第85話 陸遜は、勝たせるために退く
【章武二年 四月|成都(東征の報)】
呉軍は、退いた。
一日目に退き、二日目にも退いた。三十日で、五百里退いた。
そして、一度も戦わなかった。
◆
章武二年の四月。三万が、東へ出た。
そして、巫県を取った。秭帰を取った。二十日で、二城である。
成都へ、報告が届いた。馬良の字である。
《巫県、無血にて開城》
《秭帰、三日にて陥落》
《敵、退く》
そして、四行目に、こう書いてあった。
《退き方が、速すぎます》
俺は、その一行で、手が止まった。
白眉である。そして、この人は、余計なことを書かない。
十五年、俺はこの人の報告を読んできた。数字。日付。人名。場所。
そして、感想を書いたのは、これが初めてだった。
書いた、というより、書かずにいられなかったのだろう。
俺は、龐統のところへ行った。
丞相代理である。そして、この一月で、十七項のうち五つを整理した。四つは「誰も決めていない」まま増えたものだった。そのうち二つは、諸葛亮が自分で拾ったものである。
「士元どの」
「殿下」
「これを」
龐統は、報告を読んだ。そして、酒杯を置いた。七度目である。
「殿下」
「はい」
「これは、負けておりませぬ」
「はい」
「そして、勝ってもおりませぬ」
「では、何ですか」
龐統は、答えた。
「売っております」
俺は、そこで、地図を見た。
巫県。秭帰。そして、その先。三峡である。
「殿下」
龐統は、地図を指した。
「はい」
「ここから先は、山でございます」
「はい」
「そして、道が、一本になります」
「——」
「兵は、縦に伸びます」
俺は、そこで、思い出した。
十年前である。七歳の俺は、この線を船で下った。荊州から益州へ、である。
そして、こう思った。
《両側が壁で、空が細い》
《関羽が守っているのは、領土ではない。この線の、片方の端である》
そして今、その線を、三万が上っている。
十年前は、五日で下った。上るのは、その三倍かかる。そして、荷を担いだ兵なら、もっとかかる。
「士元どの」
「はい」
「陸遜は、どこまで退きますか」
龐統は、答えた。
「夷道か、猇亭でございましょう」
「なぜですか」
「そこで、山が終わりますゆえ」
俺は、視界を確認した。
【陸遜 字・伯言】
年齢 三十九
統率 93
知略 100
長期戦略 100
忍耐 100
謙譲偽装 100
敵の自尊心利用 100
固有特性
【へりくだって待つ】
【夷陵の炎】
現在の状態
【退却を継続中】
備考
この人物は、退却を戦術として使用しています。
退却距離は、既に計画されています。
計画されている。
三年前、俺はこの人に会った。そして、こう言った。
「無能な隣国は、予想できないことをします」
予想できることを、正確にやってくる。そして、予想できても、止められない。
止めるためには、こちらが「退け」と言わなければならない。そして、勝っている軍に「退け」と言える人は、この国にいない。
◆
俺は、法正へ書状を書いた。
《孝直どのへ》
《敵は、退いているのではありません》
《退く場所を、選んでいます》
《三峡の先で、山が終わります》
《そこで、待っています》
そして、最後に一行足した。
《終了条件の二を、思い出してください》
《二 取れぬと判明する》
江陵は、取れない。そして、それを証明するために、この人は行った。
そして今、二城を取ってしまった。
「取れない」ことを証明しに行った人が、途中で取ってしまうと、証明が難しくなる。
前世で、俺はこれを何度も見た。「うまくいかないと分かれば撤退します」と言って始めた事業が、初動で数字が出る。そして、その数字が、撤退条件を消す。
初動でうまくいくほど、危ない。
返事は、四十日後に来た。法正の字である。そして、咳の跡がある。竹簡に、点が飛んでいた。
《殿下へ》
《仰せの通りでございます》
《敵は、退いてはおりませぬ》
《引いております》
《そして、私は、それを止められませぬ》
「なぜですか」
俺は、その先を読んだ。
《兵が、勝っていると思っております》
《二十日で、二城でございます》
《そして、一人も死んでおりませぬ》
《この状態で、退けと申せば》
《私が、臆したことになります》
俺は、そこで、この人の困難を理解した。
負けていない。そして、負けていない軍は、退けない。
三年前、関羽が同じ場所にいた。樊城である。
そして、あのときは、条件があった。兵糧二十二日。三名の報告。帰還命令。
そして、いちばん効いたのは、二十二日という数字だった。値切って決めた数字だから、本人が覚えていた。
今回も、条件はある。そして、四つとも、まだ成立していない。
俺は、条件を読み直した。
《一 江陵を取る》——まだ。
《二 取れぬと判明する》——まだ。
《三 魏が動く》——まだ。
《四 糧が六十日を切る》——まだ。
四つとも、成立していない。そして、軍は、既に危険な場所へ入っている。
俺は、そこで、自分の設計の穴を見た。
終了条件を、「悪くなったとき」で書いた。糧が減る。敵が来る。取れないと分かる。全部、悪い方向である。
そして、「良すぎるとき」を、書いていない。
三年前、俺は同じことを学んだはずである。
《最大の敵は、敗北ではありません》
《最大の敵は、勝利です》
学んで、条文にしていなかった。
学んだことと、条文にしたことは、別である。そして、条文にしていないものは、次の人には伝わらない。
俺は、五つ目の条件を書いた。
《五 二十日以内に、二つ以上の城が無血で手に入った場合》
そして、その下に。
《相手が、売っている可能性を検討する》
俺は、それを見て、筆を置いた。
遅い。
条文は、事が起きてからしか書けない。そして、書いた条文が効くのは、次の戦である。
十五年、俺はそればかりやっている。犍為郡のときも、そうだった。輸送で死んだ者を数え始めたときも、そうだった。于禁のときも、そうだった。
毎回、一回分、遅い。そして、一回分の中身は、いつも、人である。
◆
劉巴のところへも行った。
「子初どの」
「殿下」
「糧は」
この人は、顔を上げずに答えた。
「百二十日分でございます」
「撤退条件は、六十日です」
「はい」
「あと、六十日ですね」
劉巴は、そこで、初めて顔を上げた。そして、こう言った。
「違います」
「……」
「三十日でございます」
俺は、そこで、身を乗り出した。
「なぜですか」
劉巴は、答えた。
「帰り道に、要りますゆえ」
当たり前である。そして、俺は、それを計算に入れていなかった。
六十日を切ったら退く、と書いた。そして、六十日で退けるかどうかを、書いていない。
三峡を上るのに、三十日かかった。下るのは、その半分としても、十五日。そして、退却する軍は、進むより遅い。
「子初どの」
「はい」
「なぜ、いままで仰らなかったのですか」
この人は、答えた。
「……聞かれませなんだので」
四度目である。そして、この人は、いつも正しい。
俺は、その日、条件を書き直した。
《四 糧が、九十日を切る》
六十を、九十にした。三十日、早めた。
そして、その三十日が、たぶん、この戦でいちばん高い三十日になる。
◆
趙雲からの返書は、十日後に来た。短い。この人は、いつも短い。
《殿下》
《承知いたしました》
そして、その下に、一行あった。
《陛下の名を、使うということでございますな》
俺は、その一行を読んで、少し身構えた。
この人は、命令系統を破ったことが、一度だけある。十一年前、截江である。そして、あのとき、この人は責めを負う覚悟で船を止めた。
俺は、返書を書いた。
《はい》
《責めは、私が負います》
返事は、また十日後に来た。そして、一行だった。
《責めは、命じた者と、行った者の、両方が負います》
俺は、そこで、木簡に書いた。
《十一年で、この人が初めて言い返した》
◆
諸葛亮のところへ行った。四十二である。十七項を、一人で見ている。そして、この一月で、龐統が五つ持っていった。十二項になった。
「先生」
「殿下」
「五つ目の条件を、送ります」
「はい」
「間に合いますか」
諸葛亮は、羽扇を止めた。そして、こう答えた。
「四十日でございます」
往復で、八十日。そして、軍は、二十日で二城取った。書状が届く頃には、また進んでいる。
「先生」
「はい」
「距離が、また問題になります」
諸葛亮は、答えた。
「はい」
「——」
「そして、これは、殿下が三年前に仰せになったことでございます」
制度とは、距離である。近ければ、要らない。遠いから、要る。
そして今、条件は書いた。書いた条件が、届かない。
書いた紙が、間に合わない距離では、条件は制度にならない。紙のままである。
俺は、そこで、一つ決めた。
「先生」
「はい」
「江州へ、行きます」
羽扇が、止まった。
「殿下」
「はい」
「二度目でございますな」
俺は、答えた。
「はい」
「三年前と、同じです」
江州。趙雲がいる。成都から、二十日。そして、前線からは、片道十五日。往復で、三十日。
八十日が、三十日になる。
「陛下は」
「まだ、申し上げていません」
「……」
「先生から、お願いできますか」
諸葛亮は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。
「殿下」
「はい」
「陛下も、行きたがっておられます」
俺は、そこで、動きを止めた。
「……江州へ、ですか」
「はい」
「昨日、私に仰せになりました」
「……」
「『阿斗が行くなら、私も行ける』と」
俺は、そこで、頭を抱えた。
皇帝が出れば、退けない。そして、皇太子が出れば、皇帝が出る口実になる。
三年前、俺は公安まで行った。そして、あのときは、父が漢中にいた。四百里の彼方である。
今回は、父が成都にいる。そして、俺が動けば、この人も動く。
俺の身体が、この人の口実になる。
十五年、俺は自分が動くことで多くを変えてきた。そして今日、動かないことでしか守れないものがある。
◆
俺は、そこで、行かないことにした。代わりに、三つやった。
一つ。書状を、三人分同時に出した。法正へ。張飛へ。馬良へ。同じ内容である。
三年前、湘関でやった手と同じだ。一人が読み落としても、三人のうち誰かが読む。そして、三人が同じ紙を持てば、相談ができる。
二つ。江州の趙雲へ、こう書いた。
《前線からの書状を、成都へ回さず、そこで開いてください》
《そして、四つの条件のどれかが成立していれば、その場で撤退命令を出してください》
皇帝の名を、預けた。
十四年、この人は自己主張二十一のままである。そして、命じられれば、必ずやる。だから、命じた。
自己主張が低いというのは、判断ができないという意味ではない。判断を、自分の名で出せないという意味である。
だから、名を貸した。
三つ。父に、書いたものを読み上げた。
《江陵を取れば、退く》
《取れぬと判明すれば、退く》
二月前、この人が言った言葉である。
父は、それを聞いて、こう言った。
「阿斗」
「はい」
「私は、行かぬ」
「はい」
「そして、行きたい」
俺は、答えた。
「二月前と、同じことを仰いました」
父は、少し笑った。そして、こう言った。
「……そうか」
「——」
「私は、進歩しておらぬな」
俺は、そこで、答えた。
「いいえ」
「——」
「二月前は、書かれませんでした」
「……」
「今日は、書いたものがあります」
約束管理、二十二である。そして、この人は、紙には勝てない。
十五年かけて、俺が見つけた、この人のいちばん確実な取り扱い方だった。
そして、この方法には、一つだけ弱点がある。
書いていないことには、効かない。
三年前、俺は先生に、学ぶことの話を聞いた。人は経験から学ぶ。ただし、いちばん重要な決定の結果は、学べるほど早く返ってこない。だから、結果が返る前に、何が起きたかを書き残す。
そのとおりにしてきた。敗因簿がある。誤りの簿がある。異議の簿がある。
そして今日、抜けが分かった。
学んだことと、条文にしたことは、別である。
三年前、俺は龐統と学んだはずだった。勝ちすぎたときのほうが危ない、と。荊州で、それを見た。四百六十八枚の報告を読んだ。「失敗より、成功が危険です」という表示も出た。
学んだ。確かに、学んだ。
そして、終了条件の欄には、「悪くなったとき」しか書かなかった。
覚えていることは、組織の持ち物ではない。書いてあることだけが、組織の持ち物である。そして、書いていないことには、この国でいちばん確実な取り扱い方が、効かない。
〈あとがき〉
「これは、負けておりませぬ。そして、勝ってもおりませぬ」「では、何ですか」「売っております」——龐統が酒杯を置いた七度目です。
「終了条件を、『悪くなったとき』で書いた。そして、『良すぎるとき』を、書いていない」。三年前に学んだはずのことが、条文になっていませんでした。学んだことと、条文にしたことは、別です。
「書いた紙が、間に合わない距離では、条件は制度にならない」。そして今回、主人公は行きません。行けば、皇帝が出る口実になるからです。
代わりに、趙雲へ皇帝の名を預けました。自己主張が低いというのは、判断ができないという意味ではありません。自分の名で出せない、という意味です。
《劉禅文庫 再読『第5の規律』——学んだことと、条文にしたことは、別である。覚えていることは、組織の持ち物ではない》
次回、一つの砦で、目的が変わります。




