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第四の魔術師 〜魔術を拒む異端者〜  作者: 第四
第一章:第一節 『平穏な――学院?』
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第二十二話 己の弱さに屈するな


カタッ――

左隣から、苛立ちを露わにした男の立ち上がる音が反響した。


赤黒い魔力が、重苦しくのしかかった。

重力が倍増したような感覚。

自身の重さを、これ程までに体験したことはない。


「そのラテの発案者は誰だ」


そのローブには、魔力を抑え込む役割があるのだろう。先程までは、『公爵の魔力』とやらは幾分か掻き消されていた。

だが、フードから赤髪が馬脚を現した途端、明確に空気が沈んだ。大気中のマナがひび割れた。


「…分かりません。私がここのバイトとして働く頃には、もう、メニューとしてございましたので」


嘯くように淡々と告げられた。

冷え上がった汗腺が、危険信号を発していた。


…これはまずい。

彼女の発言には、いつ逆鱗に触れてもおかしくない危うさがあった。

剣呑の圧は何のその、気骨の強い眼勢は、虎視眈々と男の瞼の裏を焼き付けていた。


「…なら、店長はどこだ」


「…すみません、店長の居所は分かっておらず――」


ミチミチ――

生地が引っ張られる不協和音が響いた。

瞬間、男の手に魔力が集中した。その腕からは、ローブ越しでも視認できる程に赤みが浮き出ていた。

その光景に、不快な音を耳で塞ごうとする手さえ置き去りにしてしまった。


「(…まずいですわ。このままだと周囲に影響が――)」


畏怖の念に苛まれる掌を握り締め、照準を男に合わせた。

動悸が激しい。いつもより、息が上がっているのを感じる。

…僕にやれるのか?


今までの人生で、格上の相手と対峙したことはない。

増してや、ここまでの猛者と相対することなど…一度も。

一度決意を固めたは良いものの、それまでの僕は、結局…逃げた身であることに変わりない。過去は――揺るぎない一定不変だ。

どんなに願っても、どんなに意志を貫こうとも、『改変』なんて出来やしない。


なら――また僕は、逃げる選択を取るのか?


…違う。そうじゃない。

意志は、そう簡単に諦められるものじゃないだろ。

これは僕が生きてきて、初めて手に入れた、不退転の覚悟――そうあろうとした、決心なんだ。


カタッ――

丸椅子から立ち上がると同時に、勇気の鐘を鳴らした。


『改変』できずとも、どうにか抗う術を見つける。

少しでも見えた希望には、意地でも縋り付く。

良いじゃないか。

泥臭くったって、惨めだって、勝つのは最後まで諦め切れなかった者だ。


零れ出る希望を絶やすな。

今できる、最善を尽くせ。


だからこそ、

「(…やらなきゃならないかしら)」


恐怖に押し潰されそうになる瞼を開いた。

魔力の流れを、指先に一点集中した。

人には、覚悟を決めるべき時が存在する。

それは――人によっては幼少期にあるかも知れないし、大人になってからかも知れない。

あるいは、年衰えてからもあり得る。


人が覚悟を決める時、様々な要因が複雑に絡み合う。

僕は――


爪が見えた。折れた指を再起させた。

男を真っ直ぐ捉えた。

マナの亀裂は、僕にも侵食してきそうな異様さがあった。


――今なんだ。


僕らを警戒する一切の素振りも見せず、男の眼差しは、青髪の少女一直線だった。


「(お父さん…)」


ザッ――

空気を切り裂く音が木霊する。

その手は今にも咽頭を刈り取ろうとしていた。


――やるしかない。

「(――やるしかないですわ)」


僕が知っている魔法の中で、この場の最適解――それは、基本属性のどれにも組しない…隠匿された魔の兆候。

僕の身体に刻まれた、もう一つの意志。


割れたマナを取り込んだ。皮膚の焼ける、焦げ付いた匂いが鼻を掠める。

必要なマナが取り込み終わった。

後は魔法に変換すれば――



…ここで切らすんじゃねぇぞ。



捕縛(プリズン)

捕縛(プリズン)

「止めて!お父さん!」


足元から影が出現する。

チャコールローブに、新たな外套が覆いかぶさった。

男の腕に、柔軟な黒い帯革が絡まった。


同時に、赤髪の少年の手が、男の左腕を鷲掴みした。

父の愚行を止めようとするヴァルドの目には、涙が溢れていた。


「…!チッ」


殺意が向けられた。

そこに父親らしさは無く、今はただ、傍若無人の暴君と化していた。


「…らしくないですよ」


男には、『公爵』に戻って貰わねばならない。


逆立った赤髪から、どうにか糸口を見つけようとする。

…ヴァルクレイ家の大黒柱としての威厳を見せてくれ、『アルディウス=ヴァルクレイ』


「貴方ほどの方なら、もっと別の手段も取れるでしょう?」


「…分かってる」


ぶっきらぼうに吐き捨てられた。

腕を締め付ける圧力が治まった。

赤黒い魔力は、再びローブに落ちた。


ばつが悪いのだろう。

青髪店員は、逃げるように厨房に姿を消した。


最大の危機は過ぎ去った。

あそこまで、怒りを露わにした理由は分からない。が、僕にも分かった事がある。


三つの魔法陣――あれは間違いなく危険だ。

そんな事、この場にいる者なら誰にだって分かること…そう言いたかった。


だが、実際のところ、僕とアルディウス公爵以外に気づいた者は居なかった。硬貨の温度が変質する――あの瞬間まで、誰も。


いや…本当にそうか?

あの時の僕には死角があった。

銀と青銀に触れる瞬刻、姿が見えなかったのは――


後ろを振り返った。

黒青髪の少女と目が合った。


「…どうして」


彼女も同じ気持ちらしい。

その眼は、視線が定まっていない。


セレニアという少女。

さっきメロンパン屋台で会ってから、間もないお嬢様。言動の節々から伝わってくる知性と皮肉節からは、素性がまるで分からない。


そんな彼女は、あろうことか僕と同じ魔法を使った。しかも、詠唱破棄で。


僕が初等生の頃に詠唱破棄が出来たかと言われると…出来ていない。


なんせ、その頃は、自分に合った魔法すらまともに分かっていなかったから。

まぁ今使ってる魔法も、自分に合ってるかは不明であるが…


今度、一度試してみようかな?

全六種の基本属性――火・水・雷・氷・風・土

…その全てを。

幼い頃は無理でも、今なら出来る…なんて夢物語も描けるかも知れない。


鍛錬を積んでみないことには、分かりようもないが。


コツッ、コツッ、コツッ――

優雅な足取りが近づいた。


淡く明眸な金色の瞳には、慧眼(えがん)が座っていた。

はち切れんばかりの心臓の鼓動を感じた。

周囲に漏れ出ようとばかりに忙しなく、やかましい。


上目遣いで見上げられた瞳孔を凝視した。

三白眼気味になったその目は、真意を確かめんとしている。

…まるで、何もかも見透かされてるようだ。


「…何故その魔法を?」


あり得ない事態なのだろう。

皮肉めいた余裕な表情は、今の彼女にはない。ひたすらに、真理を探求している顔つきだ。


…今の僕と、少し似ているかも知れない。

謎めいた真相を追いかけようとする心。その心は、高等生になってから、より明確になった。…自分でも、自覚する程に。

だから、正確には彼女と同じではない。

初等生から探求者である彼女と、高等生からそうである僕。

両者の間には、明らかな差が存在する。


だが、大事なのは今だ。

今こうして、同じ志を持った者が揃っている。

…負い目を感じている場合じゃないぞ、僕。


下目遣いで彼女を見下ろした。


「…家の『魔導書』に載ってただけだ」


あの魔導書は、僕の自室の本棚に並んでいる。

幼い頃、誕生日に母から買ってもらったものだ。


禍々しいオーラを放っていたのをよく覚えている。

…そう言えば、あの魔導書――あれに似てるな。


偽硬貨による詐欺罪、及び窃盗罪――呼称するなら、『メロンパン騒動』だ。『偽硬貨事件』…と言ってもいいだろう。


この世界の法律なるものは、初等生時代に学習したことがある。

その時「一部の地域を除いて、この法律は適用されます」的なことを先生から教わった。


確か例外の地域が――先生の言葉を思い出す。


「法律適用外の地域は、四領土の『西部』です。覚えて帰ってね!」


あれ?アストラ街って東部領の西部だったよな。

…もしやあの騒動って、法的に認められたものだったのか?


なら、怪しげな男性が取っていた行動も正当化されるわけか。


…いや、おかしいだろ。

なんで西部だけ認められて、他の地域は法律が適用されるんだ。

冷静に考えておかしい。

ここには、意図的な策略があるに違いない。

一体、どこのどいつが、こんな馬鹿げた法律作ったんだ。


眉間に皺が寄る。

金壺眼となった目つきは、無表情な僕の顔を、一層険しくさせたように思う。


「…何ですの、その態度は。(わたくし)を、馬鹿にしているのかしら?」


気に障ってしまったようだ。

セレニアに対して、怒りをぶつけたわけではないのだが…

当然、彼女にそんなことは分からないのだろう。


「今、(わたくし)のことなんて忘れていたでしょう?」


…!?

肩が飛び跳ねそうになる。

寸前で、なんとか堪えた。

…なぜ気づかれた。

十何年鍛え抜かれた僕のポーカーフェイスを、こうも簡単に見破るなんて…

只者じゃない。


「…さぁ、どうだろうな?」


表情を崩さぬように、顔つきを固定する。

だが、声だけは隠し切れずに、少し上ずった。

あくまで年上の風格を見せておく。生意気なお嬢様に弱みを見せようものなら、何を言われるか、分かったもんじゃない。


「そうですの」


瞼が閉ざされた。長い上睫毛が、光の反射を受けた。上から見る光景は妖艶で、黒みと白みが混在していた。


観念したように黒青髪を旋回させ、席の方向に戻っていった。


よかったぁ…

ひとまず安心。

なんとかバレずに済みそうだ。


…てか、なんで僕ばっかり責められてるんだ。

セレニアにだって「僕と同じ魔法をなんで知ってるんだ?」って聞いてもよかったんだぞ。


そこは『年下』という名の免罪符に免じて、目を瞑ってやったが。


腰に手を当て、僅かに胸を反らせた。

まぁ?僕は“先輩”だからな。余裕を見せておかないと。


鼻息を漏らした。

背中を見せる彼女に向けて、嬉々とした態度を現した。


「一つご忠告を」


お嬢様ステップが止んだ。

丁寧に手入れされた後ろ髪を見せつけながら、静かに吐露した。


足先が僕に向けられた。

精悍な眼差しは、心を貫くように僕の機微を追っている。


…今度は何を言い出すつもりだ?

マナの循環を感じた。安堵を、全身に巡らせた。

戦闘態勢――とまでは行かないが、いつでも動き出せる準備を整えた。


さぁ、かかってこい!

今ならどんな皮肉でも受け流してやれる…そんな気分だ。


いざとなればこの手で――

…って駄目駄目!

それは不適切だろ。

『感情任せ』に行動をするような大人には、決してなっちゃいけない。


右手前方に見える赤髪の公爵が目に入った。

…大人になるって、難しいんだな。


皆が一度は想像する理想の大人像というのは、大抵現実の大人を見て崩される。

「自分もこうなるのかな…」なんて絶望して、打ちひしがれるところまでがお決まりだ。


短気な部分に目を伏せれば、アルディウス公爵も父親として十分やっている方だとは思うけどね。

家族のために、メロンパンを買ってあげてるわけだし。

家族思いでもなければ、そんなことはしない。

家族を愛しているからこそ、相手が喜ぶことをするわけだ。

そういうところは、見習わなくちゃな。

将来結婚するのかは分からないが、もしそのときが来れば――


反省の色を浮かべた一人の男を見つめる。


「…ごめんな、ヴァルド。怖い思いさせて」


優しい声調で語りかけていた。

彼は子供の頭を愛でていた。


――参考にさせて頂こう。

献身的な『大黒柱』さん。

柔和に口角が綻びた。


「…あなた、バレバレですわよ」


「え」


空気が一変した。

頭が真っ白になった。

あまりの衝撃に、彼女の口の動きを追うので精一杯だった。


もしかして、全部バレてた…?

鼻頭に熱が上がってくる。

腰に当てていた手がストンと落ちた。


顎に手を当てた。

…いつから?

この喫茶店に入ってからか?

それとも――


「例えばその表情。隠せてるとお思いですの?無表情を気取っているのか知りませんが、言葉数が少ない割には、随分表情豊かですわよ」


「…マジ?」


セリアさん達の方に顔を向けた。


「まぁ…うん。結構分かりやすいかも」


「…だな。ゼイルって、言葉よりも目とか仕草で訴えて来るタイプだと思うぞ」


脳裏に霧がかかった。

ふらつく頭を両手でがっちり抱えた。

…マジか。

僕的に、かなりポーカーフェイス上手い方だと思ってたんだけど…

見当違いだったらしい。今回ではっきりした。


「…はっず」


唾液を拭うような仕草で、口元を隠した。

もうヤダ。こんなんじゃお婿に行けない…

婿に入る予定なんて、今んとこないけど。


「気にすることないって。そんなゼイルも、十分魅力的だよ」


両手を後ろに回しながら、僕の顔を覗き込まれた。

顔を逸らしている僕に「お~い」と手を振っている。


「そうそう。セリアさんの言う通り。周りの目なんて気にすんな!前だけ見てこう…っぜ!」


リオン君の跳躍が目に入った後、肩に回された腕は、そのまま重力という名の重しを受けた。


「…ありがと。ちょっと、マシになった」


肩の荷が下りた気分だ。

今まで、他人に勘繰られるのを嫌って、出来るだけ無表情を貫いて来た。

自分の心情を悟られることは、人生において損に働くと思ったから。

だが――


「もう…いいのかもな」


白状するように息を吐いた。

――自分に素直に生きてみてもいいかも知れない。

友達に恵まれた今、率直にそう思う。

互いに気持ちを共有し合い、分かち合う。

その過程で、自分の意図が伝わらないというのなら、それこそ損だろう。


素直に生きてみること。それは勇気のいる一歩。

踏み出す覚悟を持つ――すなわち――


「フッ…いい顔になりましたわね」


――成長の兆し。

無表情の仮面を取っ払った。

顔の力が抜けると、不思議と清々しい気持ちになった。


公爵の重々しい足取りが、僕らの間で静止した。

気まずそうな面持ちで俯いている。

…なんと声をかけていいやら。


僕らが対応に困っていると、

「…本当に申し訳ない」


深々と頭を下げられた。

その姿は魔法演習の時の担任と似ており、面影を重ねてしまう。

…少し似ているな。


入学式のやり取りを思い返す。

そういや、アルディウス公爵と担任って、あの場での様子を見る限り、因縁の関係ぽかったんだよな…

昔に、蟠りでもあったんだろうか?


「顔を上げてよ、お父さん」


背中をさするヴァルドの右手が、彼をポンポンと叩いた。

これが支え合いか。

何か…いいな、こういうの。

見ているだけで、心温まる。


僕も帰ったら、お母さんに感謝を伝えないと。

そうだな…花の水やりの手伝いでもするか。

不器用な僕がやることは花の死を意味してしまいそうな気もする。けど、枯らさぬよう慎重にやればきっと大丈夫だ。…多分。

これでも、前よりは不器用さがマシになった自覚がある。

入学してまだ一週間も経っていないお前が、何言ってんだ…ってツッコまれそうたが、そこは見逃してくれ。


「そう…だな。まずは相手の顔を見るところからだ」


反時計回りにローブが靡いた。

僕、セリアさん、リオン君。

そしてヴァルド、エルフィナ、レイヴン、セレニアの順で視線が移った。


「すまない、有望な若者たちよ」


落ち着いた態度と自然な声色で、鼓膜に響いて来た。


…これがアルディウス公爵の素か。

冷徹なように見えるが、憂いが滲み出ている。

過去に、何か背負った者の顔だ。


それはいつなのか…

気になるところだが、今はしまっておくとしよう。

この温和な空気を壊したくない。

だが、いつか――彼の口から聞くとしよう。


パンッ――

手と手が叩き合う音が響いた。


「アルディウス公爵の気持ちは伝わりましたわ。これ以上謝られても、こちらとしては対応に困りますの。ですから、そろそろ席につきましょう」


セレニアがこの場の主導権を握った。

彼女は、僕らの心情を汲み取ったかのように、先導し出した。


…すごいな。

空気を読んで、ここまで対応出来るのか。

僕とは違――いや、僕も出来るようにならなくちゃ。

同じ探求心を持った者同士、対等でありたい。

彼女に負けてなんていられないのだ。


『弱さ』に屈しようとした直後で、なんとか踏みとどまった。


「そうは言っても…」


反省の姿勢が張り付いたままの公爵は、伏し目がちに、黒青髪の少女に返す言葉を探っている。


…分かるよ、アルディウス公爵。

謝罪の言葉ってのは、どれだけ相手に伝わるのか分からないもんだ。それが――当の本人ともなれば、尚更。


だが、これ以上僕らに謝っても何も生まれないのも事実。犯した過ちは、これからの行動でしか償えない。


それを、セレニアも分かっているのだろう。

アルディウス公爵が気を負い過ぎないように、自ら導線を張っている。


…偉いな。


「はぁ…それでも『公爵』ですの?情けない…いつまでも過ちをくすぶっていても、何も変わりませんのよ?それに――」


やれやれと肩を上げ、頭を横に振りながら呆れたような手の形が作られた。


それにしても、公爵相手にすごいこと言ってるな。

僕にはそんな勇気、まだ持ち合わせていない。


いつかは公爵相手にも、堂々と意見を通せる男になりたいものだが、それはまだまだ先だろうな。


セレニアが腕組をし、人差し指をイライラと肘に当てている光景が映った。


「一家の責務を果たすのでしょう?だったら、さっさと席につくかし…ら!」


「痛!」


少女の足が、ケツにクリーンヒットした。鍛え上げられた筋肉だからだろうか。かっ…なりいい音が鳴った。


赤髪が大気圧に押されながら、宙に舞った。


…強引だな。

今までの人生で、お尻を蹴られた経験はない。が、想像してみると…うん。めっちゃ痛そうだ。

なんか可哀想に思えてきた。


体を労ろうと、彼に近づいた。赤髪が、至近距離に位置した。


「大丈夫ですか?立てます?」


膝と手を地面につけた彼に、救いの手を差し伸べた。

女の子にケツ蹴りされるのは、なかなか堪えるだろうしな…


「ありがとう」


力強い握力が、じんじんと伝わった。

…ちょっと痛い。多分、手加減してくれたんだろうけど。


血管の浮き出た手の甲を見つめた。

その手は、『男』って感じの手だ。

…家族を守るのには、十分過ぎる程に。


「『一家の責務』果たしましょうね」


彼の好物を暗に示した。

彼が甘党であることは驚きだったが、今となってはすごく自然な気がする。

まぁ、スイーツってのは、魔の引力があるからなぁ…ここまで惹かれるのも、正直理解できる。


「…そうだな」


互いに目が合った。

緊張が解けたように、唇が綻びた。

初めて、アルディウス公爵の歯列が明確に視認出来た。


「座りましょうか」


一同は皆、丸椅子に腰掛けた。

あの騒ぎの後だと、この席は結構落ち着けるようになった。

…まぁ、アルディウス公爵がどんな人か、あんまり分かってなかったもんなぁ。


厨房から、青髪店員が戻って来た。


ジューシーな香り、オイリーな焦げ付き、そして、ミルクのような、甘く強烈な匂いが鼻腔を占めた。


…あの後だと身構えてしまうな。

余計な発言をしでかさないか、心配だ。


お盆が仕事を始めた。


右隣の彼女に『魔獣フィレの軽炙り』

そして、更に右隣の彼には『白金鶏のコンフィサンド』と『青花蜜のレアチーズ』が置かれた。


「ついに、――ついに、俺のコンフィサンドが…!」


リオン君が、目をキラキラと輝かせている。

童心溢れるその顔は、さながら子供のようだった。


「わぁ…。これが、魔獣フィレ…か。『魔獣』って言うからには、もっと獣感のある肉を想像してたけど、外見は案外普通だね」


セリアさんの肉分析が始まった。

魔物については『アビスラ大陸生態記録』でかなり知識がついた。


ただ、魔獣については詳しく分からなかった。

その本曰く『堕ちた成れの果て』と記載されていた。

どういう意味かは、全然分からない。


普通、『魔獣』と聞くと、魔物よりも上位の個体であることを想像するものだ。

それなのに、魔物より下等な生物であるかのような表現をしている。不思議なものだ。


リュネアさんの目は、アルディウス公爵一点集中だった。


「謝るつもりはありません」


開口一番、爆弾発言が飛んだ。

おいおい。いきなりぶっ放すなぁ…肝座りすぎだろ。


「…そうか」


一回一回の瞬きに、重みがのしかかる。

緊張感が、カウンター席の全席に波及した。


「…こちら、ご注文のお品物でございます」


左隣に『魔導クリームブリュレ』が置かれた。

甘く芳醇な香りは、生唾の大量分泌を促した。


「…どうも」


スプーンを手に取った彼は、表面を覆う砂糖の膜を、慎重に割った。

濃密なカスタードが挨拶して来た。

スプーンの壺に乗せられた黄色の物体が――舌に迎えられた。


「…美味い」


心底満足そうな笑顔を見せてくれた。

恐れ多い厳格な顔つきが、瞬く間に少年の顔つきになった。


「それは良かったです」


「シェフを呼んでくれ…なんちゃて」


公爵渾身のユーモアが炸裂する。

必死に捻り出したのだろう。

気まずい空気をなんとか変えようと、記憶の片隅にある引き出しを開けた…そんな感じがする。

何度もこすられたこのネタを、ここで披露するというその武勇。高く評価したい。


「はい。私がシェフでございます」


とても誇らしげに、嬉しそうにリュネアさんがはにかんだ。


このブリュレ…リュネアさんが作ったのか。

どれくらいここで働いているのか知らないが、結構すごくないか?

いやまぁ、喫茶店のバイトである以上、お菓子作りに多少は精通していないと、話にならないんだろうけど。

調理担当も担うなら、尚更。


「…おま――君が作ってくれたのか?」


言い淀んだ口元には、焦りが現れていた。

…成長しましたね、アルディウス公爵。


「ええ。バイト初日から今まで、苦楽を共にしてきた至高の一品です。どうぞ、ご堪能くださいませ」


上腕二頭筋を見せつけるようにして右腕を曲げ、力こぶに左手が乗せられた。その姿には、腕っぷしを自慢したいという思いが見えた。


リュネアさんなりに、苦労してきたんだなぁ…


「その…悪かった。正直、気が立っていた。配慮に欠けた行動を、詫びさせて欲しい」


両手をカウンターに貼り付け、土下座するのかと思う程に、鼻先がブリュレに接近した。


「いえいえ。顔を上げてくださいな。私の方こそ、舐めた口調だったように思います。…申し訳ございませんでした」


――静寂


両者の間には、先程の蟠りは解け、余韻を噛みしめる余裕が感じられた。

すると、左隣の公爵から疑問が飛んだ。


「別にもう怒らないから、正直に教えて欲しい。さっきのラテの発案者は誰なんだ?」


「ああ…あれは――」


両手を交差させ、ワキワキと指を折り畳んだり、広げたりしている。

言っていいか、迷っている様子だ。


ラテの発案者か…

僕も気になっていた。アルディウス公爵の騒ぎが無ければ、きっと僕もリュネアさんを問い詰めていただろうから。


頭の中でイメージしてみる。

想像つかないが、格好良く年を重ねた熟年マスターとかが発案していそうだ。


青髪を視界に焼き付けた。

彼女の唇を注視する。

彼女の一言――


「エリュシア公爵陛下のお母様です」


――その一言は、空気に混沌を混ぜるには十分な威力があった。


ピキッ――

鉄の破片が、目の前を横切った。


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