第十二話 信じられた意味
男は僕を蔑むような声を漏らした。
男が放った魔法は未だに空気を切り裂いていた。
頬に温かみが伝う。
心臓が早鐘を鳴らしていた。
僕の名を呼んだだけ。
けど、その声色からは公爵からの“意図”を感じずにはいられなかった。
「…何のつもりですか。僕たちを…殺すつもりですか?」
「…そんなことはない。ただ、担任としての威厳をまだ示せてないと思っただけだ」
彼の嘯くような物言いが妙に癪に障る。
――かつての記憶の断片が心を軋ませる。
…僕はまた“過去”に囚われているのか。
「…公爵としてじゃなくてですか?」
彼は瞠目した後、目を伏せ気味に口角を緩ませる。
「…どうだろうな」
その目からは後悔の念が伺える。
彼はその思いを噛み締めながら口を開く。
「あなたなら、こんなとき上手くやれるのか――」
蒼天を見上げながら、
「――母さん」
担任のこんな姿を見たことがない。
まだ会って間もないが、少なくとも過去に取り憑かれるような人間には見えなかった。
…僕と同じ匂いがしたから。
「それにしても…」
担任は試すように視線を投げる。
「よく俺の魔法に反応できたな。魔力測定の結果が嘘みたいに」
背筋が粟立つ。
担任の視線はさながら狩人のそれだ。
…何か勘づかれたか?
「…まぁいい。
お前ら、手本見せるとか言っておいて、配慮が足りなかった。
それについては本当にすまないと思ってる」
担任が申し訳なさそうに頭を垂れる。
「いや、ほんとっすよ!」
「死ぬかと思ったぁ…」
「手加減とか知らないんですか?」
クラスメートからのブーイングが担任の胸に突き刺さる。
…思わず担任に、昔の僕の幻影を重ねてしまう。
僕もかつてはあんな風に――
「だがな、」
再び空気が締まる。僕の幻影は瞬く間に薄れていく。
「俺は正直、お前らなら俺の魔法をいなせるんじゃないかって思ったんだ。
実力判定試験でのお前らを見てて思ったよ。
その実力は一昔前の俺たち世代の魔術師とは雲泥の差だと。
詠唱破棄ができるやつだったり、」
担任の視線が青髪の少女に向く。
あれは…僕に水属性の魔法を当ててきた人だ。
「いかにも補佐役としての才が見える奴だったり、」
担任と視線が絡みつく。
反射的に目を逸らした。
…そんな期待の籠もった視線を向けられても、返せるものがない。
僕は昔から期待を裏切ってきたから。
「…浮世離れして動ける奴だったりな」
担任が目を向けずとも、みんなの視線がアサーシに向く。
みんなからしてみても、彼の身体能力の高さには尊敬と疑念が残っていたことだろう。
例えば、魔力測定の結果だ。
僕よりは断然高い。
彼はこのクラスの実力判定試験の首席だ。だが、その魔力が平均値よりも低いというのはやはり妙だ。
それに、彼は入学当初から現在までの短い期間で幾度と不審な行動を取っていた。
独りでに呟いていたこと、
この時期での転校、
北部領に住んでいるはずなのに西部領にいたこと…
振り返れば、思い当たる節はいくつかある。
その瞬間、脳裏にアサーシの言葉が蘇る。
「――いつか聞かせてください。あなたが私を許せるようになったら」
許せるようになったら?
…どうしても言葉通りの意味じゃないと思ってしまう。
もっと別の意味があるんじゃないか?
…そう思ってしまう。
彼が不審なのは変わらない。
けど、あの時の彼には確かに年相応の親しみを覚えた。
そして、“救い”を求めているように見えた。
呪縛から解き放ってくれる。
…そんな“存在”を。
思えばこのグラウンドに着くまでのリゼリアさんとアサーシが親しげだったのも、彼女が彼にとっての『救い』になったからかも知れない。
もしそうなら一つの可能性が浮上する。
彼女は僕の魔力測定での結果を受けて、一瞬目の焦点が合わなくなっていた。
気のせいかも知れないが、彼女が動揺を見せたのは間違いない。
クラスメートの“困惑の動揺”とは一味違う、
“焦りの動揺”を――
アサーシとリゼリアさん。
…いったい何を抱えているんだ?
「そんなお前らに向かって俺は魔法を放った。教師のくせに未来ある若い芽を摘みかけた。
…ほんと、誰が言ってんだか。魔術実習のときにお前らに言ったばかりなのに」
担任の声には後悔が滲み出ていた。
先ほどまでの公爵ぶりはどこ吹く風とばかりに視界に懺悔が色づいていた。
「ゼイルのいう『公爵としてじゃなくて?』ってのもあながち間違いじゃないのかもな」
頬に晩春の空気が伝う。
担任の周囲は凪のように静かだった。
彼は唇を噛みしめていた。
目を皿にした。
意外だ。担任は“我が道を行く”タイプだと思っていた。
生徒の声には耳を傾けない…そう思っていた。
…ただの一人合点だったのかも知れない。
これだけじゃない。
僕の思い込みや推測は、単なる独善的な妄想に過ぎないのかも知れない。
そうだ。アサーシやリゼリアさんが怪しく感じるこの思いもきっと勘違いで――
そのとき、クラスメートを一瞥する。
…アサーシとリゼリアさんに目が行った。
彼らの担任への眼差しには怒りも憐憫もない。
ただ、静観していた。
皆とは違う視線を送る彼らに、僕は一層訝しみを深める。
「それでも、俺は“教師”だ。この学校でやっていくと決めた一人の人間なんだ。未来ある若者をこの手で導くと…今度こそ」
担任は掌を掲げ、静かに陽光を握る。
白髪の青年の手が一瞬震える。
その姿に何故か青年には不釣り合いな幼さを重ねてしまう。
「この想いは間違いなく本物だ。公爵としてじゃない。
この学校の…教師として」
ローブが舞い、春風に担任の髪がかき上げられる。
その表情は“僕の中の担任像”が明確に砕ける程、穏やかだった。
「…少し話し過ぎたな。さて、授業に戻るとしよう」
担任はまた、もとの顔に戻る。
だが、その顔つきは普段より一層精悍としていた。
僕はこの日、初めて彼がこの学校の一教師だと思い知らされた。
…この時からなんですね、先生。
「無詠唱…これをできる奴が何を考えているか分かるか?」
無詠唱…確か“教師でも難しい”だったっけ?僕も生まれてこの方何度も試してみたが、幾度となく失敗に終わっている。
得意な魔法なら詠唱破棄はできるんだが…
こう…頭の中で詠唱文を思い浮かべて、自分なりにイメージすると…
お!来た。この手に魔力が込められる感じ。こうなると『マナ循環』が活発になる。この状態になると後は技名を叫ぶだけで“詠唱破棄”の完成だ。
…言うは易し。
最初のうちはイメージすることもできなかった。幼い頃だと魔法の出力も低いし、操作もままならない。
まともな魔法が出せやしない。
自分が使う魔法の見本を見ようと母に聞いてみたこともあった。
あれは確かあの日――
「お母さん〜魔法教えて!」
「ん〜お母さん、魔法は全然使えないから教えられるか分かんないよ?」
僕は兎にも角にも使いこなせるようになりたかったものだから、母が折れるまで食い下がった。
「大丈夫!絶対僕よりお母さんの方が使えるよ!だから教えて!教えて!」
「も〜わかった、分かったわよ。今ご飯作ってるの。だから、ちょっと待ってて…って、エプロン掴まないで!危ないから!」
料理をする母を尻目に僕はロープが如くエプロンを引いていた。
観念した母を見るやいなや、蝶番の音を響かせながら意気揚々と扉を開ける。
僕は早く教わりたくて家の庭を駆け回っていた。
草が生い茂っており、空気も澄んでいた。
頬を伝う風が心地良かった。
庭には当時も母が育てていたネモフィラが咲いており、時折近づいては香りを楽しんでいた。
その香りは淡く優しくて、母の愛情を彷彿とさせた。
「よ〜し。まずはゼイルに合う魔法属性を調べて見ようか。ゼイル、手貸して?」
斜陽が母の手に照射する。
僕は手を取る。
…温かい。女性らしい手つきではあるが、それだけではない、母親としての芯の強さを感じた。
「魔法には相性があってね、例えば火は水に弱いし、水は雷と氷に弱いの。後は――」
母の話をまとめるとこうだ。
<相性>
水、風→火
雷、氷→水
土→雷
火→氷
風=土
雷、氷→風
「――で、ここからが重要なの。この握手した状態だと、魔力を流すことで私たちの属性相性が分かるの。すごいでしょ?」
魔力を流す…そんな方法が…
当時の僕はそう思った。
体内で魔力を流すイメージは容易ではなかった。
「だから、私の魔力が拒絶反応を起こしたらゼイルの属性は“雷か氷”で、
ゼイルの魔力が拒絶反応を起こしたらゼイルの属性は“火”ってこと。
因みに属性相性が良いと拒絶反応が起きないの。やってみようか」
これで僕の魔法属性が判明する…
身震いが収まらない。僕はどうなってしまうんだ…
そんな僕を見かねて、
「大丈夫」
「え?」
母の左手の体温が僕の頭を通して感じられる。
「お母さんがついてるから」
僕は母の撫でる指を幼い右手で握る。
「お母さん…」
「いくよ?えい!」
母の可愛らしいかけ声とともに魔力が流れ込んでくる。
さて、僕の属性は――
「きゃっ!」
「わぁっ!」
――どういうことだ?
「嘘…なんで?」
薄闇が広がり始めた。
僕はあまりの不可解さに困惑していた。
確か、母が話した属性判定方法は“片方”の拒絶反応によって成り立つもの…だったはず。
なら――
「…ゼイルの属性は、普通じゃない…っは!」
母は自身の失言に気づいた後にすぐに僕の側に駆け寄る。
「ごめん、言葉が過ぎたね。普通じゃない…なんて言われたら嫌だよね。ほんとに、ごめんね」
僕は悲しみのあまり、涙を堪えきれなかった。
そんな僕を母はそっと抱きしめてくれた。
あったかい…涙腺は更に緩んだ。
母のエプロンは湿ってシワが入る。
そのシワは頑固で、しばらく落ちなかった。
「落ち着いた?」
「…うん」
母は僕が泣き止むまでずっと抱きしめ続けてくれた。ただひたすらに温かく、安心する。
「それにしても、どういうことなんだろ…あんなの初めて見た…」
“初めて”ということは、母は昔から属性判定をやっていたのだろうか?
それとも他の人がやっているのを見てたとか…?
「…あるとしたら、」
母は不安そうに僕の目を見つめる。
一拍を置いて、残酷にもその事実を告げる。
「…属性なし」
…それなら、僕が今まで使おうとしていた魔法は何なんだ?
魔法は属性があってこそのものじゃないのか?
…僕は属性持たずに何を生成していたんだ?
疑問は尽きない。
だが――
「お母さん」
「…どうしたの?」
母は慰めるように聞く。
「僕、見つけるよ」
「え?」
母は意表を突かれた顔をする。
「絶対魔法、使いたいもん。夢だったから」
そう、夢なのだ。魔法で、“魔術師”として世界を旅する――そんな夢。
「ゼイル…」
「ねぇ、お母さん。僕たち、“スキル”ってのもあるんだよね?」
「うん」
母は憂慮を滲ませる。その顔には必死に繕った笑顔が張り付いていた。
「…僕の中に何があるのか、見つけてみるよ。そうして初めて、僕は『魔術師』としてこの世に生まれ落ちるんだ」
それは決して楽ではないだろう。けど、そうしないと僕は土俵にすら立てないのだ。それこそが、持って生まれたもので戦う、唯一の術なのだ。
「そう…分かった。お母さん、応援してるわね」
母は気重そうに返答する。
母は知っていたのかも知れない。
この実力至上主義の世界で、才のない者が『魔術師』となる無謀さを。
その意味を――
――そうだ。あの日、僕は“属性なし”…その可能性が高いと分かったんだ。
“属性なし”が本当なら、次の二つが考えられる。
一、魔法が使えない。
これは今使えていることから可能性としては低いだろう。
…本当に“魔法”なら――
二、僕が使っているのは魔法じゃない。
魔力の流れも感じるし、マナが消費されてる感覚もある。
それでも、魔法ではなく別の何かではないか…という説。
馬鹿馬鹿しい話だ…と今すぐにもでも切り捨てたいところ。
が、否定できるだけの材料がない。
同時に魔力が“拒絶し合う”…異例の事態に当人の僕でさえ困惑が隠せない。
…そう言えばこの学校に来る前の僕は“母が魔法が使える”と認識していたか?
夢で母が魔法を使えると知っただけで、それ以前にはそんな覚えはなかった。
思えば母と属性判定をしたこの記憶も、この学校に来てからのものである気がする。
…あくまで気がするというだけだ。
だが、この学校に来てからというもの妙な魔力の流れが感じられる。
以前までの僕とは違う。
まるで『僕じゃない何か』に“細工”されるような――
懐かしい安心感が胸中にささめくような――
奇妙な感覚だ。
いつだったか、どこかで――
「正解は――詠唱から技名に至るまでこと細やかにイメージ仕切ることだ。
ただイメージするだけじゃない。詠唱に込められた想い、その魔法が生まれた場所、…すなわち“意味”を思い描く」
意味…か。考えたこともなかったな。
確かにその魔法を作った人の心情を読み解くことができれば、自ずと身体に染み込みそうだ。
怒りだったり、嘆きだったり。
「そうすると――今まで輪郭が朧げで霞んで見えていた魔法が…精緻され、解像度が上がるように視界が晴れる」
想い、場所。魔法はどこで生まれ、作った人は何を感じていたのか。
それを思い描くことで真に魔法が扱えるようになる。
僕は言われたことを反芻し思考する――
「よし、やってみようか。最初のうちは出来なくて当たり前だ。大事なのは、臆することなく挑戦すること。
まずは…扱いやすい水魔法でやってみよう。無詠唱という高い壁を越えるには簡単なハードルから越えることが重要だからな。
それから、得意魔法でない奴もやってみること」
…僕もやらなきゃか。
まぁいい。水魔法で感覚を掴むんだ。
まずは詠唱から。
魔法は南部領で精霊と契約したことで生まれた。なら、精霊を魔力に置き換えて指先に集めていくイメージで…
『澄み切った水の精霊よ、集い解き放て――』
水の精霊が飛沫を舞いながら連なる光景が見える。
…分かる。前より鮮明に。
これが“意味”…
飛沫が満ちた。
精霊の息吹が宙に霧散する。
直感する――
――ここだ。
『水泡』
息を潜める精霊が息吹を吹き返す。
掌と、目と鼻の先にある水の玉が勢いよく散布する。
やや上目に放ったせいか、その玉は空に広がる。
鮮やかな光が網膜を差す。
その空は雨上がりのように天弓が架かっていた。
「…できた」
やったぁぁぁ!
ついにやったのだ。僕には攻撃魔法の才がないと思っていた。
僕はみんなの補佐役として活躍するしかない。…そう思っていた。
だが違った。
やり方が悪かっただけなのだ。
勉強方法が悪ければ成績が伸びないように、意味を思い描きイメージすることで、僕にも使えたのだ。
これでみんなと同じように――
その瞬間、急に瞼が重くなる。
なんか、対抗戦のときもこんなことがあった気が…
「あ、言い忘れてたが、初めて無詠唱を成功させると大抵マナ切れになるから気をつけろよ〜
まぁ、初回で成功させる奴は滅多にいないだろうが…って、まじか」
そりゃあないでしょ…
担任に怨嗟の視線を送った。




