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第四の魔術師 〜魔術を拒む異端者〜  作者: 第四
第一章:第一節 『平穏な――学院?』
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第十七話 セリオ硬貨


「お〜い。聞いてる?」


リオン君が、僕の意識を取り戻すように肩を揺らしてくる。


「え?あ、あぁ…大丈夫。聞いてるよ」


意識を失う前に見た男性の姿を脳裏に焼き付けながら、返答する。


「もしかしてこれ、聞いちゃ駄目なやつだった?ごめん!」


眼前で両手を合わせて謝られる。


「全然そんなことないよ。気にしないで。顔上げてよ」


両手と頭を振りながら否定する。


「そう?それならいいけど」


彼は持ち前の気丈さを切り戻す。

リオン君は、明るい感じの方が似合うな。


床に落ちた本に目が行く。


開かれたページには、例の境界論について記されていた。


僕が意識を失っている間、彼はこのページに目を通したのだろうか?


余りに破天荒な論理が記されてあるから、読んでいたとしたら、軽蔑か混乱のいずれかの反応をしそうだが…

彼はどうだろう?


勝手な推論だが、普段の様子からして、こういう類の本を読んだとき、彼は真に受けそうな気がする。素直に受け止め、自身の認識を改めそうだ。


そうなると、考えを変えた彼はどんな行動を取るだろうか?


今までなら軽く受け流していたところを、重く受け止め、真剣に向き合うようになる。

世界の構造を知り、他の世界について興味を持つようになる。


――こんな感じだろうか?


今の彼のお気楽な雰囲気からはかけ離れているが、彼の根っこの性格を想像したときに、こうなる可能性は高いと思う。


彼だけじゃない。


この世界に生きている人が、もしこの本を手に取ってしまったら――


想像するだけでも恐ろしい。

政府に疑問を持つ者が結託して、変革をもたらそうとするかもしれない。


それだけの力が、この本にはある。

本当か嘘かというのは、あまり関係ない。

『こういう考え方がある』

それだけで、人の価値観を大きく変わってしまうことがある。


この本に目を通してしまった僕は、これからどんな行動を取るだろうか…


いい意味では視野が広くなったと言え、悪い意味では迷いを生じさせる足枷が増えたと言えるだろう。


迷いは諸刃の剣だ。

極端に振り切らないことで、新たな視点見出せる。

一方で、決断を遅らせ、一刻を争う事態では命取りになってしまう。


今は静かなこの剣が、いつか僕に牙を向くかも知れない。


命の危機に瀕したとき、今の僕に決断を下せるだけの器量があるかと聞かれると…

正直分からない。自信がない。


僕はまだ…この世界について無知だ。


悔しさを拳で握り締める。


本を見るまで、世界について考えることなんて、全然なかった。

魔法があって、みんなで競いあって、能力を高めていく…実力至上主義がこの世界の当たり前だと思っていた。実力の伴わないものは、虐げられていくのだと。


他の世界もある…そう考えるだけで、この世界の当たり前は、他の世界にとっての『当たり前じゃない』と思い始めた。


他の世界の当たり前は、この世界とどう違っているのか…


想像はつかないが、きっと大きく違っていると思う。


「リオン君」


尋ねてみることにした。


「ん?どうしたの?」


本棚を眺める顔が、こちらに向けられた。


「この世界の常識ってさ、どんなのだと思う?」


「ん〜難しいこと聞くなぁ…」


腕を組み、首を傾げた。


聞いてる僕でさえ、この問いは難しい。聞きながら、自分でも考えてみる。


すると、考えがまとまったかのような顔をしたリオン君が話しかけてくる。


「人によって、常識というのは違ってくる。それを世界規模で考えたとき、誰もが納得できるような常識を定義するのは無理だと思うんだ。


だから大事なのは、普遍的な常識を考えることじゃなくて、各々が持つ考え方を尊重することだと思う。


『人のよって考え方は違う』

それを皆が理解してさえいれば、この問いについて、深く考えなくていいと――俺は思うよ」


身振り手振り、考えを説明してくれた。


なるほど…確かに人それぞれ考えは違う。

互いに尊重することができれば、世界はより良い方向へ向かうことだろう。


そのとき、違和感が肌を刺した。


今もまだ争いが絶えないのは、果たして“互いに尊重できていないから”というだけだろうか?


争いの種というのは、思想の違いだけでなく、人々の不満や怒り、はたまた資源を巡って――というのも原因の一つではないか?


様々な視点で想定してみた。

だが、納得の行く答えは見つからなかった。


「ありがとう。おかげで視野が広がったよ」


心に靄を残したまま、彼に感謝を告げた。


「そう?それは良かった」


彼は満足げだった。その証拠に、本棚に鎮座する多種多様な本を、想い人へ送る誕生日プレゼントを選ぶ夫が如く、興味ありげに凝視している。


「そういや、セリアさんどうしてるかな?まだ、新刊コーナー見てるのかな?」


そわそわしだした。彼女のことが、気がかりなようだ。


「多分一階に居るだろうし、見に行ってみようよ」


セリアさんと合流することにした。

手すりを持ち、階段を降りながら尋ねる。


「リオン君はどんな推理小説読んだの?」


別れる前に、彼が言っていたことについて聞いた。


「ミステリー系かなぁ〜冒頭で殺人事件が起こって、主人公とその仲間たちで真相を解明していく…みたいな感じ。

普段読まないジャンルだったけど、意外と面白かったよ」


内容を思い出すように、ぽつり、ぽつりと説明してくれた。


普段は恋愛小説を読んでいると聞いたので、彼が楽しめるか心配だったが、杞憂だったようだ。


「そっか。それなら良かった」


手すりの木の感触に落ち着きを覚えつつ、その感触が途切れたところで、景色の変化に気が付いた。

白い石造りの天井に、魔術で灯されたランプが浮いていた。


階段を降り切り、一階に着いた。


セリアさんは、未だ新刊コーナーで文章とにらめっこしていた。


彼女の後ろ姿を捉えた僕らは、悪巧みを思いついたように顔を見合わせ、背後を取った。


トンッ――


彼女の肩を軽く叩いた。


「わっ!?」


彼女の声が、図書館中に響き渡った。

彼女は申し訳なさそうに腰を低くして、周囲に頭を下げた。


「(もう…やめてよ。急にこんなことされたら、びっくりするじゃん)」


くるりとこちらに視線を合わした。

眉間に怒りを表しながら、本の角で頭を軽く叩かれた。


「(痛っ…ごめん、セリアさん。なんか、ちょっかいかけたくなっちゃって)」


頬を膨らませる彼女を見て、懐かしさを覚えた。どこかで目にした気がする。一層小動物みが増し、微笑ましく思える、この顔を…


「(セリアさんはどんな本読んでたの?)」


リオン君が尋ねた。


「(えっとね〜この本)」


手に持っていた本の表紙を見せてくれる。


『魔術階級論』

重厚な材質紙に、そう記されていた。


階級と聞くと、公爵や伯爵といった『身分の階級』を思いつくが、この本には魔術と書かれてある。

魔術師の階級なのか、それとも魔法やスキルの階級なのか…


このタイトルからは、様々な予想が立てられる。

どんな本なんだ?


考え込む僕を見て、セリアさんが説明してくれる。


「(この本には『魔術師の階級』のことが書かれてあったよ。この階級の魔術師はこんな力を持っている――みたいな。

それぞれの階級で、出来ることが変わってくるみたい)」


魔術師についてだったようだ。階級によって、どれくらい違うのだろうか。

一番上の階級と、一番下の階級では、きっと雲泥の差だろうが…


「(その本、読んでみていい?自分でも見てみたくて)」


気になった僕は、セリアさんにお願いした。


「(これ?いいよ。はい、どうぞ)」


文字の向きをこちらに合わせて、手渡してくれた。こういう几帳面なところが、彼女らしいと思った。


「(ありがとう)」


受け取るときに僅かに手が触れて、少し鼓動が速まった。


さて、どんなことが書かれてあるか…

期待を身体に巡らせながら、ページを開いた。


―――――――――――――――――――


『魔術階級論』

著:不明(編纂(へんさん):セレスティア中央魔術学院)


【序文】

本書は、魔術師の能力を体系的に分類し、教育および統制に資することを目的として編纂されたものである。

魔術は個々の資質に強く依存する不安定な技術体系であり、その力は時に社会秩序を逸脱する。

ゆえに、適切な評価と管理が必要不可欠である。

――ただし、本書に記される分類が絶対である保証はない。


―――――――――――――――――――


ここはだいたい前の学校でも習ったところだ。僕はどの階級に分類されるだろうか…

“管理”というのも気になる。


―――――――――――――――――――


【第一章:基礎階級】


■見習い

魔術の基礎理論を学習中の段階。魔力の感知、および簡易操作が可能。


■初級

単一属性の基礎魔法を安定して行使可能。詠唱の正確性が求められる。


■低級

複数の基礎魔法の運用が可能。戦闘補助・生活応用の実用域。


■中級

戦闘において、有効な魔術を扱える段階。詠唱短縮・複合魔法の兆候が見られる。


■上級

高威力・広範囲魔法の行使が可能。個体差が顕著に現れ始める。


―――――――――――――――――――


この学校での第一入学条件は『初級以上の魔術師であること』だった。


試験会場のある北部領(ノースヴァルト)に行き、試験監督からまず検査を受ける。

そこで『階級認定書』を提示する。どの階級の魔術師であるかが記されているもので、A判規格でいうと、A7からA8ぐらいの大きさだ。


その後、入学試験を受けた。チャンスは一回限り。

条件は、『複数の初級以上の魔法を扱えること』というものだった。

その時は微風(ウィンド)灯火(ライト)を使うことによって、事なきを得た。


得意魔法は補助系の魔法だったので、それを使いたかった。が、一発勝負の本番で採点者が分かりづらい魔法を使うのは、僕にとって不利に働くと判断し、人から見て分かりやすい魔法を使った。


入学後のことも考えると、詠唱破棄ができる得意魔法を使うことで、『中級魔術師』と判定される方が良かったように思う。

それでも、入学できる方を何よりも優先すべきだと考えて、敢えて使わなかった。


今の僕の階級は――中級くらいかな?判定試験は受けていないので、正直分からない。


―――――――――――――――――――


【第二章:到達領域】


■到達者

既存理論の完全理解に到達した者。

魔術の再現・改良が可能となり、独自体系の萌芽(ほうが)が確認される。


■超越者

理論の枠組みを逸脱し、魔術そのものに干渉する存在。

現象の改変など、観測不能な挙動を示す。

この階級に属する者は極めて少数であり、その多くは歴史上に名を残す。


―――――――――――――――――――


公爵はどちらに分類されるのだろうか?

公爵程の高みに達しても、恐らくその殆どは到達者に留まることだろう。それだけ、歴史に名を残す程の魔術師というのは数が少ない。

ただ、あの四人の中に超越者がいてもおかしくなさそうだった。魔力の覇気がとてつもなかった…


―――――――――――――――――――


【第三章:例外領域】


■外格(測定不能)

既存の魔力構造と一致しない個体。

魔術体系の適用外であり、階級による評価は不可能。

報告例においては、

・魔力を持たないにも関わらず現象を引き起こす

・既存魔術との干渉を受けない

といった特異性が確認されている。

――本分類は暫定的なものであり、定義は確立されていない。


―――――――――――――――――――


さっき見た『落下事案記録』にも“既存の魔力構造と一致しない”との記述があった。それを踏まえると、管理対象となった者は『外格』という階級に分類されるのだろう。

僕の身近にもいるだろうか?…まぁ、きっと居ないだろう。


―――――――――――――――――――


【第四章:危険指定】


■災厄級(通称)

単独で都市・領土に壊滅的被害を与え得る存在に対する危険指定。

これは階級ではなく、“脅威評価”である。

過去の記録において、災厄級指定個体は例外なく

――管理、または排除の対象となった。


―――――――――――――――――――


“都市・領土に壊滅的被害”

脳裏に浮かぶ光景…


巨大な魔法陣――

振り注ぐ魔力の圧――


図書館に来る前に見た、あの記憶。あれが本当に起こったことだとしたら、あの魔法を開発した魔術師はこの階級に分類されるだろう。

『天才魔術師 イリシア』

この本から判断するに、十年前のあの戦争――そこで使われた魔法は、彼女が開発した可能性が高い。恐らく彼女は――『災害級』だ。


―――――――――――――――――――


【終章】

魔術とは力である。

そして力とは、秩序を守るためにも、壊すためにも存在する。

分類とは、理解のための手段に過ぎない。

だが――

理解できないものは、いずれ恐怖と呼ばれる。


※補遺:近年、境界干渉型と呼ばれる未分類現象の報告が増加している。


―――――――――――――――――――


境界干渉型…境界に干渉できる存在が居るのか。想像はつかないが、きっと歴史に名を残す実力を有した魔術師なのだろう。僕には縁のない話だ。



「(ありがとう、セリアさん)」


本を彼女に返そうとした。


「(その本ここに置いてあったから、ここに直してくれる?)」


彼女の人差し指が、新刊コーナーの空所を指した。

周りには数多くの本が並んでいる。どれも面白そうな本ばかり。今回の新刊は、小説が多めみたいだ。


「(分かった)」


言われた通り直しておいた。


それしても、この図書館には他の図書館にはない目新しさがあるな。今後とも、個人的に足を運びたい。今度来たときは、色んなジャンルの本を試してみよう。


リオン君は普段、恋愛系を見てるんだったよな。なら、恋愛系にも挑戦してみよう。あまり読むジャンルではないが、読んでみたら案外面白いかも知れない。


「(そろそろ出る?時間もいい具合になってきたし、今からお昼ご飯食べても良いかもね〜)」


セリアさんがよだれを垂らしながら聞いてきた。


お腹に調子を尋ねてみる。

グゥゥゥ――


腹の虫が騒がしくなってきた。

ご飯を迎える準備は、ばっちりのようだ。


「(じゃあ行こっか。リオン君はどう?お腹空いて――)」


グゥゥゥ――


「(…ま、まぁ行こうぜ!)」


聞くまでもなかったようだ。

お昼ご飯かぁ…何があるかな?

この街に来てからというもの、道中で胃袋を刺激する匂いが忙しなかった。

何を食べても、舌が狂喜乱舞しそうな予感がする。


入口付近まで来た。ドアノブに手をかけ、扉を開放する。小一時間居ただけだったが、実に濃密な時間だったように思う。


興味深い本が大勢だった。また来るときは、もっとじっくり読んでみたい。



蒼穹図書館を出た。

図書館前に鎮座していた花々が、僕らを出迎えてくれた。可愛らしい花が多く、見ているだけで癒された。


その中に、例の青く輝く花があった。母も育てているネモフィラだ。何度も目にするせいか、一番思い入れの深い花だ。



――アストラ街の大通りに出た。

相変わらずの色彩豊かな建物に、依然として感動を覚えつつ、胃袋を存分に満たしてくれるごちそうを探した。


この辺りは商店街らしく、盛んで、活気だっていた。見渡す限り、人が密集している。


その中でも、特に人が集まっている場所があった。そこはお店というより屋台に近く、長蛇の列となっている。


看板に目をやった。

『第十一回メロンパングランプリ金賞!おかげさまで、大盛況!

甘くて美味しい、出来立てホヤホヤメロンパンはいかが?』


デカデカと黒字と赤字が混ざった文字列が脳に届いた。

なんだあれは…反則だろ。

そりゃあこんなに人が集まるわけだ。


値段は…一つにつき2ルクスか。

普段食べてるパンよりは高めだが、これだけ人気のメロンパンがこの値段で買えるなら、この出費も痛くない。


鞄に入れてある財布を手に取った。

二つの硬貨を手中に収め、列に並んだ。


「うわ〜すごい人だかりだねぇ〜!これ、どれくらい時間かかるかな〜」


セリアさんが背伸びをしながら、列から顔を出している。

必死にかかとを伸ばしているのが、なんとも小動物らしい。


「二人は今日、どれくらい持ってきた?俺は取り敢えず、7セリオ持ってきたけど」


ポケットに入れた財布に手を伸ばし、昨晩用意した金額を思い出しながら開けた。

小銭入れ(マチ)には、青銀の硬貨が六枚と銀色の硬貨が八枚入っている。

財布の中の所持金は6セリオ8ルクス。

ルクスに直すと、68ルクスだ。


友達と遊ぶということでこれだけ持ってきたが、足りるだろうか?


「私は1アルカ5セリオ!服も買うかも知れないし、これくらいはないと足りないと思って」


彼女の財布から、金色の硬貨が見えた。アルカ硬貨はあまりお目にかかれない。

母からお小遣いで渡されるとき、いつも5セリオもらっているので、普段はアルカ硬貨を見ることがないのだ。


羨望の眼差しを彼女に向けた。


その様子に気づいたらしく、

「別にそんな珍しくないって〜私の場合バイトもしてるしさ」


バイトしてたのか。初めて知った。


「どこで働いてるの?」


リオン君が食い気味に聞いた。その食い入りようは、一歩間違えればストーカーの域である。


「おぉ…食いつくね。私は牧場で酪農家さんたちのお手伝いしてるの。南部領(ラフィリア)に住んでるから、家から牧場まで割と近くてさ」


バイト先としては珍しい気がする。

バイトと聞いて、真っ先に思いつくのは――飲食店、家庭教師、塾講師とかだ。


そんな中、牧場をチョイスするとは…中々粋な心を

お持ちである。

時給は良いのかな?


「へぇ〜大変そうだねぇ…」


僕の言葉に暫し考え、

「確かに大変だけど、やりがいはあるよ!

牛さんのお世話してると、段々愛着湧いてくるし、酪農家さん達も優しいから、居心地良いんだよね〜

一人で黙々作業出来るし!」


セリアさんは饒舌に熱弁しだした。

彼女の表情は嬉々としており、随分楽しそうに話してくれる。

一緒に働いてみたくなるくらいに…


「楽しそう〜!俺もセリアさんと、牛のお世話してみたいな〜」


彼女の話に相槌を打った。

リオン君もだったか。


「良かったら一緒に働こうよ!きっと楽しいからさ!」


目をキラキラさせながら推してきた。


でも、バイトかぁ…

セリアさんと働くのは別にいい。むしろ嬉しい。


ただ、バイトと考えるとどうも億劫になる。お金が貰えるとはいえ、長時間労働が強制される…と考えてしまうのだ。


しかも、毎月母から貰えるお小遣いで問題なく生活を送れているので、余計に働く気力が起きない。


「俺も働きたい気持ちは山々だけど、もうバイト入っちゃってるからな〜辞めるまでに、最低でも一ヶ月は掛かりそうなんだよ。こんな事なら、バイトしてなきゃ良かったなぁ…」


リオン君がトホホ…という様子でやつれている。

ドンマイ、リオン君。


「そっかぁ…ゼイルはどう?お試し研修期間ってのもあるから、そこで自分の肌に合うか判断できるよ?」


一時的なバイト…それならやってみても良いかも知れない。


お試しなら、無理して頑張る必要もないだろうしな。


「じゃあ、今度やってみようかな。その、お試し研修期間ってやつ」


「ほんと?やった!いつ働きたいか決まったら連絡して?私が案内してあげる!」


牧場バイトの約束が決まった。実際に生きてる牛には会ったことはないので、妙に緊張する。


「いいなぁ〜羨ましい〜」


リオン君が嫉妬の視線を送る。そんなに羨ましいなら、無理矢理にでもバイト辞めれば良いのに。


「次でお待ちの方、どうぞ〜!」


露天商の呼び声が聞こえた。

僕らの番のようだ。


「え〜っと、メロンパン三つ下さい!…三つで良かったよね?」


後ろに居る僕らに確認してくれた。


「うん、それでいいよ」


セリアさんは、後ろ姿だけでも楽しげだった。同時に、僕らを先導するだけの頼もしさが光っている。


「こちら受け取り番号となります。商品と代金の引き換えとなりますので、順番が来ましたらあちらのカウンターまでお越しください」


露天商が右手側を指差した後、三つの紙がそれぞれの手に渡された。


ここはまだ受付だったらしい。カウンターには、また列ができていた。


「まだ前座だったってわけか…」


リオン君が独りでに言い出す。


僕も、ようやく食べれると思っていたので、結構ショックである。


「まぁ、気長に待とうよ。いずれは私たちの番が来るんだし!」


僕らを励ましてくれた。こういうところでも、彼女は優しい。


カウンターに目をやった。丁度男性が代金を支払い、露天商がお釣りの8ルクスを渡したところだった。


「まいど〜!…ん?」


露天商が硬貨を見て、表情を曇らせた。

なんだ?何があった?

支払われたセリオ硬貨を凝視した。

…一瞬だけ、光った。

だが、すぐに沈んだ。


まるで――“真似をしきれなかった”かのように。


セリオ硬貨には真ん中に紋様が刻まれていて、特徴として『周期的に明滅する』…というのがあるのだ。


それなのに明滅していないということは…


「これ偽物じゃねぇか!」


露天商の声だけが浮いて聞こえた。


周囲の喧騒は変わらない。

誰も振り向かない。


…おかしい。


偽物だと叫んでいるのに、誰一人として反応していない。


メロンパンを持った男性は、大通りに飛び出した。

懐から落ちた硬貨が、地面に触れた瞬間――空気が歪んだ。

“禍々しい本”が現れた。


「視るな、知るな、触れるな。

この存在に意味を与えるな。


記憶に残すな、言葉にするな。

認識を歪め、輪郭を失わせろ。


――消えろ」


男性は人が密集する中、本に記された詠唱文を唱え始めた。


空に暗雲が立ち込めた。

空気が重苦しい。


人々は男性のことなど目もくれず、休日を満喫していた。

誰も、彼を“認識しなかった”


認識歪曲(ミスパー・セプション)


瞬間、彼の姿が消えた。そこに居たのが嘘かのように、姿を眩ませた。


たちまち雲は薄まり、燦々と陽光が身体を照りつけた。


「今の…」


言葉が続かなかった。

胸の奥に、確かに残っている。


――“あれは存在していた”という確信だけが。


思わずリオン君を見る。


「ん?どうした?」


――違う。

誰も彼も、見えてすらいない。


青みがかった硬貨が明滅の息吹を吹き返した。


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