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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第五部 父と子——復讐という名の事業

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第88話 皇帝の四十一日目


【章武二年 八月|成都】


父が猇亭(こうてい)へ着いたのは、四十一日目だった。


そして、火は、三十九日目に出た。


    ◆


章武(しょうぶ)二年、八月。俺は、成都で数えていた。


《陛下の、留守》


三十九日目。四十日目。四十一日目。毎朝、一行ずつ書いた。


そして、四十四日目に、報せが来た。


早馬である。江州(こうしゅう)からだった。趙雲(ちょううん)の字である。そして、四行しかなかった。


《殿下へ》


《八月八日、猇亭にて、火》


《陣、七所、焼失》


《陛下、ご無事》


俺は、その四行目を、三度読んだ。そして、床に座り込んだ。


十五歳である。そして、人前で座り込んだのは、十二年ぶりだった。


董允(とういん)が、何も言わずに、湯を持ってきた。俺が飲むまで、この人はそこに立っていた。


詳しい報告が届いたのは、十二日後である。馬良(ばりょう)の字だった。そして、震えていた。この人の字が震えているのを、俺は初めて見た。


《八月八日、夜》


《東風》


《敵、火矢を放つ》


《林、燃ゆ》


《陣、四十余所のうち、七所を焼く》


俺は、そこで、手が止まった。


七所である。四十余所のうち、七所。


歴史では、四十余所が全部、焼けた。


俺は、その先を読んだ。


《八月三日、趙子龍(ちょうしりゅう)どのより、撤退命令》


《陛下の御名にて》


法正(ほうせい)どの、これを受け》


《八月四日より、陣を移し始める》


《七日までに、三十三所が林を出ました》


俺は、そこで、竹簡を握りしめた。


四日である。火が出る、四日前。そして、趙雲の命令が届いたのが、五日前。


書状は、間に合っていた。


俺は、そこで、日数を数え直した。


俺が書いたのは、七月八日。江州の趙雲へ届いたのが、七月二十日。そして、趙雲が前線へ出したのが、七月二十一日。前線に届いたのが、八月三日。


成都から出せば、三十三日かかった。江州を経由して、二十六日である。


七日、縮んだ。そして、火は、その七日のうちに来た。


    ◆


俺は、龐統(ほうとう)のところへ行った。


「士元どの」


「殿下」


「七日でした」


「はい」


「七日、縮めました」


龐統は、報告を読んだ。そして、こう言った。


「殿下」


「はい」


「それは、七日ではございませぬ」


「……何ですか」


龐統は、答えた。


「三十三所でございます」


俺は、そこで、顔を上げた。


「一所に、七百から千でございます」


「はい」


「三十三所で、二万を超えます」


「——」


「七日で、二万でございますな」


俺は、そこで、動けなくなった。


十五年、俺は距離と戦ってきた。矢の規格。糧の単位。烽火台の重複。江州の中継。全部、日数の話だった。


そして、初めて、日数を人数に換算された。


一日、三千人である。


そして、俺が縮められなかった残りの日数にも、同じ換算が効く。


報告は、続いていた。


《焼けた七所は、馮習(ふうしゅう)どのの陣》


《および、張南(ちょうなん)どのの陣》


《両名、戦死》


《兵、四千二百》


俺は、その数字を見た。


四千二百人。


歴史では、この戦で数万が死んだ。そして、蜀の主力が、消えた。今回は、四千二百である。


俺は、そこで、自分の胸を押さえた。


「だけ」と思った。一瞬だけ、そう思った。


そして、その一瞬を、俺は忘れないことにした。


十五年前、俺は前世でこう書いた。


《削減対象二百四十名》


会議室で、資料の三十七頁目に載せた。誰も、その頁で質問しなかった。


四千二百を「だけ」と読む人間に、俺は、いま、なりかけた。


そして、なりかけたのは、比べる相手が「数万」だったからである。


比べる相手を大きくすると、人は安くなる。


    ◆


関羽(かんう)のところへ行った。この人は、名簿を書いていた。三万人分である。そして、四千二百人分が、これから来る。


「叔父上」


「殿下」


「四千二百人です」


関羽は、筆を止めた。そして、しばらく黙っていた。そして、こう言った。


「……名は、参りますか」


「はい」


「二月ほどかかります」


関羽は、頷いた。そして、竹簡を出した。新しい束である。


そして、四千二百人分を、あらかじめ用意していた。積んである。部屋の隅に、俺の背丈ほどある。


俺は、そこで、聞いた。


「叔父上」


「はい」


「いつから、用意されていましたか」


関羽は、答えた。


「林の話を、聞いた日でございます」


俺は、そこで、何も言えなくなった。


一月前である。そして、この人は、誰にも言わずに、竹簡を用意していた。


「叔父上」


「はい」


「なぜ、誰にも仰らなかったのですか」


関羽は、答えた。


「申せば、縁起でもないと言われますゆえ」


そして、こう続けた。


「そして、用意しておかねば、名が消えます」


三年前、この人は「異常なし」と書いていた。そして今、異常が来る前に、竹簡を積んでいる。


一月、この人は、四千二百人分の空白を部屋に置いて、毎日それを見ていた。


    ◆


父からの書状が届いたのは、九月である。四十四日目に着き、火から一月後に書かれた。そして、短かった。


《阿斗へ》


《遅れた》


《着いたときには、七所、焼けておった》


《子龍の命令が、先に届いておった》


《ゆえに、三十三所は、無事だ》


そして、その下に、四行あった。


《私は、間に合わなかった》


《そして、間に合わなくてよかった》


《私が先に着いておれば》


《林から出すな、と言ったかもしれぬ》


俺は、その四行を、長いこと見ていた。


この人は、自分を知っている。


十五年、俺はこの人の弱点を数えてきた。財務管理三十一。約束管理二十二。決断の遅さ。人の顔を潰せないこと。


そして、この人は、それを全部、自分で知っていた。知っていて、直せなかった。


そして、直せないまま、それを前提に判断した。


「私が先に着いていれば、間違えたかもしれない」——これは、自己批判ではない。設計である。


自分という部品の故障率を、計算に入れている。


書状には、続きがあった。


《馮習と張南の家へ、私が行く》


《雲長の名簿ができたら、送れ》


《読む》


俺は、そこで、二年前を思い出した。関羽が、条件を出した日である。


「帰らなかった者の名も、書きます」


「そして、それを、陛下に読ませてください」


そして、父が、自分から「読む」と書いてきた。言われる前に、である。


俺は、その一行を、関羽に見せた。この人は、しばらくそれを見ていた。そして、こう言った。


「……四千二百でございます」


「はい」


「一日、百でも、四十日かかります」


「はい」


関羽は、筆を置いた。そして、初めて、俺に頼んだ。


「殿下」


「はい」


「陛下が、読み終わるまで、そばにいてさしあげてください」


    ◆


俺は、そこで、蔣琬(しょうえん)を呼んだ。


「公琰どの」


「殿下」


「馮習どのと、張南どのの家を、調べてください」


「はっ」


「どこにあるか、家族が何人か、そして——」


俺は、そこで、少し迷った。そして、続けた。


「陛下が行かれる日を、先に伝えてください」


蔣琬は、筆を止めた。


「……先に、でございますか」


「はい」


「なぜでございましょう」


俺は、答えた。


「突然来られると、家が困ります」


蔣琬は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。


「……皇帝が参られるのでございます」


「はい」


「困る、というのは」


俺は、答えた。


「掃除をします。着るものを探します。近所に借ります」


「……」


「そして、その日は、泣けません」


蔣琬は、そこで、筆を置いた。そして、頭を下げた。


「……承知いたしました」


十日前に伝えれば、家は支度ができる。そして、支度が済んでいれば、その日は、泣ける。


前世で、俺は葬儀の場を何度も見た。そして、遺族がいちばん忙しいのは、いつも、葬儀の日である。


忙しい日には、泣けない。


    ◆


俺は、木簡(もくかん)を出した。そして、《陛下の、留守》を開いた。四十四日目まで、書いてある。


そして、俺は、その横に一行足した。


《四十一日目に、着かれた》


《火は、三十九日目だった》


俺は、そこで、筆を止めた。


二日である。二日、遅かった。


そして、二日、早ければ、この人は林から兵を出さなかったかもしれない。


遅刻が、人を救った。そして、それを喜んでいいのかどうか、俺には分からない。


書いてある通りに動けば、三万が助かる制度を作った。そして、実際に三万を助けたのは、間に合わなかったことである。


その夜、俺は諸葛亮(しょかつりょう)のところへ行った。


「先生」


「殿下」


「間に合いませんでした」


諸葛亮は、羽扇(うせん)を止めた。そして、こう言った。


「殿下」


「はい」


「何が、間に合いませなんだか」


俺は、そこで、答えられなかった。


書状は、間に合った。撤退命令も、間に合った。三十三所は、出た。そして、七所は、出なかった。


「先生」


「はい」


「七所です」


「はい」


「なぜ、その七所だけ、出なかったのですか」


諸葛亮は、報告を読んだ。そして、こう答えた。


「順でございましょう」


三十三所を移すのに、四日かかった。そして、七所は、最後だった。


順番である。そして、順番を決めたのは、法正だ。


俺は、報告の最後を読んだ。そこに、一行あった。


《移す順は、遠い陣から、と孝直どのが命じられました》


《近い陣は、火が出れば逃げられる、と》


俺は、そこで、目を閉じた。


合理的である。遠い陣ほど、移動に時間がかかる。だから、先に動かす。そして、近い陣は、火が出てからでも間に合う。


間に合わなかった。火は、夜に出た。そして、風が、思ったより強かった。


「火が出れば逃げられる」は、昼の計算である。そして、夜に火が出ることを、条件に入れていなかった。


俺は、そこで、一つ書いた。


《正しい順で、正しく動いて、四千二百人が死ぬことがある》


そして、その下に。


《そして、その順を決めた人は、一生それを覚えている》


俺は、そこで、筆を止めた。


法正の一生は、あと何年だろうか。


去年、俺は年表の丸を削った。そして、何も描かなかった。描かなかった行に、今日、初めて意味がついた。


この人は、これから、この四日を毎日思い出す。


そして、それを止める方法を、俺は持っていない。



〈あとがき〉


「それは、七日ではございませぬ。三十三所でございます」——十五年戦ってきた距離が、初めて人数に換算されます。一日、三千人でした。


四千二百人を「だけ」と思った一瞬を、主人公は忘れないことにします。比べる相手を大きくすると、人は安くなります。


関羽は、一月前から四千二百人分の空白の竹簡を積んでいました。「用意しておかねば、名が消えます」。


「私は、間に合わなかった。そして、間に合わなくてよかった」——自己批判ではなく、設計です。自分という部品の故障率を、計算に入れています。


そして七所が最後だった理由。「火が出れば逃げられる」は、昼の計算でした。


次回、張飛が、敵ではなく退路を壊します。


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― 新着の感想 ―
>約束管理 >22 → 18 一度24に上がってたような気もするんですが、結局18まで落ちるなら誤差ですね。 どのみち「約束管理20台」の人を「約束」で縛ろうとしたのが根本的な間違いだったのかなと思っ…
そっかー、面子かぁ。 我々が思う以上に面子ご重要だった時代ですよね。 蜀帝の面子、感情に訴えかけられる人がいないのが敗因でしょうか。 孫権は前線に出てきてないから、負けても傷は浅そうです。
「事前知識があっても、現場の混乱・伝達の遅れ・人間の油断・敵側の対応変化によって、完全には歴史を制御できない」  主人公は転生しただけで、神でもないからそれはそう アホというのは言い過ぎだったが、…
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