第十三話 未来の面影
力なく倒れ込んだ。
「ここでマナ切れかよ…」
苦し紛れの浅ましさを残す。
奥歯を噛み締めずにはいられなかった。
記憶の断片が瞼の裏に浮かんだ――
それはまだ誰も知り得ない記憶…
――隙のない防御結界が施されたこの地で、彼女は静謐の空気を断つ。
「ゼイルはさ、これからどうするつもりなの?」
リゼリアさんが話しかけてくる。
彼女の立ち振る舞いは飄々としている。
その姿は、今の彼女の面影とは余りにも乖離していた。
ここは…西部領。
僕は学校にいたはずだ。
魔法演習で初めて無詠唱を成功させて、ようやくみんなと肩を並べると思った矢先にマナ切れで昏倒。
普通なら保健室にでも運ばれているところだが…
どうして?
というか、リゼリアさん…僕を“呼び捨て”して――
「リゼリアの言う通りだよ、ゼイル。いくら『世界を変える』たって、抽象的過ぎる」
彼は砕けた口調を吐く。その目元は柔和に解けている。彼からは微塵の堅さも感じない。
この声は…アサーシ?彼も僕を“呼び捨て”してるのか?
ちょっと待て。これはいつの記憶なんだ?
三日前、入学式の日の夢では僕が赤ん坊だということはすぐ分かった。
だが、この光景を見るに…
大人びているリゼリアさん――
年頃の青年らしい溌剌さが光るアサーシ――
これは、入学式から随分先の“未来”の会話…それだけは分かる。
ていうか、『世界を変える』ってなんだ?そんな大それたことを、今からやりに行くのか?
…この“三人”で。
「どうした、ゼイル?やっぱり怖い?」
アサーシが不安そうに顔を覗き込む。
彼の表情からは、今の彼の顔に張り付く疲労が嘘のように晴れていた。
「…さっきから変だよ、ゼイル。まるで入学して間もない頃みたい」
リゼリアさんが訝しみを孕んだ顔で顰める。その目は入学式で感じた、誰かの鋭い目つきを彷彿とさせた。
…似ている。
今の彼女と比べ、より濃くなった赤黒い炎のような魔力…目の前の彼女からは自信とは違う、芯の強さを感じた。
「あ、ああ。アサーシの言う通り、怖いかも知れない」
僕は適当に相槌を返す。
…リゼリアさんの視線が痛い。手の震えが止まらない。
別に悪いことはしていないはずなのに、そんな目で見られると自分が悪党に見えてくる。
僕は動揺を悟られないよう、背中側に手を回し、祈る時のように手を組む。
(バレてませんように…)
どうやら、この記憶の中では記憶の中の僕が勝手に喋ってくれるわけじゃないらしい。
時間軸がはっきり分からない以上、下手なことを喋って邪推されても面倒だ。
せめて、ここまでに何があったか分かればな…
例えば、アサーシなら“何があったのか”、“何を隠していたのか”とか…
リゼリアさんなら“彼女を変えるきっかけは何だったのか”、“身の上はどのようであるか”とか…
「まぁ、無理もないか。今から私たちがしようとしてることは、余りにも無謀だからね。正直ゼイルに誘われたときは『何言ってんだこいつ』って思ったし。…けどね、」
リゼリアさんは凛々しい顔つきで空を見上げる。その横顔からは覚悟が滲んでいた。
「ゼイルは本気だった。目が物語ってた。“必ずやり遂げて見せる”…ってね」
僕は思わず俯く。
僕は人に対して“必ず”とか“絶対”とか、断定したりしない。
…自信がないからだ。
僕には魔術の才能がない。昔の今も、きっと未来でも。
そんな才なき者が自信過剰に断定した眼差しをするなんて…冗談じゃない。吐き気がする。
僕はまだ自分を認められちゃいない。
少し無詠唱が上手くいったからって、魔法一発でマナ切れじゃ話にならない。それも初級魔法で。
僕はまだ…弱いままだ。
空を見上げた。
陽光が陳腐な僕を嘲笑うように照らしていた。
僕は拳を握りしめる。
その手からは無力さが溢れ出しそうだった。
「そんなゼイルを見て、私は勇気をもらった。ゼイルとなら『世界を変える』ことも、無謀じゃないと思えた。
こんな私でも、ゼイルの手助けができるかも知れないと思った。だからさ、」
リゼリアさんは凛々しい表情から一転して、柔らかに目元を緩ませる。
「そんな顔しないでよ。私を勇気付けてくれたゼイルって存在はさ、無愛想だけど他の人にはない“兆し”を感じさせてくれる…そんな存在だった。『ゼイルならやってくれる』って、そう思わせてくれた」
僕がリゼリアさんの『救い』になっていた…ということだろうか。
正直、今の僕からは想像つかない。
将来そんな存在になっていることなんて…とても。
僕はただ、精一杯生きているだけだ。
けど、もし本当に自分を変えられるというのなら――
「僕は、」
リゼリアさんとアサーシが僕の言葉を期待するように勢いよく振り返った。
僕の決意を、彼らに――
「『過去』に向き合う。これまで必死に無視してきた。思い出す度に苦しくなるから。今、そのツケが回ってきたんだ。…僕は自分に向き合う。そして、“僕”を越える。僕にあるのは、これだけだ」
「ゼイル…」
二人は僕の言葉を噛み締めていた。表情からは安堵が見て取れる。
「…やっとらしくなったね、ゼイル」
リゼリアさんは嬉しさを表出させる。そこには今の彼女の面影が残っていた。
「うん。調子が戻ったようで僕も安心したよ」
アサーシはほっと胸をなで下すように深く息をつく。
「あ!見えて来た」
リゼリアさんは顔を晴れやかに煌めかせる。
「そうだ!せっかくだから、ゼイルの家寄ってかない?確かここらへんなんだよね?」
彼女は面影を助長するように走り出し、僕らに振り返って言い出す。
「あ、それいいね!」
アサーシも乗り気そうだ。
僕の家。
その響きになぜだか青みが恋しくなる。きっと母が育てているネモフィラが要因だろう。
この時の母はどうしてるかな…
そんな思いを胸に僕らは一歩踏み出す。未来へと続く、変革の一歩を。
見覚えのある艷やかな黒髪が視界の隅を通った気がするが、気のせいだろう――
――『起きろ』
!?突然僕の中に異質な魔力が流れ出す。
首筋の毛が一気に逆立つ。鳥肌が止まらない。
視界がぼやけて、頭に霧がかかったようにぼんやりする。そうか…夢から目覚めたのか。いや、あれは“夢”なのか?
僕は眠気眼で目を擦りながら、手のシワを観察する。
この魔力…入学当初から感じていた痺れだ。微々たる動きだが、かすかに感じていた。
だが、今回かなり明確に反応した。まるでこれ以上は教えないとばかりに…
…もしやどんどん濃くなってるのか?
入学当初、体内には毛ほどの魔力しかなかったはずだ。
僕は体中の魔力をイメージしてみる。
…やっぱり。僅かだが、増えている。元来の僕の魔力ではない、“別の誰か”の魔力だ。
異質だが、妙に僕の体と相性が良い。
この魔力の持ち主は誰なんだ?
…今は考えても仕方ないか。
僕は気分を変えようと、周りを見るともなしに見る。
僕は今ベッドの上にいる。家とは違い、無機質な白一色のベッドだ。
周囲は緑色のカーテンで覆われている。
そのとき、カーテンが勢いよく開放される。そこには一人の女性が立っていた。
白衣姿の先生だ。髪はヘアゴムで後ろに束ねられている。歳は…二十代前半ぐらいだろうか?顔つきから若々しさが見える。生徒に人気のありそうな人だ。
「あ、起きた?確か名前は…ゼイル君だったね。体調は大丈夫そう?
今日はもう授業終わっちゃったから、ゼイル君が大丈夫そうならいつでも帰って良いからね」
その先生は優しい声色でこちらの容体を気にかけてくれる。その手にはガーゼと…白い物体が握られている。開け口が青色なのが印象的で、目立っている。
先生は悠然とベッドに座りだすと、開け口を開けた。
プシュー…
容器から発せられるこの音と、空気に散っていく匂いでこの物体の正体が分かった。
「今どき消毒液より水道水で洗い流す方が良くないですか?」
僕は少し前にたまたま調べた付け焼き刃の知識で先生に疑問を呈す。
「あ〜それね。確かに最近巷で言われてるよね。組織の再生を遅らせるとかなんとか…けどね、傷ついた皮膚の周囲を消毒するのは効果あるんだよ。ほら、腕貸して?」
素直に腕を差し出した。
気を失ったときに腕に傷を負ったらしい。
その証拠に、肘から血が流れている。
傷の周囲の消毒なら効果あるのか…
これは知っておいて損はなさそうだ。
「痛っ…」
情けない声を漏らしてしまった。
「ごめんね〜すぐ終わるから、もう少しの間だけ我慢してね」
先生は申し訳なさそうにガーゼを肘に当ててくる。
うぅ…染みるなぁ…
なんだか懐かしい感覚だ。
僕が幼い頃、母もこんな風にやってくれてたっけ?
僕はそのときの光景を思い出し、一瞬先生と母の姿を重ねてしまう。
…温かい。
不思議とそう思った。
僕が幼い頃の母の年齢と今の先生の年齢は近そうだから、そう思ったのかも知れない。
容姿で言うと、母と横顔が似ている。睫毛が長い感じとか、常に口角が少し上がってる感じとか。
後は、手の温もりが母と似ていた。
得も言えぬ心地良い体温が伝わってくる感じが特に。
「よし、消毒はこれくらいでいいかな」
一仕事を終えたように額を拭う仕草をする。
どうやら消毒の時間はこれで終わりらしい。個人的にはかつての母を感じられるこの時間がもう少し続いて欲しかったが、先生には悪いので言葉を飲み込んだ。
先生も暇じゃないだろうしな。
「さて、消毒も終わったことだし、怪我を直してあげよう!」
今から?なんで消毒の前にやらなかったの?え?
てか、じゃあなんで消毒したの?怪我治せるなら消毒しなくていいじゃん。
困惑の色を顔に浮かべた。
眉間の皺も寄っていたと思う。
普段からあまり笑うことがない僕の表情筋はみんなより衰えているだろう。どんな顔をしているか、想像もしたくない。
「まあまあ、そんな嫌そうな顔しないの。すぐ終わるから。ね?終わったら帰って良いから」
流石は教師。プロの対応だ。僕の仏頂面(多分)をもろともしない。
「…分かりました。てか、今から何するんですか?」
僕は不安に思いながら次の言葉を待つ。
「ふっふっふっ…それはね…」
先生は不敵な笑みを浮かべる。その顔は母の面影はどこへ行ってしまったのか、魔女そのものであった。
怖い…何されるんだ?
「…まぁ、見てもらった方が早いか。また腕貸してくれる?」
「?…分かりました」
僕は首を傾けながら腕を貸し出す。
「行くよ…」
先生は右手を僕の腕に添えながら呟く。
いったい何が――
「精霊の煌めきよ、傷を浄化し、再び立ち上がる力を与えよ…」
先生の手に神々しい緑色の光が差し込む。
精霊たちの子供のような息吹が辺りに満ちる。
その光は先生の睫毛を白く照らす。まるでエルフかの如く優美さが今の先生にはある。
その幻想的な眺めに南部領の領主を想起した。
「回復…」
瞬間、瞬く間に傷が癒えていく。
細胞の一つひとつが命を吹き返すように活気を取り戻していく。
その光景は生命の原点を思わせた。
僕たちは小さな細胞が集まってできているのだと改めて実感させられる。
僕は終始呆気にとられていた。
「傷は…うん。ちゃんと治ってるね」
先生は肘を入念に確認してから安堵の声を漏らす。
終わったのか…なんだかあっという間だったな。クラスメートが使ってるのを見たことがあるが、いざ目の前で見ると迫力が段違いだ。
「先生、貴重な魔法をありがとうございます」
布団に顔を埋める寸前のところまで頭を下げた。
「全然いいよ〜ほら、頭上げて?」
顔を上げると先ほどの先生とは打って変わり、そこには母の面影があった。
魔法を使っている時の彼女とはまるで別人だった。
あ、そうだ。先生に聞きたいことがあったんだった。
「先生。してもらっといて失礼かも知れないんですけど、消毒の前になんで魔法使わなかったんですか?というか、魔法だけで良くないですか?」
僕は感じていた疑問を思い切ってぶつけた。さぁ、どう返す?
「あぁ〜それね。実はね、私が今使った回復だけじゃ殺菌し切れないんだよね。だから先に消毒したってわけ。まぁ、私が未熟だから初級魔法しか使えないってのもあるけどね」
なるほど…治癒魔法にはそんな側面もあるのか。
初級魔法なら…と言ったか?だったら中級、上級ならどうだろうか?
「中級以上なら細菌の問題は解消されるんですか?」
気になったので尋ねてみた。
「そう。中級以上なら細菌はへっちゃらだし、なんならもっと別の効果もあったりするの。所謂バフっていうのかな。味方の能力値を上げられたりするあれ」
そうなのか。治癒魔法は今後使うこともあるかも知れないし、覚えておこう。まぁ、使えるようになるかはいささか疑問が残るが。
それより、先生はこの学校の教師だよな?担任もリヒト先生もハイレベルな魔法を使っていたものだから、この学校の教師は全員桁違いの化け物とばかり思っていた。
…実はそうではないのか?
この先生のように、主に生徒に教える立場にない教師に求められる基準は普通の教師より低い…とかそんなとこだろうか。
「さて、もう夕方だし帰ろうか。ゼイル君はもう立てる?あ、無理はしないでね。怪我が悪化したら大変だから」
先生は目覚めてからずっと僕を気にかけてくれる。…あったかいな。
心の奥にぽっと火が灯る感覚があった。
「体調も怪我も大丈夫です。先生、優しく気遣ってくれてありがとうございました。明日の学校も頑張れそうです」
めいいっぱいの感謝の意を伝える。
「え?明日学校お休みだよ?」
「ん?え?マジすか?」
「うん、まじ」
「…」
僕らはしばし見つめ合った後、吹き出してしまう。
そうだった。明日は学校休みだ。セリアさんと遊ぶ約束をしてたじゃないか。
僕としたことが…色々起きすぎてすっかり忘れてしまっていた。
これは…今後のためにもスケジュールとかにメモしといた方が良さそうだな。
約束を忘れるとか、セリアさんたちに申し訳が立たないし、失礼だからな。
約束事はきっちりしとかないと。
「先生、教えてくれてありがとうございます。おかげで友達との約束に遅れずに済みそうです」
「そう?それは良かった」
先生はまだ笑いが抜け切ってない様子で笑い声を聞かせる。
…そろそろ帰らないと。
先生には本当にお世話になったな。
僕は椅子に置いてあった鞄を手に取り、保健室の引き戸の前に立つ。
振り返って、
「ありがとうございました」
「そんな何度もいいって〜でも、ありがとね」
彼女は満天の笑みで僕を見送ってくれる。彼女に人気がありそうな理由がまた一つ増えた。
…時々顔を出そうかな。
そんなことを思いながら僕は颯爽と保健室を出る。
廊下には履き慣れたローファーの音が軽快に響いていた。
西門に続く昇降口を通る。
僕らの学校では外靴のまま校舎に上がるのだ。
校門近くまで行くと、群青が空を占める割合が減っていた。
「あ、もう日が落ちそうじゃん!早く帰らないと。お母さん心配してるだろうな…」
僕は母のためにも家に向かって全速力で走り出す。マナ切れの後遺症がのこっているのか、普段通りの調子というわけには行かなかった。
…いつもより遅いな。
家にもうすぐ着きそうな頃合いに、一つの人影が目に入った。
斜陽が艷やかな黒髪を怪しげに照らしていた。




