第95話 皇帝の休暇は、母と食事をすることでした
【建興元年 九月|成都】
董允が、俺に休暇を命じた。
侍中である。そして、これは、俺が作った職掌だった。
◆
建興元年、九月。即位から、四月である。
そして、董允が、竹簡を持ってきた。
「陛下」
「董允どの」
「記録でございます」
俺は、それを受け取った。そして、開いた。
《建興元年 五月〜九月》
《陛下》
《眠った刻 平均 二刻半》
《食事 一日 平均 一・四度》
《休んだ日 なし》
《備考 丞相と、ほぼ同じでございます》
俺は、そこで、竹簡を落とした。
ほぼ同じ。十六年、俺はこの人を止めようとしてきた。そして、四月で、同じ数字になった。
「董允どの」
「はっ」
「丞相は」
董允は、答えた。
「眠った刻 平均 一刻半」
「はい」
「食事 一日 平均 一・二度」
「休んだ日 十日」
俺は、そこで、聞いた。
「……十日だけ、私より多いですか」
董允は、答えた。
「はい」
「陛下が、命じられました」
俺は、そこで、何も言えなくなった。
五月の詔である。そして、あれ以降、この人は一日も休んでいない。
そして、俺も、一日も休んでいない。
「陛下」
董允が言った。
「はい」
「申し上げます」
「はい」
「休まれてください」
俺は、そこで、答えた。
「南中が動いています」
「はい」
「呉との交渉があります」
「はい」
「そして、法正どのが、倒れました」
董允は、答えた。
「存じております」
「では」
董允は、こう言った。
「丞相も、同じことを申されました」
俺は、そこで、止まった。
同じことを、言った。
十六年、俺はこの人の答えを聞いてきた。
「問題ございません」
そして、俺は、いま、違う言い方で同じことを言っている。
「董允どの」
「はっ」
「私は、何と言えばよいですか」
董允は、答えた。
「『分かった』でございます」
俺は、そこで、笑ってしまった。
「……それだけですか」
「はい」
「そして、実際に休まれてください」
◆
俺は、三日の休暇を取った。そして、三日目に、何をすればよいか分からなくなった。
一日目。俺は、文書庫へ行った。そして、董允に止められた。
二日目。俺は、関羽の名簿を読もうとした。そして、董允に止められた。
三日目の朝。俺は、部屋で座っていた。
「董允どの」
「はっ」
「何をすればよいですか」
董允は、答えた。
「……分かりませぬ」
【董允】
固有特性
【解決策を持たない】
出た。そして、俺は、この特性を承知で、この人を侍中にした。
「陛下」
董允が言った。
「はい」
「一つだけ、申し上げます」
「はい」
「誰かと、食事をなさってはいかがでございましょう」
俺は、そこで、聞いた。
「誰と、ですか」
董允は、答えた。
「……分かりませぬ」
俺は、そこで、少し考えた。
誰と。諸葛亮は、働いている。龐統は、飲んでいる。関羽は、書いている。張飛は、閬中にいる。趙雲は、警護している。
そして。
俺は、呉夫人のところへ行った。父の、二番目の正室である。そして、俺の、義理の母だ。
十六年、俺はこの人と、二人で食事をしたことがない。
「母上」
「……陛下」
この人は、少し驚いた顔をした。
「どうなさいました」
俺は、答えた。
「食事を、ご一緒してよろしいですか」
呉夫人は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。
「……何か、ございましたか」
俺は、そこで、気付いた。
十六年である。俺がこの人のところへ来るのは、いつも、用があるときだった。
「ありません」
俺は、答えた。
「……」
「休暇です」
呉夫人は、そこで、初めて笑った。
◆
食事は、簡素だった。粟の飯。漬物。魚の羹。そして、酒はなかった。
「陛下」
「はい」
「私は、劉璋の兄の妻でございました」
「存じています」
「そして、先帝に嫁ぎました」
十年前である。益州を取った年だ。そして、法正が、この縁談を進めた。
「母上」
「はい」
「あのとき、断れましたか」
呉夫人は、しばらく黙っていた。そして、こう答えた。
「いいえ」
俺は、そこで、聞いた。
「断りたかったですか」
呉夫人は、答えた。
「……分かりませぬ」
三人目である。今日、俺は三人から「分かりませぬ」と言われた。董允。二度。そして、この人。
そして、三人とも、正直だった。
「陛下」
「はい」
呉夫人は、こう聞いた。
「なぜ、そのようなことをお尋ねに」
俺は、答えた。
「二年前、私も、聞かれずに決められかけました」
「……」
「太子妃の件です」
呉夫人は、そこで、こう言った。
「存じております」
「はい」
「三人に、お会いになったと伺いました」
「はい」
「そして、名をお尋ねになったと」
俺は、そこで、顔を上げた。
「……ご存じでしたか」
「はい」
「どこで」
呉夫人は、答えた。
「城の女は、皆、存じております」
俺は、そこで、動けなくなった。
皆、知っている。そして、俺は、一人も、そこから聞いていない。
「母上」
「はい」
「他に、皆が知っていることはありますか」
呉夫人は、少し笑った。そして、こう答えた。
「たくさん、ございます」
俺は、そこで、この人に一つ頼んだ。
「母上」
「はい」
「月に一度、食事をしてください」
「……」
「そして、皆が知っていることを、一つ教えてください」
呉夫人は、しばらく黙っていた。そして、こう聞いた。
「陛下」
「はい」
「それは、政でございますか」
俺は、そこで、答えに詰まった。
政である。情報である。そして、俺が持っていない経路だ。
そして。
「半分です」
俺は、答えた。
「……」
「残りの半分は、休暇です」
呉夫人は、そこで、初めて声を出して笑った。そして、こう言った。
「……正直でいらっしゃる」
◆
その夜、俺は木簡を出した。そして、《丞相の、休んだ日》の隣に、新しい一枚を置いた。
表題を、書いた。
《私の、休んだ日》
一行目に、書いた。
《建興元年 九月 三日》
《母上と、食事をした》
俺は、そこで、筆を止めた。
「母上」と書いた。そして、十六年、俺は「母」という字を、一度しか書いていない。
俺は、十四年前の木簡を出した。甘夫人の名を書いたものである。
そして、その隣に、白帝城で書いた二文字がある。父の手を、俺が動かして書いた。
俺は、その二つの木簡を、並べて置いた。そして、しばらく見ていた。
一人は、俺を産んだ。そして、一人は、俺と食事をした。
どちらも、母である。そして、どちらの名も、簿には書いていない。
俺は、木簡に、一行足した。
《休暇とは、用のない人に会うことである》
そして、その下に。
《そして、この国で、用のない人は、いない》
〈あとがき〉
侍中が、皇帝に休暇を命じます。この職掌を作ったのは、皇帝自身です。
「丞相と、ほぼ同じでございます」——十六年止めようとしてきた相手と、四月で同じ数字になりました。
「誰かと、食事をなさってはいかがでございましょう」「誰と」「……分かりませぬ」。【解決策を持たない】は、承知の上で任じた特性です。
「城の女は、皆、存じております」。十六年、そこから一度も聞いていませんでした。
「休暇とは、用のない人に会うことである」——そして、この国に用のない人はいません。
次回、第96話「訃報と叛は、同じ早さで進む」。




