回想録その二 幸運王子のひとりごと2
この話は、十八話から二十話までの回想録となっております。
・王子が若干キャラ崩壊を起こしています。お気を付け下さい。
・特定の人物に対して不快な表現が多々あります。苦手な方は逃げてください。
俺が公爵と袂を分かつ決意をした事は、最初にアレクには話しておいた。
アレクは俺が示した交換条件を呑んで俺の傍にいるだけだ。これから何があるか分からない以上、俺では助けてやれない事態になってしまうかもしれない。アレク自身に俺と共にいる意思がないと言うのなら、今の内に解放してやらねばと考えていた。
しかし予想に反して、アレクは今さら仲間外れは御免だと言ってこれからも力を貸すと言ってくれたのだ。アレクが今さら、はいそうですか、と言って去って行くような男ではなかった事を知ると、俺はつい嬉しくて頬が緩んでしまった。だがそれを悟られた挙句からかわれても面白くないため、俺は平静を装って、とりあえず礼を言っておいた。
そんな訳でアレクが俺の味方の最初の一人となった訳だが、二人目はもちろんクロフィだ、と意気込んではいるものの、正直断られたらどうしようという気持ちも持っている。しかし今はそんな事をくよくよ考えていても仕方ないので、当たって砕けろ精神でつき進むしかない。砕けない事を切に祈りながら。
宴に行くにあたって何か祝いの品を持っていかないとと考えてアレクに相談してみると、俺はアレクから面白い話を聞いた。
それは、近衛騎士団長が一般騎士団長も宴に招待しているという話だった。
一般騎士団長であるレイヴンリーズと近衛騎士団長であるヴァンクライドは下っ端騎士の頃からの友人だという。すこぶる仲が悪いように見えるが。そこに伯爵家の当主も加わって、昔は三獣騎士と呼ばれるほどにこの三人は人間離れした強さを誇っていたという。俺はその辺りの事は詳しく知らないが、何故三獣騎士と呼ばれていたのかは少々気になっている。獣のような強さという事か?
まあそんな事をどうでもいいが、アレク曰く、レイヴンはクライドの宴に招待されてはいるが一度も宴に参加してはいないという事だった。故に、レイヴンを連れていけば少しは話も聞いてもらえるのではないかという事だった。
確かにそれも一理あるが、一度も参加していなかったレイヴンを連れていく事は俺にとっても利益があった。
公爵を敵対するにあたって、味方になり得る人物は伯爵家当主の他には、伯爵家と懇意にしているという二人の騎士団長たちだ。この二人にも伯爵家当主と共に俺の味方についてくれないものかと少しばかり考えていた。故に宴の場でこの三人が揃う事は俺にとってこの上なく都合がいいのだ。
クライドへの祝いの品にもなるし、俺の利益にもなる。一石二鳥だ。
俺は早速レイヴンを連れていく計画を立ててみた。アレクはこの件に関しては頑として手伝わないという意見を曲げなかったため、俺は一人でその作戦を練った。
まあレイヴンがクライドの宴に招待されている事をアレクが知っているとなると、それを知ったレイヴンが機嫌を損ねかねないと考えたのだろう。
その昔、レイヴンが何かのきっかけでブチ切れた折、詰所の騎士たちは地獄の軍事演習なる過酷な訓練を科せられ、大半の騎士がその後三日間ほど寝込んだという暗黒の歴史が存在している。その事に関して未だに騎士たちは固く口を閉ざしているため、俺も詳しい内容は知らない。知りたくもないが。
アレクはその暗黒史を経験した訳ではないだろうが、その噂を知っている可能性は大いにあり得る。故に、レイヴンの機嫌を損なわせるような事はしたくないのだろう。
そんな訳で、俺はどうやってレイヴンを連れて行こうかと頭を悩ませていたが、思いつく作戦は職権乱用くらいだった。
職権乱用と言っても、俺には乱用できるだけの肩書はない。王子なのだからその地位を乱用できそうだが、残念ながら、俺の『王子』という肩書は豆粒ほどの威力も発揮しない。おそらくレイヴンに『王子の命令』だと言ったところで、鼻で笑われるのがオチだろう。あの騎士団長はそういう奴だ。
俺の『王子』という肩書が使えない以上、俺に残された最後手段は、国王の次に権力を持つ『守護者』の肩書を使う事だった。
王座が空席の今、この国で最も権力を持っているのは『守護者』だ。たとえ公爵が国王代理の地位に就いていようと、『守護者』の地位の方が上だ。いくら公爵といえど、『守護者』の決定には逆らう事は出来ないのだ。
しかし『守護者』はその権力を滅多に振るったりはしない。むしろアイツが『守護者』として動いているところなど俺は見た事がないくらいだ。それくらい『守護者』はのほほんと生活している。まるで隠居爺の如く(まあ爺である事には違いないが)、全く以って王家の問題や政などには介入する事はない。それが『誓約』であり、王家と『守護者』の間に交わされた約束だ。俺もそれは承知しているから、『守護者』に頼んでどうにかしてもらおうという考えは全く持ってはいない。『守護者』は必要だと思えば、何も言わなくても手を貸してくれると知っているから。
肩書を使うという事は『守護者』に協力を要請する事に繋がるのだろうかと考え、やはり職権乱用作戦はやめる事にした。
そうやって時間ばかりが過ぎていき、本日の夜が宴だというところまできてしまった。俺はもう当たって砕けろだという勢いで、何の策もなくレイヴンの許に突っ込んで行った訳だが、案の定、
「寝言は寝てから言え」
と、そんな言葉を投げられ、思い切り面倒そうに長い息を吐かれた。相変わらず腹立たしい奴だ。
だが俺はレイヴンのそういう自分の気持ちを隠さないところは結構気に入っていた。
レイヴンは俺が王子だからとか一切考えていない。誰の前でも、王子に対して畏まらないし、敬語は使わないし、おまけに俺が何もしてないのに鼻で笑いやがるし。それは大いにムカついている。
しかしそれでもレイヴンは詰所の騎士たちには絶大な信頼を寄せられている事を俺は知っている。人類最強、人柄最凶の騎士団長は、その実、中身は意外と正義感に溢れており、面倒見もいいらしい。騎士たちはそういったレイヴンの人柄を知っていて、皆騎士団長を慕っているのだ。
レイヴンが俺を鬱陶しいというようにあしらうのにはちゃんと理由がある事を俺は理解している。
俺はずっと何せず、全てを傍観しているだけだった。王家に残されたたった一人の王子だという事に胡坐をかき、周りに言われるがままに行動していた俺を愚かだと思っているのだろう。
自分が愚かだったのだという事は、俺自身が一番良く分かっている。その事に関しては言い訳しないし、できるモノでのない。クロフィの事にしてもそうだ。俺は本当に愚かな奴だった。
レイヴンは俺に対して鬱陶しいというような態度を示してはいるが、話をしようと口を開けばちゃんと聞いてくれるような人物だった。親善試合の件を頼みに行った時も、面倒そうにはしていたが、ちゃんと最後まで話を聞いてくれていたのだ。この騎士団長は面倒そうにしていても相手の事を頭から蔑ろにするような人物ではない事を俺は知っている。
そう。ずっと前から知っていたのだ。それなのに俺は、今の今まで行動を起こそうとはしなかった。もっと早くに動いていれば、この騎士団長も力を貸してくれていたのだろうか。
しかしながら、今は過ぎた事をくよくよ悩んでいる場合ではないため、目の前の『祝いの品』をどうやって宴に連れて行くかという事に全力を注ごうと気持ちを入れ返る。
俺は「鬱陶しいから帰れ」と言いながらも無理に追い帰そうとはしないレイヴンに自分の考えを伝えてみた。
馬鹿だなと笑われようと、無理だと否定されようと、俺は公爵と袂を分かつ決意をした事を話してみた。
するとレイヴンは予想に反して、笑いもしなかったし、否定も口にしなかった。ただ静かに俺の話を聞き、最後に、
「覚悟出来てんだろうな」
と、確認してきた。
俺はそれに頷きを返すと、レイヴンは、そうか、と言って小さく息を吐いていた。
しかしながら、共に宴に参加しろという言葉はどうしても聞き入れてはもらえなかった。
いや、分かっている。俺が宴に参加する事で今後の起こり得る様々な不利益を考えれば、俺を宴になど行かせたくないというのがレイヴンの本音だろう。現にレイヴンからは「他の事で頑張れ」という何とも生温かい声援をもらった。嬉しくない。
しかし俺としては伯爵家の当主やクライドにもこの事を話しておきたいと思っている。故に、三人が集まる事ができるその宴になら俺も参加できるので、どうしてもレイヴンにも参加してもらいたいと思っていた。
「お前が行かなくても一人で行く」と言ってみれば、「勝手にしろ、俺知らね」と返され会話が終了。一体どうすればこの男が動くのだろうかと頭を悩ませていると、不意にレイヴンの表情が苦虫を噛み潰したように歪められた。いや、その表現は生易しかったか。レイヴンの表情は、まるで人間を狩りに来た魔王の如き凶悪なモノだった。俺は一瞬、殺られてしまうのかと本気で思ってしまったくらいだ。本当にこの男の顔は凶悪過ぎる。
しかしながら、レイヴンの視線が俺の背後に向けられている事を知ると、俺もそれに倣って背後に向いてみた。
するとそこには満面の笑みを湛えた『守護者』が立っていた。
現在、俺はレイヴンの仕事部屋にいる。という事は必然的にレイヴンもそこにいる訳だが、俺とレイヴン以外この部屋の中にはいなかった。加えて誰かが訪ねて来る事もなかったし、扉が叩かれる音すらしなかった。
ではどうやって『守護者』がこの部屋に来たかというと、正直、俺もよく分からんとしか言いようがない。ただ、『守護者』が使うのは『魔法』ではなく『魔術』であるという事くらいしか俺には分からない。
まあどうせ説明も出来ないから、その事は割愛しておく。
そんな訳で、『守護者』の突然の訪問に、その意味を悟ったらしいレイヴンはその表情を凶悪に歪めながら、盛大に舌打ちしていた。俺も『守護者』がどうしてこの場に来たのかはすぐに理解した。
『守護者』は俺のために少しだけ力を貸してくれたのだ。ただそこに立っているだけだったが、アイツは『守護者』としてそこに立っていた。それだけで、『守護者』なりに俺の事を応援してくれているのだろう事が分かった。
レイヴンは本当に嫌そうにしながらも渋々宴への参加を了承した。いや、『守護者』に直接圧力かけられれば誰も否とは言えないだろうが。
俺は、頑として首を盾に振らなかったレイヴンが『守護者』が現れた途端にあっさり(でもなかったが)了承を返して来た事に対して、改めて『守護者』の肩書の凄さを思い知った気がした。
こうしてレイヴンと共に宴に参加する事になったのだが、王宮を出発する際に見たレイヴンは礼服を着てはいたが何故か帯剣しており、凄まじいまでに周りを警戒していた。そこまでクライドのための宴に出る事を知られたくないのかと少々呆れたが、それは口には出さなかった。
警戒態勢を崩さないレイヴンと共に侯爵邸の別邸に着くと、俺は会場に足を踏み入れた。
何と言うか、俺はあまり貴族たちが主催する宴や夜会には参加した事がない。俺自身、宴や夜会といった人が集まるところがあまり好きではないため、進んで参加したいとも思ってはいないのだ。それに何より、あまりいい意味ではなく注目される事にはどうしても慣れる事ができなかった。
そういった理由もあり、会場に足を踏み入れた時の注目度は、そのまま踵を返しそうになるくらいに居心地が悪いモノだった。
俺は招かれざる客だ。宴に参加している貴族たちの視線が好意的ではない事くらい最初から分かっていた。分かってはいたが、やはり居心地の悪さは半端なかった。
しかしそんな俺の背を(物理的に)押してくれたのはレイヴンだった。一度だけレイヴンに振り返ると、ここまで来て逃げるな、というような叱咤の意思を感じて、俺はグッと表情を引き締め、こんな時くらいはと、王子らしく堂々と広間を進んだ。
視界の隅にクロフィとエミル、そしてエミルに似ている令嬢の姿を認めた。おそらくあの令嬢がエミルの妹だ。何処となく見覚えがある気がする。そんな三人は、一様にその表情は明るくない。今にも、マジかよ、という言葉が聞こえてきそうな表情だ。それくらい俺の登場は予想外の事だったのだろう。
やはり俺の参加をあの三人も良くは思っていないのだろうと思ったが、今は目的の事だけを考えようと思い直す。
俺はクライドに迎えられ、初めて伯爵夫妻との対面を果たした。
伯爵家当主ツヴァイスウェードはその表情こそ優しげだが、何処か鋭さを宿す瞳が騎士の名残を思わせるような男だった。青紫色の瞳をしている事から、クロフィの瞳は父親譲りである事を知った。対してその奥方であるエイナセルティは、歳を重ねて尚美しさを保っているその女らしく柔らかな表情が印象的で、身体が弱いという事もあり、その立ち姿には儚い印象を受けた。面差しから言って、クロフィは母親似だと知る。
クロフィの両親。
俺の母の近衛騎士だった男と母の親友だった女。
初めて会うが、母から話を聞いていた事もあり、全くの初対面という感じもしなかった。
俺は、ツヴァイ、クライド、レイヴンたちを前に、俺がこの場に来た理由を話し、もう一つ、どうしても話しておきたかった事も告げようとした。
俺は、後宮問題から逃げるためにクロスフィードを利用した事を、ツヴァイにも謝罪したかった。
俺がした事は、クロフィだけでなく伯爵家そのものを窮地に追い込むような事だったのだから。
俺が、実はクロスフィードと面識がある、というような事から話を切り出すと、ツヴァイは俺の言葉を遮り、レイヴンから全部聞いた、と一言だけ告げてきた。
俺はその一言で、目の前の三人が俺の犯した愚かな行為を全て承知しているのだという事を知った。
レイヴンから聞いたという事は最初にこの事に気付いたのはレイヴンだという事だ。一体どうして知られてしまったのかと訊いてみると、俺が詰所の医務室でクロフィが女だと知った日に、俺とクロフィの関係もレイヴンに気付かれてしまったようだった。
しかし、クロフィが女だという事を知ってしまった事実までは知られていなかったようで、俺はその事だけは告げなかった。何となく、この場その事を言ってしまうとクロフィと一緒にいられなくなりそうな気がしたから言わなかった。
そうやって話に一区切りがついた頃、俺の許にニコル嬢がやって来て、踊らないかと誘って来た。俺はニコル嬢が後宮に入っていた事をハッと思い出し、自分から誘わなかった事を詫びた。
踊りの誘いは男からするのが礼儀だ。それなのにニコル嬢の口からそれを言わせてしまった事には何とも申し訳ない気持ちが浮かんでくる。ただでさえ俺は招かれざる客だというのに、礼儀くらいは弁えてしかるべきだろうと反省した。
踊っている最中、ニコル嬢からどうして宴に来たのかと訊かれ、俺は正直に、「クロスフィードをもらいに来たと」告げた。それは俺の傍に置くという意味だ。本当は妃にと申し出たいところではあるが、まだそれが出来ない事くらい俺だって十分分かっている。
そんな訳でそういった意味ではないにしろ、クロフィを傍に置くという目的がある事は確かなのでそれをそのまま告げると、ニコル嬢からは「あげないわよ」と兄そっくりの黒い笑顔で告げられた。この兄妹は面差しも似ているが、中身もそっくりだった。恐ろしい。
そうしてニコル嬢との踊り終えると、俺の視線はクロフィを探した。しかしクロフィは広間の真中で令嬢と踊りを踊っていたため、俺は再びツヴァイ達の許へと向う事にした。
ツヴァイ達の許へ戻ると、そこにはエミルの姿もあった。エミルも俺が何かしらの目的があってこの場に来た事は察していたようで、父親たちに話を聞いていたようだった。
どうやら俺が公爵邸にクロフィを連れて行った事は伏せて話をしてくれていたようだが、おそらくエミルはその事にもう気付いているだろう。俺がクロフィと面識があると知られてしまった時には、既に見てきたのかと疑いたくなるほど正確にそれを言い当てていたのだから。
俺は正直、今この場で伯爵家当主と二人の騎士団長たちを味方につける事は難しいと分かっていた。だからこそ、俺はツヴァイにクロスフィードを、そしてクライドにはエミルを俺にくれと頼んだ。
俺の味方として得られる可能性があるのは、今のところこの二人だけだ。親世代の三人を味方につけるためには、俺が王子として一人で立てるようになるまで無理だ。それが分かっているからこそ、今味方にできる者たちは何が何でも手元におけるようにしておきたかった。
しかしエミルは自ら断るだろうと思っていた。その考え通り、アイツは本当に自分の意志で御免だと言って断ってきた。俺の事を鼻で笑うというおまけ付きで。非常にムカつく。
クロフィの方もツヴァイは本人の意思に任せると言っていたので、クロフィ自身が承諾してくれれば、晴れて俺はクロフィと親公認の仲になれるのだ。語弊がありそうだが、訂正はしない。事実だからな!
ちゃんとクロフィの父君に了承も取った事だし、俺は少しばかり気持ちを軽くなり、クロフィの許へと向かった。
クロフィは一人で庭に下り、夜空を眺めていた。俺はそんなクロフィに声をかけ、俺たちが最初に会った時も月が綺麗な夜だったなという事を告げてみた。するとクロフィは苦笑交じりに、あの時は月を眺めている余裕などなかったと返してきた。
クロフィからしてみればそうだっただろう。なにせ王子がクロフィの愛引き現場を目撃してしまっていたのだから。
その後伯爵家の事情を盾に取り、俺は酷い事を言ったのだから。
あの時に戻れるなら、本当に出会いからやり直したい。ちゃんとクロフィに好印象を与えられるような出会い方をしたい。だがそれはもう叶わないと知っている。だから俺はこれからの俺を示す事でクロフィに想ってもらえるように頑張ろうと決意したのだ。クロフィが誰にも蔑まれる事がないように守っていこうと誓ったのだ。
そうやって話をしていると、夜会の場でクロフィが女として初めて踊った相手は俺であった事を知った。冷静に考えれば、クロフィは男として生活している訳だから、夜会の会場であっても男のフリをしている事くらい分かる。今現在クロフィは男の格好をしている訳だから、女として夜会に出た事がないというのは納得できる。しかし俺はそんな事を考える間もなく、俺が最初だったという事実に舞い上がった。
クロフィには俺以外の男は誰も触れていないのだと思うとそれだけで嬉しくなった。俺だけがクロフィの柔らかな身体の感触を知っているのだと思うと優越感に浸れた。
俺はあまり物事に頓着しない性格だと自分では思っていたが、クロフィの事に関してだけは独占欲が強くなるらしい事を自覚する。俺だけのクロフィであって欲しいという思いが日増しに強くなっていく日常の中で、俺はクロフィを傍において、誰の目にも触れさせないようにしたいと思っている。
だがそんな事をしてもクロフィは喜んだりしないだろう。クロフィはとても賢い。女だからといってその能力を潰すような真似はしてはいけないのだと思う。きっとクロフィは男としての振舞いの中で自分の価値を見出してきたのだろう。『麗しの君』としての評判は、クロフィが努力して得た称号でもあるのだと今なら分かる。
男としての『クロスフィード』も女としての『クロフィ』も、俺は両方のクロスフィードに傍にいて欲しいと願っている。
俺はこの宴に来た目的をクロフィにも話した。そして『クロスフィード』が欲しいのだという事も告げた。
するとクロフィは何故か笑いだし、嫁に行く気分だ、と言ったのだ。
いや何れは嫁に来てもらう予定だが、今はまだ時期ではない事くらい俺も分かっている。だがしかし、クロフィがそれを望むのならば俺も吝かではない。将来的には俺の妃になってもらう予定だから、今の内からクロフィのご両親にもそういった事を言っておいた方がいいのかもしれない。しかし俺的にはいきなりな事で心の準備がまだ出来ていない。しかしクロフィが両親に挨拶をしてくれというのなら、俺も男だ、腹を括って挨拶をさせてもらおうじゃないか。
というような脳内妄想を繰り拡げていたが、案の定というか、お決まりというか、クロフィには全く以ってこれっぽっちもそんな気はなかった。分かってはいたが、もう少し俺の事を男として意識してもらいたい。切実に。
クロフィは少々肩を落としている俺に苦笑を浮かべながらも、俺のために力を尽くそうと言ってくれた。今はそれだけでいい。クロフィが俺の傍にいてくれるなら、俺はきっと何事も頑張れる気がするから。
俺が今回の事で味方につける事ができたのは、クロフィとアレクだけだった。エミルは今後の俺次第と言ったところだが、現状はやはり今までと変わらず二人だけだ。しかしそれでも俺にとって心強い味方である事は確かだった。クロフィやアレクは俺の事をちゃんと見てくれる。そんな二人が共に戦ってくれるなら、こんなに心強い味方は他にいないだろう。俺はそれくらい、二人の事が気に入っていた。
その後も少しばかり話をして、さて広間に戻ろうとした時、庭から一人の近衛騎士が現れた。その騎士はエミルの弟のようで、クロフィとも知り合いのようだった。その騎士、カイルレヴィがどうして庭から現れたのかと話を聞くと、どういう訳か公爵がこの宴に向かっているという事を告げてきた。
俺は王宮を出る時、レイヴンが随分と警戒していた事を思い出し、あの騎士団長がコレを危惧していた事を今さらながらに気付いた。
公爵にもこの宴の招待状は送られているらしいが、公爵は一度も宴に参加した事はないという。
俺がこの場所にいるから来たという線は薄いという事で、可能性として、今回の親善試合の件で公爵が近衛騎士団長に物申しに来るという線が有力となった。
俺が公爵とはち合わせると不味いという事で、俺はクロフィに言われるままに、渋々ながらもカイルと共に王宮に戻る事にした。
俺が宴に来る事によってこれから先迷惑をかけてしまうというのに、俺は結局何も出来ないのだと己の無力さを呪った。だが、これ以上迷惑をかけない為にも、俺がこの場で公爵と鉢合わせない事の方が現状では重要だ。
俺は申し訳ない気持ちを持ちながら、王宮へと足を向ける。
来る時も馬車は使わず徒歩でやって来たので、帰りも周りを警戒しながら徒歩で帰る。用心するため、大通りではなく一本入った道をカイルと共に進む。すると脇道から見知った人物が現れ、カイルが剣を手に俺の前に出た。しかし現れた人物は俺の知っている奴だったため、カイルに剣を治めさせ、俺はその人物に対峙した。
脇道から現れたのはアレクだった。どうやらアレクは侯爵家の別邸、つまり宴の会場となっているクライドの住まいに行く途中だったようで、入れ違いにならなくて良かったと安堵していた。
俺はどうしてアレクがこんなところにいるのか分からずそれを訊いてみると、アレクは公爵が宴に向かった事を知り、それを知らせるために侯爵邸に向かっていたという事だった。その途中、何人かの待ち伏せがある事も確認したというアレクの言葉に、俺は絶句した。
待ち伏せは王宮への道のりに配置されているという話だったので、その待ち伏せが俺を襲わせるために用意された者たちだとすぐに気付いた。
宴の会場から王宮に戻るのは俺しかいない。公爵は俺すらも使って、近衛騎士団内の粛正を強行した近衛騎士団長と補佐官を黙らせたかったというところだろう。アレクもそういった事を察し、侯爵邸に向かっていたという事だった。
アレクもいるならこのまま王宮に戻る事も出来るだろうが、王宮に戻るとなると戦闘は避けられないだろう。もし誰かと一戦でも交えようなら、クライドたちに多大な迷惑をかけてしまう事になってしまう。
俺はどうしたらこの窮地を覆せるか必死に考えた。しかし俺にはやはり咄嗟に良い考えなど浮かばなかった。
きっとクロフィやエミルならこういう状況になっても冷静に物事を判断してすぐに最善策を講じる事ができるのだろう。俺が二人から学ばないといけないのはそういったところだ。二人の傍でそういった事を学べるなら、俺も少しはましな王子になれるのではないかと考えていた。
しかしながらこの場で俺の窮地を救ってくれたのはアレクだった。
アレクはもう一度宴に参加しろと言って来た。俺は公爵がいるのに宴には戻れないと否定を返すと、アレクは更にもう一度最初から参加しろ、と言い直した。俺はその言葉でアレクが何を言いたいのかを理解した。
そういう方法もあるのかと、正直驚いた。俺は宴で公爵と鉢合ってはいけないのだと思い込んでいたから、もう一度宴に参加するというような方法は思いつかなかった。
アレクもまた、クロフィやエミルのように物事の考え方が俺とは違うのだろう。俺だけが本当にダメダメなんだと思い知ると、俺の周りには優秀な人材が揃っている事も再確認した。やはり俺には彼らが必要だと強く思う。俺のダメなところを補ってくれる彼らの助力なしでは俺は戦い続ける事は出来ないだろう。
早く彼らに認めてもらえる自分にならなくてはと強く心に誓いながら、俺はアレクの助言通りに、カイルと共に侯爵邸へと引き返した。
侯爵邸に戻り、さあ行くぞと腹を括っていると、カイルが心配そうに大丈夫なのかというような事を訊いてきた。
カイルはクライドの末息子だ。父や兄たちに被害が出るのではないかと心配しているのだろう。俺は一度カイルに、すまない、と返し、これ以上公爵の好き勝手にはさせるものかと会場へと再び足を踏み入れて行った。
俺はカイルを従え、広間を堂々と進んで行く。すると、俺はレイヴンと共にやって来た時とはまた違った視線に晒された。
え? 何の余興? みたいな視線が注がれているが、俺は一切気にせず公爵たちも許まで歩み寄る。
ああそうさ。これから面白い余興を見せてやるから良く見ておけ! という気持ちで俺は公爵が何かを言ってくる前に口を開いた。
「誰かと思ったら公爵も来ていたのか」
そんな言葉を皮きりに、公爵が何かを言う隙がないくらいに、俺は言葉を継ぎ、たたみ掛けた。
親善試合の件は近衛騎士団長たちが正しかったのだという事を告げ、ついでに『守護者』の名前もフル活用して、公爵を黙らせた。
職権乱用だと言われようが構うものか、文句がある奴はかかって来い、くらいの勢いで『守護者』の肩書を使わせてもらった。後で謝っておこう。
しかし今は職権乱用だ何だと躊躇っている場合ではないため、使えるものは何でも使う。俺に使えるものはこれくらいしかないのだから。
そうやって公爵をとりあえず黙らせ、ついでに近衛騎士団の入団基準についても指示しておいた。入団基準が年々緩くなっているという話はクロフィから教えてもらっていたため、この際徹底的に改善しておけとばかりにクライドに告げておいた。
近衛騎士団員があんな馬鹿野郎ばかりでは俺としても不愉快だ。来年からは入団基準をガンガンに上げて、より良い人材だけを入団させてもらいたい。
そうして一通り話が済むと、見計らったように耳に悪魔の声が響いた。
コイツまで連れて来ていたのかと思うと、公爵が俺の参加を確信していなかったとしても、それを考慮して行動したという事を知った。待ち伏せといい、娘を連れてきた事といい、公爵は先の事を予想し、それに伴った準備を万端にしている。俺はこんな奴を敵にしようとしているのだと改めて思い知ると、俺は少しばかり身震いした。
俺の敵はとても強大だ。それに対抗するためにはやはり一人では荷が勝ち過ぎている。共に戦ってくれる者を得たと言っても、まだまだ俺は公爵には勝てないのだと思い知った気がした。
その後、踊りたくはなかったが、俺は今来たばかりだという設定なので、渋々ながらもこの世の女神と称されている悪魔と踊る事となった。
ニコル嬢とは既に踊ってはいたが、この女は自分が最初に踊っていると勘違いしている。その証拠に、ちらちらとニコル嬢に勝ち誇ったような視線を向けていた。愚かな。ニコル嬢はニコル嬢で、手に持っている扇を握りしめ、悔しがるフリをしてくれている。大変助かる。
本当に比べる事も失礼だが、ニコル嬢は俺と踊っている愚か女より何億倍も状況判断能力は優れているのだと感じた。まあエミルの妹なのだから当然なのかもしれないが。
ニコル嬢が悔しがってくれたおかげで、公爵の方も俺が今来たばかりなのかそうじゃないのか判断がつかない様子だったので、俺はニコル嬢の演技には本当に救われた。
ニコル嬢をクロフィが慕うのも頷ける。ニコル嬢なら王の妃に相応しい器の持ち主だと俺も思う。だがそれはあくまで客観的に見た感想で、俺自身はクロフィ以外を娶るつもりはない。
そうして踊りたくない女との踊りを終えると、俺は長居をしてボロが出てはいけないと思い、クライドたちに帰る旨を伝え、公爵たちと共に王宮へと帰った。
帰りは公爵たちが用意した馬車に共に乗り、レイヴンは俺の隣に、カイルは御者の隣に陣取り王宮を目指した。その間、俺は公爵に侯爵邸に向かう際不審な人物を何人か見たという話をし、王都の治安も悪くなったものだとわざとらしく憂い、レイヴンに町の警備強化を指示しておいた。レイヴンは俺の言葉で待ち伏せがあった事実を察したようで、俺の発言を面白そうに聞きながら、了承の言葉を返してきた。
余談だが、王宮に着いた俺は公爵と別れた後、レイヴンに何故か頭をグシャグシャにされ、これからも頑張れよ、という励ましをもらった。
俺は一瞬何をされたのか分からず、去っていくレイヴンの背をしばらく見つめていた。
レイヴンなりにほんの僅かでも俺の事を認めてくれたのだろうかという思いが浮かんで来たが、そんな訳がないかと思い直す。しかし励ましの言葉をもらえたという事実には素直に嬉しいと感じた。
こうして俺の目的は果たす事ができた。後は俺の頑張り次第だ。
俺はもう一人じゃない。クロフィもいるし、アレクもいる。エミルはまだ俺に手を貸してはくれないだろうが、いずれエミルにも俺の事を認めてもらう。
俺はここから、王子としての自分をはじめて行こうと意気込んだ。
クロフィ。
俺は必ず王子としてお前の事を守れるようになって見せるから。
だからどうか、俺の傍で、俺を見ていてくれ。
ここで一端、完結とさせていただきます。
本編が進むにつれてこちらも増やしていこうと思っておりますので、本編共々読んで頂けると嬉しいです。