第90話 制度的介入余地——空白
【章武三年 正月|成都〜白帝城】
十五年で、初めて、その表示が出た。
空白、である。
◆
章武三年の正月。父は、白帝城にいた。
退却の途中で、そこに留まった。そして、動かなくなった。永安宮と名を改めさせたと聞いた。
城の名を変えるというのは、しばらくそこにいるという意味である。
馬良からの報告である。
《陛下、永安に留まられる》
《病でございます》
《医師、三名》
俺は、その一行を読んで、木簡を開いた。死亡年表である。
二二三——劉備。丸。
今年である。
十六年、俺はこの一行を持ち歩いてきた。二歳のときに書いた。字が歪んでいる。
そして、書いたときは、遠い年だった。
俺は、視界を開いた。そして、父の画面を見た。
十五年、見てきた画面である。魅力百。財務管理三十一。約束管理二十六。
そして、いちばん下に、新しい欄があった。
【劉備 字・玄徳】
年齢 六十三
身体状態
衰弱 進行
消化器 機能低下
発熱 断続
食事摂取量 通常の三割
生命危険度 91%
主要因
・長期の行軍
・退却時の消耗
・年齢
・慢性的な疲労の蓄積
制度的介入余地
——
俺は、その最後の欄を、三度読んだ。
空白である。数字が、ない。「低」でも、「なし」でもない。ただ、空いている。
十五年である。俺は、この視界に、何度も助けられた。
龐統のときは、地名が出た。落鳳坡である。だから、兜を九通、送った。
関羽のときは、孤立危険度が出た。だから、十一人集めた。
張飛のときは、暗殺危険度が出た。だから、相談所を作った。
法正のときは、悪化要因が六つ並んだ。だから、六つとも潰した。
そして、全部、数字だった。
数字は、下げられる。そして、空白は、下げられない。
数字が出るということは、その数字を動かす手が、どこかにあるという意味である。
空白は、手がないという意味だ。
◆
俺は、諸葛亮のところへ行った。四十三である。
そして、この人は、既に旅の支度をしていた。竹簡を、荷に詰めている。荷は、二つある。一つは、衣と薬。もう一つは、書類だった。
「先生」
「殿下」
「行かれますか」
「はい」
「いつ」
「明日でございます」
俺は、そこで、荷を見た。
「先生」
「はい」
「その荷は」
諸葛亮は、答えた。
「白帝までの、二十五日でございます」
「……はい」
「二十五日、決めねばならぬことが、ございますゆえ」
馬の上で、決める。十五年、この人は、そうやって働いてきた。
そして、いま、それをやめるつもりがない。
俺は、そこで、聞いた。
「先生」
「はい」
「陛下は、助かりますか」
諸葛亮は、羽扇を止めた。そして、長いこと黙っていた。やがて、こう答えた。
「……分かりませぬ」
俺は、そこで、もう一つ聞いた。
「先生」
「はい」
「私にできることは、ありますか」
諸葛亮は、俺を見た。そして、こう言った。
「ございませぬ」
俺は、そこで、動けなくなった。
十五年である。この人は、俺に一度も「ない」と言わなかった。
正確には、二度だけ言った。一度目は、于禁のとき。「三つ目は、ございませぬ」。二度目は、樊城の追加承認のとき。
そして、二度とも、俺が作った。
「先生」
「はい」
「三つ目は、ありませんか」
諸葛亮は、答えた。
「ございませぬ」
そして、こう続けた。
「殿下」
「はい」
「制度で、できぬことがございます」
俺は、そこで、聞いた。
「何ですか」
諸葛亮は、答えた。
「人が、老いることでございます」
俺は、そこで、初めて、この人の顔を正面から見た。
四十三である。そして、目の下の影が、十五年前より深い。
十五年前、この人は二十八だった。羽扇が新しかった。糸を繕った跡が、まだ一つもなかった。
今は、四つある。
《予測死亡時期 二三四年前後》
十一年後である。
「先生」
「はい」
「先生も、老います」
諸葛亮は、少し笑った。そして、こう言った。
「はい」
「——」
「そして、それは、制度で防げませぬ」
俺は、そこで、答えた。
「防ぎません」
「……」
「遅らせます」
諸葛亮は、しばらく黙っていた。そして、こう聞いた。
「殿下」
「はい」
「それは、同じことではございませぬか」
俺は、答えた。
「違います」
「防ぐというのは、起こさないことです」
「はい」
「遅らせるというのは、間に合わせることです」
「——」
「何に、でございましょう」
俺は、答えた。
「引き継ぎにです」
◆
諸葛亮は、羽扇を膝に置いた。そして、長いこと、俺を見ていた。そして、こう言った。
「……殿下」
「はい」
「十五年、私は殿下に『休め』と申されて参りました」
「はい」
「——」
「今日、初めて、理由を伺いました」
俺は、そこで、気付いた。
十五年である。袖を掴んだ。座り込んだ。書状を出した。上限を書いた。代理人を決めさせた。奥方を呼んだ。六つ、やった。
そして、一度も、理由を言っていなかった。
「死んでほしくないから」と言えば、この人は「倒れませぬ」と答える。十五年、その答えが返ってくることを知っていた。だから、言わなかった。
そして、言うべきだったのは、そこではなかった。
「先生」
「はい」
「私は、先生に死んでほしくありません」
「……」
「そして、それは、十五年、変わりません」
「——」
「ですが」
俺は、続けた。
「もっと大事なことがあります」
「何でございましょう」
俺は、答えた。
「先生が持っているものを、私が受け取ることです」
長い沈黙があった。そして、この人は、こう言った。
「……殿下」
「はい」
「それは、私が死ぬ前提でございますな」
俺は、答えた。
「はい」
十五年、俺はこの人に「死ぬな」と言ってきた。そして今日、初めて「死ぬ」と言った。
そして、この人は、怒らなかった。代わりに、こう言った。
「……承知いたしました」
そして、荷から竹簡を一束、出した。
「殿下」
「はい」
「これを、預けます」
俺は、それを受け取った。十七項の、内訳である。そして、それぞれの項に、細い字で人名が書き足してあった。
「先生」
「はい」
「これは」
諸葛亮は、答えた。
「渡せる者の名でございます」
「いつ、書かれましたか」
この人は、少し黙った。そして、答えた。
「昨夜でございます」
一晩である。そして、八つの項に、名が入っていた。四つには、入っていなかった。
そして、残り五つは、既に龐統が持っている。
◆
諸葛亮は、翌朝、白帝城へ発った。そして、俺は、成都に残った。
皇太子である。そして、国に、誰かが残らなければならない。
見送りに出たのは、俺と、黄夫人だけだった。この人は、何も持たせなかった。そして、一言だけ言った。
「二十五日でございますね」
諸葛亮は、頷いた。それだけである。
二十年、この人はこうやって送ってきたのだろう。
俺は、その日から、三つ始めた。
一つ。龐統に、丞相の職掌を全部書き出させた。
「士元どの」
「殿下」
「十七項を、全部、書き出してください」
「なぜでございます」
俺は、答えた。
「先生が、いない前提で見ます」
龐統は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。
「殿下」
「はい」
「孔明どのは、生きておられます」
「はい」
「——」
「そして、これは、その方が読んだら、どう思われますか」
俺は、答えた。
「喜ばれます」
龐統は、少し笑った。そして、こう言った。
「……そうでございますな」
そして、俺は、預かった竹簡を出した。
「これを」
龐統は、それを読んだ。そして、酒杯を——持っていなかった。
「……昨夜、お書きになったので」
「はい」
「八つ、名が入っております」
「はい」
「そして、四つ、入っておりませぬ」
龐統は、そこで、俺を見た。
「殿下」
「はい」
「この四つに、名を入れるのが、私の仕事でございますな」
二つ。関羽に、名簿の続きを頼んだ。四千二百人分は、書き終えていた。そして、まだ届いていない名がある。
「叔父上」
「殿下」
「もう一つ、書いていただきたいものがあります」
「何でございましょう」
俺は、答えた。
「陛下が、四十年で失った人の名です」
関羽の動きが、止まった。
「……四十年、でございますか」
「はい」
「涿郡からでございますか」
「はい」
この人は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。
「……何千人でございましょうな」
「分かりません」
俺は、答えた。
「そして、書ける人が、二人しかいません」
「——」
「翼徳叔父上と、叔父上です」
関羽は、そこで、初めて聞いた。
「殿下」
「はい」
「なぜ、今でございますか」
俺は、答えた。
「陛下が、読めるうちに」
関羽は、それ以上、何も聞かなかった。そして、その日のうちに、閬中へ書状を出した。張飛へ、である。
後で聞いた話では、書状には、こう書いてあったという。
《翼徳へ》
《三十年分だ》
《お前が覚えている名を、全部書け》
《字は下手でよい。俺が直す》
◆
三つ。俺は、木簡を出した。
《陛下の、留守》
去年の七月から、数えている。そして、二百日を超えていた。
俺は、その木簡を、二つに折った。そして、新しい表題を書いた。
《陛下の、いない日》
留守ではない。そして、まだ、いない日でもない。
俺は、そこで、筆を止めた。そして、消した。代わりに、こう書き直した。
《陛下が、白帝城におられる日》
二百七日目。そう書いた。
書き終えて、しばらく、その表題を見ていた。長い。読みにくい。そして、事実だけである。
その夜、黄夫人が来た。丞相府の庭で、粟を作っている人である。そして、名を教えてくれなかった。
手が、土で汚れている。冬である。それでも、この人は毎日、畑にいる。
「殿下」
「夫人」
「数えておられますか」
「はい」
「何日でございます」
「二百七日です」
黄夫人は、頷いた。そして、こう言った。
「殿下」
「はい」
「陛下は、お帰りになりますか」
俺は、そこで、答えられなかった。
黄夫人は、しばらく待った。そして、こう言った。
「……よろしゅうございます」
「え」
「答えられぬときは、答えぬのが、いちばん正しゅうございます」
俺は、そこで、この人に聞いた。
「夫人」
「はい」
「二十年、数えておられました」
「はい」
「答えられないことは、ありましたか」
黄夫人は、少し笑った。そして、こう答えた。
「毎日でございます」
俺は、そこで、初めて、この人が二十年何をしていたかを、完全に理解した。
数えるというのは、答えを出すことではない。答えが出ないまま、続けることである。
十五年、俺は数えてきた。そして、いつも、下げるために数えていた。
危険度を下げる。死者を減らす。殴られた人を減らす。数字が下がれば、成功である。
この人は、二十年、下げるためには数えていなかった。
眠った刻は、二十年、下がり続けた。そして、この人は、数えるのをやめなかった。
「夫人」
「はい」
「下がらないのに、なぜ続けられたのですか」
黄夫人は、しばらく考えた。そして、こう答えた。
「……途中でやめると、いつ減ったか分からなくなりますゆえ」
俺は、そこで、動けなくなった。
記録は、結果のためにあるのではない。いつ変わったかを、後から言えるようにするためにある。
そして、いつ変わったかが分かれば、原因が探せる。
前世で、俺は滅んだ社会の記録を読んだことがある。森を切り、畑を痩せさせ、水を涸らして、消えた土地の話だった。
いちばん恐ろしかったのは、愚かさではない。誰も、変化に気付いていなかったことである。
木は、一年に数本ずつ減る。去年と今年を比べても、違いは分からない。毎年、去年とほぼ同じ景色を見て、毎年、去年と同じ判断をする。そして、百年で森がなくなる。
その本には、こう書いてあった。ゆっくり進む変化は、毎日それを見ている人ほど、気付けない。
だから、記録が要る。記録は、変化を止めない。止めないが、いつ変わったかを、後から言える。
俺は、それを国の話として読んでいた。
そして今日、一人の人間に、同じことが起きている。毎日そばにいる人ほど、気付かない。二十年、毎日そばにいた人が、それでも気付けるのは——毎日、数えていたからである。
十五年、俺は制度でそれをやってきた。そして、この人は、一人でそれをやっていた。
俺は、その夜、木簡に一行書いた。
《下げられないものも、数える》
そして、その下に。
《それは、負けではない》
制度的介入余地、空白。そして、俺は、その空白の横に、数字を書いた。
二百七日。二百八日。二百九日。
制度は、老いを止められない。そして、日を数えることは、誰にでもできる。
十五年、俺は誰にでもできないことばかりやってきた。今日から、誰にでもできることをやる。
〈あとがき〉
「制度的介入余地——空白」。十五年、数字は必ず出ていました。数字が出るということは、その数字を動かす手がどこかにあるという意味です。空白は、手がないという意味です。
「人が、老いることでございます」「防ぎません」「遅らせます」「何に」「引き継ぎにです」——十五年言い続けた「休め」の理由を、今日、初めて言いました。
そして、諸葛亮が一晩で書いた十七項の内訳。八つに名が入り、四つは空欄でした。
黄夫人の「二十年、答えられないことはありましたか」「毎日でございます」。そして「途中でやめると、いつ減ったか分からなくなりますゆえ」。記録は、結果のためではなく、いつ変わったかを後から言えるようにするためにあります。
《劉禅文庫 蔵書その四十八『文明崩壊』——ゆっくり進む変化は、毎日それを見ている人ほど、気付けない。だから、数える。数えても、止まらない》
次回、白帝城で、父が最後の週報を書きます。




