第二十三話 行方の知れない存在
前を横切る銀に、目が取り憑かれる。
これは…スプーンの破片。
「もっとも、エリュシア公爵のお母様は、もうここにいらっしゃらないんですけどね」
背筋に痺れが電波した。体が悪寒を感じ取った。再び、マナに亀裂が走る予感が、胸中を震わせた。
男の気配に目もくれず、彼女は思い出を紡ぐように話し出した。
これ、二の舞なんじゃ…
男は怒りを必死に治めようと、拳を固く握り締めている。
さっきより魔力の赤黒さは抑えられているが、それも、どこまで持つか分かったもんじゃない。
祈るようにして、手を形作った。
頼む…余計なことは言わないでくれ。
これ以上、アルディウス公爵を恐れたくない。
今日は、一段と咽頭の活発さが目立つように感じた。
「エリュシア様の…お母様が?」
男の奥歯を噛みしめる音が、静謐な空気に一滴の恐懼の念を垂らした。
“様”…か。
入学式で見た時、かの公爵は若々しい見た目だった。正直、公爵の中の最年少でもおかしくないと思った。
だが、アルディウス公爵の言葉から判断するに…歳上はエリュシア公爵らしい。
そうは見えないけどな…
まぁ、啓示を信じる感じからは、少々ババ臭さを感じるたけど――って、これ偏見か。
若い人でも、神様を信仰する人は多分居るもんな。
…僕は見たことないけど。
少なくとも、西部領では見ていない。
他の領土は…知らない。
昔はどうだったんだろう?
例えば、百年くらい前とかは、教徒が蔓延っていたのかな?
各領主につき、大勢の信仰者がついていた…とか?
あるいは…一神教もあり得るか。
まぁ、まだまともに歴史を学んでいない僕じゃ、昔を想像することは不可能に近いだろうけど。
左手前方に視界を移動させた。
今一番教徒が多そうな領土と言えば――
赤髪の少年の隣に座る少女の様子を伺った。
淡く金髪を靡かせる彼女は、ルイボスティーを片手に周囲の会話に耳をそば立てていた。
尖った耳。白みを纏った睫毛。
その顔立ちは、見れば見る程にエルフを思わせた。
――南部領か。
領主があんな様子なわけである。
領民にまで影響が及んでいても、不思議ではない。
子は親の真似をすると言うが、それと少し似ているかも知れない。
立場が下の者は、上の者の真似事をしがちなイメージがある。まぁこの例の場合、『立場を狙う』という下心がないこともないと思うが。
同じく紅茶を嗜んでいる黒青髪の少女が目に入った。
ヴァルドを挟む二人の少女を見つめる。
そういや、二人は「いただきます」っと言って食前の挨拶をしてたけど、他の二人はしなかったよな…
その時は『四領土で大分文化が違うんだなぁ…』で終わらせていたが、何か共通点が見えてくるかも知れない。
初等生集団の肩に刻まれた各々の紋様を見比べた。
セレニアには『天秤』
ヴァルドには『火の鳥の上に交差する二つの槍』
エルフィナには『生い茂る樹木』
レイヴンには『雪の結晶』
がそれぞれに描かれていた。
ここから察するに、――
セレニアは西部領の貴族
ヴァルドは東部領の貴族
エルフィナは南部領の貴族
レイヴンは北部領の貴族
――ということだろう。
すなわち――似た文化同士、西部領・南部領と東部領・北部領の二つの枠組みに分けられるということだ。
パット思い付くものとして、両者には『田舎っぽい』か『都会っぽい』かの違いがあるように思う。
建物や自然の多さが、まるで違うのだ。
アストラ街に入ったときも、あまりの綺羅びやかさに、放心と衝撃と感動が入り混じる感情を覚えた。あんな感覚は初めてだった。
眼前に広がる、ジャムの海に溺れるルクスブレッドが鮮烈な心を燃やした。
――後は…食文化か。
カテゴリーで言うと、和と洋くらいの差がある。
僕たち田舎民は和食を好んで食べているが、都会民は逆に洋食を好んでいるというイメージだ。
実際、目の前に並べられている食事も洋食だし、あながち僕の偏見も的を得ているだろう。
右隣に座る黒髪の少女に目が行った。その茶色の瞳には、フィレ肉が熱々と焼き付いている。
髪の長さは違うが、その容姿はどことなくギャル定員を彷彿とさせた。
セリアさんの話から、僕は彼女が南部領に住んでいると仮定した。
是非は知らないが、仮に合っているとしよう。
すると、彼女も田舎育ちである――すなわち、普段から和食を食していると言える。
米とか鮭とか味噌汁だとか、そういうのを食べているのだろう。
うむ…なんか親近感が湧いてきた。
元々話しやすさは感じていたが、こういうところに出ているのかも知れない。
和食が当たり前だからこそ、たまに食べるジャンクフードが格別なのだ。
セリアさんもきっとそうだと思う。
だが、これはあくまで仮定の話。答え合わせは彼女の口から聞かねばならないのだが――
鉄を握り固め、スプーンを垂直に立てている男の悔しさが、場を占めていた。
――再来の空気の重さに、それどころではないようだ。
どうにかして、この空気を変えたい。セリアさんに聞きたいし。
ここは敢えて…
「『今はここに居ない』ってどういうことですか?」
背筋を整えた。話を聞く体勢で構えた。
先程のリュネアさんの言葉の真意を探った。
リュネアさんとアルディウス公爵に、これ以上話をさせるのは悪手なように感じたのだ。
そして、こちらから振れば、話を幾分かマシな方向に持っていけると判断した。
「そのままの意味です。文字通り、存在しないんです」
存在しない…?わざわざその言葉を使うことには、どんな意図があるんだ?
言葉通り受け取ると、ご存命でないというように聞こえるが…
思考のお供に、ジャムに蕩けた小麦の香りを頬張った。
――僕が生まれてから、四領土で貴族の家族が亡くなった知らせなんて、耳にしたことがない。
たまたまタイミングが良かったのだろう。
それを踏まえると、エリュシア公爵の母親は、僕が生まれる前に亡くなったと言えそうだ。
エリュシア公爵の母親――仮に『エリュシア母』とすると、彼女の目的は何だったのだろう?
ラテの発案者として、それなりの思惑があったことは確かだ。が、それが全く読めない。
エリュシア公爵の解像度が低い今、その母親を想像すると言うのは、なかなか無理のあることだ。
…それでも、考えられるのは――
「遺言…?」
赤髪の男に顔を覗き込まれた。鼓動が警鐘を鳴らした。
――三つの魔法陣を通して、エリュシア母は、娘に遺言を届けようとしたのではないだろうか?
彼女には、死ぬ前にどうしても娘に伝えたい思いがあった。だが、直接伝えられる手段がなく、後世に残せる形を模索した。その結果が『ラテアート』だった…とか。
馬鹿げているが、あり得ない話ではない。
未だ手に残る、冷ややかな鉄の感触を睨む。
…魔法陣から発動した効果からは、遺言らしさは感じられなかった。むしろ、何かを遠ざける罠のような気さえしてくる。
僕の予想は間違ってるのかな…
「あながち間違ってないと思うぞ」
「それもあり得ると思いますわ」
二つの声が重なった。左手前方と左隣から音が反響してきた。
今の会話の流れで、僕の心中を見透かしたのか?
僕は少し恐れ慄く。心が読まれているような錯覚に陥った。
「お前が言いたいことを整理しようか。
エリュシア公爵のお母様はご存命ではない。そして亡くなる前、お母様は娘に遺言を残した」
アルディウス公爵の落ち着いた眼を見て、少し安心する。
彼の洞察力は想像以上だった。僕の僅かな言葉から、心の内を読み取った。理解した。
…正直、僕に出来ることではない。
「それこそが『ラテアート』だった…と。そう言いたいわけかしら?」
「そう…だね」
青髪店員は、感情の読めない表情で、僕らの会話を静観していた。
淡い金の瞳が、見え透いた僕の心をがっちり掴んでくる。
セレニアも、僕の心の内を読み通していたわけか。
初等生の頃から出来るなんて、感心なものだ。
…僕も出来るようになりたいな。
人の心を読むことは、非常に難しい。大人でも、出来ていない人がいるわけだし。
それでも、二人はやってのけた。
「…他に、聞きたいことはございますか?」
リュネアさんが、早く厨房に戻りたそうに、体をピクピクさせている。彼女の為にも、話を早く終わらせてあげた方が良さそうだ。
「この喫茶店はいつからやってるんですか?」
白銀の瞳の奥から、焦りが見える。
あまり、聞かれたくなかったことなのだろうか?
腰辺りまで伸びた髪が、プルプルと震えている。
「今年で180周年になりますので、大体180年前からやらせていただいております」
「…180年?」
男の瞳孔が、大きく見開かれた。
180年…途方もない時間だ。
それだけの年月、店の味を継承してきたというのは…なかなか風流じみたものを感じる。
ただ、引っかかる部分もある――
「その頃からラテアートを?」
「ええ。店長曰く、先代のマスターからそう聞き及んでいるとのことです」
――技術的に可能なのか?ということだ。
手動でやっていた時代があった可能性は、否定できない。が、現代の機械を用いた製造方法を目の当たりにした後だと、人間の手だけで作るところが想像できない。
…器用な人なら出来るかもだけど。
それに――
ネモフィラティーの下で、コースター代わりに熱を帯びている魔法陣を見つめる。運ばれて来てからかなりの時間が経って尚、温度を一定に保っている。
――卓越した魔術師なら出来なくもないかも知れない。そこまで精密なマナ操作をする人は、見たことがないけれど。いつかは会えるかな?
密かな希望を胸にしまった。
「…もういいですか?」
目の前の青髪の少女が、まるで非常口のピクトグラムのように厨房に体を向けている。
…そろそろ解放してあげよう。
彼女の公爵に対する態度については思うところがあったが、僕たちも彼女のプライベートに踏み込み過ぎた気がする。
相手がやったからって、自分もやっていい理由にはならない。そんなの…復讐者の発想だ。反省しないとだな。
「…最後に、一ついいですか?」
右隣から勇猛果敢な声が響いた。
「はい。何でしょう?」
「ラテアート凄かったです!」
「え?」
予想だにしなかった様子を返す彼女。そこからは人間臭さが溢れていて、何だか安心する。
「私、あんなの見たこと無くて…感動しちゃって。こんなお洒落な雰囲気のお店に来ることも全然なかったから、余計にそう感じたんです。…だから」
セリアさんの言葉にうん、うん…と頷きながら、僕らは傾聴した。各々は、運ばれた品を黙々と口に頬張っている。
美味しい食べ物を食べる時、人は口数が減る事がある。今がそれかも知れない。
皆、セリアさんの言葉を肴に、食を楽しんでいる。
「また来てもいいですか?」
ラテで一息ついた後、穏やかで柔らかな口調で、彼女は告げた。
怪しさに目を瞑れば、只々凄いラテアートだった。が、如何せんその“怪しさ”と言うのは無視できるような代物ではない。
一度ついてしまった印象というのは、そう簡単に剥がれるものじゃない。
…それでも、安易に『この人はこうだ』と断定してはいけない。それはあくまで、その人の『一部分』であり、氷山の一角に過ぎない。
だからこそ――
「…!勿論!またのお越しを、お待ちしております!」
――知ることだ。彼女の背景、過去、責任…全てを知った、その後に判断すればいい。
互いに知ること――それこそが、過ちを犯した者に出来る、最大限の『償い』なのだから。
「ご馳走様でした」
手を合わせた。食後の挨拶をしたのは、僕を除いて
セレニア・エルフィナ・セリアさん・リオン君の四人だけだった。ここでも、文化の違いが伺える。
…てか、挨拶したってことは、リオン君は西部領か南部領に住んでるってことかな?
普段の服装からして、都会に住んでる感じがしたのだが…見当違いだったか?
周囲の腹具合を見やる。
みんな満足気に、お腹をすりすりとさすっている。
皿に乗せられたご馳走たちは、綺麗にたいらげられていた。
…美味しかったなぁ。
『また来たい』と、そう思える程に、満足度が高い食事だった。…アルディウス公爵とリュネアさんのいざこぞには、相当びびったけど。
アルディウス公爵の素性が少しでも知れたのは良かったけれども、ああ言うのは心臓に悪いからやめて欲しい。命の危機に関わるようなことは、特に。
あの時、正直セレニアの補助が無ければ、止められていたか分からなかった。あのままリュネアさんの喉が潰れていた――なんてこともあり得た。
本当にひやひやしたものだ。
「お勘定でも良いか?」
「はい」
赤髪の公爵と、青髪の少女の目が交錯する。
その目からは、多少なりとも蟠りが解消されたように感じた。
「お会計は、入口付近のレジにてお願い致します」
会計伝票が各々に手渡された。
カウンター机の下にある鞄を手に取り、財布から四枚の銀硬貨を握り取った。
僕が支払う金額は4ルクス。
一回の食事にしては…まぁ妥当か。友達との遊びに使った金額としては、むしろ安い方だと思う。
「是非ともまた、当店にお越しくださいませ」
営業スマイル――ともまた違う。本心が入り混じった表情で、彼女は見送ってくれた。
…結果的には新たに得た情報も多かったし、被害も出なかったから、総合的に見たらプラスと言えるか。
――その表情は、騒動の衝撃を和らげる程には、僕の心に刺さった。
さて、会計額を払ってこの店を出るとしよう。
忘れ物がないか、再確認した。
スマホ…よし。
財布…よし。
学生証も…よし。
制服ポケットのティッシュも…よし。
うん。大丈夫そうだな。
丸椅子から立ち上がった。
「お先にどうぞ」
右手で鞄を持ち、アルディウス公爵に左手でレジの導線を示した。
「ありがとう」
その手には、ヴァルドの手が握られている。
手を繋いでいる二人の様子は、仲睦まじい親子そのものだった。
その後ろには、レイヴン・エルフィナ・セレニアの順に続いている。
初等生の頃の感覚だが、なんとかく、女子はしっかりしている印象があった。何をするにあたっても、男子の馬鹿な行動を、女子に咎められていた記憶がある。
それが、ここにも反映されているのだろうか。
落ち着きのない男子たちを前にやって、その後ろに女子がつくことで、監視できる体勢を作っている感じがする。
黒青髪の少女の後ろを、僕たち三人は横一列になってついて行く。僕らの真ん中は、リオン君がしっかりとポジショニングしている。
…ちゃっかりしてるなぁ。
そんな様子に、微笑ましさすらも感じてしまう。
「(ごめんね…ゼイル。いつか話すから)」
背後から遠巻きに呟きが聞こえてきた。後ろを振り返る。そこにはもう、彼女の姿はなかった。
…何言ってたんだろ。
「あ!さっきぶりだね!やっほ〜」
黒髪を後ろに結まとめた少女の、溌剌な声が響き渡る。彼女は、僕らに向かってぴょんぴょん飛び跳ねながら、手を振ってくれた。
このギャル口調…間違いない。ミレイさんだ。
僕らに気づくまでの彼女は、その茶色の瞳に勤勉さを灯し、真剣な顔で業務を遂行していた。
その表情から一瞬、『あれ?人違い?』と思ったのも束の間、明るい言動により、それは払拭された。
それにしても…
リオン君の影に隠れるセリアさんを探した。
ミレイさんとセリアさんって似てるよな。
髪色も、目の色も、かなり近い。
違うところを挙げるとすれば、髪の長さと身長だ。
ミレイさんの髪は、ヘアゴムでまとめて尚腰に届くぐらいの長さ。所謂、ポニーテールってやつだろう。
一方のセリアさんはと言うと、髪は肩ぐらいまで伸びている。この髪型は恐らく――ミディアムってやつだ。間違ってたらごめん、セリアさん。
あ!そう言えば、セリアさんに聞きたい事があったんだった。あの時は状況的に聞けなかったけど、今ならいけそうだ。
意を決して話題を振った。
「セリアさんって、普段どんな和食食べる?」
黒青髪の少女の毛先が、フワリと宙を舞った。
自然に、息をするように当たり前に、普段通りの口調で聞いた。帰って来る彼女の言葉の方向性は、確信していた。
セリアさんが挙げる候補として幾つか挙げられるが、おおよそメジャー所だろう。
あるいは、マイナー所を行くかも知れない。それはそれで、僕としては興味が湧く。
和食について、もっと色んなことを知りたい。
彼女がもし色々知っているなら、ご享受頂きたいところだ。
彼女なりのレシピを教えてもらうのもいいかも知れない。今度自分で作ってみても良いし、お母さんに頼んでも、それはそれで大分アリだ。
ヤバい…ちょっと、わくわくして来たかも。
胸中に童心を宿しながら、彼女の言葉を、まだかまだかと待ち侘びた。
「ゼイル――」
彼女の口調は、思っていたトーンと違った。
彼女の手が、顎に添えられた。
その様子は、何かを思い出しているようだった。
きっと、朝食の献立でも思い出しているのだろう。
今日の僕は、綺麗に三角形で握られた、母お手製のおにぎりを食べてきた。
ああ言うシンプルなのも、和食を代表する料理の一つだよな。作り方は単純なのに、作り手次第で味を大きく左右する。奥深い料理だ。
…僕も自分で作ってみたいな。
今度、お母さんに作り方でも教わってみようかな。
陽光に照らされる白銀髪の女性が、米を握ってくれる様子を思い浮かべ、母に教わる僕の姿を思い描く。
顎に添えられたセリアさんの手が、ストンと落ちた。
思い出し終わったのかな?
彼女の次の言葉を期待した。
だが――その口からは、想像できるはずもない、あり得ない発音が鼓膜を貫いた。
「『和食』って何?」




