らく、注意が必要で――」


「その通り!」


ようやく出番だ!というように顔を昂ぶらせた金髪青年が、左手に付けたブレスレットをジャラジャラと揺らしている。


「あの屋敷は中央に位置しているからね。門扉から玄関扉までは安全地帯なんだけど、一度屋敷に入ってしまえば――東部・西部・南部・北部の堺が次々に入れ替わる。西部以外の地で、気を抜いてタメ口で話そうものなら、即――」


青年の眉間に皺が寄る。張りのある綺麗な肌色とは対象的な黒い影が彼の前髪に落ち、その目元から脅しの圧を受け取った。


彼が一度、言葉を止めた理由がよくわかった。次に続く声音に心の準備をする。


「――有罪判定だ」


「いや理不尽過ぎるでしょ」


身構えていたので、即答できた。金髪青年が、直ぐにツッコんでくれた僕に対し、嬉しそうに朗らか顔を見せた。『どうだ?これがうちのゼイルだ』とでも言いたげな面持ちで腕を組みしながら、鼻を高くしている。


「ん〜まぁ、それが“この世界”の常識なわけだし、甘んじて受け入れるしかないと思うぞ」


スンッ――と表情を落ち着かせる彼。

自慢口調が漏れないよう、僕の発言への妥当な返答を探っているみたいだ。

態度に見え透いてるから意味ないと思うけど(笑)


それにしても――

先程からの青年会話を遡って行った。

“この世界”…リオン君って、さっきから意味深な言葉回しするよなぁ。なんなんだろ。


「特にゼイルは気をつけないとね」


「え?僕?」


黒髪少女が、僕にトドメの釘をぶち込むように教えを説こうとする。


…端から見たら、今の僕って『全然学ばない奴』って思われてそうだな。セレニアにもセリアさんにも、表面上はリオン君にだってお咎めを食らってるわけだし。


「ここに来てからずっと気になってはいたけど、アルディウス公爵陛下に、ずっと敬称抜いてたでしょ?

駄目だよ〜誰が見てみるか分からないんだから〜」


母親口調で僕を諭すセリアさん。黒髪少女は肘と手首を直角に曲げ、掌で空に挨拶すると、「やれやれ…」と声を漏らしながら呆れを表していた。


「大丈夫、大丈夫。ちゃんと、本人の前か否かで使い分けてるつもりだから」


少女の心配を治める為、取り敢えずその場しのぎの言葉を紡いだ。


因みに『敬称』について、ある程度気をつけているのは本当だ。

何故なら、アルディウス公爵の前では、大体『貴方』呼びだからである。と言うより、そもそも『アルディウス公爵』を指すような主語は、余り出さないようにしている所存だ。


少女に僕の思惑を返しながらも、本当に自分が『礼儀が成ってるか』を振り返ってみた。


「ほんと〜?なら良いけど」


信じ切れてない少女の達眼が、僕の胸中を渦巻いた。


そのとき、テラス席の階段付近から奇妙な音が響いて来た。聞き慣れない反響音だ。


「ごめん、ちょっといいか?」


赤髪の男性が、よそよそしく僕らに助けを求めて来た。その言葉遣いには、直ぐには気付けない違和感があった。


普段であれば「すまない」と言いそうなのに…


「レクシオン先輩しらないか?」


『レクシオン殿』と呼んでいたはずの舌の動きは、あるはずもなく慣れ親しんだ『先輩』という発音を自然と受け入れていた。


何故だろう…『レクシオン殿』より、『レクシオン先輩』の方がしっくり来てしまう。どういうことだ…


緊張感が、綺羅びやかなアストラ街の雰囲気を犯していった。皆の額に、汗が分泌され始めた。


「今から部活動報告しに行かなきゃなんだ!何かしってたら、教えてくれないか?」


焦燥感に駆られる彼の形相は、トイレの大を我慢している『超ピンチな人』のようであった。


部活動…?何の話だ?

《セレスティア中央魔術学院》に部活動はあるが…その話か?


でも――そうだとしたら、『アルディウス=ヴァルクレイ』は『セレスティア中央魔術学院の生徒だった』ということになるが…


「レクシオン殿は…もう…」


存命ないという少女なりの事実を、彼女は噛み締めながら言い淀んだ。


赤髪の男性は、そんなセレニアに対して――


「“殿”? 何言ってんだ? いくらあの生徒会長と言えど、『名誉貴族』の称号を与えられる程の高みには、まだ至ってないだろ」


――欠片の意図も拾おうとしなかった。

赤髪公爵らしくない空気の読めなさに、全員の咽頭が忙しなく上下した。


「生徒会長?そんな話、一度も聞いたことがありませんわ。それに、レクシオン殿はエリュシア公爵陛下の立派な従者ですのよ。…笑わせないで下さいまし」


『セレニア嬢』と呼んだ、かつての公爵の影が薄れかけていた。

黒青髪の少女は、目の前の男性に疑念混じりの憤慨を沸き立たせている。


生徒会長――あの学校にそんな人が居るとは知らなかった。

過去にも、そんな『委員会』のようなものがあったのかな?


「ほんとに言ってんのか?その制服を見に付けておいてか?」


両肩に『天秤』の紋章が刻まれた学院制服を睨みつけた彼。

少女の言葉の意味を一塵も理解していない眼差しには、疑問を通り越した唖然が滲んでいた。


「お〜い!お父さん、大丈夫?」


魔力の霧が収まってきた頃、初等生集団の『ヤンチャ坊主』――ヴァルドが父を案じて、チャコールローブの袖を引いた。


「あ、ヴァルド!丁度いいところに!なんか、アルディウス公爵陛下の様子がおかしいんだ」


金髪青年が両手全体で赤髪男性を指し、その息子にこの場の異常性をいち早く伝えようと、工夫を凝らした。


赤髪少年の後ろには、淡金髪少女と茶髪少年が続いていた。


「お父さん、どうかしたの?」


ローブの布地を『えい、えい』と引っ張ったり引っ込めたりして、子供らしく『父の意識』を引こうと尽力している。


しかし、ヴァルド少年だけの力では、まだ足りない様子。ヴァルドの背中をエルフィナが、エルフィナの背中をレイヴンが、まるで綱引きのように引き寄せている。


「うぅぅぅぅぅぅ――」


長の抜けた、初等生集団三人の精一杯の力合わせは、僕らの心を浄化した。


それでも赤髪男性は微動だにせず、静止している。


ちょ、ちょっと…このままだとローブ破れちゃうよ笑


その場面に――奇想天外で柔軟な子供の発想と、『親子の絆』を感じずには居られな――











「お前…誰だ?」



――は?







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