第十七話 セリオ硬貨
「お〜い…聞いてる?」
リオン君が僕の意識を取り戻すように肩を揺らしてくる。
「え?あ、あぁ…大丈夫。聞いてるよ」
意識を失う前に見た男性の姿を脳裏に焼き付けながら返答する。
「もしかしてこれ聞いちゃ駄目なやつだった?ごめん!」
眼前で両手を合わせて謝られる。
「全然そんなことないよ。気にしないで。顔上げてよ」
両手と頭を振りながら否定する。
「そう?それならいいけど」
彼は持ち前の気丈さを切り戻す。
リオン君は明るい感じの方が似合うな。
床に落ちた本に目が行く。
開かれたページには例の境界論について記されていた。
僕が意識を失っている間、彼はこのページに目を通したのだろうか?
余りに破天荒な論理が記されてあるから、読んでいたとしたら軽蔑か混乱のいずれかの反応をしそうだが…
彼はどうだろう?
勝手な推論だが、普段の様子からしてこういう類の本を読んだとき真に受けそうな気がする。素直に受け止め、自身の認識を改めそうだ。
そうなると、考えを変えた彼はどんな行動をとるだろうか?
今までなら軽く受け流していたところを、重く受け止め真剣に向き合うようになる。
世界の構造を知り、他の世界について興味を持つようになる。
…こんな感じだろうか?
今の彼のお気楽な雰囲気からはかけ離れているが、彼の根っこの性格を想像したときにこうなる可能性は高いと思う。
彼だけじゃない。
この世界に生きている人がもしこの本を手に取ってしまったら…
想像するだけでも恐ろしい。
政府に疑問を持つ者が結託して、変革をもたらそうとするかも知れない。
それだけの力がこの本にはある。
本当か嘘かというのはあまり関係ない。
「こういう考え方がある」
それだけで人の価値観を大きく変わってしまうことがある。
この本に目を通してしまった僕はこれからどんな行動を取るだろうか…
いい意味では視野が広くなったと言え、悪い意味では迷いを生じさせると言えるだろう。
迷いは諸刃の剣だ。
極端に振り切らないことで新たな視点見出せる。
一方で、決断を遅らせ一刻を争う事態では命取りになってしまう。
今は静かなこの剣がいつか僕に牙を向くかも知れない。
命の危機に瀕したとき、今の僕に決断を下せるだけの器量があるかと聞かれると…
正直分からない。自信がない。
僕はまだ…この世界について無知だ。
悔しさを拳で握り締める。
本を見るまで世界について考えることなんて全然なかった。
魔法があって、みんなで競いあって、能力を高めていく…実力至上主義がこの世界の当たり前だと思っていた。実力の伴わないものは虐げられていくのだと。
他の世界もある…そう考えるだけで、この世界の当たり前は他の世界にとっての当たり前じゃないと思い始めた。
他の世界の当たり前はこの世界とどう違っているのか…
想像はつかないが、きっと大きく違っていると思う。
「リオン君」
尋ねてみることにした。
「ん?どうしたの?」
彼は本棚を眺める顔をこちらに向ける。
「この世界の常識ってさ、どんなのだと思う?」
「ん〜難しいこと聞くなぁ…」
腕を組み、首を傾げた。
聞いてる僕でさえこの問いは難しい。聞きながら自分でも考えてみる。
すると考えがまとまったかのような顔をしたリオン君が話しかけてくる。
「人によって常識というのは違ってくる。それを世界規模で考えたとき、誰もが納得できるような常識を定義するのは無理だと思うんだ。
だから大事なのは普遍的な常識を考えることじゃなくて、各々が持つ考え方を尊重することだと思う。
『人のよって考え方は違う』それを皆が理解してさえいれば、この問いは深く考えなくていいと俺は思うよ」
身振り手振り考えを説明してくれた。
なるほど…確かに人それぞれ考えは違う。
互いに尊重することができれば世界はより良い方向へ向かうことだろう。
そのとき、違和感が肌を刺した。
今もまだ争いが絶えないのは果たして“互いに尊重できていないから”だけだろうか?
争いの種というのは思想の違いだけでなく、人々の不満や怒り、はたまた資源を巡って…というのも原因の一つではないか?
様々な視点で想定してみた。
だが、納得の行く答えは見つからなかった。
「ありがとう。おかげで視野が広がったよ」
心に靄を残したまま彼に感謝を告げた。
「そう?それは良かった」
彼は満足げだった。
「そういやセリアさんどうしてるかな?まだ新刊コーナー見てるのかな?」
そわそわし出した。彼女のことが気がかりのようだ。
「多分一階に居るだろうし、見に行ってみようよ」
セリアさんと合流することにした。
手すりを持ち、階段を降りながら尋ねる。
「リオン君はどんな推理小説読んだの?」
別れる前に彼が言っていたことについて聞いた。
「ミステリー系かなぁ〜冒頭で殺人事件が起こって、主人公とその仲間たちで真相を解明していく…みたいな感じ。
普段読まないジャンルだったけど、意外と面白かったよ」
内容を思い出すようにぽつり、ぽつりと説明してくれた。
普段は恋愛小説を読んでいると聞いたので彼が楽しめるか心配だったが、杞憂だったようだ。
「そっか。それなら良かった」
手すりの木の感触に落ち着きを覚えつつ、その感触が途切れたところで景色の変化に気がついた。
白い石造りの天井に魔術で灯されたランプが浮いていた。
一階に着いた。
セリアさんは未だ新刊コーナーで文章とにらめっこしていた。
彼女の後ろ姿を捉えた僕らは悪巧みを思いついたように顔を見合わせ、背後を取った。
トンッ――
彼女の肩を軽く叩いた。
「わっ!?」
彼女の声が図書館中に響き渡った。
彼女は申し訳なさそうに腰を低くして周囲に頭を下げた。
「(もう…やめてよ。急にこんなことされたらびっくりするじゃん)」
くるりとこちらに視線を合わした。
眉間に怒りを表しながら本の角で頭を軽く叩かれた。
「(痛っ…ごめん、セリアさん。なんかちょっかいかけたくなっちゃって)」
頬を膨らませる彼女を見て、懐かしさを覚えた。どこかで目にした気がする。一層小動物みが増し、微笑ましく思えるこの顔を…
「(セリアさんはどんな本読んでたの?)」
リオン君が尋ねた。
「(えっとね〜この本)」
手に持っていた本の表紙を見せてくれる。
『魔術階級論』
重厚な材質紙にそう記されていた。
階級と聞くと公爵や伯爵といった身分の階級を思いつくが、この本には“魔術”と書かれてある。
魔術師の階級なのか、それとも魔法やスキルの階級なのか…
このタイトルからは様々な予想が立てられる。
どんな本なんだ?
考え込む僕を見てセリアさんが説明してくれる。
「(この本には魔術師の階級のことが書かれてあったよ。この階級の魔術師はこんな力を持っている…みたいな。
それぞれの階級で出来ることが変わってくるみたい)」
魔術師についてだったようだ。階級によってどれくらい違うのだろうか。
一番上の階級と一番下の階級ではきっと雲泥の差だろうが…
「(その本読んでみていい?自分でも見てみたくて)」
気になった僕はセリアさんにお願いした。
「(これ?いいよ。はい、どうぞ)」
文字の向きをこちらに合わせて手渡してくれた。こういう几帳面なところが彼女らしいと思った。
「(ありがとう)」
受け取るときに僅かに手が触れて、少し鼓動が速まった。
さて、どんなことが書かれてあるか…
期待を身体に巡らせながらページを開いた。
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『魔術階級論』
著:不明(編纂:セレスティア中央魔術学院)
【序文】
本書は、魔術師の能力を体系的に分類し、教育および統制に資することを目的として編纂されたものである。
魔術は個々の資質に強く依存する不安定な技術体系であり、その力は時に社会秩序を逸脱する。
ゆえに、適切な評価と管理が必要不可欠である。
――ただし、本書に記される分類が“絶対”である保証はない。
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ここはだいたい前の学校でも習ったところだ。僕はどの階級に分類されるだろうか…
“管理”というのも気になる。
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【第一章:基礎階級】
■見習い
魔術の基礎理論を学習中の段階。魔力の感知および簡易操作が可能。
■初級
単一属性の基礎魔法を安定して行使可能。詠唱の正確性が求められる。
■低級
複数の基礎魔法の運用が可能。戦闘補助・生活応用の実用域。
■中級
戦闘において有効な魔術を扱える段階。詠唱短縮・複合魔法の兆候が見られる。
■上級
高威力・広範囲魔法の行使が可能。個体差が顕著に現れ始める。
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この学校での第一入学条件は『初級以上の魔術師であること』だった。
試験会場のある北部領に行き、試験監督からまず検査を受ける。
そこで『階級認定書』を提示する。どの階級の魔術師であるかが記されているもので、A判規格でいうとA7とA8ぐらいの大きさだ。
その後入学試験を受けた。チャンスは一回限り。
条件は、『複数の初級以上の魔法を扱えること』というものだった。
その時は微風と灯火を使うことによって事なきを得た。
得意魔法は補助系の魔法だったのでそれを使いたかった。が、一発勝負の本番で採点者が分かりづらい魔法を使うのは僕にとって不利に働くと判断し、人から見て分かりやすい魔法を使った。
入学後のことも考えると詠唱破棄ができる得意魔法を使うことで中級魔術師と判定される方が良かったように思う。
それでも入学できる方を何よりも優先すべきだと考えて、敢えて使わなかった。
今の僕の階級は…中級くらいかな?判定試験は受けていないので、正直分からない。
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【第二章:到達領域】
■到達者
既存理論の完全理解に到達した者。
魔術の再現・改良が可能となり、独自体系の萌芽が確認される。
■超越者
理論の枠組みを逸脱し、魔術そのものに干渉する存在。
現象の改変など、観測不能な挙動を示す。
この階級に属する者は極めて少数であり、その多くは歴史上に名を残す。
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公爵はどちらに分類されるのだろうか?
公爵程の高みに達しても、恐らくその殆どは到達者に留まることだろう。それだけ歴史に名を残す程の魔術師というのは数が少ない。
ただ、あの四人の中に超越者がいてもおかしくなさそうだった。魔力の覇気がとてつもなかった…
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【第三章:例外領域】
■外格(測定不能)
既存の魔力構造と一致しない個体。
魔術体系の適用外であり、階級による評価は不可能。
報告例においては、
・魔力を持たないにも関わらず現象を引き起こす
・既存魔術との干渉を受けない
といった特異性が確認されている。
――本分類は暫定的なものであり、定義は確立されていない。
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さっき見た『落下事案記録』にも“既存の魔力構造と一致しない”との記述があった。それを踏まえると、管理対象となった者は『外格』という階級に分類されるのだろう。
僕の身近にもいるだろうか?…まぁ、きっと居ないだろう。
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【第四章:危険指定】
■災厄級(通称)
単独で都市・領土に壊滅的被害を与え得る存在に対する危険指定。
これは階級ではなく、“脅威評価”である。
過去の記録において、災厄級指定個体は例外なく
――管理、または排除の対象となった。
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“都市・領土に壊滅的被害”
脳裏に浮かぶ光景…
巨大な魔法陣――
振り注ぐ魔力の圧――
図書館に来る前に見たあの記憶。あれが本当に起こったことだとしたら、あの魔法を開発した魔術師はこの階級に分類されるだろう。
『天才魔術師 イリシア』
この本から判断するに、十年前のあの戦争…そこで使われた魔法は彼女が開発した可能性が高い。恐らく彼女は…
『災害級』だ。
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【終章】
魔術とは力である。
そして力とは、秩序を守るためにも、壊すためにも存在する。
分類とは理解のための手段に過ぎない。
だが――
理解できないものは、いずれ“恐怖”と呼ばれる。
※補遺:近年、“境界干渉型”と呼ばれる未分類現象の報告が増加している。
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境界干渉型…境界に干渉できる存在が居るのか。想像はつかないが、きっと歴史に名を残す実力を有した魔術師なのだろう。僕には縁のない話だ。
「(ありがとう、セリアさん)」
本を彼女に返そうとした。
「(その本ここに置いてあったから、ここに直してくれる?)」
彼女の人差し指が新刊コーナーの空所を指した。
周りには数多くの本が並んでいる。どれも面白そうな本ばかり。今回の新刊は小説が多めみたいだ。
「(分かった)」
言われた通り直しておいた。
それしてもこの図書館には他の図書館にはない目新しさがあるな。今後とも個人的に足を運びたい。今度来たときは色んなジャンルの本を試してみよう。
リオン君は普段、恋愛系を見てるんだったよな。なら、恋愛系にも挑戦してみよう。あまり読むジャンルではないが、読んでみたら案外面白いかも知れない。
「(そろそろ出る?時間もいい具合になってきたし、今からお昼ご飯食べても良いかもね〜)」
セリアさんがよだれを垂らしながら聞いてきた。
お腹に調子を尋ねてみる。
グゥゥゥ…
腹の虫が騒がしくなってきた。
ご飯を迎える準備はばっちりのようだ。
「(じゃあ行こっか。リオン君はどう?お腹空いて――)」
グゥゥゥ…
「(…ま、まぁ行こうぜ!)」
聞くまでもなかったようだ。
お昼ご飯かぁ…何があるかな?
この街に来てからというもの、道中で胃袋を刺激する匂いが忙しなかった。
何を食べても舌が狂喜乱舞しそうな予感がする。
入口付近まで来た。ドアノブに手をかけ、扉を開放する。小一時間居ただけだったが、実に濃密な時間だったように思う。
興味深い本が大勢だった。また来るときはもっとじっくり読んでみたい。
蒼穹図書館を出た。
図書館前に鎮座していた花々が僕らを出迎えてくれた。可愛らしい花が多く、見ているだけで癒された。
その中に例の青く輝く花があった。母も育てているネモフィラだ。何度も目にするせいか、一番思い入れの深い花だ。
アストラ街の大通りに出た。
相変わらずの色彩豊かな建物に依然として感動を覚えつつ、胃袋を存分に満たしてくれるごちそうを探した。
この辺りは商店街らしく、盛んで活気だっていた。
見渡す限り人が密集している。
その中でも特に人が集まっている場所があった。そこはお店というより屋台に近く、長蛇の列となっていた。
看板に目をやった。
『第十一回メロンパングランプリ金賞!おかげさまで大盛況!
甘くて美味しい、出来立てホヤホヤメロンパンはいかが?』
デカデカと黒字と赤字が混ざった文字列が脳に届いた。
なんだあれは…反則だろ。
そりゃあこんなに人が集まるわけだ。
値段は…一つにつき2ルクスか。
普段食べてるパンよりは高めだが、これだけ人気のメロンパンがこの値段で買えるならこの出費も痛くない。
鞄に入れてある財布を手に取った。
二つの硬貨を手中に収め、列に並んだ。
「うわ〜すごい人だかりだねぇ〜!これどれくらいかかるかな〜」
セリアさんが背伸びをしながら列から顔を出している。
必死にかかとを伸ばしているのがなんとも小動物らしい。
「二人は今日どれくらい持ってきた?俺は取り敢えず7セリオ持ってきたけど」
ポケットに入れた財布に手を伸ばし、開けた。
財布には青銀の硬貨が六枚と銀色の硬貨が八枚入っている。
所持金は6セリオ8ルクス。
ルクスに直すと68ルクスだ。
友達と遊ぶということでこれだけ持ってきたが、足りるだろうか?
「私は1アルカ5セリオ!服も買うかも知れないし、これくらいはないと足りないと思って」
彼女の財布から金色の硬貨が見えた。アルカ硬貨はあまりお目にかかれない。
母からお小遣いで渡されるときはいつも5セリオもらっているので、普段はアルカ硬貨を見ることがないのだ。
羨望の眼差しを彼女に向けた。
その様子に気づいたらしく、
「別にそんな珍しくないって〜私の場合バイトもしてるしさ」
バイトしてたのか。初めて知った。
「どこで働いてるの?」
リオン君が食い気味に聞いた。
「おぉ…食いつくね。私は牧場で酪農家さんたちのお手伝いしてるの。南部領に住んでるから、家から牧場まで割と近くてさ」
バイト先としては珍しい気がする。
バイトと聞いて真っ先に思いつくのは飲食店、家庭教師、塾講師とかだ。
そんな中牧場をチョイスするとは…中々粋な心持ちだ。
時給は良いのかな?
「へぇ〜大変そうだねぇ…」
僕の言葉に暫し考え、
「確かに大変だけど、やりがいはあるよ!牛さんの世話してると段々愛着湧いてくるし、酪農家さん達も優しいから居心地良いんだよね〜
一人で黙々作業出来るし!」
セリアさんは饒舌に熱弁しだした。
彼女の表情は嬉々としており、随分楽しそうに話してくれる。
一緒に働いてみたくなるくらいに…
「楽しそう〜!俺もセリアさんと牛の世話してみたいな〜」
彼女の話に相槌を打った。
リオン君もだったか。
「良かったら二人も一緒に働こうよ!きっと楽しいからさ!」
目をキラキラさせながら推してきた。
でも、バイトかぁ…
セリアさんと働くのは別にいい。むしろ嬉しい。ただバイトと考えるとどうも億劫になる。お金が貰えるとはいえ、長時間労働が強制される…と考えてしまうのだ。
しかも毎月母から貰えるお小遣いで問題なく生活を送れているので、余計に働く気力が起きない。
「俺も働きたい気持ちは山々だけど、もうバイト入っちゃってるからな〜辞めるまでに最低でも一ヶ月は掛かりそうなんだよ〜こんな事ならバイトしてなきゃ良かったなぁ…」
リオン君がトホホ…という様子でやつれている。
ドンマイ、リオン君。
「そっかぁ…ゼイルはどう?お試し研修期間ってのもあるから、そこで自分の肌に合うか判断できるよ?」
一時的なバイト…それならやってみても良いかも知れない。
お試しなら無理して頑張る必要もないだろうしな。
「じゃあ今度やってみようかな。その、お試し研修期間ってやつ」
「ほんと?やった!いつ働きたいか決まったら連絡して?私が案内してあげる!」
牧場バイトの約束が決まった。実際に生きてる牛には会ったことがないので、妙に緊張する。
「いいなぁ〜羨ましい〜」
リオン君が嫉妬の視線を送る。そんなに羨ましいなら無理矢理にでもバイト辞めれば良いのに。
「次でお待ちの方、どうぞ〜!」
露天商の呼び声が聞こえた。
僕らの番のようだ。
「え〜っと、メロンパン三つ下さい!…三つで良かったよね?」
後ろに居る僕らに確認してくれた。
「うん、それでいいよ」
セリアさんは後ろ姿だけでも楽しげだった。
「こちら受け取り番号となります。商品と代金の引き換えとなりますので、順番が来ましたらあちらのカウンターまでお越しください」
右手側を指差した後、
三つの紙をそれぞれの手に渡された。
ここはまだ受付だったらしい。カウンターにはまた列ができていた。
「まだ前座だったってわけか…」
リオン君が独りでに言い出す。
僕もようやく食べれると思っていたので、結構ショックである。
「まぁ、気長に待とうよ。いずれは私たちの番が来るんだし!」
僕らを励ましてくれた。こういうところでも彼女は優しい。
カウンターに目をやった。丁度男性が代金を支払い、露天商がお釣りの8セリオを渡したところだった。
「まいど〜!…ん?」
露天商が硬貨を見て表情を曇らせた。
なんだ?何があった?
支払われたセリア硬貨を凝視した。
…一瞬だけ、光った。
だがすぐに沈んだ。
まるで、
“真似をしきれなかった”かのように。
セリア硬貨には真ん中に紋様が刻まれていて、特徴として周期的に明滅する…というのがあるのだ。
それなのに明滅していないということは…
「これ偽物じゃねぇか!」
露天商の声だけが浮いて聞こえた。
周囲の喧騒は変わらない。
誰も振り向かない。
…おかしい。
偽物だと叫んでいるのに、
誰一人として反応していない。
メロンパンを持った男性は大通りに飛び出した。
懐から落ちた硬貨が、地面に触れた瞬間――空気が歪んだ。
“禍々しい本”が現れた。
「視るな、知るな、触れるな。
この存在に意味を与えるな。
記憶に残すな、言葉にするな。
認識を歪め、輪郭を失わせろ。
――消えろ」
男性は人が密集する中、本に記された詠唱文を唱え始めた。
空に暗雲が立ち込めた。
空気が重苦しい。
人々は男性のことなど目もくれず、休日を満喫していた。
誰も彼を“認識しなかった”。
「認識歪曲」
瞬間、彼の姿が消えた。そこに居たのが嘘かのように姿を眩ませた。
たちまち雲は薄まり、燦々と陽光が身体を照りつけた。
「今の…」
言葉が続かなかった。
胸の奥に、確かに残っている。
――“あれは存在していた”という確信だけが。
思わずリオン君を見る。
「ん?どうした?」
――違う。
見えていない。
青みがかった硬貨が明滅の息吹を吹き返した。




